もう叶わない、横恋慕
暗い、暗い場所にいる。
誰かに攫われ、閉じ込められた。
どうだっていい。
心底そう思える。
このままここで干からびて、そのまま塵になってしまいたい。
じくじくと痛む心さえなければ、今すぐにだって楽になれるのに。
何を思っても痛い、苦しい、気持ち悪い。
友達も、家族も……恋人だって、もう必要ない。
関われば関わるほど、あちこち痛んで仕方がなかった。
考えたくないのに、考えるまでもないのに、自分の惨めさが愚かさが弱さがのしかかるように心を削る。
気づけば全てと比較していた。
気づけば全てを見下していた。
気づけば全てに馬鹿にされていた。
卑屈になる心が、妄想ばかり垂れる口が、屑のようなことばかり考える頭が、嫌いで嫌いで仕方がない。
もう、誰とも関わりたくなんてなかった。
人の弱みを探す自分が。
少しでも人を見下そうとする自分が。
誰にだってそんなことを考える自分が、嫌になるから。
どうして……まだ、私は──。
「──イリーナさんっ!」
「……っ」
外の明かりが差し込んだ。
見覚えのある人影が、引き寄せられるように駆けてきて……その姿をはっきりと捉えるよりも早く、抱きしめられる。
「イリーナさん、イリーナさん……! よかった、無事で、また、あえてよかった……っ!」
「ぁ……アン、さん……?」
からからに渇いた口が、思ったように動かない。
何を言えばいいのか、それすらも分からない。
ただ、遠ざけたい……そう思って肩を押しても、まるでびくともしない……。
「放しません。離れません! せめてあなたが立ち直れるまで、側に置いておいてください! 何もできないけど、苦しむだけかもしれないけど、あなたがひとりぼっちで苦しむのは……耐えられないから……!」
「な……に、を」
「何を言っても、何をしたって構いません! どんなことをされたって、あなたを嫌いになんてならないから! だから……だから、抱え込まないでよ……!」
……頭が……痛い。
体温が、吐息が、抱きしめられる力が、彼女の声が。
全部……全部、何もかも。
「アン……さん……」
「頼ってください。いつでもいますから。一人でなんていなくていい……ちゃんと、私が……!」
……彼女は、私を好いてくれている。
善意をもって、私を肯定してくれる。
……それさえも……。
「……っ! やめてよ!」
「な……」
──うざったくて、堪らない。
「私はそんなに立派じゃない! 誰かを好きになんてなっちゃいけないの! だから、もう離れてよ!」
「な、なんで!」
苦しい。
痛い。
気持ち悪い……気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い!
「私は……私は! 私が、マリーさんを殺したんだ! いなくなってほしかったから、邪魔だと思っちゃったから! だから……私が……!」
「な……何を馬鹿げたことを! 殺したも何も、あの日から…………ぁ……?」
思い当たったようだった。
あの時、私は少しの間彼女の元を離れた。
私の、『あの日』の行動の意味を。
そしてきっと、察した。
マリーさんとクリスさんが、唐突と言っていいほどに追われる身になってしまった理由を。
「──元々、そういう話はあったんです。そう聞きました。知り合いに……ちょっとそういう所に顔の効く知り合いから、何度かそういうことを」
「……あなたに友人が多いのは知っていますが。まさか……王族の方とも……?」
別に言いふらしたりしていたわけではない。
その人と何度か話をするうち、そんな話が出た……実は自分の家系は王の側近で、いずれは自分がその地位を継ぐのだと。
それ自体、特に意味のある話ではなかった。
ただ偶然そんな話の流れになって明かした、ただのありふれた裏話。
日記にも記さない程度の、井戸端話でしかなかった……。
「悩んでました、その人も。まだ確たる証拠がなくて動くに動けない。ただの嫌疑の段階で学友を突き出したくはないから、有罪にしろ無実にしろ証拠が欲しい……って」
「それで……あなたは……」
彼女自身の言葉をそのまま使い……でっち上げに力を貸した。
曰く、彼女は異世界と呼ぶ世界から来たと。
曰く、彼女は神を知っていると。
