終わり、始まりの話。
「──吸血鬼って、知ってるかな?」
突如私たちの前に現れた美少女、ルーシーちゃんははにかみながらそんなことを言った。
あまりにも突飛で、脈絡のない話。
それゆえに理解が遅れたけれど……吸血鬼、そのものそれ自体は知っている。
ゲームとかで見た。
「吸血鬼? それって、あの……」
「人間の血を吸って生きる不老不死の存在。まあ、概ねキミたちが想像する通りの生き物だよ」
「……それがあなたである、と?」
「そう」
イリーナちゃんとクリスさんの反応からするに、この世界にもいわゆる吸血鬼伝説はあるらしい。
まあ、元の世界とルーツは変わるんだろうけれど……それにしたってなあ。
信じられるかどうかといえば、信じられない。
「本当だよ。まあ色々あるけど……ほら」
「き、牙……?」
そう言って、形のいい口を横に引っ張って見せてくる。
人間よりも明らかに白く長い歯、文字通りの牙がそこにはあった。
確かに、ただの人間ではないようにも思える。
だからといって信用できるわけでもないが。
「……じゃあ、あの薬ってどうやって? 作った、って言ってたような……」
イリーナちゃんのコミュ力が助かる。
聞きたいことをどんどん聞いてくれるのはありがたい。
「ああ、あれね。別にそう難しいものじゃないよ? ちょっと傷を治せるお茶みたいなもの」
「それはお茶じゃないです」
ツッコミ役を奪われた。
だがしかし、あえて言おう。
それはお茶じゃねえ。
「……そんなことより、マリーちゃん? 服、着ないの?」
「んあ、忘れてた」
「忘れる……? 服を……?」
言われて気づいたが、そういえば私は服を着ていなかった。
いや、脱がされたんだけども。
「全くマリーさん、普段から着ないからですよ」
「だってクリスさんがすぐ脱がしてくるし……」
あと普段からとか誇張しないで。
たまにだから。
極稀にだから!
「……ねえイリーナちゃん、もしかしてこの子達っていつもこうなの?」
「いえいえ、むしろ今日はまだマシな方ですよ?」
「嘘でしょ?」
「本当です」
ルーシーちゃんが引いている。
めっちゃ引いてる。
いったい誰のせいなんだろうか……。
***
ひとまず適当に選んだ服を羽織り、一応格好はついただろうか。
マイナスがちょっとマイナスになった程度の違いかもしれない。
まあ全裸にロープよりはマシだろう。きっと。
「それでその……ルーシーさんは、何をしに来たんですか?」
「大したことじゃないけどね、少し話をしたいなと思って」
「話? ですか?」
いや、話したいことは山盛りだけどな。
ひとまず少々記憶を消してもらうわけにはいかないだろうか……。
「そうだね……うん。まずはクリスちゃん、怪我の具合はどう?」
やっぱりそこからか。
聞き逃せないポイントだ。
「……見ての通り、です。おかげさまで……その、ありがとうございました」
「いや、いいんだよ。……ボクにも非はあるからね」
……聞き逃せないことが増えた。
非はあるってどういう意味だ?
