最後の最期に寄り添うものは
一歩ずつ、一歩ずつ。
足を引き摺りながら、それでも歩く音だけが響く。
ここはどこだろう。
もう、どれくらい歩いただろう。
わからない。いや、わかったとしても大して意味はない。
行くべき場所は、決まっているから。
「……痛い……な……」
おかしいな。
どこも怪我なんてしていないのに。
そんなこと、今はもうありえないはずなのに。
なのに体が、頭が、痛くて痛くて仕方ない。
「まだ……休めないよ。わかってる。私がちゃんと、全部やり切るから……終わらせるから……」
何を犠牲にしたって惜しくない。
自分の命すら投げ捨てられる。
苦しくもない、辛くもない。
もう、どこも痛くはない。
「──クリス。わたしは……ぁ……」
つまずいた。
そう思った時には、青臭い雑草と土が口に入っていた。
ばき、という音がした気もする。
受け身は取れなかったし、腕すら突き出すのが遅れた。
前歯の一本くらい折れたかもしれない。
仮に折れていたとして、問題はないだろう。
確かめる方法すら、今のわたしにはないのだから。
『──大丈夫? マリーちゃん』
「……大丈夫」
大して興味もなさそうな声が、一応とばかりに聞いてきた。
周りを見回しても誰もいない。
ただ木々と草むらが広がるだけだ。
『そう。こっちはそうだね……誤魔化せた、かな』
「…………」
『とっとと済ませな。心残りができないうちに、ね』
「わかってるよ……」
どんな理屈だって構わない。
嫌な記憶も、楽しい記憶すら、思い出す前に終わらせる。
それが、何よりクリスのためになるから。
「……は。はは」
……笑える。
こんな未来を生み出しておいて、何がクリスのためだよ。
破綻は避けられなかった。
終わったと錯覚していた問題は、かけらも解決していなかった。
「気持ち、悪い……気持ち悪い、気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い……」
落ちぶれたんだ、私は。
命だって惜しくなくても、それ以上のものは捨てられなかった。
今なら自信を持って言える。
死んだままの方が、マシだった。
「……何言ってんだよ。あがけよ。最後の最後まで、クリスのためにやってみせろよ……!」
***
***
「──っ! ルーシーさんっ!!」
「ああ……イリーナちゃん……」
到着してしまった。
案の定外へ飛び出していた彼女たちを、見つけることは容易かった。
イリーナちゃんの声が響く。
くらくらする頭が、痛みを増した。
「ルーシーさん、無事だっ……た…………ぁ……? アン、さん……?」
「……そうだよ。取り戻してきた」
「……!! アンさん、アンさん……っ! よぁ、あ、ぅぁ……よかっ……うぅぅ……!」
ボクがおぶっていた少女を見て、イリーナちゃんは泣き出してしまった。
なんともいたたまれない気持ちになる。
ひとまず、アンちゃんは彼女に預けよう……そのうち目覚めるはずだ。
「…………。よかったですね、イリーナさん」
クリスちゃんも、ほっとした表情をしている。
こうしてイリーナちゃんと二人でいたからには、きっと何らかの話はできたのだろう。
……けれど瞳の奥には、隠しきれない猜疑心と落胆が見えた。
「えっと……それでその、クリスちゃん……」
「聞きたいことはいくつもあります、ルーシーさん。ですが……そんなことより、マリーは……?」
「……っ」
……何を、どう話せばいい?
ボクは、何を。
「死んだよ。マリーちゃんは、殺された」
「……………………は」
……ソフィア……。
「私が向こうまで連れて行ったんだけどね。いやあ迂闊だった迂闊だった、ほんの少し目を離した隙にさあ」
「な……ぇ…………」
これまで言葉少なについてきていただけのソフィアは、あっさりそんなことを言い放った。
あまりにも、あっけらかんと。
まるで、些細な出来事かのように……。
「ま、彼女はよく役立ってくれたよ。なにしろ連中の狙いはあの子だったからね、放置しておくだけで十分効果はあった。おかげでほら、ルーシーともう一人も救い出せたんだし」
……事実でしか、ない。
それでもなぜそれを、そんなことを、そんなにあっさり言えるんだ。
無表情に、無感情に。
傷口を抉り出すみたいな口調で。
「…………何を。どういう意図で。誰ですか、あなたは」
「私? 私のことなんて聞いてもしょうがないでしょ。それよりも、きみは聞きたいことがあるんじゃない? なんでも教えてあげるよ、あの子の最期とか……ね」
「……っ」
ぎりぎりと、歯を食いしばる音が聞こえた。
何か言おうにも、何も言えない。
……ボクは、彼女を否定できなかった。
もう、ボクに口を出す権利はない。
ソフィアの横顔がそれを告げている。
「え? え……? な、え、どういう……マリーさんは……?」
「…………」
「る……ルーシーさん。ルーシーさん? どういうことですか。わたし、えと、わたしは」
「……静かにしてて。イリーナちゃん」
「な……」
なお説明を求める彼女に対して、首を横に振ることしかできない。
ボクは馬鹿だ。
最後に聞いたマリーちゃんの声が、耳にこびりついて邪魔をする。
『──それなら、ルーシーちゃんはさ』
『選んでくれるの?』
