死と
「ねえ、マリー!? ここにいるのは分かってるんです、開けて……開けなさい……!」
「……クリス……」
玄関のドアががたがたと揺れる。
非常に古いそれは、今にも壊れそうな音を立てているが……まだ開く様子はない。
『ま、マリー様。クリス様が……』
「黙ってて、クーポくん。何も喋らないで」
『な……』
うっかりクリスに何か喋りかけられても困る。
まだもう少しだけ、時間を稼ぐ必要があるから。
「……マリーさん。俺は……」
「鍵、かけといてよかった。開かないからって壊すとか、そういう判断はすぐにはしないと思うし」
「…………」
……とはいえ、なりふり構わない所はある。
私が絡んでいるならなおさらだ。
声も姿も確認されていないはずだし、少しは猶予があるだろうけど……早く済ませるに越したことはない。
彼女が踏み込んでくる前に。
私は、何もかも終わらせなくちゃいけない。
「さあ、ジャンさん。今すぐ、一思いにやっちゃって。どの道、そのためにここに来たんでしょ……?」
「……俺は」
「構わないで。私はそれでいい。どれだけ愚かでも、たとえ誰にも理解されなくたって、私は……最期まで、あの子のために生きたいの」
『変貌』が起きた原因は、私にある。
無論わざとというわけではないし、避けられたとも思わないが……それでも犠牲になった人は出た。
オリバーも、イリーナちゃんも、アンさんも、ルーシーちゃんも、それにクリスだって、みんなみんな苦しめた。
罰とかなんとか言うつもりはないけれど……必要なけじめだ。
……それに。
「でも……それでも……!」
「殺せない、そう言ってみる? 仮に今私を見逃したとして、私があの場所から逃げ出した以上は絶対にまた狙われる。次だって、私以外の誰かが犠牲にならない可能性はない」
「……っ。それは」
こうなった以上、結末は避けられない。
私は、死ぬ。
これで二度目の運命が、結局私に死を強いる。
「変えられないんだよ。都合のいいことは起こらない。一度目、私は救われたけど、それだって結局完璧じゃなかった……世界ごと全部超えたって、何もかも終わらせるには至らないの」
「何を、言って……」
一度目の死の運命。
それは、クリスさんBによって退けられた。
……けれど結果として、また別の原因を招いた。
「あの子がいなければ、一度目に私は死んでいた。でも、あの子がここに来たから……二度目、私が死ぬ原因が生まれた。もう、こんなのはここで止めなきゃいけない」
一度、私は救われた。
その結果として、あるいは帰結として、世界中を巻き込んだ『変貌』を引き起こした……犠牲を出した。
……なら、次は?
二度目の死、それを避けてしまったら……今度はどうなる?
次、また起きるかもしれない異変。
こうまでこじれた以上、決して否定できない可能性。
それにまた、巻き込まれない保証は……私たちの大切なものが、奪われない確証は……?
「……それが、何を生むんだよ。俺があなたを殺したとしても、何が変わるとも限らない。むしろ事態はもっと悪くなるかもしれない! ならば……!」
「それだっていいんだよ! あの子がいつか幸せになれるなら、他には何もいらないのっ!!」
「な……」
思わず、大きな声が出てしまった。
気づけば、クリスがドアを叩く音も止んでいる。
……聞こえたって構わない。
聞かれていけないことでもない。
私が願うのは、どんな世界でも……一つだけだ……!
