未知との遭遇
「…………」
昼間に比べ、幾分かひんやりとした大気。
呼吸の音と足音が、定期的に鳴り響く。
いつもと同じ、朝の散歩だ。
しかし、いつもとは決定的に違うところがある。
「……ふふ。いい天気ですね、マリー」
「そうだね、クリス」
今日、私の右手に握られているのはオリバーのリードではない。
クリスの左手だった。
「突然散歩に誘われた時は、何事かと思いましたが……」
「たまには悪くない、でしょ?」
「ええ。イリーナさんにも感謝しないとですね」
今朝は、イリーナちゃんが自分からオリバーの散歩を申し出てくれたのだ。
特に理由は教えてくれなかった。
普段から、何かの都合で私が行けない時は代わってくれていたのだけれど……今日はどうしたんだろう?
やけに沈んだ様子だったのが気になる……あの子、最近あまり私と話してくれないんだよな。
避けられているんだろうか。
「…………ま、いいか」
ともあれそのおかげで、クリスと久しぶりのデートができたというわけだ。
イリーナちゃんの様子は気になるけれど……やはり、アンさんと何かあったのだろうか……?
「しかし……なんだか新鮮です。普段は、こんな時間に街へ出ませんから」
「楽しい?」
「ええ。マリーと一緒ですしね」
「……も、もう、クリスったら……」
私をおだてるのが上手いんだから。
「縄でも持ってくればよかったですね。そうすれば、もっと散歩らしくなったのに」
「……? 散歩らしく?」
「ええ。マリーも、いつもあの犬にしているでしょう?」
……?
あの犬……オリバーに、縄?
…………。
「……クリス、まさか私にリードをつけようとしてる?」
「駄目でしたか?」
「駄目……いや……えと……うん。とりあえず、そういうのは部屋だけにしておこうか」
首に縄をくくりつけられての散歩。
尊厳が破壊されている。
いやでも、クリスがどうしてもやりたいっていうなら……うーん……。
「ですが、私があげた首輪も大事にしてくれているじゃありませんか。てっきり、そこに縄をくくってほしいのかと……」
「いやこれチョーカーだよね!? え!? まさかとは思うけど、もしかしてこれって犬用だったの!?」
「…………」
「なんとか言ってよ!!」
例の火事の折、クリスにプレゼントされた……というか朝起きたら勝手に着けられていた首輪。
サイズ自体はそれなりに合っていたし、クリスにもらったものだから当然大事にしていたのだが……。
「そんなことより、マリー」
「そんなことって」
だいぶ以前から、私の人間性が破壊されていたかもしれないのだ。
そんなことで片付けていい話ではない。
ほとんど言及もされず馴染んでたけど、犬用なら話が違ってくる。
よーく触ってみる……言われてみれば確かになんか、リードを付けるための輪っからしきものがあるなあ!!
マジで犬用なの!?
気づかなかったんだけど!!
「いえ、本当にそれどころではなく……何か聞こえませんか? 人の声のような……」
「え? なにそれこわい」
「こっち……でしょうか。行ってみましょう」
「う、うん……」
クリスに手を引かれ、大通りからやや寂れた路地へ入る。
……確かに、何か聞こえる。最初はか細く、次第にはっきりと。
蚊の鳴くような小さな音が、だんだんと近づいていく……。
「……ひっ!?」
「え、何どうしたの……うわっ!? ひ、人!?」
いくつか角を曲がったところで、クリスが息を呑んで立ち止まった。
見知らぬ男の人が……倒れている。
二メートルはあろうかという巨体に、とても清潔とは呼べない土に塗れた服。
くすんだ黒色の髪の毛は、どこか気品こそ漂っているが……それ以上に、行き倒れているその風貌が目立った。
「ど、どうしましょう……!?」
「えー……で、でも、運んだりは無理だよ? 誰か……ルーシーちゃんか、アルさんとかに頼まないと……」
流石に見捨てていくことはできないだろう。
経緯は分からないが、命に関わるかもしれない。
私たちだけでは無理だ、誰を呼ぶべきだろうか……。
「──う゛ぅ……?」
「「ひゃっ!?」」
……その時、男は目を覚ました。
ひとまず生きてはいた……そのことにまず安堵する。
だが、予断は許さないだろう。
太い腕が、ぷるぷると弱々しく震えている……体力はほとんど残っていないようだ。
「ここ、は……うぐ……」
「だ、大丈夫ですか? 随分と苦しそうですが」
「誰だ……? うぅ、うまく聞きとれねえ……」
「うーん……どうしましょう、マリー? まだ意識が朦朧としているのかもしれません……」
……朦朧と?
