8,
男たちが一目散に逃げていったことさえ、目に入らなかった。
私は立ちすくみ、すぐ横に立つ人を見た。私は今まで彼を王太子だと思っていた。人当たりもいい、穏やかそうな人だ。剣をふるった彼は、王太子ではない。全くの別人なの。
方や、前にいるのはエド。私の平民の友達のはずなのに。とても、身なりの良い格好をしている。
状況が呑み込めない。
これはどういうことなの。
横にいる人が王太子として挨拶していたはずなのに。彼は私から離れて、エドの後ろへ回り込んだ。ひそひそと話し、はなれていく。
エドが、猫を抱いている。猫はあくびをして、眠そうに丸くなる。エドがゆっくりと近づいてくる。猫を抱いたまま、床に落ちてしまった、パンが入った袋を拾う。
「猫を抱いているから、片手でしか渡せなくてごめんね」
差し出された袋を私は両手で受け取った。
「ありがとう」
「このパンは」
「朝ご飯よ。あと、一緒に食べようと思ったの。だから、ちょっとたくさん買ったわ」
不信感にまみれた私の心を、エドは穏やかな笑みで包み込む。
「座ろうか」
放心する私は、彼の言葉にためらいなく従った。もう、状況がまるで飲めなくなっていた。
「私、今日はあなたにお別れにきたのよ。好きよって言っておいて、結局ダメだったの。うまくいくと思ってのよ、本当に。私は、何のとりえもないんだもの。半分は平民だし。きっと論外だと思ってたの」
「うん」
エドは黙って頷く。その反応は、いつもと変わりない。
「ダメだったわ。王太子の婚約者なんて絶対選ばれないと自信があったのに。そのためには、私より素敵な人がいることが分かればいいと思ったの。
他の候補者は私なんかより長所もはっきりしてて、いい子ばかりなのよ。でも、なんで、私が……」
膝にのせた拳がフルフルとゆれる。
「それは、君が一番、その人のことが大好きだからだよ」
「どういうこと」
「僕は、僕のお嫁さんを迎えにきただけだよ」
そう言って、エドはにっこりと笑う。
「だって、私はあなたにお別れにきたのよ」
「君はお別れに来て、僕は迎えに来た。まだわからないの」
私はきょとんとエドを見つめた。
「僕が王太子だよ」
その声に、私の脳天は打たれた。
なんでと、脳内で叫んでいたのに、声は口が魚のようにパクパク動くだけに、なにも音が出なかった。
「君が選ばれる理由はただ一つ。君が、僕のことを、一番好きだからだ」
「私が……」
「そう、そして、僕も君が一番好きだからだよ」
馬車が私たちの前に走りこんできた。
「馬車で話そう」
立ち上がったエドの手に、自然と私は手をのせていた。彼にエスコートされ、馬車にのる。御者はさっき一緒にいた人だった。
私はエドと隣り合って座っている。
猫は私の膝の上でまるまっている。
私はわけもわからずにいる。
「私はどういうことか、さっぱりわからないわ」
「僕が何者かってこと」
「それもあるわ。全部と言えば全部。出来レースなはずなのに、私に秘密ってどういうことなの」
「それは、試されていたのは君だけだからだよ」
「えっ」
「試験官は、君意外の候補者だ。彼女たちが、君でいいか、値踏みしていたんだよ」
「はあぁぁぁ」
今まで落ち込んでいた私が、バカみたいな声をあげていた。
「君を婚約者にしたかったけど、なかなか通りそうになくてね。それで、試験という形で、値踏みすることになった」
「私だと通りにくいのは、血筋のせいでしょ」
「うーん。というより、素行かな。街で遊びすぎなんだよ」
「えっ。私はただ昼間ほっつき歩いてただけよ」
「それを見ているんだよ。どこにでも人の目があるさ」
「ええ、ええええええ」
苦笑いするエドに私は悲鳴をあげた。
「あんなに頻繁に街に居たら、貴族の女子から見たら不良にみられるよ」
「私、面われてないはずよ。どこの茶会にも言ってないんだから」
「だから、どこにでも目があるんだって」
「どこに!」
貴族がそうそうに街に歩いているわけないじゃない。そう叫びたかった。
「僕とか」
私は目が点になった。あなたに見つかったのが終わりってことだったの。
それは始まりが、終わりだったってこと!?
「ねえ、じゃあ。あなたは良かったの、不良にならないの」
「僕は護衛付きだから」
「あっ。さっきの」
合点がいった。
「そうそう。いつもそばにいて、市中の散策をしていたんだよ。君は、いつも一人だし、家に黙って出てくるし、明らかに素行に問題ありだったんだ。
あの子は誰と、僕が一声かければ、すぐに素性は分かるんだよ。
家は問題ないけど、半分平民。でもそれは、生まれであって、貴族の母はちゃんといる。継母で大変だったろうけどね。
血筋より、素行が、調べたら問題視されちゃったんだよ。
君のお兄さんは僕とも親しいから、すごく頭を抱えたよ」
そう言って、エドは声をあげた笑った。兄のあの物言いはすべて知ってのことだったと言うのね。
「一応、元々、今回の四人の中から選ぶ予定ではあった。その中で、僕がこの子が良いと言えば、普通は通る。そのくらいの選択権は与えてもらっていたからね。
なのにだよ。君の素行のせいで、ダメになりかけた。
僕もあきらめたくなかった。だから、考えたんだよ。
本来の婚約者決定の試験の場を、君一人の値踏みの場に変えることを」
「そんなことってあるの。あの程度で、いや、だって、私は元々平民だし、平民になりたかったのだけど。一番なりたかったのは平民じゃなくて、エドが平民だと思っていたから、一緒にいるためには、ちゃんと暮らしていくためにも勉強して、平民にならないと思っていただけで……」
「彼女たちはきちんと教育を受けた貴族の女子だ。だから彼女たちの目にかなえば、許してほしいとして僕が指示したんだ。
二日で満場一致で許しが出た。それで三日を待たずに決定できたんだよ」
私は頭を抱えた。
「……私は、私がわからないわ。私はいったい、なにをしているの」
「君は、僕のお嫁さんになるために頑張ってたんでしょ」
エドは苦笑して、しごくまっとうなことを私に言った。
そうだ。私は、彼のために頑張っていたんだった。
ものすごく、一番当たり前のことを、私は失念していた。
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