さつがい
「──ねえ、マリーちゃん……?」
「あの……マリー、さん……」
「…………」
……どれだけ時間が経っただろう。
いや、そこまで経ってはいない。
どれだけ頭を掻きむしっても、思考はぐるぐる回るだけ。
生産性も意味もなく、ただ心を落ち着けようとしていただけで……それも、大した効果はなく。
「……クリスちゃんだって、悪気があったわけじゃないよ。キミと同じように。あの子は……その……」
「傷ついた」
「……っ」
「私が、選ばなかったことに……傷ついた」
きっとそういうことだ。
クリスさんは、私を試したんだ。
真に彼女を想うなら、迷わずそうしてくれるはずだと。
二人のクリスさんを……彼女たちが、どちらも幸せになれる方法を。
他の何より人道的な、先を閉ざすという選択を。
それを、してくれると信じていた。
……私が、どちらかの彼女を殺してくれると。
でも……そんなの、酷いよ……。
「でも、キミは……!」
「愛してるよ。クリスを、愛してる。……だから、そんなことできない」
私以外に殺させたくない。
そう言いはしたし、それは本心だ。
それでも、死んでほしくないに決まってる。当たり前だ。
別の世界だとかそんなこと関係なく、彼女が消えてしまうなんて……耐えられない。
「…………。認識の違い、かな」
「経験の違いだよ。私は、自分が死ぬ瞬間を……覚えてるから……」
暗い、くらい闇に押し潰される。
捩れて、縮んで、籠って、薄れて、自分が徐々に消えていく。
あの苦痛を。
それすら薄れる一瞬を。
あの不快感を。
それがなくなっていく嫌悪を。
それを誰よりも愛する人に味合わせたくないと思うのが、間違っているとは思えない。
「──経験が、違うの? マリーさん」
「ぇ……? それは、だって……」
クリスさんBが、唐突に口を挟んできた。
彼女に目をやって……再び、背筋が凍りつく。
……やっぱり同じ人なんだな、なんて、間抜けたことを思ったり。
当然のようにそっくりな、凍てつくほどの冷たい視線を……彼女は、私に向けていた。
「『わたし』だって一度。ここにいる私は、二度。その経験は、知ってるよ」
「……っ。で、でも……」
「マリーさんとは違う。結局私はそのまま生き返った。そう言いたい?」
「いや……その……」
炎の弾をぶつけられて、倒れた一度。
自ら身を投げた、二度。
確かに、彼女は、死んでいた……?
「ここにいる私に限っては、こうも言える。私は、あなたが知らない数十年を……あなたのいない数百年を……あなたを失った数千年を経験している。あなたとは、違って」
「…………」
ぐうの音もでない、とはこのことだった。
少なくとも、彼女を置いていった私はそれに口出しする権利がない。
彼女を一番苦しめたのは、他でもない。
私だ。
「……理解は、されないと思う。いや、しなくていい。あんな思いを抱くのは私だけでいいから……でも、これだけは覚えておいて」
「……何を?」
「あなたを失うくらいなら、死んだ方がずっといい。それが、『私』の共通認識だってことを」
……何も、反論はできなかった。
知った上でそれを選んだ、選ばなければならなかった……その覚悟を突きつけられては、それを覆すことはできない。
……けれど。
「……それが。クリスさんの、愛……?」
「そう。それの何が悪いの?」
「悪くないよ。何にも、どこも悪くない。ありがとう、クリスさん……大好き」
「な……っ?」
その愛を、他でもない私に向けてくれた。
そのことが、たまらなく嬉しい。
彼女に愛されることが、私の至上の喜びだ。
だから……!
「……ルーシーちゃん」
「うん?」
「クリスがいる場所、わかる?」
伝えなければいけない。
教えなくちゃいけない。
私も、彼女を愛していることを……これ以上なく、他になく、愛しているということを。
***
***
「待ってください、クリスさん……っ!」
「はあ、はあ……ま、まちなさ、くり、クリス、まちなさい……!」
……子供の頃から変わらず体力のないアンさんはともかく、イリーナさんを撒くのは……無理ですね。
しばしの逃避の後、そう悟って足を止める。
いつのまにか、人通りもろくにない路地に迷い込んでいましたが……構いません。
マリーが追ってきていないのは、初めから分かっていましたから。
「……なんですか。わざわざ追ってきて」
自分の声が、思った以上に冷たさを帯びていた。
二人に背中を向けたまま、溢れた涙を拭う……心がけていた無表情も、こうなると無様です。
できれば、愛する人以外に素顔を見せたくはない。
そう、思っているのですが……。
「なんでも何も……! 傷ついてる友達を、一人で放っておくなんてできませんっ!」
「……マリーさんは友達ではない、と?」
「そ、そういう意味じゃ……!」
振り返って、二人を見る。
さらに後方に追いかけてくる人影がないことに安堵しつつ、ほんの少しの不安と苛立たしさが募った。
……ああもう、面倒な。
こんな気持ちになるのなら、あんな言い方をしなければいいのに。
「はあ……ふう……。論点をずらすのはやめなさい、クリス。闇雲に飛び出したあなたを、一人で放っておけるわけがないでしょう……母上を真似て木登りをして、降りられなくなったのは誰ですか」
「ろ、論点をずらしているのはどっちですか! それ、マリーさんには言わないでくださいよっ!」
嘆かわしい思い出が蘇る。
もしもマリーに知られたら、微妙な顔をして笑われそうです。
「……えへへ。やっぱり、クリスさんが一番に気にするのはマリーさんなんですね。安心しました」
「な……っ!?」
……鈍い驚きが走る。
ほとんど自覚すらなく、マリーの名が口をついて出ていました。
「隠さなくってもいいんですよ、クリスさん。つい強いことを言っちゃっただけで、マリーさんを嫌いにもなれないし……本当は、もうそんなに怒ってもいないんでしょう?」
「あ……う……」
ほとんど、見透かされていました。
そんなに分かりやすいでしょうか、私。
「もっと泣いちゃっていいんです。全部じゃなくても、甘えて話しちゃえばいい。マリーさんはクリスさんのお嫁さんですし、私たちはクリスさんのお友達ですから」
「で、ですが……」
「マリーさんはきっと、喜んで全部聞いてくれると思います。クリスさんが泣いても、どんなにめちゃくちゃなことを言ったって受け入れてくれますよ。だってマリーさんですし」
「…………」
根拠が根拠でない。
けれど……不思議な説得力がありました。
反発はした。反感はある。
煮え切らない気持ちは消えてはいない。
……話せば、分かってもらえるでしょうか……?
