後日、午前
***
「ワン、ワンッ! ワンワンッ!!」
「わ、ま、待てオリバー! 待てって!」
「ワワンッ!」
必死に握ったリードがぴんと伸びる。
足がもつれ、息は弾み、心臓が胸を突き破りそうなほど痛い。
ほとんど引きずられるも同然な散歩は……散歩か? むしろマラソンだ。
……とにかく、ある意味平和である。
「──あ、おはようマリーちゃん。調子はど……うわあっ!?」
「ワワワンッ!」
「る、ルーシーちゃんっ!? 大丈夫!?」
空から現れた白髪の少女……に、オリバーが襲いかかった。
少女の矮躯とオリバーの巨体、二つが合わさってあっさり少女が押し倒される。
というか潰される。
おいまてやめろオリバー!
もしルーシーちゃんが本気になったらお前も私も消し炭だからな!!
「もご……むご……ぷはっ。もう、いきなり何するのさ!」
「あ、ご、ごめん……その、オリバーが……」
「マリーちゃん!!」
「私はあんまり関与してないけどね!? ごめん!!」
むしろ必死に止めようとはした。
しかし効果はなかったようだ。
「はあ、全く……ボクが残機制じゃなかったら危ないところだったよ」
「え残機制だったの!?」
「あとたったの九千三百六十九万三千二百六十九機しか残ってないんだからね?」
「たったの意味を教えてくれ!!」
吸血鬼なのを加味すると、本当にそれくらい死んでも問題なさそうだから困る。
不死とは案外残機制なのかもしれない。
「……ま、上段はさておき。マリーちゃん、下段に移ろうか」
「えっそれ誤字じゃなかったの? ってか下段って何??」
「ものの価値を示す指標のことだよ」
「それは値段……」
……いや、もういいもういい。
そろそろ本題に移ってくれ。
「ごめんごめん、久しぶりに馬鹿なことを言いたくて」
「どんな欲望? それ」
「とにかくおはよう、マリーちゃん。最近はどう?」
「……まあ、ぼちぼち」
ようやく落ち着いたところだ。会話も生活も。
少なくとも私の周りでは、徐々に徐々に日常が元の色を取り戻しつつある。
世界各地で起きた『変貌』、その影響はまだ完全に消え去ってはいないけれど……。
「なにしろボクが頑張ったからねー。えっへん」
「うん……ありがとう」
「あれ、思ったよりも真面目な返答。いいんだよ別に、大したことじゃないし」
クリスさんBがいずこかへ旅立った時点で、異変の進行は収まった。
けれど既に影響を受けた人や、その余波までが綺麗になくなったわけじゃない。
だから、ルーシーちゃんは……本当に頑張ってくれた。
茶化しようもなく、働いてくれた。
……もっとも彼女自身、それでいくらか肩の荷が降りたような顔をしてもいたけれど。
「……それで、ルーシーちゃん。今日はどうしたの?」
「ん? いや、特に何かあったわけじゃないよ。ただ……」
「ただ?」
「……一段落、ついたからさ。一度、キミとお話ししておきたかったんだ……散歩の間だけでいいから」
「ああ……うん、もちろん」
話、か。
話したいことは、数え切れないくらいあるけれど……。
「……マリーちゃん。この世界にいた、キミの命を狙っていた集団のことなんだけど」
「……うん」
……やっぱり、そこか。
彼女としては、やはり看過できないんだろう。
あの時からのことは……まだ、誰にも詳しく話してはいないから。
「あの日から、一切の活動を停止している。まるで、突然戦意を失ったみたいに……ぱったりと」
「…………」
「……キミは結局、そのことについては深く話してくれなかったね。今、話してくれとも言わないけれど……でも、覚えておいて」
「……何?」
そう、それについては話さなかった。
ルーシーちゃん、イリーナちゃん、アンさん、それにクリスに話したことは……大きく三つ。
あの時みんなが眠りこけてしまった後、私は別の世界に行ったこと。
結果的には私は『別の私』を救うことに成功したこと。
そして……クリスさんBは、ひとり旅立ったこと。
それだけだ。
そこまでだった。
なぜなのか、うまくは言えないけれど……その後のことを言う気にはなれなかった。
「恨みつらみは、恐ろしい。一度うまく決着をつけられたとしても、それで終わりとは限らない。……油断だけは、しないで」
「……うん。肝に銘じておく」
どの道、警戒するに越したことはない。
どんな理由があったとしても、殺されるなんて……またクリスを置いていくなんて、ごめんだ。
もちろん、置いていかれるのも。
「……ま、あまり根を詰めすぎないようにね。幸い世界のことも目処はついたし、キミは……キミたちは、また元の生活に戻るといいよ。いつも通りにさ」
