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1,

「ここもあそこも汚れているじゃない。まったく、もう少しまともにできないのかしら」


 公爵夫人が私を頭ごなしになじってくる。

 顔は上げない。見てはさらに激高させる。私はじっと怒りが高じて、弾けるのを待つしかない。


 忌々し気に隅から隅まで点検し、あるのかないのかわからない汚点をあげつらって、愚弄する言葉は聞き飽きている。次の言葉さえ予想できるほどに。


 平民の娘は……、二言目には必ず入る枕詞。


「平民の娘は、ダメね。何もかもすべて。ダメよだめなのよ」


 言いたいことが口にできる。そんな自由を、立場を以てしか示せない公爵夫人。

 目を開けば、生意気なと叫びちらし、手近な物を投げつけてくる。

 目を閉じていても、黙っていないで何とかいいなさいと続く。


 なにをしても気に入らない。

 喉をからして、息が苦しくなって、気が済んでから。

「行きなさい」

 その一言で終わる。


「失礼します」

 大きな声では言わない。耳に届いても怒る。言わなくても怒る。

 それでも両開きの扉を音もなく締めて、私はやっと解放される。


 いい加減、私を呼ばなくてもいいじゃないと言いたいけど、それはそれで彼女にも言い分はあるだろう。私の罪じゃない。そう言いたい。言いたいところだわ。


 私はメアリー。名前はあるけど、フルネームは言えない。

 公爵家でメイドとして働いているように見せて、実は働いていない。


 表向き、私は公爵家の娘でもあるのだ。

 メイドと娘。二つの顔を持っていながら、公爵夫人に虐げられる。


 そう、私は妾の子だ。しかも、公爵があろうことかメイドに手を出してできた子。

 だから、公爵夫人からみたら、継子で。

 憎らしいメイドに似た嫌な娘。


 虐げずにはいられないけど。

 それも児戯。

 いつまで付き合えばいいのかしら。

 本当はこんな家は出て行きたい。


 とぼとぼと廊下を歩く。疲れたと言えない。弱音もはけない。

 他の使用人から見たら、平民のくせに出生を偽った娘だもの。どこか距離を置かれている。

 

 それはそうだ。夫人からはメイドのように扱われ、公爵からは娘のように扱えと言われる。

 どっちについたらいいかわからないそう思われてもしかたない。


 泣きたいときに泣けない。もう嫌だと言いたいけど言えない。

 公爵夫人みたいに、当たり散らすようなこともできない。


 うつむいて歩いていたら。

「メアリー様」

 侍女が一人寄ってきた。

「そろそろお時間です」


 つくり笑顔を向ける。

「今日も、儀式は終わったわ。早く準備しないとね」


 部屋に戻れば、メイド服はすぐに脱ぐ。

 いつもの令嬢用の衣装に着替えれば、家庭教師がやってくる。

 その前に鏡の前に座って、ご令嬢に早変わり。


 私はいったい何者なのかしら。人間である気もしないわ。


 公爵は私を夫人の養女にしたのは、娘がいなかったからだ。

 私が産まれた頃に、王太子様がお生まれになった。いずれは妃を選ぶだろう。その時に、娘がいないより、いた方がいい。算段が組まれて、私は産みの母から引きはなされた。


 悲しいかな。私を愛してくれる人はこの家にはいないんだ。


 足元のすり寄る感触に目をやると、先日拾った猫がいた。まだ生まれたての子猫だった。もうすっかり大きくなった。抱き上げるとあたたかい。


「お前だけだよ。私のことを見てくれるのは」


 膝にのせて撫でると気持ちよさそうに鳴いた。


                ☆


 我慢して勉強して、作法を学んで、芸術を身に着ける。

 本当は妃なんてなりたくない。

 なりたくないんだけど。

 少しだけ、がんばっている。


「外へ散歩へ出るわ」

 侍女に告げると、平民に見える簡素な服に着替えた。


「行ってらっしゃいませ。夕食の時間まではおかえりください」


 元々平民の私に頭を下げるのは気に入らないかもしれないけど、侍女はそれなりに丁寧にあつかってくれる。年配の女性だし、きっと母のことも知っているはず。でも彼女はその辺はちっとも教えてくれない。


