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公爵の応接室に呼ばれた。
ある意味、待ちに待った日がきたわ。
朝から侍女が私をめかしこむ。
髪をとかして、飾りあげ、レースがふわりと巻いた深紅のドレスを着せてくれる。
王太子妃を選ぶのは数日、楽器やら刺繍やら、歌やら、なんやら、まあ色々試験のようなお披露目があるのよ。その前に、前夜祭みたいな。王太子様のお顔を見るイベント。夜の舞踏会つき。本音は逃げ出したいくらいだわ。
応接室の前の扉に立っている。ここからが始まりよ。
私が、私であるために、欠かせないステージの第一幕だわ。
お嬢様は扉を開けない。
侍女が両開きの扉を開けてくれるのを待つの。
開いた扉を、しずしずと進む。
内面で何を考えていたって、どうせ表面には見えないだから。
「ごきげんよう。お父様」
公爵は満足そうに笑う。
横にいるお継母様こと、公爵夫人はまるで毛虫でも見るかのように苦虫をかみつぶした顔を向ける。しったことではないわ。
あなたも私が嫌いなら、私もあなたが嫌いよ。ちゃんと目の前から魔法のように消えてしまうわ。だからそこで今だけ黙っていればいい。
「来週、やっと王太子様の婚約者を選定するために、各家から年頃の娘たちが集められる」
私がこの家から逃れるための絶対通らなくてはいけない障害ね。
「それぞれの家から、しかるべき教育を受けた娘たちが集まり、推し量られる。王や王妃、王太子様も含めて、日々の生活からすべて見られると思ってほしい。
日常会話、食事の様子、侍女たちへの対応。すべてが試験官だ。
この十年、お前には有り余る教育を施してきた。
来週、王城へ行き、その結果を存分に披露し、王太子妃を目指してほしい。
わが家のために、拾い上げたのだ」
私は恭しく礼をする。
「幼少より、いただいてきた数々の教育。心より感謝申し上げます。
ですが、もし私が、この家にとって有益な結果を出せなかった場合は、心苦しくこの家におれません。その際は、この家から去ることをお許しくださいませ」
「そんな悲しいことは言わないでおくれ。
たとえ王太子妃になれなくても、有力な家はいくつもある。それなりの家とのつなぎとしては十分だよ」
にこやかな公爵では、話にならない。でもこういう時は、私を嫌う人がいてくれて助かるわ。
「お継母様、私は救っていただいた身。
これ以上、ここでお世話になるのは心苦しく、平民へとお戻しいただき、お屋敷を去ることをゆるしていただきたいのです」
公爵夫人はニッと嫌な笑みを浮かべる。私が去る……その響きが気に入ってくれたなら、うれしいわ。
「その望みは、結果を持って考えましょう」
まあ、この夫人から見たら、私が平民になるのも、どこぞへと嫁ぐのも、目の前から消えればいいのでしょうね。
はあ、消えるにはどうしたらいいのかしら。
すくなくとも、婚約者に選ばれない。
これが第一関門よね。
「初日の舞踏会の衣装は、とても似合っているよ。仕立てたかいがあるものだ」
「ありがとうございます」
そう深々と礼をして私は二人の前から辞した。
☆
部屋に戻り、ドレスを脱いだ。来週の舞踏会の本番まではそのままにしておかないとね。
着替えた服は、平民の服。
私はしゃがんで猫の名を呼んだ。
「シャル」
にゃーん、と鳴く声がした。
「シャル、きてちょうだい」
しなやかなグレーの毛色がきれいな猫があらわれる。
「すっかり大きくなったわね。
お前は外にはだせないの。うちで育ててきたものだから。
でも私がいなくては、あなたをちゃんと飼ってくれる人もいないの。
覚えてる。私と一緒にあなたを拾った男の子を。
彼に預けていくことにしたわ」
大ぶりなバスケットを用意して、お願い入ってと言うと、シャルは素直に中に入り込んだ。お気に入りのタオルも一緒に詰めてあげると、それを抱くようにして、うとうととし始める。
私はお屋敷を出るために部屋を出た。
侍女には、夕方までには戻ると伝えている。
問題はないはずなのに……、そこに兄がいた。
