毒吐き、後編。
「──ねえ、ルーシーちゃん。私って、本当に……生きてるのかなあ?」
「えっ? どういうこと?」
「胡蝶の夢、なんて言うけどさ。この世界は誰かが見ている夢の中なんじゃないか……とか、ただの白昼夢なんじゃないかとか……」
「そんなこと思ってる時点で違うんじゃない……?」
確かにそうだ。
無論、本気でそんなことが言いたいわけではない。
感じているのは本当に、ただ漠然とした不安だけだ。
「だって……虫が良すぎると思うんだよ。何も善行を積んだ訳じゃない、特別優れた人間でもない、死に方は……ちょっと無様だったかもしれないけど、それだけだよ。そんな私が」
「こんな世界にいていいのか、って?」
大体そんな感じだ。
私は私であるままに、生まれ変わりの機会を得た。
ただちょっと変な死に方をしたってだけで。……そんなことある?
ましてここは、ある意味私の願い叶って作られた世界。
至れり尽くせり、それが行き過ぎて逆に気持ち悪い。
一体何の道理があって……ましてや……。
「……クリスさんも、ね。私はこの子が大好きだって、胸を張って言えるけど……この子は、どうなんだか」
「なっ……ま、マリーちゃん?」
未だにすやすやと眠るクリスさんの頭をそっと撫でる。
ふんわりしていて温かい。確かに彼女は生きている、そう思える。
けれどそれだけに、どこかおかしいとも思えてしまう。
「おかしいと思わない? どうしてこんなに良い子が、私なんかを好きになってくれるのさ? だって私、ただの平凡な陰キャだよ?」
「で、でも……」
一度言葉にすると、止まらなかった。
こんなこと言いたくないのに、きっと違うのに、溢れ出る想いを止められない。
違和感が、不満が、不安が、積み上げた何かをぶち壊す。
「初対面だって、そんないいこと無かったと思うし……あれだって、妙に都合のいい展開だったし。ひょっとしたら最初から、この子は初めから私を好きになるように」
「……っ! マリーちゃん!」
「!? な……ぇ?」
つい口に出してしまったその言葉を、ルーシーちゃんの大声で止められる。
少しだけ冷えた頭で、自分の言葉を反芻した。……何を言っいてるんだ、私は?
勢いに任せてしまったとはいえ……私は……?
「馬鹿げたこと言わないで。キミのそれは、単なるクリスちゃんへの侮辱だよ。一体何の権利があって、キミはこの子の愛を否定するの?」
「だ、だって……その……」
……ああ、駄目だ。
言い訳しか出てこない。
誤魔化ししか思いつかない。
つまりは、全部本気だったってことだ。
これが自分の、きっと汚くて薄暗い本性だ。
それをはっきりと自覚して……余計に疑念が深まる。
やっぱり、私は……。
「──キミは、すごいよ? 一度明確な死を経験しているはずなのに、キミ自身はちっとも揺らいでいない。キミはキミのまま、同じように今も生きている」
「そ……それがどうしたの? 別にそんなの、大したことじゃ……」
「大したことなんだよ! 記憶を保ったままの転生は、これ以上なく危険だ。最上の苦しみを味わってしまっているが故に、それを確かに覚えている故に、絶望して……生きることを諦めてしまう人だっている」
「……っ。でも、私は……」
そんなこと、今は関係ない。
私はただ、何も考えていなかっただけだ。
何も考えずに生きて、それで今更後悔してる。
「馬鹿なこと言わないで。キミはいい子だよ。だって……」
「そんなわけない!」
「……っ!?」
否定が口をついてでた。
それは、それだけは許せなかった。
認められなかった。
「クリスさんは……クリスさんは、私のせいで死んだんだよ!? 私がいなければ、あの時私がいなければ、いやそもそも私があんなことを願わなければ……っ! ……あんなことには、ならなかったんだよ!」
「な……」
「違うよ。私なんかただの……ただのクズだ。あの時死んでいればよかった。死んでさえいれば……死んでさえ、いれば……!」
胸に残る暗さの正体。
それは何のことはない、ただの苦痛の記憶だった。
苦しくて。
熱くて。
冷たくなって。