まさか……。
「え? それってどういう……」
「キミたちを襲った彼女のことだよ。あの子は……ボクの、友達なんだ」
「なっ……!」
友達。
言葉自体は普通だが……事情が事情だけに、背筋に冷たいものを入れられたような感覚が走った。
あの女は、私の敵だ。
ならば。
「安心して、ボクにキミたちを襲う意思はないよ。そんなことをする意味はボクにはない」
「で、でも……!」
「本当だよ。なんならそのロープで、ボクのことを縛ってみる?」
「う……」
……落ち着け。冷静になれ。
もしも本当に彼女が私たちを襲う気ならば、こんなことは時間の無駄でしかない。
いくらでもその機会はあった。
それなのにそうしなかった。
ならば、少なくとも今は信じられる。
今の彼女に、敵意はないのだ。
「でも……ボクは、あの子を止められなかった。キミたちが傷ついたのは、あの子がキミたちを傷つけたのは、ボクのせいでもある」
「……っ! それじゃあ、クリスさんは!」
「ごめんね。今更こんなことを言っても仕方ないけれど……あの子だって、悪い子じゃなかったんだよ」
「そんな……こと……っ!」
頭が熱くなる。
腹が立った。……何にだろう。
クリスさんを救ってくれたのは、彼女だ。
そして、彼女自身にはきっと敵意はない。
それは分かっているはずなのに、理性が仕事をしてくれない。
あのどうしようもなく嫌な記憶が、それを拒む。
「マリーさん、落ち着いてください」
「でも、だって!」
むしろ、なんでクリスさんはそんなに落ち着いていられるんだろう。
何よりも自分のことなのに。
自分が死にかけた時のことを、どうしてそこまで冷静に……。
「あの時、マリーさんは傷つかなかった」
「……っ!?」
「私はあの時、確かに傷つきました。死んだ……死んでいた、のかもしれません。私が今ここにいるのは、単なる偶然とそこのルーシーさんのおかげでしょう……でも」
「で、でも……?」
腹部を軽くさすりながら、クリスさんは続ける。
ひょっとしたら今でも痛むのだろうか……それは、その痛みは、私には想像することしかできないが。
「あの時私は、マリーさんを守れた。私はきっと、マリーさんの役に立てた……だから、それでよかったんですよ」
「何が……っ!」
「うん? 何がって、マリーさんを守れたんですよ?」
「な……ぇ……」
当然のように、そんなことを言う。
……いや、当然のことなのだろうか。
クリスさんにとっては本当に、それが……。
「だからマリーさん、あまり食ってかからないの。ほら、ごめんなさいしなさい」
「う……あ、ご、ごめんルーシーちゃん……熱くなって……」
「いや、いいよ。……今更だし、ね」
叱られた子供のような気分だ。
いや、クリスさんがいいなら私が怒る筋合いもないのだけれど。
兎にも角にももっと冷静に、今考えるべきことを考えないと。
……今更?
「あの……ルーシーさん、今更ってなんです?」
少し静かだったイリーナちゃんが、気になっていたそれを代弁してくれた。
今更。
やけに引っかかる言い方だけれど。
「言葉の通り。……あの子は、死んだよ」
「な……っ!?」
驚愕、沈黙。
気持ちの悪い感覚が場を覆う。
死んだ。
死んだ?
誰が?
あいつが?
「自殺だよ。大方、キミたちを傷つけてしまったことに罪悪感を感じて……ってとこだろうね」
「なん……で……」
なんで。
思わず声に漏らした言葉、そこに意味はない。
ものすごく正直に、身も蓋もなく今の気分を表すのなら……がっかりした。
ラスボスが想像していたより弱かったみたいな感覚だ。
なぜそんな気分になったのか、その過程は自分でもよく分からないけれど。
「だからどう、というわけでもないけどね。この話自体、続きはない……続けようがないから。……ただ、私がこんなことを言うのは本当におこがましいけれど……あの子を、許してあげてはくれないかな」
呆然としている私をよそに、ルーシーちゃんはそう続けた。
許す?
なぜ?
