愛、その向こう
イリーナちゃんとアンさん、二人の接触は、なんとかぎりぎり健全なレベルで収まった。
全容をそのまま文章にしても辛うじて──本当に辛うじて──R18にはならないだろうという範囲。
心底安心した。
何せここは、私の部屋なのだから。
「……落ち着きましたか、アンさん」
「ええ、すっかり。ふふっ、ふふふふふふふふふふふふふふ……」
当のアンさんは、つやつやである。
まるで猫か何かにするかのようにすーはーすーはー、髪やら服やら何やらの匂いを嗅ぎ続けてようやく落ち着いた……らしい。
イリーナちゃんは薬か何かなのか。
とりあえず、一つ分かったことがある。
お前ら令嬢じゃねえ。
「あぅ……」
「い、イリーナちゃん大丈夫……?」
「ええ……なんとか……。えへっ、安心してくださいマリーさん……おっぱいは、触られませんでした……」
「…………」
その事実のどこにどう安心すればいいと言うのだろう。
彼女にとってはそれが純潔の証なのだろうか。
だとすれば盛大に言い方を間違っている。
「あのですね、アンさん。いくら女性同士でも、いくら友人でも、やっていいことと悪いこととはあるのですよ? 一線を踏み越えるのは、互いの理解があってこそのもので……」
「私たちは相思相愛ですよ」
「いえ、あの」
「分かりませんか? 愛しているのです。クリスにも分かるでしょう、これが愛だと。ええ、ええ、分かっていますとも、自身の行いが欲に……愛欲に浸かったものであることは。しかしそれが何の問題になりますか? 愛です。愛し合っているのです。悠久の理も、星の運命も、時の流れも、世界さえも無力な愛というものなのです。ですから」
「あっもういいです」
クリスさんが未だかつてないほどに狼狽している。
というか、心底面倒臭そうだ。
イリーナちゃんとのことがあるから渋々関わっているが、できることなら今すぐに距離を置きたい。
長年の友情? 幼馴染? 知るか。
今すぐ全部放棄して私に抱きついて××××××したい。
そんな心の声が聞こえてきそうなレベルである。
「愛というものは素晴らしいものですね。あの日、あの時、私は実感したのです。彼女を一目見た時からずっとずっとずっとずぅっと、彼女のことが頭から離れないのです。ああイリーナさん、イリーナさん、抱きたい抱かれたい今すぐにでも匂いを嗅ぎたい触れたい触れられたい、あぁぁぁ全て全部何もかも私だけのものにしてしまいたい…………」
「そうですか。はい。そうですね。私は今すぐにでも、あなたを窓から投げ出したいです」
本音が出ている。
めっちゃ本音が出ている。
もはや駄目だよその表情、ヒロインがしちゃいけないレベルでドン引きしてる表情。
向き合って座っていながら、微妙に後ろにのけぞっている。
気持ちは分かるが……しかし、私ではああもいくまい。
彼女とある程度対等に話せるのは、この場にはクリスさんしかいないのだ。
「はぁ……分かりませんかぁ、クリスぅ? いえあなたにも分かるでしょう。彼女の頭を、顔を、胸を、腰を、腕を、足を、皮を、肉を、骨を、内臓を、毛を、体液を、全てを、愛しているのです。飲みたい、舐めたい、嗅ぎたい、浸かりたい。ああ……あんなにも、おいしそう……」
「そうですねえ。私もそろそろマリーニウムが足りないので、末長くお引き取りいただけるとありがたいのですが」
「えへっ、いひっ、ふは、ひゃは、ひは、くく、くは、はは、あはあははあああああははははあははははははははははははははははははっははははははははははははははははははははははははははははっはははははははは……」
感情のタガが外れたように、奇妙に笑い続けるアンさん。
首をガクッと曲げ、目はうつろになり、口の端からは涎が垂れている。
イリーナちゃん、恐ろしい子。
そして恐ろしい人に捕まってしまったものだ。
「……マリーさん」
「なあに、イリーナちゃん」
「私は……どこで何を間違えたのでしょうか……」
「しょ、正気に戻って……」
偏愛の果て。
狂愛の向こう。
つまるところは、運の尽きである。
「別に、アンさんのことが嫌いというわけではないんです。実は以前に告白されて……それ以降は、少しずつお付き合いをさせていただいてきたんですが」
「何かがきっかけで変わってしまった、と」
「さあ、分かりません。本当に、以前はもう少しその……物静かな方だったはずなのですが」
「うひひあははいひあはひはあはははははははははははははははははははははははははははははははははははははは……」
狂気に染まった笑いを発し続けるアンさん。
これと比べれば、大体誰でも物静かになると思うのだが……しかし、イリーナちゃんのその発言は興味深い。
彼女は、人に愛されることに関してずば抜けている。
人をよく見ている、というべきかもしれない。
どんな相手であっても真摯に、本気で向き合うのが彼女のスタイルだ。
流石は恋愛ゲーの主人公の器というところか。
そんな彼女から見ても、そして私自身から見ても、確かにアンさんは……変わってしまったような感じがする。
恋は、愛は盲目。
果たしてそれで片付けるべきことだろうか?
「クリスさん……」
「ええ、私もそう思います。小さい頃からスキンシップは激しめの方でしたが、ここまで……ええと、すごい人ではありませんでした」
クリスさんなりに言葉を選んだ結果がすごい人、か。
確かにすごい。
そして、彼女からしても異様な事態。
互いに視線を交わし、確かめる。
どうやら私たち三人の見解は一致したようだ。
「何かある、よね」
「ええ、おそらくは。姿形も見えないのが、どうにも不気味ではありますが……」
「どうにかしないと……お付き合いしている責任、ですもんね……!」
これはきっと、何かが裏にある。
ただの一般人が、ある日急に狂気に落ちるとかそんなことはありえない。
それまである程度普通だったのなら尚更だ。
絶対に、何か理由が──そうでなくともきっかけがあるはず。
「突き止めようか」
「まあ、やれる限りは。腐れ縁ですしね」
こうして私たちは、再び巻き込まれていくのだった。
初めから、巻き込んでいたのかもしれないが。




