真琴の魔法
そうした酒場はどんな辺境の港であっても一つくらいは必ず見つかるものである。
見つからなければ、と言うよりそうした酒場を見つけられる様になって初めて、自由交易船船長としての第一歩を踏み出せる準備が整ったと言えるのだ。
港湾組合だの商会支店だのに頼り切りでは絶対に一人前には成れない。
彼女は扉を開けて一瞬で店内の状況を把握し、カウンターに座る大柄な男の横顔に視点を定める。
光の加減で青味がかって見える銀髪に赤銅色の肌。
正面から見れば、時折ぞっとするほど冷たい色を帯びるアイスブルーの瞳をしているはずだった。
(相変わらずの良い男っぷりだわ……)
などと感心してるのか呆れているのか良くわからない呟きを心に留め、もう一度店内の様子を確認し直す。
もちろん店内に居た男女も同様に、彼女が入って来た瞬間ある者はちらりと一瞥し、ある者はグラスの反射を使い、またある者はアミュレットや魔道具や護衛のホムンクルスや使い魔を使って確認してくる。
驚く顔はあっても、彼女が警戒される事はまず無い。
N系やE系と呼ばれるモンゴロイド系の人種、それも純血種と思われる顔立ちであり、コーカソイド系やネグロイド系からすると驚くほど幼く見えるためである。
ただ稀に、美しい黒髪を短く揃えた人形のような可愛らしさと、何処までも深く大きな漆黒の瞳に宿る、鋭い眼光とのギャップが見る者を混乱させる事がある。
作り物めいた造形に対してあまりにも生気に満ち溢れた瞳が見る者の心を動かすのだ。
なんにせよ、こうしたやり取りに今更怯むような彼女では無かったし、胸で輝く帝国商船組合連合会の船長徽章を見てまで、彼女に要らぬちょっかいをかけて来る者は先ず居ない。
それでも彼女は慎重に、腰に下げた火精銃の重みを確かめ、カウンターの男の元へと大股で近付き隣に座る。
「とりあえず生」
「あいよ」
彼女の動きに合わせてナッツとコースターを置いた初老のバーテンの前に、鈍色の帝国銀貨を一枚置いて生ビールを注文する。
「相変わらず忙しそうだな」
「あんたは暇そうね」
「俺が忙しくなったら大事さ」
「違いないわ」
二人は彼女のビールを待つ間に交わした台詞が、ここ四回の邂逅と全く同じであった事に苦笑する。
視線を交わした彼女がナッツをつまむと、二人の雰囲気がガラリと変わって軽くなった。
「それで一体今夜は何の用?」
「仕事がある。なに、危険は無い。行って帰るだけの簡単なお仕事だ」
「……リチャード、リチャード。それを私が信じるとでも? ……もう一杯ビールを。こいつにはミルクなんとか」
「真琴、おい。――親父、ミルサーワンだ」
出されたジョッキのビールを一気に飲み干し、即座にお代わりである。
少女のような容貌と形であるのに、台詞と態度と行動はまるで一端の船乗りのそれである。
「真琴、ミルサーワンだ。覚えろ。宇宙一のラムだ」
「で?」
真琴の台詞に再び苦笑したリチャードが少々鬱陶しくなりかけた髪を掻き上げ、ショットグラスを空にして姿勢を正し真琴を見つめる。
「運ぶのはウチの陸兵一個小隊三十八名と、ホバーにバトルスーツに武器と弾薬。三百トン(水素トン)未満だと思う。目的地はディエゴ自治領のメッソ・ラナ星系。第二惑星のアンジェリナ。アンバー・ゾーン(他にグリーン=安全、レッド=危険の指定がある)だが安定している。期限は三ヶ月だ」
「報酬は?」
「六十万クレジット」
一ヶ月に二十万クレジット。
破格であった。
それだけに慎重になったらしい。
左腕のタリスマンに触れ魔法陣を展開すると、指先で情報窓を操作して星系図と星系案内を確認する。
リチャードの台詞に嘘は無いらしい。
航程についても無理はないが、そうすると破格の報酬の意味がわからない。
「他に何を隠してる?」
「……ディエゴ伯爵とボルデ男爵の間がきな臭い。私掠許可証を乱発してる」
ふぅ、とため息を吐いた真琴にチューハイとショットのミルサーワンを注文するリチャード。
「受けてくれるか?」
真琴からすると、正直言えばこの依頼は断りたかった。
片道四十六パーセクで約一五〇光年。
真琴の船は六階位の転移魔法を展開可能であり、個人所有の自由交易船としては十分過ぎる程に高速と言える部類の商船ではあったが、仮に最適航路が存在しても八回の転移を必要とし、転移可能ポイントへの往復が四日から十日、魔力や水素その他の燃料補給で数時間から数日、つまり最低でも約八週間の航海となる。
端末の|擬似侍従<人工精霊>によれば最適化しても九週間の航海で、これに補修・整備その他の時間は含まれない。
(これは、意外と厳しいかな?)
