彼女だけのもの。
その後私たちは、去ってしまったイリーナちゃんを追いかけたものの……結局見失ってしまい、講義の時間が迫っていたため捜索を中断せざるを得なくなってしまった。
それから空いた時間を使っては彼女のいつもいる場所を中心に探したものの、目立った成果は得られず。
ようやく彼女に関する情報が得られたのは、次の日の朝……またも食堂で、しかも彼女本人と対話することは叶わなかったのだ。
「──どういう意味ですか、アンさん」
「いい加減わかってください、クリス……誰よりもイリーナさんがそれを望んでいない以上、私が言えることはありません」
「望んでいないって……!」
「あなたたち二人と話すことそのものが。顔を見るのも嫌だ、あの人はそう言っていました」
……もやもやする気持ちを、どこにぶつければいいのかわからない。
クリスも同様のようだった。
「それでも……っ! ……それでもわたしは、それでいいとは思えません。拒絶されるのはまだしも、その理由さえわからないままでは……!」
「いいえ、クリス。そうじゃないんです。理由すら明らかにしたくないんじゃない……何よりもその理由を、あなたたちに知られたくはないんですよ」
「な……」
……理由を、知られたくない?
どういう意味だ。
彼女が私たちを拒絶する理由……明かしたくもない、わけ……?
「……悪いことは言いません、クリス。私だって、腐れ縁とはいえ友人のあなたにこれ以上酷なことを言いたくはない。永遠に、とも言いませんから……今は少しだけ、距離を置いてはくれませんか。お互いのためにも」
「でも……っ!」
「お願いです、クリス。あなたたちふたりが何も気にせず幸せに過ごしてくれることが、きっと一番の慰めになりますから。……あの子にとっても、私にとっても」
──そうまで言われては、引き下がるしかない。
どこまでももやもやとした気持ちが残ったまま、この件はここで終わりにするほか無くなってしまったのだ。
「──マリー……わたし……」
「……心配しないで。私はずっと、私だけはずっと、クリスのそばにいるから……離れたり、しないから……」
「でも……っ!」
無論、このままでいいとは思っていない。
イリーナちゃんは大切な友人で……恩人でもあって。
だからこそ、これを永遠の別離とするつもりなどかけらもない。
さりとて、今これ以上できそうなこともないのだが。
「……きっと、いつか仲直りできるよ。それしか言えないけど……希望でしかないけど、いつかきっと。あの優しい子が、このままでいいなんて思ってないはずだから……」
「…………」
詭弁で、綺麗事でしかないのを自覚する。
それ以上のことを言えない自分がひどく浅ましく思えた。
……いや、事実浅いんだろう。
「クリス……あのね……」
「いいんです、マリー。……もう、いい。友達として……友達だったものとして、あの人が望まないことをこれ以上したくありません」
「…………」
そう言いつつも、言葉は震えている。
目が赤い。
無理しているのは明らかだ。
いつか癒えると言うには大きすぎる傷。
人は喪失を経て成長する、とか……そんな綺麗事未満の言葉じゃとても言い切れないけれど。
「失いたくなくて、わたしたちは足掻いた。そして……結果として、あなたを失わずに済んだ。わたしはそれを後悔できない……できるはずがない」
「……うん」
「だから、今はまだこれでいい。……もしあの人が今日を悔いてくれるなら、いつかあの人がもう一度……わたしたちを求めてくれるなら。その時、もう一度足掻けばいい。……あなたはきっと、それでもついてきてくれるでしょう?」
「うん……もちろん。私は、ずっと」
クリスのために生きたい。
その思いは、未来永劫変わらない。
いくつか、少し痛むけど。
終わってないこともまだまだあるけど。
いつか全部、何もかもおしまいにできるって……そう、私は信じてる。
……かっこつけてるだけかもだけど。
「──ねえ。マリー」
「なあに? クリス」
だからまだ、もう少しだけ続きたい。
続けたい。
彼女と生きる日々を、彼女のために生きる命を。
少なくとも、彼女がそれに満足してくれるまでは……。
「あなたは、わたしのものですからね」
***
***
「よう。元気そうだな、人間さん」
「…………」
その日、眠りについた後のこと。
夢というには鮮明で……現実というには現実感のない。
そんな場所に、私は、向かい合って立っていた。
「いや、違うな……元人間さん。なあ? お前も、あれと同じになったんだからな」
「……あれとか言うなよ。娘なんだろ」
私と同じ。
目の前のむかつく存在……神にとっての、娘。
ルーシーちゃんのことだった。
「まあ、そうだな。娘……むかしむかしの大昔は、もう少し慕ってくれたんだがな? 今じゃすっかり反抗期だ」
「当然だろ……」
こいつは筋金入りのクズである。
少なくとも、私たちの価値観では。
「まあまあ、そう怒るなって。あれは安全装置だ、ストッパーと言ってもいい。私があの世界に人間を転生させてあそ……じゃなくて崇高な使命のため利用するとき、ああいうのがいなければ際限なく混乱してしまうからな」
「それ全然言い直せてないからな? 勝手なことを……命を弄んで何がしたいだよ、クソ神」
