最期の日まで
「…………ぅぁ」
気絶するような眠りから、引き戻されるように目覚める。
頭の重さ、背中の痛み、かすかに覚える瞼への違和感。
ひとまずのところ、まだわたしは生きていた。
「まりー……。マリー、起きてますか……?」
「…………」
「……まあ、いいか」
無理に起こすこともない、そう思い直す。
もう、わたしたちふたりを縛るものは何も無いから。
……それは同時に、守ってくれるものが無くなったという意味でもあるけれど。
「んっ……ふう。いい、天気です」
枯れ草を集め、背の高い植物をより合わせて作った簡素な寝床。
ほんの少し薄暗いそこから顔を出して、柔らかな朝日を浴びた。
伸びをした背筋から、こきこきと小気味良い音がする。
逃亡生活の初めの一晩は、特に異常なく終わったようだ。
「食料はどれだけあったでしょうか……」
持ち出せた荷物はそう多くはない。
最後、ソフィアさんからいくらか役に立つ魔法を教えてもらえたとはいえ、しばらく手探りで暮らしていくことになりそうだ。
でも、マリーと一緒なら大丈夫。
「……魔法も、もっと練習しないとマリーを守れない。それに……わたしが、もっとちゃんと……」
考えれば考えるほどに、頭が痛くなっていく。
どうしようもないことなのに。
追放、そう告げられた。
アンさんは泣きながら、ソフィアさんは乾いた笑みを浮かべながら。
時に惑い、人の道を外れ、あるいは誰かを傷つけて……そうでもしなければ守れなくて。
そうして手に入れたはずの幸せは、あってはいけないことであったと。
わたしたちは、もう既に、許されざる罪を犯したと。
「……なんで……?」
何が悪かった。何を間違えた。
どれだけ考えても、焼けるような痛みは治らない。
燃やし尽くすような怒りは、収まらない。
悪いことは何もしていない。
マリーだってそうだ。
そんなことを言われる理由も、追放なんてされる謂れもどこにもない。
そう、胸を張って言えるのに。
「…………いえ。それを訴えるのは、今じゃありません」
文句も抗議もいくらでもできる。
反抗も反逆だって。
けれど、今はそうするべきじゃない……あのふたりにもそう窘められたし、わたし自身もそう思う。
人には人の事情があって、そう簡単には変えられない。
至極当然のことを、あの一件で思い知らされた。
だから今は、マリーとふたりで逃げるべきだ。
この先もずっと一緒に生きていたいなら。
「苦しんででも逃げるべき。……分かっています」
ほとぼりを冷まさなければならない。
もし捕まれば殺される危険が大きい。
下手すれば弁明の機会すら与えられず……万が一にもそんなリスクは犯せない。
わたしが、マリーを守らないといけない。
最悪の場合は、わたしたちだけでどこまででも。
「……っ」
「……くりす……?」
「あ、ま、マリー……」
ふと背後から、そんな愛しいひとの声がした。
眠そうに目を擦っている。
起こしてしまったでしょうか……。
「おはよ……ふあぁ。どうかした……?」
「い……いえ。なんでもありません」
「そう……? ……まあいいけど。なんかあったらちゃんと言ってよ、クリス」
「はい……」
相談。
……何を相談するべきなんでしょう?
今はもう、何も。
「……ごめんね、クリス」
「えっ?」
「なんでもない。そろそろ出発する? 少しくらいゆっくりしてもいいと思うけど」
日はとっくに昇っていた。
確かにゆっくりしてもいいけれど……でも、あまり時間を無駄にしたくはない。
動ける間は動きたい。
今の状況で、一つの場所に留まることが正しいこととは思えないから。
「……もう動きましょう。寝床を均して、それからです」
「はーい」
でも……思ってしまう。
考えてしまう。
この道の先に何が待つのか。
逃避を続けたその先で、わたしたちは。
……もしかしたら、そう遠くないうちに。
***
***
……喉が……渇いた。
水……いや……。
「……っ。流石に、駄目でしょ」
私の手を引き、少し先を歩いているクリスを見て……その首元を見て、なんとも言えない気分に襲われる。
自分の衝動がなんなのか分からないほど間抜けではなかった。
紛れもない、吸血衝動だ。
「……? どうかしましたか、マリー?」
「いや……」
視線で気づかれたか、怪訝そうな目を向けてくるクリス。
だがそんな彼女の瞳にも、微かな疲れが見え隠れしていた。
数日が経ち、なんとか山は超えた。
しばらくは平坦な土地だ……それでも消耗はあるけれど。
どこまで逃げればいいのかも、どこに行けばいいのかもわからない。
終わりの見えない逃避が、嫌でも体力を奪っていく。
「……マリー」
「な、なに?」
ふいに彼女がぴたりと止まる。
危うくぶつかりそうになった。
「少し休みましょうか。疲れました」
「あ……うん。そうしよ」
ほんの少し、妙な感触を覚えた。
そういえば、クリスが自分からこのようなことを言ったことはあまり無かった気がする。
元々私より彼女の方が体力はあったし、さほど不思議にも思っていなかったけれど。
「よっと……ほら、どうぞ」
「ど、どうぞって」
「おいで」
そう言って、折り畳んだ膝を指し示してくる。
膝枕の形だ。
……やっぱり、なんか変なような。
「う……うん。これでいい?」
「はい、よくできました」
断るわけにもいかず、仰向けに寝転んで頭を乗せる。
……柔らかくて、温かい。いい匂いがする。
けれど、彼女の方に負担はないだろうか……。
「クリス……?」
「ふふ……ん? どうかしました?」
「……いや、なんでもない」
考えてみるだけ野暮だった。
めちゃくちゃいい笑顔だ。
考えてみれば、この逃避行を始める直前からもずっと……彼女には、負担を強いていた気がする……。
「……ねえ、マリー?」
「なに?」
穏やかな声だった。
疲れで少しテンションがおかしくなっているのだろうか。
もしそうだとすれば私の責任だ。
付き合えるだけ付き合う義務がある。
「あなたと出会えてよかった。ふたりで過ごせてよかった。……あなたも、そう思ってくれますか?」
「何を急に……当たり前でしょ」
私の頭を撫でつつ、ゆっくりと。
語り聞かせるように、あるいは時間を惜しむように。
……まるで。
「喧嘩もしたし、すれ違いもした。それも……よかったと思います。わたしはあなたの全てを知りたい。わたしの想いの全ても。それは、やっぱりすごく幸せなことでした」
「……うん」
……私だって、言葉は山ほどあった。
けれど、言う機会を見失った。
「死が、ふたりを分かつまで。すごく素敵で、幸せな言葉だと思います……世界とさようならをする最期のとき、あなたがそばに居てくれたら、何も恐れることなんてないから」
「そう、だね……」
嫌な記憶が蘇る。
二度味わった、冷たい痛み。
けれどそんな心の傷も、今となってはどうでもいいことだ。
「ねえ……マリー……?」
「……なあに? クリス」
彼女の瞳から、光が落ちた。
ぽとり、ぽろりと冷たいそれを、吹いてきた風がそっと撫でる。
ひどく、体が重い。
疲れが祟ったか、それ以外の理由かはわからない。
でも、もう、体が動かせない……。
「まだ……まだ、もっと。いつまでも、あなたと一緒にいたかったのに……!」
……足音が、聞こえる。
私たち以外の誰かのものだ。
一つではない。何人も、何十人も。
その姿を、確認することすらできず。
「──マリー、それにクリスだな。国家反逆、及び内乱罪の疑いで貴様らを拘束する!」
そんな誰かの声が、最後に聞こえて。
私達は、引き剥がされた。