分かってくれなくとも、また……まだ…………。
「──ちっ。なーんで俺らが追い出されなきゃならないかねえ?」
「まあ、いいじゃない。あのガキ、金まで握らせて……必死すぎてウケる」
「でもよお、あたしらこれからどうすんの? しばらく戻るなとか言ってたじゃんか」
──その時、道の反対側から、どこか不良じみた三人組が歩いてきました。
男一人に女二人……追い出された?
子供が、お金まで握らせて……。
「あァ? 知るかよ……ん? ……おい、そこの嬢ちゃん」
「は、はい? なんでしょうか……」
そのうち男はこちらを見ると、いきなり息がかかるような距離まで近づいてきました。
……警戒心が募る。
にやついた笑いが下卑た色を帯びているように見えるのは、気のせいでしょうか……。
「……俺らな、ちーっと道に迷っちまってさ。案内してくれねえか?」
「……道に?」
「ああ。向こうまででいいからよ」
……どういうつもりでしょうか。
女二人は何も言わず、ニタニタと笑ってこちらを見ています。
イリーナさんとアンさんは……。
「道に迷っちゃったんですか!? 大変ですね! 私たちでよければご案内しますよ!」
「い、イリーナさん……?」
「行きましょう! すぐですよ!」
思わずアンさんを見ると、苦り切った顔で見つめ返してきました。
……いつものことなのでしょう。
その純粋さは眩しいほどですが、いささか警戒心というものが……!
「……ああ、もう! 待ってください、イリーナさん……!」
ひとまずついていくしかない。
そう思い、三人に背を向けて踵を返した。
……それが、間違いだった。
「はっ……ふんっ!」
「あぅっ!?」
後頭部に、鈍い衝撃が走る。
遅れて強い痛みを自覚して、体が……痺れるように、動かなく。
「……? クリスさ……く、クリスさんっ!?」
「あ、あなたたち何を!? クリスを放しなさいっ!」
倒れ込みは……しなかった。
女二人に腕を掴まれ、無理やり引き立たされたからだ。
頭が痛い。がんがんする。
目が回ったように、耳が遠くなったように、全ての感覚が鈍っている……。
「黙ってろ。それ以上近づいたら、こいつを殺す」
「ころ……っ!? クリスさん……!」
「クリス……!」
引き立たされたまま、男が正面に回ってきた。
不快感を感じるほどの近距離……嫌だ、嫌だ、嫌だ、嫌だ……。
「──なあ。お前、あのガキの仲間だろ?」
「な……んの、こと……を……」
「とぼけんじゃねえ! 白髪にチビのクソ女! あいつが俺らをあの場所から追い出して……てめえらがそこに入ってったのを見たんだよ!」
……ルーシーさんか。
あの場所……あの陰気な家。
……見られていた?
何を、知っている?
ここで、出会ったのは……偶然、ではない……?
「……っ!」
胸ぐらを掴まれる。
強く不快感が込み上げても、抵抗の余地はない。
両腕も頭も、どこも自由にならない……。
「吐けよ。何のつもりだ? 何を企んでやがる、この世界のクソ共は」
「……この、せかい……の……?」
「吐かねえなら! その体に、教え込んでや…………が……!?」
……尊大な態度を取っていた男の顔が、不意に苦痛の色に染まる。
両腕を掴んでいた女二人の力も、弱まった。
何かに驚愕したように。
それも当然だろう。
その男の胸から……血まみれの何かが、突き出していたのだから。
「──おまえ、か。おまえが」
聞き慣れた、けれどほんのわずかに違って聞こえる声。
視界の端でしか直接捉えることのなかった金髪。
「な……ぁぎっ!?」
「わたしの……私の私の私の私の私の私の私の私の! わたしの、マリーさんを……殺したのかぁっ!!」
……もうひとりの、私が。
男の背に、なにかを突き刺していた。




