ただ日常に
「あの、マリーさん」
「ん? どうしたのイリーナちゃん、改まって」
帰ってきた日常、その最初の朝。
クリスとふたりで起きて、オリバーの散歩に行って、そんな至極普通の日をのんびりと噛み締めていた時のことだった。
クリスとアンさんがそれぞれ朝食をとりに行き、ほんの一瞬ふたりきりになったタイミングで彼女は口を開く。
前にも増して天真爛漫で、それでいてどこか……いたずらな笑みを浮かべながら。
「私がマリーさんのことが大好きなのは、以前お話しした通りなのですが……」
「えっあっああうん、そ、そうだね?」
飛んできたのは火の玉ストレート。
あの時の情景が鮮烈に思い起こされる。主に見たこともないくらい複雑な表情をしていたクリスが。
まあ、婚約者が目の前で壁ドン告白を受けている場面を見たらそりゃああいう表情になるんだろうけれど……。
「それでも私、マリーさんとクリスさんの関係を変に壊したくはありません。カプ推しなので」
「どこで覚えてきたのその単語」
とはいえ、彼女の目は至って真面目だった。
真面目で純粋だった。
それだけに余計手のつけようがないとも言う。
「だから、です。マリーさんはもう少し、私に好かれている自覚を持った方がいいと思うのです!」
「……具体的には?」
「例えば今みたいにふたりきりだと、ふとした拍子に襲いたくなってしまうので……」
「さりげなくすごいこと言うね君」
どこかクリスのようでもある。
しかし彼女の言う『好き』は、私にとってまだ定義できていない感情だった。
あのめちゃくちゃな告白まがいの感情の吐露を受けて、かえって分からなくなってしまったのかもしれない。
恋というにはやや重い。
愛と呼ぶなら、何に対しての愛なのだろう。
私に対してか。
いや、彼女はクリスのことも同様に好きだと言った。
ラブとライクの中間点。
もしくは、その二つが複雑に混ざり合った形。
あえて言うならそうなのだろうか。
少なくとも私に分かるのは、彼女が今くらいの関係を決して悪く思ってはいないということ。
「まあ、襲うは冗談ですけど。それでもマリーさんは、もう少しクリスさんとの絡みを増やすべきだと思います!」
「だからその語彙はどこで覚えてきたの」
覚える経路があるとすれば、私かクリスかルーシーちゃんか。
候補が多い……。
「──持ってきましたよ、マリー」
「あ、ありがとクリス」
「……ふむ?」
「……なに?」
ふたり分の朝食を手に持ちながら、クリスは何やら鼻をくんくんさせはじめた。
……なんとなく予想はつくけれど、一応聞き返しておく。
「いえ。マリーから他の女の匂いが……」
「イリーナちゃんのことだよね!?」
言うと思った。
クリスの方も私のそんな反応を予測していたのか、一瞬にやりと笑っただけでイリーナちゃんに向き直る。
「あのね、イリーナさん。あなたの想いは尊重しますが、マリーはわたしの……」
「はい、大好きですクリスさん」
「ゔっ……い、いや……だ、だからそういうのをやめろと!!」
しかしクリスに勝ち目はなく、赤面して私に突撃してきた……気持ちは分かるが危ない。危ないって。
スープが、スープが顔にかかる……!