「……どういう意味ですか?」
「勝手なのは謝るよ。けれど」
そう言って……再び場が静かになる。
何かがつっかえたように言葉を止めたルーシーちゃんを、ただ眺めることしかできない。
けれど。
その先の言葉を、彼女は何と続けようとしたのだろう。
そういえば、さっき言っていた。
あいつは、あの人は……彼女の友人であった、と。
「……私は、許しますよ」
「クリスさんっ!?」
隣から聞こえた信じ難い声に、思わず声が大きくなってしまった。
想定内とばかりに意に介さず、クリスさんは続ける。
「あの人の考えたことが、全て分かるわけじゃありません。でも、あの人は……結局、マリーさんには手を出さなかった」
「な……」
それは。
「罪悪感だとか何だとか……あの人が何を考えたのかは分かりません。でも、マリーさんに何もしなかったのなら……許しますよ。私には、そこまで人を責められません」
あまりにも徹底している。
その目は本気だ。
本当に本気で、私を守れたことを……それで良かったと、思ってくれている……。
「……分かった。私もそれでいい……クリスさんがいいなら、もういいよ。それに……」
「それに?」
「……いや、なんでもない」
わざわざここで口に出すようなことじゃない。
そして生まれた小さな沈黙の隙に、こっそり思い返してみる。
あいつの言葉。
あの、嘆きを。
……ずっと、気になってはいた。
そして、見ないふりをした。
あの言葉が本当なら、クリスさんは…………。
「……ありがとね。二人とも」
ルーシーちゃんはそう言った。
それは、何に対しての感謝なのだろうか。
私にはよく分からない……分かりたくもない。
「──それで、話ってそれだけですか?」
少しの沈黙を、イリーナちゃんが再び破った。
空気を読んでいるのか今日は静かだ。
「いや、まだあるよ。むしろこっちが本題かもね。あの子が、キミたちを襲った理由についてなんだけど……」
「……何かあったんですか?」
「いや……正確なところはわからないんだ。ただ、キミたち……特にマリーちゃんは、何か聞いてるんじゃないかと思ってね」
「何か……?」
「なんでもいい。彼女は、何か言ってなかったかな?」
何か。
彼女が求めるその何かを、多分私は知っている。
目を逸らしていたことを、改めて聞かれた気分。
思いつくままに、口を滑らせた。
「あの人は……その、私がここの出身じゃないことを言って」
「ここの出身、ね。それは……『世界』に関係することかな?」
「…………」
図星だった。
やはり彼女は、知っている。
「幸いというべきか、ボクも多少はそのことを知っている。……隠す必要は、ないよ?」
「……でも」
つい、躊躇してしまう。
イリーナちゃんにもクリスさんにも……誰に対しても、未だに打ち明けていないこと。
私の生まれた場所のこと。
改めて言うのは勇気がいる。
なんだかまるで、出会った時からの全てを壊してしまうような気がした。
「……マリーちゃん? どうかした?」
……怖い。
すごく、怖かった。
それについて話すのは、『今』を全部壊してしまうことのような気がした。
今ここにいる、『マリー』という一人の人間を。
前世を知る私はきっと、他人が知る私とは違う。
もしそれで、クリスさんやイリーナちゃんが……今と同じに接してくれなくなりでもしたら?
考えるだけでも背筋が凍る。
「──マリーさん」
「ふぇっ!?」
その時、耳元で声がした。
「言いましたよ、私は。……あなたが何を言おうとも、決して私の気持ちは揺らぎません」
「あ……ぅ……?」
歯の浮くようなことを耳元で言われた。
そしてもっと小さい声で、多分私にしか聞こえない小さな声で続ける……。
「……あなたは、私のものですよ? 全部、全部、教えてください」
「ぁ……」
心の底で、何かが解けるような感じがした。
ひどく冷たくて痛い何か、私の心を縛っていた何かが……ゆっくりと、溶けていく。
そうだ……クリスさんは、こういう人だ。
「あ、ま、マリーさん! もちろん私も、ずっとマリーさんの友達ですからね!」
「イリーナちゃん……ありがとう」
イリーナちゃんもそう。
きっと絶対に、裏切られることなんてない。
なんの根拠もないけれど、そんな思い込みはどんな思考より強固だった。
それにまんまと騙されるのも悪くはない。
「……話してくれるのかな? あの時、何があったのか」
「……うん」
私、馬鹿だな。
どれだけ二人を信じていないんだよ。
馬鹿馬鹿しい。
本当、救いようもない。
目の奥がつーんと痛くなるのを、必死で堪える。
痛いくらいに心地いい。
話そう。全部。
きっと全部、受け入れてくれる。
前の私も、今の私も……きっと全部全部、好きになってくれる人がいた。
「私は──」
本当に、幸せだった。