『自分よりも、世界よりも、最も愛する何かよりも』
『それが、全てなくなるとしても──』
「ねえ、クリスちゃんだったかな? きみは今……」
「くだらない」
「……へえ?」
さらに尋問を続けようとしたソフィアに対して、クリスちゃんはそう言い放った。
歯を食いしばっても、拳を握りしめてもいない。
ただ、すました顔で。
「あの方は、そんなことで私を捨てるような方ではありません。あなたの言葉は全て妄言か、そうでなくとも、まともに受け取る必要はないと判断します」
「ふうん……? その純粋な精神は立派だけどね。あいにくと、きみが思ってるほど事態は簡単じゃないんだよ」
挑発にすら思えるソフィアの言葉も──というか実際そうなのだろう──まったく意に介さず、クリスちゃんは言葉を繋ぐ。
その目は、ただ、真っ直ぐだった。
「いいえ。簡単です。……要はまた、あの方は、一人で全部背負い込んだんでしょう」
「……ま、そういう見方もできるね」
「いつものことです。どうやらまた……何度も何度も……何度でも教えてあげる必要がありそうですね。その程度じゃ、私を遠ざけることなどできはしないと」
……背負い込んだ、か。
確かにそうだ。
あの子は、やっぱり危なっかしい。
「まだ現実を受け入れられていないのかな? 遠ざけるも何も、あの子は死んだんだよ。それ以前に、きみ一人があの子のそばにいたって何になる? ただのか弱い人間のくせに」
「……私は」
「一人じゃない、って言い訳してみる? 同じだよ。何人いようがそもそも人じゃなかろうが、どうにもならないことってのはある。今回もそうだったってだけだよ……諦めな」
どうにもならないこと。
今回のことも、そうだった。
事実そうだ。
言葉遊びのようではあるが……この未来を選んだ時点で、この結末は決まっていたのだから。
「……そもそも、マリーは生きているでしょう」
「……何を言ってるのかな? 死んだって、何度も言ってるじゃないか」
「では、死体はどこです?」
「置いてきたよ。邪魔ったいしそもそもぐちゃぐちゃで見れたもんじゃないし」
……ソフィアは、嘘は言っていない。
どうにもならなかったのも、マリーちゃんが死んだのも本当だ。
……だが。
「…………そういえば。あなたも、吸血鬼なのですか?」
「はい? うんまあ、そうだけど。どうしたの? この状況でそれを聞いてどうなるの?」
「ええ、重要な情報です。最後のかけらと言ってもいい。……そうですか、なるほど、それならあなたの発言とも矛盾しませんね」
「…………」
……ボクは、何もできなかった。
自分から、何かできたわけでもなかった。
でも……!
「……ふふ。本当に……救いようのないひとですね……」
彼女は、どこか不敵に見える笑みを浮かべた。
辿り着いたんだろう。
恋人の、思惑に。
「く……クリスさん。私なんだか、まだぜんぜんわかんなくて、でも、マリーさんは……マリーさんは……?」
「心配いりませんよ、イリーナさん。それより、アンさんはまだ目覚めていないのですか?」
「……はい。気を失っちゃってるみたいです」
まだ体力が戻らないんだろう。
それなりの期間監禁されていたのだ、致し方ない。
「では、送り届けてあげてください。幸いまだ学園は近いですし」
「……でも……」
「大丈夫。……マリーは、私が迎えに行きますから」
「……っ! はい!」
少し引きつらせながらも弾けるような笑顔を浮かべて、イリーナちゃんは立ち上がった。
まだぐったりしているアンちゃんを、重そうに担ぎ上げている。
手伝うべきだろうか……?
「ルーシーさん」
「……クリスちゃん?」
眺めていると、クリスちゃんが声をかけてきた。
ほんの少しの安堵と緊張が、瞳にしっかりと宿っている。
「事が、全部終わったら。何もかも、無事に終わったら……あなたからも、全部聞かせてくださいね」
「……うん。もちろん、ボクの知っている事ならね」
……彼女はもう、おおよそを見透かしている。
ボクに聞くまでもないだろう。
そう、言外に匂わせたつもりだった。
「楽しみにしています。……では」
クリスちゃんは、足早に歩き去った。
その背中が、ついてくるなと告げている。
イリーナちゃんももう見えないが……彼女の方は、やはり追いかけて手助けするべきだろうか……?
「──ルーシー」
「……なに、ソフィア」
逡巡している間に、ソフィアが話しかけてきた。
いつも通り表情が薄い。
どこまで考えているのかわからない。
……きっと、間違いではなかったんだろう。
正解だった、とも思えないけれど。
「私、悪役って性に合ってるかもね」
「……まさか。向いてないよ、あなたには」
「そう?」
悪辣で、強引なやり方。
そんなところは向いているかもしれないけれど。
「だってさ。何もかもすっかり見抜かれちゃうなんて、ただの脇役がいいところでしょう?」
「……言うねえ。いつか私を助けた時、ぼろぼろ泣いてた小物吸血鬼が」
「ちょ……そ、その話は無しって約束でしょ……!?」
……ま、いいか。
それくらいでむしろ丁度いいだろう。
彼女らが最後に頼るのは、ボクでもソフィアでもない。
神でも、まして運命でも何でもない。
ただ、互いに縋るのみだから。