「……ふふ」
「こちらも戻りました、イリーナさん」
「あ、アンさん。おかえりなさーい」
「ただいま、です」
この二人は……結局どういう関係なんだろう。
恋人のようではあるが、どこか不思議な関係だ。
さっきも然り、イリーナちゃんは私とクリスへの好意を隠そうともしない。
アンさんもそれも黙認しているように見える。
まあ、二人が幸せならそれでいいんだろうけれど。
「……なんですか、マリー。イリーナさんとアンさんのことがそんなに気になりますか」
「んえ? あー、いや……」
「わたしを見なさい。十秒以上目を離すことは許しません」
「生活上なかなかきついよそれ……」
というか無理だ。
縛りプレイにもほどがある。
恋愛ゲーだってもう少し寄り道は許されるだろう。
「十秒も目を離すのは耐えられないなんてそんなそんな」
「逆逆」
「では、五秒以上で」
「認識が逆のまま縛りプレイ更新しないで」
このままいくと食事の暇すらなくなりそうだ。
首を痛める気がする。
「はぁ〜……」
「どうしたんですかイリーナさん、ため息ついて」
「供給を味わっています」
「きょ、供給……?」
……イリーナちゃんと私の立場が入れ替わってないかな。
気のせいかな。
期せずして当初とは逆の位置になってる気がする。
「ところでマリーさん。マリクリとクリマリ、どっちがいいですか?」
「本人に聞くことじゃないし、本当にどこでその語彙を覚えてきたの??」
語彙というか概念というか。
基本的には後者だろうか。
「──やっほー、みんな。今日も早いね」
「あ、ルーシーちゃん。おは……よう……?」
「おはようございます、ルーシーさん」
「おはようございます!!」
ひとり増えた。
そこはいい。
問題は彼女が手に持っているものだった。
「もぐ……んぐ。マリーちゃんにクリスちゃんも、元気そうで何より。お礼参りは済んだんだっけ?」
「ええ、一通りは。わたしの実家に巨人族の方の村、タケさんという方の隠れ家。そんなところでしょうか」
「そう。まあまた何かあったら呼んで、送迎くらいはいつでも手伝うよ……もぐもぐ」
キャパオーバーだ、誰か突っ込んで。
そう思って彼女が私たちの隣に座ってからもしばらく待機していたが、誰ひとりとして口を開かない。
奇異の目ですら見ていない。
……私がおかしいのか……?
「……あのさ、ルーシーちゃん」
「ん? なーに?」
スルーはできなかった。
彼女が手に持って、さも当然のように齧っているもの。
ピンクと赤の中間のような色で、ささくれに似たものがある独特の表面。
齧られたところから白い果肉と黒の粒々が見える、なにかの果実……。
「今、食べてるそれ……何?」
「ドラゴンフルーツだよ」
「ドラゴンフルーツですね」
「ドラゴンフルーツですね!!」
同時に返すことか。
事実を述べただけのことがどうしてこれほど奇妙に映る。
色々言いたいことはあるけど、まずそれはまるごと齧るもんじゃないだろう。
りんごじゃあるまいし。
というか前にも似たことがあったような……。
「まだあるけど、食べる?」
「当然のようにもう一つ懐から出さないで? てかどこに入ってたの??」
「アイテムポーチ」
「なにそれしらない」
いや知ってるけど。
知ってるけどさ。
概念としては分かるけど、事実としてそうはならんだろ。
「便利ですね、吸血鬼って」
「ですね!」
「そこかなあ……そうなのかなあ……」
一応今は私も吸血鬼なんだけど。
ということは練習すればできるようになるのか。
便利そうだけども。
「そういえばクリスちゃん、例のマリーちゃんを……にする魔法のことなんだけど……」
「開発は順調ですか?」
「もう少しかなあ、とりあえずキミの現在の力でも問題なく作れるように動作を軽くしてるところ」
「なるほど、よい知らせを期待しています」
助けて。
底の知れない吸血鬼と婚約者がいつのまにか謎の商談を進めてる。
しかも私の目の前で。
定期報告みたいな言い方だけど、私常にクリスと一緒にいるよね……。
「クリスさんルーシーさん、よく聞き取れなかったんですけどマリーさんをどうする魔法なんですか?」
「今のところ、……を……で……にして…………って感じ」
「なるほど!!」
聞こえん。
聞こえんぞ。
よからぬことな予感しかしない。
「いえ、マリーは気にしないでください」
「いや気になるからね?」
「以前受けた幼児化の亜種のようなものですから、心配には及びません」
「あれを心配しなきゃもう何を心配すればいいの??」
断言する、ろくなことにならない。
「大丈夫だよ、マリーちゃん。ソフィアとボクで実験してるから」
「それの何が大丈夫なのさ……」
「とりあえず、もううっかり首が飛んだりはしないかな」
「もうって何!? 飛んだの!? 首が!!?」
事件ですか事故ですか。
そのふたりじゃなきゃ即死だ。
「まあまあ」
「別にいいじゃないですか、マリー」
「いいですよね!!」
よくない。絶対に。
危機が去ったと思ったら一番の危険は身内だった。
人生ってなんだ……?




