9,
「改めて挨拶するね」
エドは私に言った。
「僕は、エドワード・アイザックス。王太子です。そして、メアリー・ワーリントンに結婚を申し込みます」
とてもまじめな顔で、真摯な言葉をくれた。
迷う必要はない。
「はい。よろしくお願いします」
そう言うと、エドはすごくうれしそうな顔をした。
「ひとまず、婚約者からなんだけどね」
エドの笑顔にいつもの清々しさがにじむ。
私は猫の上に載せた手に握るパンが入った袋を見つめる。
「これ、いらなかったね」
朝早くから、連れ戻されることになるなら、帰ってからごはん食べればよかった。
そもそも、彼にはこういう粗末なものはいらないかもしれない。
「一緒に食べよう。何なら今、ここで食べちゃおうか」
にこやかに笑う。
「僕もお腹が空いているんだ。あまりに朝早く出ちゃうんだもん。追いかけるのが大変だったよ」
「えっ。見てたの」
「そりゃあ。監視付きだよ、君は一人で街へ繰り出してしまう女の子だからね」
そう言ってエドは苦笑する。
「もう、それはないわ。いわないでよ。ばれてないと思ってたんだから」
「ごめん、ごめん。食べようよ。一つちょうだい」
そう言われて、私は丸いパンを一つ彼にあげた。
私も一つ手に持った。
そうやって、並んで食べたら、とてもおいしかった。
噴水の前で、いつもやっている。
いつもの姿に、私はとてもほっとした。
戻ってきたら、私はエドと二人きりの部屋に通された。
くつろげそうなソファー席と丸い二人掛けのテーブル席。それ以外は調度品と暖炉だけ。物はよさそうだけど、品数が少なくて、質素な印象の部屋だった。
丸い二人掛けのテーブル席には朝ご飯が用意されていて、パンを食べてきたけど、無性にお腹が空いていて、二人でゆっくり食べながら話し始めた。
「これから、どうするの」
「お昼ぐらいまでは、僕は君と一緒にいるよ」
ふーん。と気のない返事をしてたけど、とても心臓の音は聞かせられたものじゃなかった。私は、食卓を囲む距離感に安堵していた。
食事が終わり、片づけられた。
「私はなにをしたらいいのかしら」
「それは今日の予定、それとも、僕と一緒にいる時間のこと」
「両方ね」
食事は片づけられて、テーブルはまっさらになった。
未だ使用人の何人かが遠く動いている気配はした。
「今日の予定は、お昼ご飯までは僕と一緒にいること」
「あなたの予定はそれでいいの」
「うん。試験管の三人がどうせ満場一致ならと、予定を繰り上げて時間を作ってくれたんだから、僕も時間を捻出しないともったいないじゃないか」
なんか、すごいことを言われているような気がしないでもないんだけど。私はどうとらえたらいいの。それって、二人っきりの時間が欲しいってことなの? でも、今までだってずっと二人きりだったじゃない。並んで、いつも、二人でおしゃべりしてた。
「僕と一緒にいるのは……」
エドがちらりとソファー席を見つめる。
周囲にいた使用人が、一礼して去って行く。
「あっちにお茶の用意をさせているから、移ろうか」
全体の雰囲気にのまれきっている私は、エドの言われるままに、立ち上がる。差し伸べられる手を取って、一緒に、それこそ手を繋いで、移動した。足元に猫がにゃーにゃー絡んできた。久しぶりに会えた事を喜んでいるようだった。
ソファーに座った私は、足をそろえ、両手を膝の上に置いた。
ローテーブルに置かれたのは、様々な種類のお菓子だった。
これ全部食べれないわね。半分飾りよね。食べることじゃない、雰囲気作りに用意されたものだわ。
エドがすぐ隣に座った。
へっと私は彼の方をむく。ちょっと間抜けな顔だったかもしれない。
「お昼までゆっくり一緒にいようね」
そう言って、前触れもなく、私の横に座った。下から覗き込んでくる。私は目をそらした。
「ふたりきりなんだ」
そう言うと、手が伸びて、私の手を握った。
すっと体ごと横にすり寄ってくる。密着してきて、私は思わず、横によける。さらに追ってくるエドに、徐々にソファーのはじっこまで追い詰められた。
なにをしているの。なにがおこっているの。
こんなこと、夜の宴だって始まってもいない時間に!
いや、それだと、夜ならいいと許しているわけじゃないわ。
このまま、流されてどうするの。
私は、体をエドの方へ向けた。目いっぱい両手を広げて、彼を押し返した。
「好きだっていえば、女の子に簡単にさわれるなんて思う男なんて、薄っぺらくて嫌よ」
私の精一杯の抵抗だった。
エドは目をぱちくりする。
「はは、メアリーらしいね。
そうだね。僕はそういう君の歯に衣着せぬ言葉も好きだよ」
そう言うと、少し距離を置いた。ちょっとずつ彼が後退していく。私はほっとして、体の緊張を解く。中央あたりまできたエドが、ガラスのポットに入った茶色い液体をカップに注ぎ始める。なかに緑の葉っぱが漂っている。
エドが、カップを差し出してきた。
「一緒に飲もう」
私は差し出されるままに、そのカップを受け取り、彼の近くへ寄って行った。
半人分あけて二人並んで座った。
冷たい紅茶だった。香りづけのミントも清々しい。気持ちが落ち着く。
昨日から続いていた体のコリがほぐれるみたい。
「美味しいね」
「そうだね」
「改めて向かい合うとなにも話すことが思い浮かばないわ。いつも家のことばかり私が勝手に話していたものね」
「そうだっけ」
「そうそう。猫の話もしてたけど。ここ数日は面白いことばかりで、いい人たちと出会って、とても楽しく過ごしていたの」
「それは良かった」
「僕ね、本当に、メアリーが好きなんだよ」
笑顔で恥ずかしいことをさらっと言われた。でも、まじめな顔だったから私も真摯に受け止める。
「ありがとう」
「ふざけてなんかないんだ」
「大丈夫、わかっているから」
「ほっぺにキスだけ許して」
はっと思った。きっと私はすごく変な顔をしている。
ぎゅっと目をつむった。両手を膝の上でぎゅっと握る。恥ずかしかった。
「……いいよ」
それでも、目いっぱい我慢した。
瞼を閉じた真っ暗な世界で、エドの唇が私の頬に触れた。生暖かい感触が頬に散って、もっともっと私は小さくなって、赤くなっていた。
お読みいただきありがとうございます。
明日の10時投稿で最終話となります。
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