「暇つぶし」
「…………」
聞くだけ無駄だったかもしれない。
「というとやや勝手に聞こえるかもしれないがな……神としてはこれもある種の慈悲なんだぞ? 世界がいくつもあるのはお前も知っての通りだと思うが、これに一切手を加えないと少々勝手に育ちすぎる。だから適度に間引いてやらないといけない……そうして間引いた魂を、消滅させるのではなく新しい世界に生まれ変わらせてやってるんだ。わざわざいくつかお得なオマケもつけてやってな。こんなに優しいことはない」
「長い。三行で言え」
「私、世界の管理ができる。
お前たち、多く生きられる。
誰も損しない、OK?」
……損はどこかでしているだろう。
そうして転生させられた……これの言葉を借りるなら『間引かれた』魂が、幸せに生きられるとは限るまい。
私を狙ったあの男も、かつてクリスを殺しかけたあの女も……私の知らないどこかで生まれた誰かもきっと。
「……というかさ。もしかして前世の私も、そんな間引くとか勝手な理由で……!」
「あ、お前は違うぞ。お前は本当に、誰も幸せにならない形で死んだだけの不幸なやつだ」
「…………」
……それはそれでイラっとくるというか。
むしろ救われないというか。
前世の私の死は、マジで誰のためにもならない一般通過不幸……か……。
「だがな、お前は決して私を心から否定はできないはずだ」
「……それは認めるよ。私は幸せになった。クリスがいたから、私は……幸せになれたんだ」
「そう。不幸になった人間はいた、だがあの世界で幸せを掴み取った人間だって間違いなくいたんだ、他多くの世界と同じようにな。その観点から見れば、私がしたことはただ、他と何も変わらない普通の世界を新しく作っただけだ」
……奴の言葉を否定する材料を、私は持たない。
私の知る誰かは、なんと言うだろう?
勝手なことをと憤るか、その通りだと納得するか、それとも……。
「……でもな、神。やっぱりお前は悪趣味だよ。ルーシーちゃんのことを、ストッパーとかなんとか言ってたけど……今の話を聞くと、そんなもの必要ないんじゃないの?」
「……どういう意味だ」
「間引くんだろ。管理するんだろ。それがお前の……神の仕事なんだろ? なんでそのために、無限の命の吸血鬼とか、そんなふざけたもの作ったのさ?」
今も少し痛む傷。
彼女はあくまで笑っていたけど。
ある意味そうなってしまった私のことも、クリスは受け入れてくれるけれど……。
「……まず理由の一つ目。この試みが、神である私にとっても初めてのことだったからだ。ちょっとしたミスで世界が丸ごと滅ぶとか、そんな結果はできれば避けたい……そのために、リスクを避けるために、ある程度以上の力を持ち、かつ自ら思考でき、そして世界を見守れるくらいの器を持ったものが必要だった」
「……それで?」
「次に、世界そのものにある程度の健全性を持たせるため。ただ単に世界を作りました、転生させますじゃ駄目なんだよ。世界五分前仮説じゃないが……かつてより世界が存在したこと、世界自体の『歴史』を証明できること。いわゆるパラドックスを避けるための一番単純な方法がそれになる」
「…………」
……言わんとしていることはわからないでもない。
ある日ぽんと無から世界が生まれました、じゃ語る上での合理性がない。
だが事実として、あれは神が作り出した人工ならぬ神工の世界だ。
『歴史』を存在させるため、神ではなく人が作り出してきた世界であるというある種後付けの合理性を持たせるために歴史の生き証人が必要だった、とか。
……正直訳がわからなくなってきたが……。
「最後に……これはまあ、勝手な都合でもあるがな。そして一番大きな理由だ。時に私をも超える強い力を持った存在。私ですら予想のつかない動きを見せる存在。そういうのは、多ければ多いほどいい……面白い」
「……は?」
「考えてもみろ。今お前が生きている世界が、何もかも全て運命とやらの思い通りだったとしたら? 絶対的な運命、私がデザインした通りに人生が進むとしたら……こんなにつまらないことはなくないか?」
「…………」
……かつて、私が抱いた疑問そのままだった。
あの世界は神が作った世界。
ならばそこに生きる私の『運命』は、全部神の思い通りなのではないか。
クリスと愛し合えること、大切な友人ができたこと、それは何もかも全部……最初から決まっていた、予定調和に過ぎないのではないか、と。
「違うさ。そうじゃない。……お前が生きている『今』は、間違いなく、私の想像以上の今だよ」
「……っ」
「最初から決まっていた? 運命? とんでもない。こんな今は想像してもいなかったさ……せいぜいもっとずっと前に死ぬか、何もかも失うものだと思っていた」
「おい」
酷い言いようだ。
……だが、悪い気はなぜかしなかった。
「だから、誇れよ。お前の掴んだ幸せは、お前が掴み取った幸せだ。運命なんかじゃない、決まっていたことだなんてとんでもない。お前が選び、行動して、そして得たお前なりの答えだよ」
「…………。そう」
肩の荷が、降りたような気がした。
クリスが私を好いてくれたこと。
そのこと自体に、どこか後ろ暗さを感じていたんだ。
私はあの子に愛されるほど、魅力的な人間だっただろうか。
立派なことを考えられただろうか?
