不穏さと
「なんなんですか、あなたは!? 一体誰……わ、私のマリーさんに近づかないでください!」
「そっちこそ……! 誰なんですかはこちらの台詞です!」
言い争いを始めてしまう二人のクリスさん。
詰め寄るクリスさんに、やや慌てつつも反論するクリスさん……ああもうややこしい!
ひとまず今帰ってきた方をクリスさんA、先に部屋にいた方をクリスさんBとしよう。
……恋人を記号で区別するなど、正直あまり気分はよくないのだが……。
「あー、とにかく落ち着いてよ……二人とも」
「マリーさん……そうだ、マリーさん。マリーさん!」
「は、はいっ? なんでしょうかクリスさん?」
なんとか間に割って入ると、何かに気づいたように私の名前を何度も呼ぶクリスさんA。
珍しく取り乱している……状況の方が百倍珍しいから仕方ないか。
「マリーさんは、どちらが本物だと思うんですか!? 私ですよね!?」
「いえ、私ですってば!」
「え? いや、そんなこと言われても……」
クリスさんAB、両方から詰め寄られる。
しかし……どうだ? どちらが本物も何も、正直どちらも本物にしか……。
「私です!」
「私ですよ!」
……うーん? あれ?
ちらっと、違和感のあるものが見えたような。
でも、そんなことが……?
「……あー……ちょっと待って。いや……見間違い、だよな……?」
「え? マリーさん、もしかして何か……」
「何か気づいたんですか!?」
「わ、私が本物ですよね!?」
「クリスさんはちょっと落ち着いて」
ありえない。
そう思いたいが、目に見えたものしか今は信じられない。
『あれ』が、私の見間違いでなければ……!
「……? あ、あれ……?」
「イリーナちゃんも気づいた?」
「い、いえ。気づいたというよりは……どこか違うような……? 気のせい、でしょうか」
やはり、彼女もそう思うらしい。
私の錯覚というわけでもなさそうだ。
ならば後は、確固たる証拠を掴むだけ……!
「……クリスさん。口、開けて」
「はい? 口を?」
「……っ!」
怪訝そうにしながらも、言われた通りあーんと口を開けて見せるクリスさんA。
歯並びがよく、綺麗な口内。普通の、人間の歯だ。
そして。
「……そっちのクリスさんも」
「いえ……あの……」
躊躇するクリスさんB。
今でも彼女が偽物だとは思えないが……しかし、私の知っているクリスさんでもなさそうだ。
「クリスさん。……お願い」
「…………。マリーさんには、敵いませんね」
観念したように、大きく口を開けるクリスさんB。
……見間違いでは、なかった。
「な……!?」
「く、クリスさん……マリーさん!? これって、まさか……!」
クリスさんAとイリーナちゃんも、驚いている。
確かにこの程度の違いなら、よく見なければ気づけまい……だが、よく見れば明らかだ。
彼女の歯。
前から三番目に生えている、犬歯が。
「気づかれちゃいました。いえ、騙せるとも思っていませんでしたが……流石はマリーさん、ですね」
『人間』とは明らかに違う、鋭く伸びた……二本の牙が。
明らかに、『彼女』を象徴していた。
「……イリーナちゃん。ルーシーちゃんを呼んでくれる? きっと、すぐ来てくれると思うから」
「は、はいっ! 分かりましたっ!」
この件に関しては、彼女の力が必要だ。
***
イリーナちゃんは、いい加減夜も遅いのでルーシーちゃんを呼んだ後に一旦帰ってもらった。
明日の朝、きちんと話そう。
「いや……驚いたよ。間違いない。確かに、彼女は吸血鬼だ……ボクと同じく、ね」
そして案の定すぐ来てくれたルーシーちゃんは、二人のクリスさんを見て……合点したような、それでも疑念を抱いたような、そんな表情で二人を診てくれた。
……吸血鬼。
やっぱり、そうだったか。
経緯も意味も分からないが……。
「……隠すつもりはなかったんです。本当は、こっちの『私』と鉢合うようなへまを犯すつもりもなかったのですが」
「クリスさん……」
「ごめんなさい、マリーさん。ルーシーさんも、『私』も。ちょっと、ほんのちょっとだけ、魔がさしちゃいました」
心底申し訳なさそうにそんなことを言う、クリスさんB。
何やら訳ありのようだが、いまいち話は見えてこない……。
「……ええっとね。その、マリーちゃん……ボクが見た限りでは、二人とも、間違いなく本人だと思うのだけれど」
「それは……」
「いくつかのほんの些細な違いと、吸血鬼であるという点を除けば、間違いなくふたりとも同じだと思う。遺伝子的にも、それに魂も、全く同一だ」
「……つまり?」
二人のクリスさんを交互に見る。
確かに、細かな違いこそあれど、どちらも偽物のようには見えない……。
「……ええ。私は、間違いなくクリスです……ただし、この世界の『クリス』とは別の」
「なっ……!?」
「私は、こことは別の世界から来ました。つまりは、別の世界で生をうけたクリスです」
「別の、世界……??」
頭がこんがらがってきた。
クリスさんは……クリスさんBは別の世界の人間、いや吸血鬼?
