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1,000数えるまでに君にキスしたい  作者: 桐生
冬の風景
25/25

025:「かいろ」「くりすます」「かに」

 私の目の前で、いい匂いを放ちながらくつくつと鍋が煮えている。

 テーブルの向こうにいる彼は、鍋の中から無造作に具をよそうと私の前に器を置いた。


「どうぞ」

「一つ聞きたいんだけど、なんでクリスマスにカニ鍋なの?」

「この前に小林多喜二を読んだから」


 器からはみ出す蟹の脚にため息を吐きながら、全くいつも通りだと私は思う。

 何も気に留めた様子もない彼の顔を見ていると、そう古くない私達の出会いが思い出された。


 あれは秋頃、大学の食堂で私が座った席の隣の椅子に残されていた本がきっかけだった。

 ぽつんと置いてある、今読んでいる純文学と同じ本。それに気付いて手に取った私の前に現れた、眠そうな目の青年。

 あまり他に読んでいる人を見ない作品だったから、私は本を手に戻ろうとする彼につい話しかけていた。


「貴方は本が好きなの?」

「それ以外に趣味がなくてね」

「その本はどうだった?」

「僕は好きかな。定期的に読み返したくなって、何度も読んでる」


 それから二人で軽くその本の感想を語ると、彼は満足した様にゆるゆると去っていった。

 私は彼から聞いた自分とは違う視点の感想に興味を惹かれ、彼が食堂にいる時は話しかける様になった。


 そして、私達は親しくなり――気付けば、クリスマスにカニ鍋を囲む仲になっていた。

 眠たげな目をした変わり者の文学青年。登場人物の機微には聡い割に人として鈍感でゆるい彼は、理屈屋で頑固な私にはとても合っていたのだろう。

 互いに好意はあるだろうが恋人ではなく、かといって友人にしては親しすぎるこの関係を表わす言葉はなく曖昧なものだ。

 世間からすれば些か色気のないクリスマスに、私は少しだけ落胆しながらもこの時間を充分に楽しんで二人で鍋を平らげた。


 後片付けを手伝ってから終電の時間を確かめると、帰り支度をして彼の家を出る。

 先に出た彼は夜空に見上げて目を細めると、私に何かを渡してきた。

 その手渡された温かいものを見ると、よくコンビニで売っている様な使い捨てカイロだった。


「クリスマスプレゼント」

「クリスマスなのに、プレゼントが使い捨てカイロとか寂しすぎない?」

「そんな事より――月が綺麗ですね」

「そうだね、月が綺麗だ」


 そんな話をしながら、駅でなんだか物足りなそうな彼と別れた。

 今日も楽しい日だったと電車に乗りながら思い返していたその時、不意にあの古典的な言葉に気付いて愕然とする。


 握り締めた、彼から渡されたカイロがいつまでも熱かった。

第一部の最終話は僕の敬愛する物書きでいらっしゃいます朱羽様による代筆で終いましょう。

作風を寄せて書いてくださる愛の深さよ……!

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