痛くて。
痛くて、痛くて、痛くて、痛くて、痛くて、痛くて、辛い。
そんな、ありふれた死の記憶。
それを。
「マリーちゃん……」
「ルーシーちゃんには分からない? あの時……クリスさんは、死んだんだ。これ以上ない苦しみを受けて……安らかな眠りなんて、ただの幻想でしかない」
「……それは」
死は平等に訪れる。
死は平等に苦しめる。
その苦しみをクリスさんに味合わせてしまったのは、全部私のせいだ。
私のエゴで。
私のわがままで。
あの子は、『生まれる苦痛を味わった』。
「私のせいだ。私のせいなんだよ……。あの時だけじゃない、あの子だけのことでもない」
もしもこれから先、あの子が苦しんだのなら。
どこかで誰かが苦しんだのなら。
その原因はやっぱり、どこまでも私にある。
ほんの小さなきっかけに過ぎないかもしれない。
けれど、間違いなくきっかけなのだ。
私さえいなければ、少なくとも今の通りではなかったのだから。
「…………」
「ルーシーちゃんだって、そうだ。絶対にいつか私を恨む。生まれさせた私を、そのきっかけを作った私を、いつか絶対に恨むことになるんだよ」
まして、彼女は不死身なのだ。
その苦しみは、その絶望は、とても私には計りきれない。
「……そんな、わけ」
「そうだよ? 少なくとも、あの人はそうだったよ」
「……っ!」
あの時私たちを襲ったあの少女。
あの子もまた、私の果てしない妄想の被害者だ。
あの子が苦しんだのも、やはり私のせいなのだ。
怒って当然だ。
殺したくなって当然だ。
いや……それすら生ぬるい、そう言っていたっけ。
「あの時、死んでおくべきだった」
そんな後悔も。
私の弱さで醜さだ。
今死ぬ勇気もないんだから。
「マリーちゃんの……ばか……」
「馬鹿だよ、私は。怒ってよ。殺してよ。ルーシーちゃんやルーシーちゃんの友達が苦しんだのも、全部……」
「マリーちゃんの! ばかっ!」
「……っ」
彼女にそんなことを言わせるのも、心が痛んだ。
もう無理だ。
何もかも、苦しくて苦しくて仕方がない。
こんなことなら、何も気づかなければよかった。
いや、気づいてよかったのか。
「ばか! ばかぁっ! 何が全部自分のせいだよ、何が死んでおくべきだよ、そんなの……そんな、わけ……っ!」
「……?」
彼女は、泣いていた。
大きな瞳から大粒の涙をぽろぽろこぼして。
……なぜ?
「──ええ、本当に。馬鹿の大馬鹿です、マリーさんは」
「な……え……っ!?」
瞬間、右腕を掴まれた。
あまりに突然のことで、なすすべなく『彼女』に右腕を掌握されてしまう。
「マリーさんって、馬鹿なんですねえ」
「なっ!? はっ!!? えっ!!!?」
次は左腕だ。
両脇からがっつりホールドされ、動くに動けなくなる……回らない頭を懸命に働かせる。
そんな私の胸にまで、ルーシーちゃんが飛び込んできた。
「馬鹿……馬鹿。この、ばか……!」
「ばーか、ばかマリーさん。私を愚弄するのも大概にしなさい、馬鹿」
「えっへへー、ばかばーか。私もクリスさんも、ぜーんぶ聞いてましたよ? ばーか」
「な……な……!?」
聞いていた。
起きていた?
誰が?
二人が?
イリーナちゃんと……クリスさんが?
「ねえ、マリー。随分と、生意気なことを言っていたようですが……?」
「いやっあのっ」
「酷いですよマリーさーん、私たちは本当にマリーさんが大好きなのに……ねえ?」
「えっあっ」
両脇から、耳元で声が聞こえる。
まるで二人がかりで耳に息を吹きかけられるみたいな……ひっあっやばいちょっあっ。
ぞくぞく、ぞわぞわ。
からだじゅうが、そわそわ。
「マリー。私の苦痛が全部あなたのせいなら、今の私の幸せは……全部、マリーのおかげですよね?」
「な……え? 幸せ……?」
「マリーがいてよかった。マリーがいて幸せ。そんな私の感情も、ぜーんぶマリーのせいですか。ふふ、よくばりさんの大馬鹿さん」
「うぇ……あ……」
純粋で巨大な愛を、真横からぶつけられる。
これまでもそうだったが、今回は特にやばい……これは本気だ……!?