パラレルワールドだとか、そういう話だろうか。
そんなまるでSFみたいな。
「……なるほど。それなら確かに、キミたち二人がどちらも本物だということの答えにもなる。けれど……それならキミはなぜこの世界にいる? 生きたものがそのまま世界を渡るなんて、ほとんど不可能なはずだ」
そうなのか。
いや、確かに異世界転生と言うな。
私自身、神の助けがあったとはいえ一度は死んで世界を渡っているのだ、そうなのだろう。
「……分かりません……」
「え?」
「覚えていないんです。ある時点から……何かがあって……どうにかなって……ここにいる。私が理解できているのは、それくらいで」
「……っ」
思わず絶句する。
記憶喪失、ということなのか。
いや、全く覚えていないわけではないようだが……。
「……ふむ。強いショックを受けると、その前後の記憶があやふやになることはある。それに……キミの話が正しいのなら、キミは世界を超えてきたようだ。そんな試みは、極めて稀なことである以上……」
「……何が起きても、不思議ではない?」
「そういうこと。少なくとも、彼女のいた世界はボクたちのいるこの世界とはいくらか違うようだしね」
……確かに、そうなのだろう。
少なくとも、この世界のクリスさんは吸血鬼ではないわけだし。
この世界とは別の経過を辿った、別世界……パラレルワールド。
にわかには信じがたいものの、異世界そのものは経験している以上否定はできない。
「……それで? あなたは何のためにここに現れたのです? まさかただ姿を現して、私たちを……私のマリーさんを混乱させて、それで終わりというわけではないでしょう」
「……それは……」
沈黙していたクリスさんAが、問い詰めるようにそんなことを言う。
いつもよりもやや語気が強い。
まあ、彼女の立場を思えば無理はないか……一番混乱しているのは、彼女だろうし。
「目的は何です? わざわざ私たちを騙して、あんな小細工までして。……まさか本当に、私のマリーさんを奪うつもりだったんじゃ……!」
「……小細工? なんのことです?」
「はい?」
怪訝そうにそう尋ねるクリスさんB。
クリスさんAも混乱しているし……私も初耳だ。
なんだ、小細工って?
そんなことあったっけ?
「あー……えっと、クリスちゃん? この際だし、もうマリーちゃんにもあのことを……」
「だ、駄目ですよ! それじゃあ意味が……!」
「いやあ……知らない方が不安を煽られるとボクは思うなあ。そもそも、もう『何か』があったことは知られちゃってるわけだしねえ?」
「ぐっ……!」
今度はルーシーちゃんまで。
もしかしなくても、私に何かを隠していたのか……隠し事?
……まさか……。
「えっとね、マリーちゃん。さっきクリスちゃんが、ほんの少しだけ、キミとは別行動をとったでしょう? わざとらしくキミを遠ざけたりまでしてさ」
「ああ……うん」
……やっぱりその時のことか。
クリスさんにしてはおかしいと思っていたが……ルーシーちゃんが一枚噛んでいた、ということか?
「あの時ね、ボクが彼女の脳にちょーっとメッセージを送ったんだ。『マリーちゃんのことで話したいことがあるから、ボクが指定した場所に一人で来て』ってね」
「はあ……。その後に、『マリーちゃんには適当に誤魔化しておいて、彼女に心配をかけたくはないだろう?』とも。腹の立つ言い方でしたが、そう言われては断れなくて」
脳に直接メッセージとか、ツッコミどころはあるが……なるほど。
確かにクリスさんの性格なら、そんなことを言われたら是が非でも一人で来ようとするだろうな。
有効な手段だ。
「そう。で、その話っていうのが……ボクの元に、警告と脅迫が届いたってことなんだよね」
「警告? ……脅迫?」
どちらも穏やかでない響きだ。
全身が粟立つのを感じる。
「警告の方は、ボクの……あー……知り合いから。『どうやらこの世界に、何か面白いものが紛れ込んだみたいだよ。対処したら?』とか、ふざけた内容だった。……今になってみれば、これは多分、そっちの吸血鬼化したクリスちゃんのことかな」
「ふうん……?」
情報元は気になるが、情報自体は確かなのか。
クリスさんBは別世界から来たという話だったし、『面白いものが紛れ込んだ』という表現はまあ……間違ってはいまい。
「それで、脅迫の方。これがねえ……ちょっと、冗談で済ませるには過激な内容で……」
「る、ルーシーさん。やはり、このことをマリーさんに話すのはやめたほうが……!」
「うーん……でも、キミはもちろんマリーちゃんだってこの件には関わっているんだよ? マリーちゃんにだけ教えないのは、こうなってはフェアじゃないんじゃないかなあ」
「むう……」
何だ何だ。
本当にやばい内容なのか。
クリスさんAが本気で狼狽している……つまり、それほどの内容ってことか。
「言っちゃうよ。その内容はね……」
「う、うん……」
ごくりと唾を飲む。
私だけではない、クリスさんBも同じようにしていた。
本当に何も知らないらしい。
「『歴史の歪みを正せ。さもなくば、転生者マリーを殺す』。……それだけだよ。いやむしろ、それだけならまあ世に溢れた脅迫ってところだけども……」
「……まさか。いや、そんなわけ」
思わず、クリスさんBを見た。
彼女もまた、目を見開いている。
歴史の歪み。
私を、殺す。
それは……!
「こうなってはどうにも、真実味を増しちゃうってものだ。ねえ? クリスちゃん?」
ふたりのクリスさんをちらと眺めて。
彼女は嗤って、そう言った。




