『悪役』令嬢と
「──あ。おはよ、イリーナちゃん」
「おはようございます、イリーナさん。アンさんはまだお休みですか?」
クリスと一緒の散歩から戻ってきて、オリバーを小屋に入れ……そして向かった朝の食堂。
人はあまり多くないが、それでも活気を感じさせる。
今日は平和だ、それが伝わってきて心底ほっとした。
……が、しかし……。
「…………」
「……あ、あれ? イリーナちゃーん?」
「イリーナさん? どうかしましたか……?」
彼女だけは、別だった。
いつも明るく振る舞ってくれる彼女が、今日に限ってはやけに沈んでいる。
声をかけてもほんのわずかに目線を上げるだけで……何も話してくれない……。
「…………すみません。失礼します」
「え? あっ、ちょ……!?」
「な……ま、待ってくださいイリーナさん……!」
蚊の鳴くような声でそう言って、彼女は席を立った。
食も進まない様子で、手に持った器にはまだかなり食事が残ってしまっている。
おかしい。
これは流石におかしい。
「…………」
「イリーナちゃん!」
「待ってくださいイリーナさん……わたしたち、何かしましたか……!?」
そそくさと食堂を出て行ってしまった彼女を、途中でなんとか引き留める。
……普段の彼女と比べ物にならないほど淀んだ目が、やっとこちらを見返してきた。
「…………やめてください。マリーさん」
「やめてって……どうしたの、イリーナちゃん? どこか体調でも悪いの……?」
「ちがう……違います。なんでもないから放っておいてください」
「な、なんでもないわけないでしょ……!?」
虚ろな瞳が揺れ動く。
私の下手な説得に心動いたとかそんなことではなく、ただただどうこの場を切り抜けようか迷っているという感じだ。
初めて聞く、心底だるそうな声で、彼女は続ける……。
「話したくない。です。……急いでるのでこれで」
「い、急いでるって……イリーナちゃん、今日は最初の講義私たちと一緒でしょ!? そっち寮だし……!」
「…………」
口をほんの少しだけ開き、何も言うことなく閉じた。
……何か言うのを、堪えた?
「……と、とにかくさ! 何があったのか分かんないけど、話せることなら話してよ! 友達でしょ……!?」
「…………」
「イリーナちゃん……」
友達、と言った瞬間、彼女の瞳に何らかの色が宿ったのは見えた。
だがそれがどんな感情だったのかは判然としない。
「……イリーナさん。アンさんに、何かあったんですか?」
「…………」
見かねたようにクリスがそう口を挟む。
今度ははっきり分かるほどに、彼女の顔色が動いた。
……嘘だろ。
まさか、まだ……!
「話してください、イリーナさん」
「……でも」
「あなた一人の問題ではありません。そもそも、もしアンさんに何かあったのなら……もっと言うなら、その原因が先日の件であるならば。わたしたちにはそれを聞く権利くらいはあるはずですよ」
……彼女はアンさんを取り戻すため、私を殺そうとまでした。
それは恨むことじゃない。むしろ至極真っ当な行動だろう。
だが、いや、だからこそ。
彼女たちにまた何か事件があったのなら、私たちはそれに寄り添う義務がある。
親友のためだ、それくらいする。
「…………」
「あなたのことが心配です。悪いようにはしませんから、どうか話してくれませんか。わたしたちは、あなたと……」
クリスは言葉を続ける。
嘘のない言葉は、イリーナちゃんにも刺さっているように見えた。
……だが。
「…………。ごめんなさい」
「え……」
「無理です。私が悪いのはわかってるけど、無理。無理なんです。……もう、友達でもありませんから」
「な……っ!」
友達ではない。
あまりの言葉に、ふたり揃って絶句してしまう。
純粋で、誰よりも人懐っこくて、出会ったひとみんなと仲良くできる……とても、優しい子。
それが、私から見た彼女だった。
「もう話しかけないでください。さようなら。……お幸せに」
最後の言葉に、心はかけらもこもっていない。
ただ事務的に淡々と、私たちとの関係を断とうとしている。
前にもどこかで見た気がするのだ。
完全に壊れてしまった人間を。
……その時と、同じ匂いがした。
「……ま……マリー……」
「クリス……っ! な、泣かないで……!」
「だ、って……ぇ? ともだちじゃな、ないって、そん……ひど……うぁ、ぁ……」
「クリス……」
泣き出してしまった恋人を、ただ抱きしめることしかできない。
頭が真っ白で……悲しみよりも、彼女にあんなことを言われたショックの方が大きくて。
「ゃ……やだ、マリー……やだよ……」
「……うん」
「なんで? ひっ、ぅ……どうして、あんな、こと……」
「わかんない……わかんないよ。でも、どうにかしなきゃ……!」
私だって、こんな幕切れはごめんだ。
すれ違いだってあったけど、彼女は大事な友人で……恩人なのだから。
このまま終わらせるわけがない。
彼女を、あんな壊れた心のまま放置できない。
彼女と話したいことだって、まだまだたくさんあったんだ……!
「……すぅ……ひっく、うぅ……! 追いかけますよ、マリー……!」
「うん……!」
ぱちんと音を立て、クリスは自分の頬を引っ叩いた。
そして差し出された手をしっかりと握る。
こんな幕切れはごめんだ。
あと少し、いやいくらだって粘ってやる。
せめて、彼女の言葉の真相を知るまでは……!




