それが一番の幸せだ
「く……クリス、さん……」
クリスさん。
クリスさんB。
かつてこの世界を訪れた、別の世界のクリス。
紆余曲折の末曲がりなりにも目的を果たし、いずこかへと旅立った彼女が……。
「お久しぶりです、マリーさん。それとそっちの私はさっきぶり」
「さっき……?」
隣のクリスをもう一度見る。
驚き、呆れ、そして当惑が入り混じったような顔をしていた。
「……先ほど、わたしはその方に救われました。と言っても唐突すぎましたし、はっきり言って幻覚か見間違いかと……」
「馬鹿げたことを……と言いたいところですが、気持ちはわかります。あいにくと事情を説明している暇もありませんでしたので」
クリスとクリスさんが会話している。
側から見ると異常な絵面だ。
ある程度事情を知っているイリーナちゃんとアンさんはともかく、タケくんとジャンさんは……空いた口が塞がらないといった様子だ。
説明を求めるような視線をこちらに送ってきているが、ひとまずそれは無視しておこう。
「な……な……?」
「ああ、そちらの間抜け面……失礼、王様」
「だ、誰が間抜け面だ!?」
「事実を言っているまでですよ。こちらでお会いしたことはありませんが、私はあなたがやったことの顛末を知っていますので」
「何を……」
クリスさんBはそのまま私から視線を外し、改めて王と向かい合った。
さりげなく私やクリスと彼の間に立ったのは……何かの意趣返しだろうか。
そういえば、結局彼女の世界はどうなっていたのだろう?
何やら大変なことがあったらしいこと以外、何も分かっていないのだけれど。
「それより、もっと機転を働かせなさい」
「……機転だと?」
「詳しい事情は置いておきますが……私はクリス、そこに立っているわたしと同じ私です。そして、吸血鬼でもある者です」
「はあ……?」
王は困惑していた。
私も同じ気持ちだった。
何をしようと、言おうとしているのか。
というかそもそもどうして彼女がここにいるのか。
「ふむ……。では、こうしましょうか」
「……え」
そんな疑問は──即座に拭い去られた。
視界から彼女が消え、代わりに冷たいものを首筋に押し当てられるのを感じる。
一瞬か、数瞬かの後、やっと状況を理解した。
クリスさんBが私の背後に回り、さらに刃物のようなものを私の首筋に押し付けている。
まるで、人質をとるように。
「なっ……何をしている!?」
「……っ! マリー!」
王、そしてクリスがそれに反応したのはほとんど同時だった。
クリスはこちらに詰め寄ろうとして、怖気付いたように立ち止まる。
押し当てられた何かが、皮膚をわずかに切る……。
「動かないでくださいね。少しでも迂闊なことをした瞬間、この方の首を飛ばします」
「な、く、クリスさ……」
「黙っていなさい、マリーさん」
「……っ」
命の危機。
そのはずだった。
けれど、何か妙に感じる。
命を握られているにしては、何か……。
「…………。あなたも、吸血鬼になったんですね」
「…………」
他の誰にも聞こえないような小声で囁かれる。
その声色を聞いて確信した。……彼女には、私を害する意思がない。
つまりこの行動には、他になんらかの意図があるということで。
「心配しないで。悪いようにはしません」
「……でも、何を……」
「私に任せて。マリーさん」
背後から、小さく深呼吸をするような音がした。
ほんの少し名残惜しそうに聞こえたのは、ただの私の願望だろうか。
「何をこそこそと……!」
「全て私がやったことです、王様。この方たちに罪はありません」
「……な……に?」
王の瞳に何らかの色が宿り、探るようにこちらを見てくる。
クリスもまた、何かに気づいたような顔をした。
「ここ最近起こった数々の事件は私の手によるもの。自らの力を誇示するためにやったことです……勝手に冤罪などかけられてしまっては困りますね」
「……何か証拠でも?」
「実演して差し上げましょうか。愚かで哀れなこの少女の体を、この場で八つ裂きにしてしまってもよいのですよ」
「それは……困るな……」
クリスが一瞬瞑目する。
どこか諦念のような、そんな視線に転じていた。
……とんだ悪役だ。
「ああ、そうそう。王様、あなたの大切な家族も預かりました」
「…………。それは大変だ。一大事だな」
「返してほしくば私を捕まえてごらんなさい。では、ごきげんよう」
背後から軽く突き飛ばされた。
彼女はというと、そのまま飛び上がってまた窓から外に出ていった……忙しないというかなんというか。
