病気?
「──う……ん……。……朝、か……」
強い光が目に染みる。
眼球を内側から引っ張られるような痛みが、頭の働きを阻害する。
少しだけ、体がだるい。
「クリス……クリス? ……いない、か……」
お手洗いかな。
まあ気にするほどのことではない。
すぐに戻ってくるだろう。
「っつ……う? ん? げほっ……な、に、ぇ」
……違和感に気づいたのは、その時だった。
自覚するほどに増す頭痛。
喉を擦り切るような咳と、吐き気と共に流れ出る赤黒い血。
尋常ではないだるさと、熱を持った体……。
「なに……こ、かはっ!? げほっ……な、く、なに……が……」
わからない。
わからないわからないわからないわからないわからないわからない。
いや……違う、落ち着け。
意識ははっきりとしている、これ以上なく苦しいことに。
ただ逆に言えば、少なくとも今すぐ死ぬようなことにはならない……はず……?
「──ふあぁ……あ、マリー? もう起きて……」
「……っ! だ、駄目クリス! こっち来ちゃ駄目っ!!」
「え……ぇ? な、にそれ、血……え……?」
クリスが、ドアを開けて入ってこようとする。
必死の静止に、なんとか扉のところで踏みとどまってくれた。
原因が何かはわからない。
だが病気……ウィルスだとか細菌だとか、その類のものの可能性がある。
クリスを、これ以上危険に晒してはならない。
「わか、らな……げほっ。まだ、まだ大丈夫だから……」
「だ、大丈夫なわけ……っ! 待っててください、今すぐ人を呼びますからっ!」
「ぁ……ま、って……」
止める間も無く、クリスは走り去ってしまった。
……朝なのが、どうにも都合が悪い。
これが、真夜中だったなら……。
***
「いいかい、まだ近づいちゃ駄目だ。どれだけ心配であっても、キミたちはしばらくこの部屋に入っちゃいけない……特にクリスちゃんはね」
「で、でも……っ!」
しばらく時間の経った後、慌ただしい気配が外で何度もした。
ルーシーちゃんと思われる声が、クリスを説得しているのが聞こえてくる……。
「原因はまだわからない。わからない以上、キミを危険には晒せないんだ……マリーちゃんだってそれは望まないだろう。どうかお願い、クリスちゃん」
「……っ……わ、かりました。今は……任せます……っ」
そんな問答の後、足音が遠ざかっていく。
十分に距離が離れた後、こちらに声がかけられた。
「──入るよ、マリーちゃん」
「ぁ……だ、め」
「心配しないで。多少のことならボクは死なないし、クリスちゃんたちに危険が及ぶようなことにもならない。何より、今はキミの体が第一だよ」
「……っ」
少しだけ時間が経ち、寝起きの頃のような症状は収まりつつあった。
だが断続的な咳、吐血、頭痛、そして熱は全く引く様子がない。
意識がはっきりしているのだけがどれだけ救いか……あるいは苦痛か。
「ひどいね……とりあえず布団は替えてしまおう。少し浮かせるよ、マリーちゃん」
「ん……」
なされるがまま、見えない力によって体が宙に浮かされる。
ほんの少しの滞空の後に、交換され綺麗になった布団に戻された。
もっとも、またすぐに汚してしまうだろうけれど……。
「──うん。大丈夫、死にはしないよ。ただ、症状が引くにはしばらくかかりそうだ」
しばらく体を診察され、彼女はそう言ってくれた。
ひとまずは安心だ。
死にさえしないのなら、あとはどうとでもできる……はず。
「ルーシーちゃん……わた、けほっ」
「無理に喋らなくてもいいよ。原因は……ううん……。ごめん、すぐに特定するのは難しそうだ。ただ病気ではないと思う。人間がそばにいても、移ったりする心配もない」
「そう……」
彼女の見立てならある程度信頼できる。
なら、クリスは大丈夫か。
「毒物……呪い。そんなところかな? いや、確定はするべきじゃないか……」
「……呪い?」
「なんでもない。今キミが気にするべきはそんなことより、どう目先の症状を抑えるかだよ」
……気になる言い方を。
そんなんじゃ余計不安になる。
「教えて、ルーシーちゃん。……何か、気がかりなことがあるの?」
「……いや……」
「お願い」
彼女の目は泳いでいないものの、やや逡巡を見せていた。
不安にさせないよう気遣ってくれているのだろうけれど……やっぱり気になる。
「…………。関係があるかは分からないけれどね。先日の事件の折にも、今のキミと酷似した症状を示した子がいた……一部の巨人族だ」
「……っ!」
先日の事件。
変貌とそれに関連する事変のことだ。
巨人族……ジャンさんによれば、ほとんど壊滅寸前まで追い込まれたという集落で……。
「もっとも、彼らはボクを受け入れてはくれなかった。夜中にこっそりと、必要な処置を済ませることくらいしかできなかった上……今も完治してはいない」
「そんな……」
死んではいない。
ただ口ぶりからするに、何らかの後遺症は残ってしまったようだ。
もし、それと同じものならば……私は……。
「ただ、その子とキミとではまず状況が違うからね。それにキミはあの子と比べて症状が軽い上に、今は吸血鬼だ……そこらの人間とは治癒力の点で明らかに優れている。ちゃんと治るよ、安心して」
「…………。そう」
……まあそもそも、変貌の事件はもう収まっている。
あれはクリスさんBがこちらの世界へ無理に入り込んできたことに、色々な状況が重なって引き起こしてしまった不運だ。
同じことはまず起こらないし、きっと原因は違うのだろう。
特徴的な幻覚……別の世界の記憶が引き起こす認識の相違も起こっていないし。
「それじゃ、とりあえず症状への対処だね。内臓が傷ついているようだから治しておくけれど、これは再発するかも……血を詰まらせないよう、眠るときは横向きになって」
「うん」
「まあ、移るようなものじゃない以上、キミの看病をするべきはボクじゃないかな……。クリスちゃんには色々と説明しておくから、キミはゆっくり休んで」
「ありがと……」
やや重くなった空気を吹き飛ばしてしまうかのように、明るい口調でそんな説明をするルーシーちゃん。
クリスに負担をかけてしまうのは心苦しいけれど……とっとと治してしまう他ない。
「それじゃ……」
「あ、待ってルーシーちゃん」
「ん? どうかした?」
処置を済ませて出て行こうとした彼女を、呼び止める。
そういえば、彼女と顔を合わせたら聞きたいことがあった。
「その、イリーナちゃんの様子はどう……? ルーシーちゃんが、色々見ててくれてるって聞いたんだけど」
風の噂のようなものだった。
イリーナちゃん本人は閉じこもっているし、アンさんにも避けられている以上確認をとる機会はなかったのだが……。
「……あー……はは。まあ……ボクには、救えはしないから……」
「え?」
「なんでもない。必要なのは時間だよ。安心して、早まらせるようなへまはしないからさ。いつかあの子の準備が整ったら、もう一度話を聞いてあげて」
「う……うん。もちろん」
言われずともそうするつもりだ。
クリスだってそれを望んでいる。
「それじゃあまたね、マリーちゃん。お大事に」
「ありがとね、ルーシーちゃん」
ぱたん、とドアが閉じられた。
静寂と仄暗さが戻ってくる。
……まあ、今気にしてもしょうがない。
それより喫緊の問題は……喉がめちゃくちゃ痛いこと、かな……。




