取引、結末。
「──起きやがったか……クソ女ぁ……!」
「……っ。あんた、は……」
随分と久しぶりに戻ってきたような気もするが、実際には一時間も経っていないのだろう。
クリスも、イリーナちゃんも、ルーシーちゃんもアンさんも……みんな、気絶したように眠りこけたままの路地裏。
水を打ったように静かな世界。
変わったことといえば、クリスさんBがいないことと……。
「ちっ……クソ、気分悪い。てめえら、俺に何をしやがった……?」
「…………」
「あれは……夢か? いや……。……クソが、なんなんだよてめえらは……!」
……クリスさんBの手によって、重傷で倒れていた男。
別の世界では私を誘拐し、殺したあの男。
彼が、意識を取り戻した私の目の前に立っていた。
胸元にあった傷は、ルーシーちゃんによる治療のおかげか綺麗に消えている。
だが路面に付着した血痕が、確かにあったことを物語っている……。
「……私だって、知らないよ。あんたが何を企んでいるのかも、なんでそんなに怒ってるのかも知らない。……どうして、私を殺そうとしてるのかも」
「あ゛ぁ!? 決まってんだろ……!? 俺は、俺たちは、てめえのせいで……何もかも……っ!」
「……何の話?」
……私のせい?
「とぼけてんじゃねえっ! 俺らをこんな世界に押し込めたのは、望んでもねえのに転生させられたのはっ! 全部……ぜんぶ、てめえのせいだろうがっ!!」
「な……っ。……そっか、だから……」
……思い出すだけで背筋が凍る、あの時。
クリスの命が奪われた……あの、未曾有の大火事の折。
その時告げられたことが、その後朧げながら分かってきたことが、フラッシュバックのように蘇る……。
「……俺もあいつらも、無理やりこの世界に来させられた。ここでできた家族も友達も、みんな……みんな死んでいく。みんな、みんな、理不尽に不幸になっていく……!」
「……っ。で、でも」
「転生者! てめえがそうなのは、もうとっくに分かってる! てめえが……てめえだけが、その中じゃ唯一まともに幸せになれてるってことも! なんで……なんで、てめえだけが……っ!!」
「そんなこと……言われても……」
……事実、私は幸せだ。
この世界に生まれ変わり、甘い幸せを享受していた。
けれど、それを責められたって困る。
何もかもが私のせいだとか、そんな思い上がったことを言えるほど……私は、偉くも強くもない……。
「負け惜しみに聞こえるか!? 理不尽だって、そう思うかよ!」
「……だって、それは」
「……っ……その通りだよっ! 誰か一人でも恨まなきゃ、どこかに怒りをぶつけなきゃやってらんねえんだよっ!! てめえのせいだ、何もかもてめえのせいだって、誰かに押し付けるくらいしか……できねえんだよ……」
「……?」
……なんだろう?
どこか、あの時とは違う。
あの時は、間違いなく私のせいだと思われていたと思うのだが……今は……?
「苛々する。腹が立つ。虫の一匹も食えないで、泥水と人肉で食い繋ぐんだ! ……俺らがここまで落ちぶれたのも、全部てめえのせいなんだよっ!」
「…………私は」
「てめえのせいだ。てめえのせいだ。てめえのせいだてめえのせいだてめえのせいだてめえのせいだっ! ……そう思うことぐらい、許してくれたっていいだろうがよぉっ!!」
「あ、ぐっ……!」
泣いて……いるのか?
わからない。
頬を張られ、腹を蹴られ、視界がぶれて捉えられなくなる。
思考が、衝撃に、痛みに、途切れ途切れになって……。
「嫉妬も! 恨みも! 怒りも、悲しみもっ! 俺らのことなんて何も、なにもなにもなにもなにもてめえは知らなくていいんだよ! ただ、ただ、理不尽に怒って苦しんで、俺を恨んで虐げろっ! そうすれば……!」
「……っ」
「……そうすれば、俺もてめえを殺す口実ができる」
……ああ……なるほど。
違う。いや、同じだ。
彼は、私が転生者だということまでは知っているけれど……やはり、その先は知らないんだ。
彼の『怒り』は、あの時の彼女とは違う。
決めつけにも似た押し付けだ。少なくとも本人はそう思っている。
……ならば……!
