兆候
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ぎぃぃっと、聞き慣れた耳障りな音が痛いくらいに耳を刺す。
……帰ってきた。
心底鬱陶しく感じつつも、それでも頭をもたげようとしてしまうのは……きっと私が弱いから。
こんな状況に甘んじて、色んな人に迷惑をかけて。
本当……嫌になる。
「……帰って、きたんですか。もう、放っておいてくださいよ……」
「…………」
「……?」
結局、起き上がることも叶わずに。
絞り出した、けれど確かに聞こえていたはずの声には、何の返答も返ってはこず。
奇妙に、淡々と。
近づいてくる足音だけが、鼓動と共に大きくなっていく。
「はぁ……ふう……」
息遣いはやけに荒い。
大人の女性だ……けれど知り合いではない、それを確信した。
漏れ出る声は誰とも違う。
足音も、歩幅も、想像される歩き方も、知っている誰とも違う。
……いや、正確には一人……もしくは二人、似たような歩き方の人はいたけれど……。
「……だ……だれ」
「…………」
「誰ですか、あなた……っ?」
自分でもわかるほど、自分の声に覇気がない。
こんな状況になってなお、起き上がる気力が湧いてこない。
ただその見知らぬ女性が、もはや逃げることは不可能な距離にまで近づいてきてから……ようやく、上半身だけでも起こすことができた程度で。
「……イリーナさん、ですね」
「な……」
「お話は大体聞いておりますよ。あなたに恨みはない……けれど少しだけ、我慢してくださいね」
「え……な、なに……んむっ!?」
名前を、知られている。
つまり、計画的に行われていること。
ようやく悟れたのは、その程度で。
「ご安心を。そう苦しくはありませんから。……ね?」
「んん……!? ん、ぅ、ぅ……!」
口に、布のようなものを詰め込まれた。
湧き上がる吐き気、捉えようもない痛み、物理的に詰まる息。
どれもこれもが、抵抗する気力を悉く奪っていく。
「──おやすみなさい」
二度、三度。
強い衝撃を、首筋に感じて。
そして──。
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空を飛び、帰路につきながらも、もやもやする思考は絶えない。
ぞくぞくと背筋に感じる寒気。
あの症状を見たのは、随分と前にも一度あった。
「毒。呪い。今度はどっちだ……あるいは両方か? というか現存していたんだね……ほんと、忌々しい」
それは、呪いのように朧げな毒だ。
あるいは、毒のように体を蝕む呪いだった。
出所が掴めず、したがって特定も難しく、起こる症状にさしたる対処もできない。
じわじわと体を弱らせ……他の病気への抵抗力を著しく弱める。
侵食が進めば、ただの風邪でも命取り。
それが、あの悪意の塊のような存在だった。
「マリーちゃんでよかったと見るべきか……いや。こんな考えはよくないな」
起こった不幸に『よかった』などと述べるのは、誉められた行為ではないだろう。
……しかし現実として、他の誰でもない彼女がその対象になったのは不幸中の幸いだった。
なにしろ、今のあの子は吸血鬼なのだ。
治癒力や耐性は人間とは比べ物にならない。
もちろんボクやソフィアには劣るけれど……それでも、あれであの子が死んでしまうような心配はまずないだろう。
「問題は特定か……っと。あの時のソフィアの日記、まだ残ってたかなあ……?」
イリーナちゃんのいる学園ではなく、自分の家に帰ってきた。
かつて同様のことが起きた時、ソフィアが何かを書き記していたような記憶がある。
もしかしたら何か手助けになるかもしれないと、そんな淡い期待を持って……まあ、念の為の確認だ。
……が、しかし。
「……?」
ドアを開く前から、小さな小さな違和感はあった。
けれど気づかず、あるいは無視して、その行動に及んだ。
気配、匂い……足跡。
本来ここにあるはずがない種類の植物の葉。
「な……これはっ!?」
小さな家だ、入ればすぐにわかる。
荒らされていた。
ボクたちではない何者かが、色々な場所を触った痕跡……隠そうとしてはいたのだろうが、それでも至る所に残っている。
「……ソフィア! ソフィアっ!? ……いない……!!」
何より、ソフィアがいなかった。
今日、あの子が外に出るような用事はなかったはず。
もしも急用が入ったとしても、連絡の一つくらいよこすだろう。
ならば、この状況は。
「まずい……! イリーナちゃんっ!」
家を出て、再度飛び上がる。
片付けなど今はどうでもいい。
マリーちゃんがあの状態になった時点で、もっと深く気づくべきだった。
この状況には明らかに誰かの悪意が、あるいは作為が絡んでいる。
なれば相手が、敵が次にすることはなんだ。
仮にボクなら、次にすることは……!
「……っ。くそっ……!」
……いや。落ち着け。無駄だとしても可能な限り急げ。
マリーちゃんに起きたことは、断片的にでも当時を知らなければあり得ないことだ。
あれは古、遠い昔に作られた悪意。
偶然再現されるような代物ではない……したがって、ボクの関知していなかったところに何かしらの情報の伝達があったと見ていい。
そして、ボクたちの家を知られていたこと。
相手はボクたちも標的にした。
ただ偶然あの場所を訪れた空き巣、とするのは流石に厳しい。
マリーちゃんを狙った何者かが、その周りの人間も──あるいは逆かもしれないが──まとめて狙ったと考える方がよほど道理が通っているだろう。
今、考えられる中で最悪の状況は。
ああして家が荒らされた時点で、もう……。
「……馬鹿。そんなこと、考えてどうするの……!」
まずはイリーナちゃん、次にアンちゃん、そしてもう一度マリーちゃんたちも。
今度こそ、何が何でも絶対に、誰一人犠牲を出しはしない。
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