とりあえず、あれだ。
クリスに役者の才能はないらしい。
「──はあ……。とっとと帰れ」
「帰っていいの? 死刑囚なんでしょ?」
ほんの少しの沈黙ののち、心底気怠そうに王がそう言った。
念のために確認しておく。
「何を馬鹿げたことを。それはただの冤罪だった、真犯人は別にいた。今そう言っただろう」
「…………。ありがとう、王様」
「何のことだ。とにかく帰れ、私は忙しいんだ……また仕事が増える」
それ以上、言葉はいらなかった。
真っ先にクリスが歩み寄ってきて、私の腕を掴み歩き出す。
苦虫を噛み潰したような顔をしているのはご愛嬌だろう。
……王が最後ににやっと笑ったのが、わずかに見えた……気がした。
***
***
「──はあ。ルーシーさん……?」
「どうしたの、クリスちゃん」
「どうしたのじゃないですよ!!」
言いようの知れない不快感があった。
まだ生きている、それ自体は喜ばしいことのはず。
マリーと一緒にいられることは、何よりも素晴らしいこと……ただし、それはそれとして。
「いやあ、すっかり美味しいところを持ってかれちゃったね」
「誰のせいですかっ」
「ぼ……ボクのせい? ではないと思うんだけど……」
また助けられてしまった。
よりにもよって私に。
あの檻から救い出され、そればかりか問題を根こそぎ横取りし、更にはあっさりと勝ち逃げた。
わたしたちに科せられた罪を、せめて覚悟を決めて背負っていこうとしたそれを、丸ごと持って行かれた……。
「ま、まあ落ち着いてよクリス。確かにあっちのクリスさんには色々言いたいこともあるけどさ……」
「あなたもあなたです、マリー! 何をあっさりとあの女に体を許していたんですか!」
「変な言い方しないで!? しょうがないじゃん! 他にどうしようもなかったし!」
他にどうしようもなかった、それは事実。
命を救われたことは感謝しているし、認めましょう。
……けれどそれはそれ、これはこれ。
わがままでしかないのは重々承知の上ですが。
それでも、マリーはわたしが守りたかった……。
「まーまー、気にすることじゃないって」
「……ソフィアさん」
「もともとその程度のことだったんだよ。誰の罪でもなかったことを、誰かに押し付けようとした。たまたまその対象が君らだったってだけで、別に誰でもよかったんだ」
「……そうかもしれませんが……」
確かに、そういう見方もできるのですが。
なまじ命を奪われかけただけに、それだけとするのはどうも言いようのない嫌悪感が……。
「だから、これで良かったんだよ。君にとってはすっきりしない幕切れだったかも知れないけれど、それは君が事態を大きく見積もりすぎたせいだ。敵は強大な化け物なんかじゃなくて、ただの薄汚れた欲と感情。そんなものにいちいち覚悟を決めて立ち向かうほど、君たちって暇なの?」
「う……いや……それは」
……そう聞くと、急に馬鹿馬鹿しく思えてくるけれど。
でも、そんなことで片付けていい問題なのでしょうか……?
「別にいいじゃん、クリス」
「……マリー……」
「クリスが生きてて良かった。もちろん私もね。死んだって構わないって思ったけど、それでもやっぱり、ふたりで生きていられるならそれが一番いいよ」
……まあ。
「……それもそう、ですかね」
「でしょ?」
マリーと一緒なら、今死んだって構わない。
もしもわたしたちが死ぬことで、誰かの今が少しでも良くなるのなら……ふたり一緒なら、それだって悪くはない。
そう思っていた。
けれど、それはやっぱり誤魔化しだったのかもしれません。
おためごかしの綺麗事。
諦めて現状を少しでもよく見ようとするだけの、愚かな現実逃避。
まだ生きていられるのなら、それが一番いいに決まってる。
「助けられたのも、まあ……。……もう少しくらいは、感謝してあげます」
マリーはわたしが守りたい。
彼女の全て、何もかもをわたしだけで。
そんなこだわりも些細なことに思えるくらいには、前向きになれた。
「ふふ……」
「あ、でもマリー」
「ん? 何?」
──でも、それはそれとして。
やっぱり譲れない一線として。
「あなたはわたしのものですよ。どんな時であったとしても」
もちろん、こんなことは二度とごめんです。
それでももしも、また何かに巻き込まれるようなことがあったのならば……その時こそは、完璧に守ってみせるから。
「もちろん。当たり前でしょ」
***
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