「いつかまた、いつだってまだ、私は誰かに恨まれる! こんな世界を生んだ以上、あの神の口車に乗った以上は、それは絶対に終わらない!」
「う、生んだって……世界を……なに……?」
これは始まりじゃない。終わりにすらならない。
いつもいつもいつまでも、あの神はくだらない遊びを強いる。
「誰だってそう! いつまでだってそうなの! この世界は遊びに過ぎなくて……どんなに頑張ったって、それに巻き込まれるって……だから……!」
かつて、クリスが殺されそうになった時。
あの火事の折対峙した、あの女の言葉が……今更ようやく理解できる。
遊びなんだ。結局、何もかも。
私が死んでも、クリスが死んでも、誰がどれだけ傷ついても、あれにとっては遊戯に過ぎない。
児戯に過ぎない。
人生を賭けて愛したものは、そんなくだらないことで捨てられる。
「……やくそく、したのに! クリスを幸せにするって、命を捨ててでも守るって、何度も何度も誓ったのに……こんな世界にいるってだけで、いつまでもいつまでもいつまでもいつまでも! 何一つ、救われないっ!!」
報われない。
頑張ってもまた、次が来る。
いつまでも、いつまでも。
あまりにくだらない、取るに足らない理由で、一つ一つ失っていく。
こんな世界に生まれただけで。
こんな世界を、生んでしまったせいで。
「ねえ、私を殺してよ! そうすればあの子は……あの子だけは……っ!!」
──その時。
ふと、気づいた。
やけに……世界が、静かで。
「──飛べ。その身が尽きるまで」
「ぐ……っ……!?」
次の瞬間、地面ごと割れるような轟音が響いた。
一瞬耳が遠くなるような錯覚さえ覚える。
……いや、それだけではない。
「な……に…………?」
一瞬、いや数瞬、理解が遅れた。
木でできたドアが、折れ曲がって真っ二つになっている。
超速で飛んできたそれは、何かに押し出されるような挙動で……ジャンさんと、彼の足元のクーポくんに激突。
悲鳴を上げる間もないままに、彼らは壁に『押し付けられて』。
その衝撃で家中が軋み、ぱらぱらと木屑が舞い散り、ずっと鳴り響いていたジェット機のような轟音も収まった。
この間一秒、いやそれ以下かもしれない。
理解すらできないのも当然と言える。
「──やかましいですね。やはりそうそう上手くはいきませんか……とはいえ、及第点でしょう」
「ぇ……ぁ……え……?」
「ごきげんよう、マリー。何やら随分と、熱く語っていたようで?」
氷のように冷たい声。
何一つ感情が読み取れない仏頂面。
息と髪を、やや乱しながら現れたクリスは…………恐ろしいほど怒っている。
いや、まて、それ以前に。
「ちょぇ……あれ……ジャンさんたちは……?」
「ご安心を、死んではいませんよ。峰打ちです。もっとも、いつ目覚めるかは分かりませんが」
「…………」
聞きたいことだらけだった。
彼女も、きっと同様だろうが……。
「ねえ、マリー」
「な……なに、クリス」
確認するように、そう言って。
こわばっていた表情が、ふっと緩んで……。
「……マリー。よかった」
「う……ぇ……?」
心底安心した風で、クリスは私を抱きしめた。
……心臓が、胸を突き破らんばかりに鳴っている。
体温もかなり高いようだ。
さっきの現象の影響だろうか……一体何を……?
「探しました。探したんですよ、マリー……マリー……!」
「く、クリス……私は……」
「すぐ、戻ってくるって言ったのに。そういったのに、あなたは……わたしは……!」
「……っ。クリス……」
抱きしめられた姿勢のまま、彼女は泣き出してしまった。
ただ、背中をさすることしかできない。
何と言っていいのか、それすらもわからない。
しばらく嗚咽が響き……やがてまた、彼女から口を開く。
「──わたし、だけは。全部わたしのため、ですか……?」
「……っ……そうだよ。どんなことだって全部、クリスのため」
「あなたが……死ぬことも……?」
「…………」
その通りだ。
私が死んで、少しでもクリスが平穏に暮らせるなら。
ほんのわずかでも、彼女が幸せになれるのならば。
「神とやらの、遊び。救われない世界。それだって、わたしは構わないのに……あなたがいてくれるなら、どんな世界だって生きていけるのに」
「……私は、それじゃ嫌だよ。クリスにはいつだって、一番幸せな世界で生きていてほしい」
「それだって違う。あなたがいる世界が、わたしの一番幸せな世界。……ねえ、マリー?」
「……なに?」
ほんの少しだけ離れて、彼女の顔が見えた。
ふわふわで、いい匂いのする金髪。
もちもちした肌に、きれいな瞳。
ほんの数日会わなかっただけなのに、なんだか印象が変わっていた。
目元に疲れが見えるのもあるだろうけれど……可愛さを残しつつも、前よりずっと綺麗になった気がする。
そんな、何より愛する人が。
私が、唯一愛する人は。
私の目をしっかりと見据えて、言った。
「嘘はやめてよ、マリー」