万能薬のこと、吸血鬼のこと、彼女が転生と呼んだ事象のこと……私の知る、彼女が以前話していたことを、さも疑わしげに話した。
聞けば、彼女らの『罪』は全て不可思議な現象が背後にあったらしい。
魔法とか、そういう話。
ならばと思い、そんな眉唾物な話をした……効果は絶大だった。
私の思惑通り、彼は動いた。
結果的に、私は背中を押した形になったのだろう。
魔が差した。
そう、単純な言葉で括ればいいだろうか。
まるで一時の気の迷いであったかのように。
……いや……。
「……ずっと前から思ってたんですよ。マリーさんとクリスさん、最初どうやって出会ったか知ってますか?」
「は……はい? いえ、知りませんが」
きっと、いずれ決壊していた。
それがあの時だったというだけの話だ。
気持ち悪い、あまりに気持ちの悪い感情を。
どう考えたって道理の通らない、理不尽極まりない……嫉妬を。
そんな感情を、私はずっと前から抱いていたのだから。
「入学初日、クリスさんと私がたまたま廊下でぶつかっちゃいました。本当に優しい人で……怪我の手当てまでしてくれて。……一目惚れ、だったんでしょうか」
「……クリスに、あなたが?」
「……はい」
「そ、そんなことが……」
無論、当時そうは思いもしなかったけれど。
程なくして、クリスさんはマリーさんと結ばれた。
……心から、祝福していた。
「大好きでした、二人とも。本当に優しくて、楽しくて、二人も私を友達にしてくれた。クリスさんのことも、マリーさんのことも、同じぐらい好きでした」
「それなら……!」
「……そのはず、だったんですけどね」
「……っ」
二人が仲良くしているのを見るたび、なぜか心がざわついた。
クリスさんが笑っているたび、マリーさんが笑い返すたび、締め付けられるように痛かった。
二人は想いあっていた。
私なんか及びもつかないほどに。
きっと今でもふたりはふたりで……私は、ただの友人の一人くらいに思われているのだろう。
あるいは、仲違いした元友人か。
そんな資格すらないのだけれど。
「嫌なんですよ。嫌になっちゃった。私はこんなに好きなのに、ふたりは私よりもお互いの方がずっとずっと大事なんです」
「……だって、それは……」
「当然ですよね。婚約者ですから。分かってます……分かってますよ! だから……だからこんなこと、思っちゃいけないんですよ……っ!!」
何度も何度も考えるのをやめようとした。
ふたりと笑顔で話すことを心がけて、普通の『ともだち』になれるよう努力した。
……繰り返すたび、心は荒んでいったけど。
許されない恋はちっとも終わらず、感情を焼いていったけど。
「……では……私の告白を、受けてくださったのは」
「そうすれば忘れられると思ったんです。あのふたりみたいに、恋人ができれば。許して……いえ、許さなくていいです、アンさん。あなたのことなんて、ちっとも好きじゃなかった」
「……っ。いり、な、さ……」
案の定、こう言うと彼女は泣き出した。
冷たい風が心を撫でる。
……ちっとも好きじゃない、なんて誇張にも程がある。
まっすぐで、誰よりも私を想ってくれる彼女のこと。
マリーさんなんかより、クリスさんなんかよりもずっと、私を好いてくれた彼女のこと。
嫌いなわけがないけれど……でも……。
「分かったでしょう? 恋をするのが嫌になったから、私はあのひとたちを売りました。アンさん、あなたのことも利用しようとしました。何の役にも立たなかったけど」
「……そんな……の……」
「離れてください、うざいから。もう必要ないです。あのふたりはどうせ死ぬ、クズな私ももういらない。……さよなら」
……ほんの少し、すっきりした。
誰にも話せなかった嫉妬を、ありったけ彼女に吐き出した。
被っていた笑顔の仮面を、ばきばきにして突き刺した。
身も心も軽くなった気分だ。
死ぬほど彼女を傷つけて、心はとても穏やかだった。
今ならもう、命だって捨てられそう。
「あは……は」
ベッドを抜け出し、ふらつきながらも外を目指す。
アンさんもどうせ追っては来ない。
「はっ、あは、あははははははは!! そうだ、見に行きたいな……あのふたりが死んでるところ。それ見たら、きっと私も悔いなく死ねる、あは、はははははははは……!」
ああ、たがが外れたみたいだ。
