013:「つらら」「かーてん」「たまご」
今日を最後の日にしよう、と思っていた。
カーテンを開けて流れ込んできた冷気に、思わず身震いする。
もう、こんなに苦しい思いをしたくなかった。
自分を誤魔化して綺麗事を言うとすれば『若い彼の時間をこれ以上邪魔したくなくて』私は今日貴方に別れを告げるのだ。
ワンルームのアパートの、狭いキッチンで二人分の朝ごはんを用意する。
ウインナーを焼く横で、フライパンに卵を二つ落とすと、ゆるりと動いて繋がってしまう。じわじわと焼かれていくのを見つめながら、いつ話を切り出そうか、と迷う。
きっと貴方は素直に承諾するから、私が言えばそれで終わりになってしまうから、どうしても今日まで言い出せなかった。
フライ返しで卵を切り分けて、配膳する。
貴方の好きな、薄目のブラックコーヒーもつけて。
陽に透けて明るく見える柔らかな髪を撫でて、細い腰に腕を回して抱き寄せる。
そろそろシミの浮き出てきた私の肌とは違って、滑らかで傷ひとつ無い、まだ若い肌。薄く生える無精髭も愛しく思ってそっと撫でると、貴方はゆるりと目を覚ます。
「おはよう」
貴方の記憶の片隅に残る私がほんの少しでもマシに見えたら良いと思って、私の記憶に貴方ができるだけ長く残れば良いと思って、貴方の髪を撫でながらそっと抱きしめる。
少し前の記憶がふと脳裏を過ぎる。
「僕のどこがそんなに好きなんですか」
そう言って困ったように笑う、貴方の顔が愛しくて、私もつい笑みを浮かべる。
「みんなに優しいところ」
「そんなところが好きなんですか?」
珍しく、少し驚いた顔。
「……嫌いよ」
「…………」
「……嫌い」
殊更ににっこりと笑顔を作って、念を押すように重ねて言ってあげる。
大嫌いなの。みんなに優しいところも、私が寂しいときに逢ってくれるところも、貴方の内面に踏み込ませてくれないことも、私を束縛しないところも、嘘くさい笑顔も、優しい言葉も。
貴方を好きでいる間、ずっと苦しいままだった。
貴方の全てが手に入らないなら、
貴方の全てが要らないので。
「私、もう貴方と逢うのは」
──やめようと思うの。
言った途端に取り消したくなる衝動を堪えて、貴方を眺める。
聞き分けの良い貴方は次に外で会ったときにきっと、何もなかったように優しい後輩でいてくれるのでしょうけれど。
窓から、曲がり角を曲がっていく貴方を見送って、
軒先のつららに朝陽が反射するから、眩しくて目の奥がジンと痺れる。
ハッピーエンドが家出しました。