見たところ、苦しそうではあっても意識自体ははっきりしていそうだが……。
「すまない……あんたが誰かは知らないが、なにか……飲み物を、もらえないか……?」
「え? えーっと……ごめんなさい、わかりません。あ、わ、私はクリス……それでそちらにいるのが、マリーです」
「……?」
「……??」
ん……?
なんだ……話が噛み合っていなくないか?
水をくれと言ったのに、なぜ自己紹介を?
「く……やっぱり公用語か……。こんなことなら、父上に頼んでおくんだった……」
「ま、マリー。もしかすると、言葉が通じていないのかも……なんと言っているのか、皆目見当もつかないのですが」
「……? クリス、何を言ってるの?」
私がそう口にした瞬間、両者の表情が変わった。
クリスは、より怪訝さが増したような顔。
そして、男の方は……。
「あ、貴女! まさか、喋れるのか……!?」
「……? そりゃ、言葉ぐらい分かるけど?」
「おお……た、助かった……!」
「いや、え? ど、どういうこと……?」
……さっぱり意味がわからない。
まるで、言葉も分からない外国に迷い込んだみたいな反応じゃないか。
「マリー……! もしかして、この方の言っていることが分かるのですか!?」
「え? え?」
「聞いたことがあります! 世界では公用語が浸透して久しいですが、未だごくわずかな地域では全く別の言語体系を持つ部族がいると! 一体、どこでそんな知識を……!?」
……??
公用語? 別の言語体系?
いや……何を言ってるんだ……?
「げほっ……! す、すまない、喉が……水を、くれないか……?」
「あ、う、うん! クリス、お水ある!?」
「お水ですか? ええと……はい、ここに。まだ口はつけていませんが……」
「この人にあげてもいい!?」
「ええ、どうぞ」
クリスから、ガラス瓶に入った水を受け取る。
座り込んでいる男にそれを渡すと、ごくごくと音を立てて飲み干した。
すごいな、一息で行ったぞ。
量もそこそこあったと思うんだけど……。
「ふう……ありがとう、助かった」
「あ、うん……ねえ。私の言葉、分かるの……?」
「? ああ、分かる。だが驚いたな、この辺りで巨人族語が分かる人は一人もいなかった……どこで覚えたんだ?」
「きょ、巨人族語……公用語……?」
……ふと、閃くものがあった。
転生特典だ。
そういえば、この世界に生まれ変わった時からそうだった……!
私には、この世界の言葉が全て『日本語』に変換されて聞こえる。
神の情けかそれともおまけか。
その効果が、別の言語にも適用されているのか!
「……そうだ、自己紹介がまだだったな。俺はジャン、見ての通り巨人族だ。貴女は……?」
「あ、私はマリー。それで、こっちの子がクリス……私の婚約者だよ」
「……? 公用語で通じるのですか? クリスです、よろしくお願いいたします」
どうやら、話す言葉も相手によって変換されるらしい。
クリスには公用語に、ジャンさんには巨人族語とやらに。
ややこしいな……。
「婚約者……? そうなのか。……それで、マリーさん。不躾ですまないが、一つ頼まれてくれないか……?」
「なに?」
「少しの間、俺にこのあたりを案内してほしいんだ。用があってここまで来たんだが、地理も言葉も分からなくてな……」
「あー……うん、いいよ」
また行き倒れられても困る。
言葉も通じない見知らぬ土地にひとりぼっち、そんな状況もちょっと共感できるし。
思い出す、初めて学園に来たあの日を……クリスとイリーナちゃんを前に噛みまくったあの時を…………。
「ありがとう……! 本当に助かった! 貴女にも、どうか翼があらんことを!」
「あ、うん……ちょ、痛い痛いって」
右腕を掴まれ、ぶんぶんと上下に振られる。
握手か何かのつもりなのだろう……が、体格差も相まってめちゃくちゃ痛い。
巨人族恐るべしである。
「……………………」
「……? クリス、どうかした?」
「……マリー。浮気?」
「!? ち、違うよ!? そういうんじゃないよ!?」
クリスが嫉妬に囚われた目でこちらを見ている。
……巨人族とかよりよほど恐ろしいかもしれない。
目つきだけで圧殺されそうだ。
「……………………」
「ちょ、クリス! そんな目しないでよ、私はクリス以外を好きになったりしないって!」
「…………ふうん」
満更でもなさそうな顔で、左腕に巻きついてきた。
かわいいが、まるで動けない。
本当に、リードの一つぐらいつけてもらったほうがいっそ安全かもしれない……。
「……ば、場違いですまない。他に頼れるものがないんだ……少しの間だけ、よろしく頼む」
「あ、う、うん。なんかごめん」
「……なんだか知りませんが、私のマリーですからね」
気まずそうなジャンさんと、思い切り彼を睨むクリス。
板挟みになった私の明日はどっちだ。