笑いが溢れてしょうがない。
道分かんないし、おなかすいたし、ここがどこかもわかんない。
でも、死ぬまで歩けば死ねるでしょ。
生きてる理由なんてなんにもない。
こんなクズ、もう生きてちゃいけないから。
「はは……は……」
……痛いなあ。
痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い。
でも、もう、もういいや。
地獄でもっと、好きになれる人はいるかな……。
「──っ! イリーナさんっ!!」
「え? な……あぐっ!?」
部屋の扉に手をかけた。
その瞬間──脇腹に、穴の開くような衝撃が走る。
激痛が、吹き飛ばされる感覚が、遅れて頭に刺激を飛ばした。
「このクズ! クズ女! 何が利用ですか、何がちっとも好きじゃなかったですか!」
「うぐ……けほっ。なに、するの……」
的確に体の中心を捉えた回し蹴り。
弱りきった体では、到底耐えられるはずもなかった。
立てなくなった私に、アンさんが近づいてくる。
……私は、彼女に殺されるのかな。
それならいっそ、それでいいかな……。
「ひどい。ひどいですよ! マリーさんとクリスの方が好きだった? 私なんてどうでもいい? それなら私だって、あなたのことは大好きだったのに……!」
「そんなこと……言われても……」
「ええそうでしょうね! 恋なんて勝手なものです、裏切られたなんてとんでもなく身勝手な言い分でしょうよ! ……でも私は、私はちゃんと、あなたに好きって言ったじゃないですか……!」
「……っ」
……ざくりと、心を刺されるように。
確かに、彼女は私に告白をした。
……私は?
「今、好きでなくたって構いません! あなたが私をどう思っていようと! でもあの言葉を受けたなら、ほんのわずかにでも心動いてくれたのなら……ちゃんと責任を取りなさい!」
「せ……責任?」
「……っ! 私を好きになってもらいます! 一生かけて、あんなふたりに負けないくらいに! あなたがクズでも逃しません、好きになるとはそういうことです!」
「……はえ」
体にのしかかられる。
とんでもなく身勝手な要求だった。
告白したから責任をとれ、と。
……そんなの。
「分かっていますよね。……断る権利があるとお思いで、クズ女さん」
「…………ありません」
「はい、よくできました」
彼女は泣いていた。
彼女の告白に、わずかでも心動いたのは事実だった。
あのふたり程でなかったとはいえ、彼女のことは好きだった。
この先、もしかしたら……。
……ほんの少し、頭が痛くなるのを感じる。
クリスさんとマリーさんもなかなかではあったけれど。
アンさんって、もしかして……。
「……でも。それでももう、クリスさんとマリーさんは……」
「あのお二方であればどうせ助かりますよ。特にクリスなんて、あの程度で諦めるわけがありません。その気になれば、たとえ世界を壊してでもどうにかしようとするでしょう」
「…………」
……目に浮かぶようだった。
どうにかしてしまう様子が。
「行きますよ、イリーナさん。ルーシーさんと待ち合わせしていますから」
「は、はい……」
手を引かれ、半ば無理やりに引き立たされる。
蹴りを喰らった右の脇腹が痛い……。
「……イリーナさん」
「は、はい。なんですか」
アンさんは、ほんの少し気遣わしげな様子を見せた。
こんな私に今になってもそんな視線を向けてくるとは、彼女もあまりに優しすぎる……。
「どうしても気になるのなら、今私にした話をそっくりそのままあのふたりにもしてみなさい」
「え……ええっ!? い、いえ、それは……」
「どーせ振られるでしょうし、流石にちょっとは怒られるでしょうが。そんな中途半端な気持ち、私があなたを落とす上で邪魔なので……とっとと振り切っちゃってください」
「あ……う……」
……確信した。
この人も、同類だった。
「ほら。早く歩きなさい、イリーナさん。一刻も早くあのふたりに会いに……!」
「ひ、ひい……」
逃げられそうもない。
……なんでかな。
まだなんにも解決してないはずなのに。
さっきの偽りよりもずっと、心は晴れやかに思えた。
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