「うん……そうだね」
「ボクも、引き続き色々と見ておくよ。また何かあったら呼んで」
……そこまでで、一旦会話が途切れた。
足音とオリバーの息を吐く音が、静かな世界によく響く。
かつての火災の反省からか、街は前よりもいくらか石造りの建物が増えたように思える。
それを『かつて』にできるくらいには、日常が取り戻されつつある。
何のことはない。いつも通りだ。
ここ数週間のちょっとした非日常で、変わったことといえば……なんだろうか。
空の色も、植物の緑も、歩く人も、過ごす日々も、どれも大して変わりはしない。
……けれど……。
「──ねえ。ルーシーちゃん」
「なあに?」
「……クリスは……吸血鬼になったクリスさんは。あの子はいつか……私を、忘れると思う……?」
──いつか、忘れるんじゃないかって。
少しずつ薄れていくのが、怖い。
クリスさんB……彼女はそう言っていた。
もしもそうだとしたら、それは……すごく寂しいことだけど……。
「…………さあね。吸血鬼は不死であっても不滅ではないし、不老は決して不変じゃない。喉元過ぎれば熱さを忘れて、また同じように間違って……そんなサイクルはもしかしたら、永遠の命であるからこそ、人間よりも余程学ばないのかもしれないね」
「…………」
『彼女たち』の尺度を、私は理解できない。
それが……それも、なんだか寂しい。
未練はある。たらたらと言ってもいい。
許されることなら、できることなら、永遠に彼女に寄り添ってあげたかった……そんな気持ちも、まだある。
「あの子も、ボクも。今のこの時間さえ忘れて、キミたちを忘れていく。……そんな未来が、来ないと言える確証はないよ」
「……っ」
「でも……そうだね……。……マリーちゃん、ひとつだけ提案があるんだけれど」
「……何?」
……提案?
なんだろう?
「──キミも、吸血鬼になってみない?」
「…………は?」
は?
「ボクは、キミに無限の命を与えられる。簡単なことじゃないけれど、キミもまた、彼女と同じく永遠を生きられる……」
「な……何を、言って」
「……そうすれば、いつかまたどこかで、キミは彼女と出会えるかもね。大切な何かを失って、それでも生き続けた先で……同じような過去を持って、もう一度彼女と話せるかも」
「……それは……」
永遠の命。
必ず訪れることになる、別離。
みんな、みんなが消えていく。
みんながそこに留まって、自分だけは意味もなく先へと進む。
……そんな未来を、共有できる?
「ワフ……? ワンッ」
「……あ、ああ……ごめん、オリバー。どうした?」
「ワン。ワウ?」
「……疲れた? そう……それじゃ、そろそろ帰ろっか……」
自分の足を示し、首を傾げるオリバー。
確かに、気づけばそこそこの距離を歩いていた。
今から帰るくらいで、丁度いいだろうか……。
「……マリーちゃん」
「……ごめん、ルーシーちゃん。そんなこと、すぐには決められない……考えられないよ、そんなことまで」
彼女の瞳に、ほんの一瞬だけ悲しみの色がよぎった。……気がした。
まるで心を落ち着かせるかのように、自身の白髪に……いつもそこに着けている髪飾りに、一瞬だけ触れて。
「いや……いいんだよ。突然ごめんね、でも少しだけ考えておいてくれると嬉しい。……すぐに決めなくても、なんなら永遠に決めなくたって、ボクは一向に構わないから」
「……ごめん」
はにかみながら、彼女はそう言った。
「謝ることじゃないよ。むしろ、キミが迷ってくれて嬉しく思う。……本当に、どこまでも真剣にあの子のことを想っているのが……分かるから」
「はは……」
……見透かされたか。
断るにしろ受けるにしろ、そのことを考えるには絶対に、『彼女』の存在があることを。
……そのことに、ほんの少しだけ安堵を覚える。
「それじゃ、ボクはそろそろ帰るよ。キミもまっすぐ帰るといい……帰れなくなる前に、ね」
「……うん。もちろん」
そう言って、彼女はまたどこかへと飛び去った。
……そういえば、ソフィアさんのことについて聞けなかったな。
あの人……人? には恩もある、いつかまた話したいんだけれど。
まあ、あっちにはその記憶はないんだけどさ……。
「ワワンッ」
「分かった分かった、帰ろうか。……クリスのところに」
「ワンッ!」
並んで踵を返す。
不思議と、ほんの少しだけ足取りが軽く思える。
……色んなこと、考えすぎて疲れたな。
また、まだ少しだけ、どこまでも甘い幸せを。
クリスとの日々を、過ごせますように。