もしかするとそんなこと全然関係なく、あの子は生まれた時からそういう運命で。
運命に、私を好くよう決められていて。
そのせいで、あるべき人生が歪められたんじゃないかって……そんな心配が、不安があった。
それが、すっきりと晴れていくような気分だ。
……そう……だから。
それが分かって、よかったから……。
「ん? なんだお前、急に近づいてき……ぐあっ!!?」
走って、距離を詰め。
神の顔面に、全力で拳を打ち込んだ。
「言ったろ。全部終わったら、一発ぶん殴るって」
「な、おま……いや確かに言ってたけど……それが今の流れですることか!? 神の顔面にグーパンとか人間のすることか!?!?」
することだ。
これがけじめだ。
私にとっては、必要なことだったから。
「ルーシーちゃんが言ってたよ。『ボクはあの神を憎んでる』って」
「な……何を」
「『転生者を何人も見てきた。キミより前に生まれてきた子、キミより後にここにきた子。みんなみんなそれぞれで、いくらかは……歪んでいった。ボクはそれを許すつもりはない』」
「…………」
……でも。
それでも、と彼女は言った。
「『……でも、ボクにはわからないよ。あの神に歪められたキミたちが、どうしてそこまで強固な意志を持てるのか。ボクは……キミが羨ましい』」
「……羨ましい?」
私が死にに行く覚悟を決め、一度死に、そしてソフィアさんの手によって吸血鬼となった後。
私が彼女に言った言葉を……彼女が返した言葉を、はっきりと思い出せる。
私は言った。『それならルーシーちゃんはさ……選んでくれるの? 自分よりも、世界よりも、最も愛する何かよりも。それが、全てなくなるとしても──それを、防げるとしても。そのために失うかもしれない何かを、守ろうと思えるの……?』と。
「あの子はね、苦しそうに言ったんだよ。『……もしボクがあの神を殺せたなら、もっと昔からそうできたのなら……少しでも、今のキミたちを救えたのかな』」
「…………」
「『でも……できないよ、そんなこと。自分が苦しむとしても、愛する子が……ソフィアが傷つくんだとしても。わたしはそれでも、あの神が……お父さんが、好きなんだ』……ってね」
「…………そうか」
神の表情は読み取れない。
いつでもそうだ。
こいつは本当に、むかつくやつなんだ。
「だから、私は約束したよ。あの子の代わりに、それに……クリスのために。これから苦しむかもしれない、誰かのためにも。全部終わってここに来れたら、お前を一発殴るって……それが私たちの想いだって、伝えるために」
……まあぶっちゃけ、ちょっと忘れていたんだけれど。
あの時は本当、自分で思い返しても自暴自棄だった。
もうすぐ死ぬ、もう一度死ぬと本気で思っていたから、どこか無責任にそう言えた。
それに死ねなかったから、こうしてもう一度神と会えるかは不透明だったし……。
「ははは……そうか、あいつがそんなことを。そういえばちょうどその時は、別件があって世界の方は覗いていなかったなあ……はは」
「……ちなみに、私が神を殴ってくるって言ったらあの子がなんて言ったかわかる?」
「……なんと言ったんだ?」
「『えっ……やめときなよ。あんな下衆に触ったら手が腐るよ』」
「娘……酷い……」
愕然としている神を置いて、踵を返す。
もうここに来るのも何度目かわからない、帰り方は知っていた。
「それじゃあね。お前がどう思ったのかとか、知りたくもないけどさ……ルーシーちゃんには何か話してやりなよ。可哀想だよ」
「お前……」
「それじゃ、私はクリスのところに戻るから。用は済んだしもう呼ぶな、クソ神」
「……そうだな。神を殴るような不敬者は出禁だ出禁。もう二度と来るな」
ほんのちょっと楽しそうな、神の声を背中越しに聞きつつ。
私は、世界に戻ったのだった。
***
***
「──むにゃ? まりー……どうかした……?」
「ん? ああ、なんでもないよクリス」
「そう……」
「……ねえ、クリス?」
「なあに……? ふあぁ」
「私……クリスのものになれて、よかったよ」