兄は高身長で細身。剣の腕もたしかで、学術も得意。王太子様きってのご学友らしい。
「どこに行く」
兄は冷静に私を見て、冷たい声音で声をかけてきた。
この人は苦手。私のことを嫌うわけでも、好くわけでもない。
「少し出かけてまいります」
「あまり外に出るのは好ましくない。この時期だ。わきまえてほしい」
「今日限りです。お父様より来週には王城へ行く旨、伺いました。今日は出かけますが、これきりにします」
「今日から出るなと言ったら」
抱いているかごの中で猫が鳴いたらどうしよう。ひやひやする。
「……すぐに戻ります。今日だけ、お願いします」
かごを抱いて少し後ずさる。
ここで猫が鳴いてくれた、逆に捨てに行くと口実ができるかしら。
「失礼します」
思い切って、兄の横を通り抜けようとした。
真横に差し掛かった時、肩をつかまれる。
上半身がせりあがり、胸が反るように上を向かされた。
なにが起こったの。
そう思う間もなく、ぐっと顎を引かれた。
目が見開いて、兄の顔が近づき、私はかごを落としてしまう。
「やめて」
兄のあごめがけて、手のひらを突き上げていた。
ぐっと兄の顔を押し上げて、逃れようと身をよじった。
落としたかごから、猫の鳴き声がした。
「なにするの。ふざけないでよ」
身を引いた兄が、目を見開く。
「それが本性か」
しまったと思ってももう遅い。
にがにがしい顔をする私を、兄が冷静に見下す。
「……そうよ」
ばれたら仕方ない。
「所詮、私は平民の娘なの。こっちの方が似合っているでしょ」
兄は、やれやれとため息をつく。
私はその隙にかごを拾い上げた。
「言われなくたって分かったいるわ。
絶対に、私は王太子の婚約者になんて、選ばれない。
選ばれるもんですか」
私はまさに悪者という捨て台詞を吐いて、逃亡した。
☆
走って走って、私は広場のベンチで待ち合わせをしているエドと合流した。
ものすごく汗を噴き出して現れたものだから、顔を見るなりエドは驚いている。
「どうしたの」
声えられないまま、胸に手を与えて、息を整える。
「あのね。しばらく、来れないわ」
単刀直入に切り出すと、エドは目を丸くする。少し、残念そうに表情がかげる。
「ちがうの。必ず戻ってくるわ。
必ず、終わったら、ここに来る。
だから、それまでこの子を預かっておいて」
バスケットごとエドの胸に押し当てた。なかでごそごそと猫が動く。
「このあいだ、一緒に拾った猫よ。
預かって。そして、これが私が必ずここに来る約束の証よ。
私はあなたがいたから頑張ったの。
目標なんて本当はない。逃げ出したいばかりで嫌々やってた。
期待と罵り。どちらも極端なの。
私のお稽古事はきっと役に立つ。平民になっても、きっと。
それがあれば、少しは稼ぎようがあると思う。
ないよりはあったほうがいい。だから頑張った。
そこにあなたがいたから頑張ったの。
勝手に目標にしてごめんなさい。
私は一人だけど、あなたは私を一人の人間として見てくれたようだった。
だからこれは、半分甘え。
私の気持ちは私が処理する。あなたには迷惑はかけない」
ここまでまくし立てて、私は息を吸った。
「私は、あなたが好きよ。
だから、必ず戻ってくる。だから、もし、その時」
エドがじっとこちらを見てて、一気に気恥ずかしくなった。
「ここに戻ってきたら……、
猫を返してもらいに来るから。
答えを……ちょうだい」
目をそらしていたら。エドの手が伸びて、私の手を握り返していた。
☆
屋敷に戻って私は決意を新たにする。
私が選ばれないために、できることは何でもしよう。
わざとらしい失敗はできない。
公爵を怒らせても思い通りにはきっといかない。
なら、周囲を褒めよう。
私以上に努力してきた女の子が来るんだ。きっと褒めるところはたくさんある。
周囲の候補を褒めまくろう
私の戦場だ。王太子に素晴らしい婚約者を選ぶサポートをして、私は私の道を行こう。
お読みいただきありがとうごさいます。
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