さ、最終回?
「…………」
「…………」
クリスさんが、手に持った手紙をそっと閉じる。
なんというかこう、臭いものに蓋をするみたいな感じで。
そして、何かを考えるように少し瞑目し……。
「……え? ちょちょちょっと、どこ行くの?」
「少々、役目を果たしに。マリーさんも、ついてきてくださいますか?」
「う、うん? 役目? まあいいけど」
手紙をポケットに押し込み、席を立った。
私もひとまずそれに続き、二人揃って食堂を出る。
いつものように繋いだ手はどこかぎこちなく、しばらくどこかに向かって歩いた後……クリスさんの方から口を開いた。
「……『アルに手紙を運ばせた』と書いてありましたよね」
「ああ、書いてたね。それがどうしたの?」
「アルというのは、昔からうちにいる使用人の一人なのですが……っと、あれですね」
あれ、と言ってクリスさんが指差した方を見る。
しかしなぜだろう、特に何も変わったものは見つけられなかった。
私の目がおかしいのか、クリスさんが間違っているのか。広がっているのは、特に何の変哲もないいつもの学園の景色だ。
そこは庭のとある一角で、年を通して様々な草木が生い茂っている。
花壇と言えば聞こえはいいが、実際のところはほぼ野生みたいなものだ。
よく見る形の広葉樹、なんか丸い低木、色とりどりの花、雑草のようで多分そうではない草、少しずつ壁を侵食している蔦、そしてそこに擬態している人間、うどん、うどん、うどん、スープ。
うん、よく晴れた日のごくごく普通な……光景…………?
「…………え?」
「さて、行きましょう」
「いやいやいやさてじゃないさてじゃない。何あれ? 何なのあれ?」
「ああ、マリーさんは初めてですよね。あれがいつものアルです」
「?????」
いや……え?
その人って忍者?
もしくはただただやべー奴?
うん、両方だな。
確かにリアルでは初めて見たよ、ギリースーツっていうんだよねあれ。
服に草や枝が貼り付けてある、あの迷彩服。
ゲームとかでもあったし、知ってはいるよ?
知ってはいるけどさ。
「ふむ……」
「いやちょっと待ってよクリスさん!?」
クリスさんが、おもむろにそれに近付く。
何この状況! 何これ!?
この世界って、ラブコメ的な甘々で百合百合な世界じゃなかったのか!?
どうしてこんなイカれたジョークに比重が偏ってるんだよ!
「アル、私です」
「私は草……私は草……私は……植物…………」
なんかぶつぶつ言ってるし!
怖い怖いよどういうことなの!
こんな思いをするのならと思って花や草になっちゃったの!?
「……ふんっ」
「ぐへあっ!?」
「クリスサン!!?」
クリスさんによる恐ろしく迷いのない右フックが決まったあっ!
いやあ、いい一撃……ちょっと待って今グキって言わなかった?
どう見ても首が人間の可動域を超えた曲がり方してないか?
大丈夫それ、生きてるの?
「全く……私もお母様もいつも言っているでしょう、公共の場でそのような格好はやめなさいと。捕まりますよ」
「ぐ、ぐふ……」
「分かったら返事をしなさい、アル」
「はい……お嬢様……」
生きてはいるようだ。
というか、クリスさんの口調的にこれが日常なのかもしれない。
節々に慣れを感じる。
どういうことなの?
どうして慣れたの??