 公爵夫人の儀式と、公爵の家庭教師。それなりにこなせば、私は少しだけ自由になる。


 街へ行って、散策するのが楽しみ。

 貴族なら馬車を使うと思うでしょう。私は使わない。

 いつでも平民として暮らせるように、歩くことにしている。


 街の平民の暮らしになじむ日が待ち遠しい。


「メアリー」

 聞きなれた声が名前を呼んだ。

「エド」

 振り向けば、金髪碧眼の男の子が立っている。私と同い年。半年ほど前に知り合った。


「今日はどうしたの」

「いつも通りよ」

「お継母かあさんのことかい」

「そう、仕方ないけど、逃げ出すことも難しい。微妙な折り合いがついてのことだもの。我慢の一つや二つしていないといけないわ」


「その辺は、いつもぼやかすよね。僕は事情が呑み込めないよ」

 エドは苦笑する。


「家の恥だもの。

 口にしてはいけないわ。

 無視しなさいと言われても、無視しないではいられないの。

 だって、毎日のことなんだもの」


「それでも、毎日頑張っているって不思議だね」

「そうね。おかしいわ。

 おかしいけど、役に立つ気もするのよ。学べるうちに学んでおくわ。


 私はきっと近いうちに用済みよ。

 始めからなかったことにしてもらうの。

 病気で死にましたとか何でもいい。

 いない人間にしてもらう」


 エドは苦笑する。

「過激だなあ」


「それぐらい思っていないと、耐えられないのよ」

 はあ、と私もため息をつく。

「生まれなんてどうしようもないもの」


「そうだね、生まれはどうしようもないよね」


「平民になるのが楽しみだわ」


 エドはいつも笑うだけ。

 いつも話を聞いてくれる。それだけでありがたい。

 

 はやく平民になりたい。そしたら、きっと、ずっと彼といれるのに。



               ☆


 屋敷に帰ると兄がいた。ぱたりと顔を合わせてしまう。


「外に行っていたのか」

「……はい」

 

 冷ややかな目を向けられて、嫌だなと思う。


「あまり自由にしすぎるな。目立つだけだ」


「すいません」


 兄は冷たい。公爵夫人と公爵の長男。優秀らしく、実は王太子の友人として招かれている。


 兄は言う。選ばれても選ばれなくても、この家には父が言うほど影響はない。まったく優秀な人は言うことが違うわ。


 きっぱりと明言されるから、私も気兼ねなく、嫁ぎたくないと思って、行動できる。

 ある意味、私の希望を後押ししてくれている。

 関係ない人で、嫌いでも好きでもない人だ。


                 ☆


 公爵夫人と公爵の仲は悪い。

 

 そりゃあ、浮気した夫と一緒に食事ができない気持ちもわからないでもない。

 

 いわゆる仮面夫婦だ。


 週に何度か、そんな公爵と食事をする。


「家庭教師から優秀だと聞き及んでいるよ」


 公爵は私が褒められると喜ぶ。これで一歩一歩、目標に近づいている気になっているのかもしれない。


「教えてくださる先生がお上手なんですわ」


 そう返すと、「淑女らしく、殊勝でよろしい」とまた褒める。


 後々の生計のために頑張っているなんて、本心は言いませんよ。


「これでも王太子様の目にとめていただけるとは、到底思えません」


 表は表、裏は裏。


 きっともうすぐ王太子様が婚約者を選ぶ行事が始まります。

 それまではこんな毎日が続くのよ。


 もう、うんざり。そんな儀式終わって、早く解放されたいわ。


 平民になって、地に足つけて、生きていくんだから。


最後まで読んでいただきありがとうございます。

最終話、8月4日予約投稿済みです。

継続する励みになります。どうかブックマークと評価よろしくお願いします。

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