《書籍発売御礼》飯炊く彼女(前)
本日8月12日、富士見L文庫さまより、書籍1巻が発売です!
御礼の気持ちを込めてSS…というか、長くなってもはやLLを書かせていただきました。
前後編として2日連続投稿いたしますので、楽しんでいただければ幸いです。
貧民窟時代、礼央に酔い潰されて過去を白状させられたときのあれこれ。
(本編第4話「戻るつもりじゃなかった(4)」の詳細です)
隠密集団「烏」の次期頭領である礼央には、様々な特技を持った部下がいる。
たとえば、一撃で岩を砕く者。
五十の言語を操る者。
百の毒を作る者。
だが、
(逃げ足の速さという点では、宇航が一番だな)
そんなことを思って、礼央はげんなりしながら椅子に背を預けた。
「うぅ……っ、わらしは……っ、わらしは、とんだ、大馬鹿者よおおっ」
卓では、ぐでぐでに酔っ払った女がばんばんと拳を叩きつけている。
すっかり呂律も回らなくなった彼女は、かつては恵嬪と呼ばれていたらしい中級妃――今となっては「珠珠」とだけ呼ばれる女であった。
窓の外では、小雪のちらつく寒い冬。
夕餉の際に、ふと悪戯心を起こした礼央と宇航が、食事を共にしていた珠珠を酔わせてみた、その結果の光景であった。
「そりゃ、この数年で、怪しいとは、思ってたわよ……れもさ……れも、さあ」
ぐすぐすと鼻をすする彼女は、先ほど、冤罪で後宮を追放された過去を告白したばかりだ。
ついでに言えば、礼央たちに「どう考えても、その楼蘭ってやつが怪しいだろ」と指摘されたばかりでもある。
そこから彼女は盛大に泣き崩れ、今に至るのだった。
女の涙が嫌いな宇航はと言えば、事情を聞き出すだけ聞き出し、さんざん口出しして珠珠の愚かさをからかった挙げ句、「あ、やばい本気で泣く」となるや否や、さっと姿を消してしまっていた。
(あいつめ)
女慣れしている礼央だが、泣き暮れる女を慰めるほど親切な男ではない。
涙を流す女性なんて放っておけない、といった庇護欲を発揮する男ではもっとない。
面倒そうに溜息を落とすと、酒杯を卓に置いた。
「おい」
「いっぱい、笑い合ったじゃらいのお! あれはなんらったのよ! 馬鹿で、ぐずなわらしを、嘲笑ってたらけなのお!? もう、らにも信じられない!」
「おまえが馬鹿でグズというのは不動の事実だ。自信を持っていい。卓を叩くな」
口調だけは優しく話しかけると、珠珠は焦点の合わぬ目で「そっか……信じていいろか」と呟き、それから、びたんっと額を卓に打ち付けた。
「それ、全然、らめじゃらいのお!」
「意外に思考能力は残ってるな」
先ほど以上に激しく卓を叩きはじめた珠珠に、礼央はぼそりと突っ込んだ。
「うーっ! うー……」
いよいよ珠珠は言葉を唸り声に替え、卓を叩きつづける。
「うぅ……」
ばんっ、ばんっ。
拳の立てる音の陽気さは健在だったが、声が、叫びから静かなすすり泣きへと変わっている。
礼央は再び溜息を落とした。
「おい」
「う……」
「それ以上叩くな」
ふらつく拳が、とうとう薄い皿を割り砕きそうになったのを見かねて、腕を取る。
百年ものの名陶が砕けようと惜しくはないが、このどじな女が皿を割ると、動脈ごとうっかり切り裂きそうだった。
もちろん、血で卓が汚れることを懸念しただけで、彼女を心配したわけではない。
まったく、そういうわけではないのだが。
「腫れはじめてるし……阿呆が」
腕を取りついでになんとなく拳を見れば、着ぶくれた衣から覗く柔肌は、真っ赤になっている。
「八つ当たりの力加減もできないのか、おまえは」
「…………」
眉を顰めて呟くと、珠珠はぼんやりとした様子で顔を上げ、腕を掴んだ礼央の手に、ぴたりと頬を寄せた。
「つめらい……」
礼央の体温の低い肌が、ほてった体に快かったらしい。
もっときちんと冷やしたい、とでも思ったか、彼女は顔にぐるぐる巻きにしていた布をすべて取っ払い、乱暴に涙と洟を拭うと、改めてぴたっと頬を寄せた。
「きもちい……」
「そりゃどうも」
手の甲を氷嚢代わりにされた礼央は、肩を竦めてそのままにしてやる。
それから、とろんとした目つきで体を預けてくる女のことを、とっくりと見つめた。
素顔を露わにした彼女は、美しい。
この数年ですっかり細くなった顔と体には、「白豚」と呼ばれる要素などなにひとつなく、ただ、眩しいばかりの白い肌だけが、その名残を見せている。
その肌も今は酒精によって、じんわりと赤く染まり、黒檀のような瞳は文字通り濡れて光っていた。
淡く色づいた唇から漏れる、あえかな吐息。
うっすらと朱色に染まった目尻に滲む涙。
下手な妓女よりよほど扇情的な様子の女は、礼央の手に指を絡ませ、ふと顔を上げた。
「りおう」
「ん」
「おねがい……」
潤んだ瞳で、じっと見上げてくる。
「らいて……、ぜんぶ、わすれても……いい?」
そのあまりの威力に、さすがの礼央も、一瞬息を呑んだ。
「――へえ」
つ、と、親指で頬を撫でてみる。
珠珠の肌は吸い付くように滑らかだ。
この女と、今すぐどうこうなるとも思っていなかったが、向こうから飛び込んでくるのなら、断る道理などない。
礼央はゆっくりと、女の耳元に唇を寄せた。
「いいぜ」
外は、粉雪。
肌を温め合うなら、ちょうどいい――。
「あざまァすっ!」
ごっ!
だが、それまでの雰囲気をぶち壊す勢いで頭突きされ、これには彼も思わず息を詰まらせた。
頭突きというか、彼女としては、頭を勢いよく下げただけだったのだろうが。
「ああ?」
「宝 珠麗! 米を、らきます!」
なぜか、ばっとその場に立ち上がり、勇ましく腕まくりをしながら炊事場へと降りてゆく。
その後ろ姿を見てようやく悟った。
彼女が言いたかったのは、「抱いて」ではなく、「炊いて」であったらしい。
ふらふらとした足取りで釜を掴むと、そこに、猛然と米を注ぎはじめた。
続きは明日の20時に!
なお、カクヨムさんでは「飴の代償」というまた別の貧民窟時代SSを投稿しております。
こっちはもっと長くて1万字近く…。
よければ合わせてお楽しみください。
↓このページの最下部から入れるはずです!
◆カクヨム版 「白豚妃再来伝~後宮も二度目なら~」
書籍刊行SS:飴の代償
https://kakuyomu.jp/works/16816410413901782228