「──知る、かよ。わたしは……そんなこと……っ」
「……俺を、哀れだと思うか。愚かだと思うか。理不尽だと、そう思うか? ……それは何もかも、俺がこの世界に……」
「知らないっつってんだろ! そんなことっ!!」
「な……っ。なんだよ」
恨むも何もない。怒りはあっても関係ない。
『無関係で幸せな他人に無理やり罪をなすりつけるクソ野郎』、彼はきっと自分をそう断じている。
それを……演じている。
だって、その方が楽だから。
起きたことを嘆くくらいなら、自分がどうしようもないクズだって……何もかも自分が悪いんだって……自分自身が『悪』だって、そう決めつける方がよっぽど楽だ。
……私だって、かつてそうした。
「……あんたの読みは、ってか決めつけは、正しいよ。あんたらが苦しんでるなら、その責任は確かに私にある」
「……あ゛ぁ……? 何言ってやがんだ、クソ女……」
彼は、私をそう決めつけた。
浅慮な自分の物差しで、暴力を振るう強引な理由づけをして、とことんまでクズの……悪役として、私を殴り殺そうとした。
……でも残念ながら、その『理不尽な暴力』は……どこまでも、正当だ。
「あんたが、この世界に生まれ変わったんなら。もしもそれで、あんたが理不尽なことに苦しんだなら……あんたは、私に怒りをぶつける権利がある。……だって、神に頼んでこの世界を作ってもらったのは私なんだから」
「……っ!? てめえ……それはどういう……!」
「そのまんまの意味。……あんたが苦しんでるこの世界が、作られてしまったのは私のせいだ」
もしも私がいなければ、きっとこの世界は生まれなかった。
この世界が生まれなかったのなら、この世界で苦しむ人間はいなかった。
その意味で、私はまさしく元凶だ。
原因の、ひとつだ。
「ふざ……け……っ! てめえ、何が言いたい!? 殺されてえのか!?」
「私を殺したいなら、殺せばいい。……でもそれで、あんたの気が晴れることはないと思うけど」
「……どういう意味だよ」
単純な話だ。
私を殺せば……彼は、永遠に『口実』を失うんだから。
「だってあんた、生粋の悪党ってわけじゃないじゃん。全部誰かのせいだとか、そんな無茶苦茶なことにでもしないと人も殺せない……そうでもしないと、気晴らしすらできないんでしょ」
「……っ……てめえ……」
全部、何もかも誰かのせい。
自分の不幸は、自分の身に降りかかる悪いことは、何もかも全部他人のせい。
そういうことにしたいんだ。
……そうでもしないと、気が晴れないんだ。
「じゃあ、私を殺したらどうなんの? この世界が生まれた、間接的にあんたが今不幸になる原因を作った唯一の元凶。その私を殺したら、あんたはもう二度とその『言い訳』を使えないけど」
「…………」
残念ながら、他にその元凶は存在しない。
強いていうならあの神だが、この世界にそのままいるわけじゃない。
……だから、私を殺した後はもう使えない。
私を殺せば、都合のいい『復讐』の相手は消える。
彼の気晴らしの手段は……それを肯定する言い訳は、なくなってしまう。
暴力や殺しの理由を、失う。
「それにさ……分かってるでしょ? もし私を殺せば、クリスからはもう逃げられない。あの子はきっと、地獄の底まであんたを追いかける……いや、別の世界までかな」
「なにが……言いたいんだよ……」
「……元の世界とかで見なかった? 復讐を果たした男の哀れな末路。大義を失い、生きる理由を失って、真に絶望に打ちひしがれる。最後の最期には、一番苦しい終わりが待ってる。……あんたは、多分そうなるんじゃない?」
「…………」
理性だとか善性だとか、そんなものに訴えかけはしない。
これは……取引だ。
「私を殺したり危害を加えたりするのは、おすすめしない。恨むなら、好きなだけ恨んでいい……好きなだけ憎んでいい。……だから……」
「……お前を、恨み続けろって」
「そう。あ、もちろん私の友達にも手を出さないでね。……出したら、今度は私があんたを殺す」
殺して復讐を果たすくらいなら、生かして恨み続ける方がいい。
クリスさんBが、怒りにも似た執念で生き続けたように……きっと、その方が楽に生きられる。
綺麗事なんていらない。
自分の犯した罪を、誰かに押し付けて生きられるなら……多分、それが一番楽だ。
「──お前は……。……何を、後悔してる……?」
「……何の話?」
「俺は、お前を恨み続ける。今も、ほんの少し気を緩めただけで……お前を、ぐちゃぐちゃに殺してやりたくなる。そんなリスクを背負ってまで、俺を生かす理由があるか……?」
「……だって、私はあんたを殺せないし」
勝てやしない。
私はただのか弱い少女なのだ。
「ちげえだろ。あの白髪も……それにあの金髪もただもんじゃねえ。やろうと思えば、手段はいくらでもあるはずだ」
「……それは……」
「俺を生かして、恨ませ続ける。それで……お前にも、何か楽になるもんがあるんだろ。クソ女が……俺を、利用しやがるのか……?」
「…………」
……その通りだ。
だから、取引でしかない。
後悔なんていくらでもある。
いっそ、誰かに恨まれた方が楽だ。
「……はっ。は、はは。そうか……お前も、俺と同類か……」
「……それでいいよ」
「クズ同士。はっ! わーったよ、せいぜいお前の……最悪の結末を祈ってるよ──!」
名も知らない男は、そう言い残してどこかへ去っていった。
去り際に取り巻きと思われる女二人を担いでいくあたり、情はあるらしい。
……一件落着、でいいんだろうか。
私は、彼に恨まれ続ける。
明かした真実が、彼を怨嗟から放さない……確かにクズの所業だ。
……でも……。
「……クリス。起きて、クリス」
「ふぁ……?」
未だ眠ったままの彼女を、そっと揺り起こす。
普通の眠りより幾分か深い……けれど、きっとすぐに起きるだろう。
「帰るよ、クリス。イリーナちゃんも、アンさんも、ルーシーちゃんも……」
「ま……りー……?」
クリスさんBはもういない。
願わくば、長く続いた異変が全て綺麗に解決してくれたらいいのだけれど……きっとそう上手くは行かないのだろう。
何もかも変わっていく。
できることも、やるべきこともまだまだたくさんある。
だから。
「みんな、起きて。ひとまず、帰ろう……?」
せめて、少しずつ進みたい。
きっと守り抜けたあたたかい日々を。
「──まりー……。……おはよう、ございます……」
どんな手を使ってでも守り抜く、彼女と共に。