「全く……行きましょう、マリーさん」
「う、うん……え? いいの?」
放置している。
草人間を。
……妥当な扱いな気もしなくはないが。
「あまり長く構うだけ時間の無駄です。あれにとってはいつものことですし、警備の方に見つからないやり方も心得ていますから問題ないでしょう」
「ソウナンデスネ……」
クリスさんの実家、恐ろしいところである。
ま、まあ、おかしいのなんてほんの一部だろうし……たまたま、そう本当にたまたま、あの人が変わった人だったってだけで。
一部だけを見て判断するなんて、そんなに愚かなこともないよね。うん。
そういうことにしておこう。
「とはいえ……すみません、マリーさん。近いうちに、お付き合いいただくことになるかと」
「ああいや、それは別にいいよ。この先もクリスさんと一緒にいるなら、どうせいつかは挨拶しに行かなきゃならないんだしさ」
「……そう、ですね。ありがとうございます」
まあ、その『いつか』が今だったというだけの話。
もちろん緊張はするが、それを言っても変わらない。
「ほら行こう、クリスさん。とりあえず今日の授業に出て……その後ゆっくり旅支度でもしよう」
「はい」
***
この時私は、すっかり失念していた。
自らを。
世界を。
苦しみを忘れ、ぬるま湯に浸かりすぎた……その結果が今なのだとすれば、間違いない、これは私の怠惰によるものなのだろう。
……だって……。
「うっぷ……う、ええええええええっ!」
「よしよし、よーしよし……大丈夫ですよマリーさん、落ち着いて。誰も、急かしたりはしませんから」
ぐわんぐわんと、体が言うことを聞かない。
三半規管の乱れを全身で感じる。
目がぐーるぐる、ぐわんぐわん、絶え間なく感じる腹痛はまるで内臓を吐き出すかのよう。
固形物は、もう出し尽くした。
胃液だって無限じゃない。
それでも衰え知らずの吐き気。
つまるところは。
馬車酔いだった。
「はあ……ぅぁあ。あぁあぁあ。ごめん、クリスさん……」
「いえいえ、気にしないでください。ほら、息を吸って……吐いて……」
言われた通りに、体内の空気を何度も何度も入れ替える。
外気の冷たさが心地よく、火照った体を撫でる……が、その程度で治まるなら苦労はしない。
気合いで治るなら病院はいらんのだよ。
「うぐっ……ぼげえっ」
「よしよし。すみませんマリーさん、先に聞いておくべきでしたね。……マリーさんが、ここまで乗り物に弱いとは……」
「うぅぅ……」
情けない。
馬車にはろくに乗ったことがないのもあるが、それにしても何というか限度というか。
さらに救えないのが、自分でも直前まですっかり忘れていたことだ。
もっと前から気づいていれば……それこそあの手紙を読んだ段階で気づいていれば、もう少し準備もできただろう。
少なくとも、吐き気を多少楽にするための方策くらいは取れたはずだ。
「ですがマリーさん、あと少しですよー。もう少しで着きますから、そしたらゆっくり休みましょう。きっと、お母様がお風呂の準備もしてくださっていると思いますし……」
「……三十分ぐらい前にも、同じ台詞聞いたんだけど……ねえ? 結局あとどれぐらいで着くの?」
「…………」
「く、クリスさん?」
さっと目を逸らされた。
やめてくれ、それ地味に心に来るから。
「……も、もうすぐですよ。えーと、ほら、言語化できないぐらいにすぐ……そうです! 一瞬、本当に一瞬で着いちゃいますから」
「なら目を合わせてよ……」
嘘百パーセントである。
弁解のしようもなく。
「おーい、嬢ちゃんたちー? 大丈夫かー? すまねえな、なるべく揺れないような道を選ぶからな」
御者の人のそんなのんびりとした声が聞こえる。
声は向こうまで聞こえているんだろう、多少馬車の速度が落ちた。
大丈夫、これなら……これなら…………。
「ぐはっ」
「ま、マリーさーーん! 気をしっかり! 保って! 乱さないで! 集中して!!」
少年漫画の拳法か。
そんなツッコミを入れる気力もない。
ごめん、クリスさん。
私はもう駄目みたいだ。
短い間だったけれどありがとう。
こんな私についてきてくれて。
私たちの冒険は……ここまでだ…………。
「ガクッ」
「マリーさーーーーーーん!!!」
いえ、続きます。




