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悪役令嬢に百合営業をしかけたら本気にされてペットにされました  作者: らびえ
番外編

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嵐の前の

「……うぅ……」


 ひどく……ひどく、頭が痛い。

 瞼が重い。

 体が、全く言うことを聞かない。



 今の今まで自分は眠っていたのだ、そんな理解すら遅れる。

 どす黒く濁った泥の中にいるみたいに、体が……頭も……重い。痛い……。


「──マリーさん」

「ぁ……?」


 温かい、感触。

 落ち着く匂いで、柔らかくて、これ以上なく愛しい声……。


「大丈夫ですよ、マリーさん。私はずっと、あなたのそばにいますから……」

「……ん……」


 陳腐で、よく聞く言い回し。

 けれどその言葉が、その意味がこの場にあることが……この上なく嬉しくて。


 思考にかかった薄い霧が、少しずつ晴れていく……。


「……おはようございます。マリーさん」

「おはよう……クリスさん」


 冷たい夢から這い上がって。

 まだ、私はここにいた。






 ***






「マリーさんっ! マリーさん……! よかった、よかったぁ……心配してたんですよ……!」

「ちょ、い、イリーナちゃん……痛い痛い、痛いって」


 クリスさんからの一報を受けて、真っ先に飛んできてくれたイリーナちゃん。

 大粒の涙をぽろぽろこぼし、抱きついてくる彼女の姿に……軽い困惑を覚える。



 私、そんなに心配かけることしたっけ?


「ええ、本当に。あなたが眠っている間、クリスはもう……それはそれは……見ていられない有様でしたのよ? 絶対にあなたの枕元を離れようとしないで、疲労と空腹で何度も倒れかけて……」

「ちょ、ちょっとアンさん! それは言わないお約束で……!」


 と、すっかり元に戻ったアンさんもそんなことを言う。

 確かにクリスさんの目元には大きなくまができていて、さらに頬はややこけていた。



 愛しさと心配がせめぎあう。

 ちゃんと休みなさい、と言いたいところだが……どうやらそれは私も同様らしい。

 聞けば、私は二週間近くずっと眠り続けていたらしいのだ……二週間!!?


 死んでてもおかしくないじゃないか!


「まあ、実際危なかっただろうねえ。彼女ら三人が、四六時中キミの世話をしてくれなかったら……間違いなく死んでいたと思うよ。よかったねマリーちゃん、いい友人と恋人に恵まれて」

「ルーシーちゃん……」

「戻ってきてくれてよかったよ、本当に。……彼女としては、自分の目的を果たした上でキミたちを試したつもりなんだろうけれど……もう少し穏当なやり方を取ってもらいたかったね」


 ルーシーちゃんのそんな言葉を聞いて、ますます困惑が深まる。

 彼女? 目的?

 本当、一体私に何があったんだ……。


「……何があったか、覚えていないんですか? マリーさん」

「え? あー、うん……いや、全く覚えてないってわけじゃないんだけどさ……」


 どうにも記憶がこんがらがっていけない。

 眠っていた……というか眠らされていた?



 となると、あの時オリバーの世話をしてからクリスさん……クリスさんBに襲われたのは、きっと現実なのだろう。

 その時からずっと、魔法か何かで昏睡とも言える状態にされていたのなら筋は通る……通るか? たとえ別世界の人であっても、クリスさんが私にそんなことをするだろうか……。


「ううんと……どこから話すべきでしょう? とりあえず窓を開けましょうか。どうにもこの部屋、空気がこもっちゃって……」

「……っ! クリスさん、だめっ!」

「へ……?」


 駄目だ。

 それは。

 それだけは……だめだ……?


「ま、マリーちゃん? どうしたの?」

「マリーさん……?」

「クリス、もしや何かしたのですか?」

「い、いえ、知りませんよ。私はただ、窓を開けようとしただけで……」


 四者ともに困惑している。

 私も同様だった。


 なぜ私は……今、口をついて出たみたいに……?