表情を変えないまま、様々な計算と共に断り文句を思い浮かべる。
(往復で半年。定期点検は済ませたばかりだし、クルーの休暇も明けたばっかりなのよねぇ? 半額は前金で貰えるだろうし、武装も先月更新したし?)
確かにきな臭い仕事ではあったが、非常に断り難い。
どうせ真琴の状況についても知っているに違いないのだ。
何より目の前にすわる男。
その瞳が悪かった。
歴戦の傭兵艦隊を率いるオーナー司令官だというのに、何処か仔犬の様な眼をしているのである。
「――十週間で六十万クレジットかぁ……。もう一声いけない?」
「無理だ。だが真琴、お前とあの船なら、往復の航路で十分利益を出せるだろう?」
そう言われて再び考え込んでしまう真琴。
時間的には確かに厳しいものがある。しかし全く余裕が無い訳でも無いのだ。
船倉にも船室にも十分な余裕があるし、約十週間の航路が決まっているなら三週目くらいからは、寄港予定に合わせた先行予約の受け付けも可能だった。
私掠船が問題と言えば問題であったが、真琴の船を深宇宙でインターセプトするのは至難の技であるし、惑星近傍であれば警備艦隊の一つや二つはいるはずである。
出されたチューハイをまたも一息に飲み干し、大きくわざとらしい溜息を吐く真琴。
「なんだかリチャードには何時もこうやって乗せられてる気がする」
真琴の了承の頷きとボヤキにニヤリと笑って手を伸ばすリチャード。
「契約書は船に送っておく。前金は半額だ。振り込みを確認次第連絡をくれ。兵と荷物を送る」
「わかった」
握手を交わした途端に目を皿の様にして航路図を確認している真琴に、思わず苦笑してしまうリチャード。
指先でバーテンを呼ぶと真琴にチューハイをもう一杯注文してから多めのチップを置いて席を立つ。
立って見るとリチャードという男が二メートル近い身長である事がわかる。
座って酒を楽しんでいた時とは別人の様であった。その鋼の様な体躯が動くだけで、周囲を戦場に変えてしまいそうな男なのだ。
軽く目線で挨拶を交わしたバーテンがため息を吐き、こんな男と対等に、というよりこんな男を仔犬のような雰囲気にしてしまう真琴を眺めて苦笑する。
「マコ、教えてくれよ、あんたアイツとどんな関係なんだい?」
「はぁ? どんなって、商売仲間?」
どう見てもそれだけでは無いだろうと思うバーテンであったが、真琴は真琴で考え事の邪魔をすると怖いのだ。
いつの間にか空になっているグラスを取り替え思考する。
(一番わからんのはやっぱりこの娘だよ。N系の生ビールだのチューハイだのが、今じゃこの店どころかこの星の名物だもんなぁ……)
少なくなってきたカクテル用のフルーツをカットしながら苦笑する。
と、十分程悩んで航路選択を終えたらしい真琴がチューハイを飲み干し、立ち上がるとチップを置いて手を振ってきた。
孫娘でも居たらこんな気分になるのだろうかと、手にしていた甘ったるいフルーツを投げ渡す。
一瞬驚いた顔をした真琴に満面の笑みで投げキスされて、再び苦笑するバーテンであった。
なんとなくトラベラーっぽいお話が書きたくなったのですが……トラベラーのルールブックが見つからない……特に偵察局……どこにしまっちゃったんだろう……?
カクヨムにも投稿するかも?