「私も、マリーさんのことは大好きですよ……? 愛人の座くらいなら、今からでも遅くないでしょうか」
「ちょっそんなのどこで覚えてきたのイリーナちゃん……!」
「駄目ですよ、イリーナさん。マリーさんの隣の座は全て私のものですから」
「あっやめっ……」
動けない。
抵抗できない。
愛が全てを解決する……わけはないが、そう錯覚させられてしまいそうなほどに重く大きな愛。
淀んだ気分がゆっくり、ゆっくりと押し流されていく。
「……分かったでしょ、マリーちゃん。キミは、馬鹿なだけだって」
「る、ルーシーちゃん……!」
図られた。
一体いつから起こしていたんだ。
「あのね。苦痛なんて、いくらでもあるんだよ。生きている限り、生まれた限り、それは変えようもない運命だ」
「だ、だから……?」
「考えるだけ無駄。無駄に馬鹿。そんなことでだらだら悩んでいる暇があったら、まずは自分とその両腕にたぶらかした女の子だけでも幸せにする方法を探しなよ」
「た、たぶらかしたわけじゃ……」
ない。
そう言おうとして、口をつぐんだ。
だって……次に彼女が言うであろう言葉が、これ以上なく予想できたから。
「愛されたのも、言い寄られるのも、幸せにする責任も。全部ぜーんぶ、キミのせい。でしょ? 大馬鹿のマリーちゃん?」
「うぁ……」
全部私のせい。
それはそう、すっごく重くて……すごく暗くて……すごく、幸せな言葉だった。
そして三人が、声を揃えて言う。
「「「返事は?」」」
「は、はい……あっやめ、ちょっと二人とも耳は、ルーシーちゃんまってくすぐらないで……くく、ひは、ふぁ、あはは……っ!」
***
「……今日は、ありがとう。お陰でいい話が聞けたよ」
流れるように時間が過ぎて、夕暮れをやや過ぎた頃。
家で待っている人がいるとのことで、ルーシーちゃんは帰ることになった……その背を、つい呼び止めてしまう。
「その、ルーシーちゃん……」
「ん? 何?」
「えっと……ルーシーちゃんは、これからどうするの?」
……我ながら、微妙な質問だ。
どうするのか聞いたところで、どうにもならないのは分かっているのに。
どこまで行っても、私たちは人間。そして、彼女は吸血鬼。
仲良くはできても、同じ道を進むことはできないだろう。
それが分かっているのか、彼女も笑って答えた。
「さあね、ボクにも分からない。これからここがどうなるのかなんて、誰にも分からないよ」
「……そう、だよね」
当たり前だ。
未来が読めるなら苦労はしない。
そもそもそれならば、私が死んで……こうして幸せに生まれ変わることもなかっただろうし。
「ただ、そうだね……キミたちにはキミたちの、ボクにはボクの物語がある。それは同じものとは限らない……違うものであったとしても、罰は当たらないと思うよ。どうせ最後は同じなんだから」
「えっと……つまり?」
「ボクは、キミたちの物語を紡ぐにあたっては脇役だ。狂言回しがいいところ。せめて一つのある日を作る、その程度のことしかできない。……それでもよければ、また呼んで?」
「……うん。分かった」
よく分からないが、分かった。
つまりまあ……これからはお友達、ってことでいいのかな。
そういうことにしておこう。
「じゃあ……また来てね、ルーシーちゃん」
「うん。また来るよ、マリーちゃん。クリスちゃんにイリーナちゃんも」
「はい、また」
「はいっ! 今度その、ルーシーさんの彼女? の話も聞かせてくださいね!」
……彼女、いたのか。
いつそんな話してたっけ?
イリーナちゃんのコミュ力恐るべし。
「あはは……うん、機会があればね。それじゃ」
そう言って彼女は、開いた窓から飛んでいった。
清々しく人外っぽい……行動が鳥とかのそれである。
ドアから入って窓から出てった。
確かにこんな話、なかなか聞けるものではあるまい。
「……また、来てくれるよね」
「ええ。ルーシーさんは、約束を守ってくれる人でしょうし」
「人じゃなくて吸血鬼、ですけどねっ!」
そんな風に笑い合って、彼女を見送った。
小さくなっていく彼女を眺めつつ、そっと祈る。
彼女が、いつまでも幸せに暮らせますように。
いや、全ての生命に……どうか、どうか苦痛以上の幸せを。
偽善でも構わない。
それ以上にはなり得ない。
それでも願い、果たすのもまた、きっと私の……責任なのだ。
何ができるのかなんて分からなくてもいい。
何かをしよう。
少なくとも、一生クリスさんのヒモはごめんだ。