「ご……ごめん、クリスさん。怒鳴っちゃって。窓なら、私が開けるから……」

「あ、はい……」


 言いながら、まだ自分が立ち上がってすらいなかったことに気づく。

 クリスさんの手を借りつつなんとかベッドから這い出て、部屋の窓を開けにかかった。


 ……なんだったんだ、今の嫌な感覚は。

 そういえば、少し前に前世のことを考えた時にも、似たような気分になったような気がする。



 前世の……死の、記憶。

 まるで、トラウマを呼び起こされたかのような……。


「……窓。ふむ……? ボクも、言われてみればなんだかいい気分はしないけれど……」

「確かに……そうですね。クリスさんが……窓で……?」


 ルーシーちゃんとイリーナちゃんも、何やら首を傾げている。

 逆にクリスさんとアンさんはひたすらに困惑していた。


「……く、クリス。本当に、何も心当たりが?」

「ですからありませんよ、そんなもの」


 怒鳴ってしまったからか、クリスさんが若干むくれている。

 というか凹んでいる。

 いや、これは私が悪い……。


「ああ……うん……? そうだとしたら、筋は……意味は通るか。けれど……ううん……」

「ルーシーちゃん? どうかした?」

「……マリーちゃん。眠っている間、キミはどんな気分だった? 嫌に現実味のある夢を、見ていた記憶はない……?」

「え……」


 ……現実味のある夢。

 心当たりは、あった。



 あの、荒唐無稽な──そうと信じたい──すごく嫌な夢。

 まさか……。


「……確定ではないよ。ただ、可能性は十分にある……ありすぎるくらいだ。アンちゃんに起きていたことが、程度の差こそあれ、ボクやイリーナちゃんにも起こっていたとしたら……?」

「な……!」


 アンさんの、変貌。

 ルーシーちゃんとイリーナちゃんの、どこか妙な気分。


 そして、私の……嫌な記憶。


「な、何を? 何の話をしているのですか?」

「クリスちゃん、キミも聞いたでしょう? キミとは違う、別の『クリスちゃん』は……まだ終わっていない(・・・・・・・・・)、って言ったんだよ」

「……っ。それは……」


 夢、幻、集団幻覚。

 そんなもので片付けるには、どうもピースが多すぎる。



 別の世界。別の時間。

 それが存在することだけは、少なくとも事実なのだから。


「……う……!」

「……? イリーナさん?」

「え、あれ、イリーナちゃん? ど、どうしたの!?」


 その時、不意にイリーナちゃんが……泣き出した。


 さっきのように大声を出すわけではなく、ただ静かに、淡々と。

 まるで……何かを噛み締めるかのように。


「い、いえ……なんで……ごめんなさい。ただ……」

「ただ?」

「……アンさんが、いて。クリスさんがいて……ルーシーさんもいて。それに、マリーさんだってちゃんとここにいる。それがどうしてか……すっごく、嬉しくて……!」

「…………」


 ……重苦しいような。

 痛ましいような。

 愛おしすぎるような、そんな沈黙。



 ぞわっと浮かんだ嫌な気分が、霧散したわけではない。

 けれど……少なくとも……。


「……今は、それでいいのかな」

「全部が、なんて言い切れませんが……ええ。マリーさん、私は……」

「なあに? クリスさん」


 彼女が、そっと寄り添ってきた。

 恐怖も嫌悪もあるわけがない。


 ふわふわと優しくて、あったかくて、いい匂い。

 大好きな人がちゃんとここにいるのが……やっぱり、何よりも嬉しくて。


「……マリーさんがいて、よかった」

「……ありがと」


 泣き続けるイリーナちゃんを、みんなで慰めて。

 そして私が、クリスさんのそばにいられるのが……クリスさんが私のそばにいてくれるのが……こんなにも愛おしい。



 束の間の癒しは、嵐の前の静けさにも思える。

 けれど……それでもやっぱり、満たされていた。

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