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ことはじめ

 ラダサの国の首都から馬で四日ほど南下した先にあるモノニ庄の西端にぽつねんと残された夕焼け横丁の入り口の横にある水銀屋の馬面親父がいつも悩ましげに見つめている香木煙草屋の看板の下でガラスの鈴をかき鳴らすような声を張り上げて新聞の売り子をしているバンシーのレラがいつも帰りに寄る砂絵師のアトリエとは名ばかりの古ぼけた木造長屋の裏にそびえる根元では四本なのに傾いだ三角屋根は三つしか数えられないねじくれた塔が目印の館と呼ぶには少々手狭で汚い陋屋の外れかかった門をくぐってどんよりと湿った階段を上った先にある七つのドアの中でも緑とピンクの配色が絶妙に気色悪いドラゴンの装飾が施された扉を押し開けて突き当りの部屋の中の竈でイライラとはじける炎にかけられた鍋のふちで濃褐色に輝くスープの照り返しを受けて魔女がぞんざいにまとめられた三つ編みの先を噛みながら喜色満面の笑みを浮かべた時、パーキングはいつにない強烈な怖気を覚えた。こういう時は大抵、こちらが身構えるよりも早く、例えば「ナメクジに翅をはやしてキャベツ畑に放してやったら、みんなどれくらい驚くかしらん」なんてろくでもないセリフが飛んでくるということを、彼女と結婚してからの三か月で嫌と言うほど学んでいたのである。

「タマナ」

「なあに?」と答えた途端、咥えていた髪の端が糸を引きながら垂れ下がり、パーキングはいよいようんざりとした表情を浮かべる。ごぶ、とちょうどその時音がして、鍋の端に引っかかっていた何らかのしっぽが沈んでいった。

「今度は一体、何を企んでいるんだ?」

「そうだねーえ」

 ちょっと首をかしげてから、「脛毛を」と口にした。

「いや、あれは前にやったから面白くない。とすると、他の毛は何があったかしらん」

「いいか。まず毛から離れろ」

 薬液のしみ込んだ床を足先でこつこつとつつきながら、三白眼気味の目を一層鋭くして彼女を睨む。「そして手を止めて、しっかりこっちを見るんだ」

 そういわれてパーキングの方へ振り向いた魔女は、いつものようにへらへらと口を開きかけたが、少し考え直して、何も言わずにじっと彼の目を見据えた。そうやってきちんと立つと、タマナは彼よりも頭一つ分背が高いので、自然、丁寧に撫でつけられた彼の髪を見下ろす形になるのである。彼女はそうして彼を見下ろすのが好きだった。パーキングが忌々しげに魔女を見上げる、その不満げな雰囲気を大変気に入っていたのである。彼女は少々歪な形で、年下の夫を可愛がっていた。

「なあに」ともう一度、今度は甘ったるい猫なで声で繰り返すと、パーキングの目つきはますます険しくなる。咳払いを一つすると、彼はぐいと顎を上げて魔女に向かい合い、

「いいかい。君が何を企もうがそれは自由だ。けれども、それがいったいどんな影響を及ぼすのかを、一度でも真剣に考えてから実行したことがありますか」

「ない。そんな面倒なこと、したくもない」

 二進法できっかり一〇数えてから、パーキングは大きく息を吸った。

「それじゃあ、これからはまず考えてから行動してくれ」

 そうねえ、と口に指先をあててしばらく考えるふりをした後、やにわに魔女は艶笑を浮かべながら彼の手をぎゅうと握りしめた。

「それじゃあ、アナタが毎朝『愛してる』って言ってくれたら、アタシも考えてあげる」

「絶対に御免だ!」

 山猫のカルナボーンが月まで届く気球を欲しがったのは、ちょうどそんな日の朝方の夕暮れだった。


 ●


 カルナボーンの夜間旅行を語る前に、まず彼の依頼を受諾した変人について話した方が良いだろう。

 タマナは魔女である。凶星が接近する度に生まれた五人の魔女姉妹の三女で、家族の中では最も魔法の才に欠けている。朽ちかけた大木のような焦げ茶色の髪を、大体いつも三つ編みにして、すり切れた真黒なローブと奇妙に傾いだ三角帽子を目深に被って、得体の知れない鍋の中身をかき回すステロタイプの魔女で、人一倍背が高くやせぎすなその外貌を指して「春になってもまったく目の出る気配がない若木」と言った砂絵師はそれから三日間アトリエの外に顔を出さなかった。いつかの水銀屋みたいに蚤に変えられたとか、いやレラがやられたみたいに喉をヒキガエルのそれにされたんだとかいろいろな噂は立ったが、四日目の朝に髭も剃らず目ヤニも取らずに軋むアトリエのドアを開けてふらふらと歩きだした途端大文字に倒れて「毛が、毛が」と呟きそのまま動かなくなったという惨状を見る限り、ろくでもない目に会ったことはまず間違いない。一族の内では出来そこないでも、(まじな)いに関する彼女の実力は、横丁の住民を恐れさせるには十分すぎるものだったのである。夕焼け横丁に越してきたその日のうちに、「名前の通りじゃないから」と言う理由で、横丁に昇る太陽の運行を狂わせて、文字通り夕焼けと夜しか訪れない土地に変えてしまった、という事件が、魔女の実力と性格を一番端的に表わしているだろう。彼女に言うことを聞かせられるのは、夫のパーキングだけだと思われていた。彼女は商人一家から婿入りしてきた十六歳の夫に対し、実に分かりやすく惚れていた。

 では、当のパーキングはどう考えていたのかと言うと、実を言えば、彼こそが最も彼女を恐れていたのである。もちろんそんな素振りはおくびにも見せなかったが、一介の商人の息子でしかない自分に、魔法への対抗手段があるわけがない、それでも弱みを見せてしまえば、そこから付け込まれると考えていたので、魔女の前では常に虚勢を張っている。タマナはそれを十分承知の上で、彼に従っているきらいがあるが、そのことを見抜けるほど、パーキングは世慣れしていなかった。商人の家の出だけあって、金銭に対してはかなりうるさい。倹約家というより、吝嗇家という方がふさわしいだろう。タマナの魔女家業を良くは思っていないものの、それでも続けさせているのは、婿養子という立場の弱さもあるだろうけれど、なにより報酬が良いからだと思われている。彼もそのことを否定したりはしない。一重瞼の三白眼で、決して小さい方ではないものの、妻よりも背が低いことをひどく気にしている。彼女に対してだけではなく、相手する者全員に対して、少々高圧的な態度をとろうとするが、内心は臆病である。一人でいると、意味もなく独り言を喋りだす癖がある。沈黙に耐えられないのである。

 この二人については、上記以外にも様々な癖や嗜好があって、中にはそれ一つだけで一本の話になるような奇抜なあれこれも含まれているのだが、とりあえずそれは次の機会に書かせていただくことにして、まずは山猫の星間飛行について話してしまうことにする。


 ○


「気球と言いますと」

 トラ縞の山猫が頷くと、西日の射しこむ部屋の中に、仄かな薬草の香りが広がった。タマナが眉をひそめて、袖で匂いを払おうとするのを制しながら、パーキングはあまりよろしくない笑みを浮かべた。ここら一帯の変人どもに似つかわしくない身綺麗な恰好と言い、説教臭い所作といい、どうも今度の依頼人は聖職者らしい。とすると、これはかなりのチャンスかもしれぬ。わざわざ反目する魔女のところへやってきたのだから、持ち込んできた依頼は大方、教会内部で処理しきれないような大事だろう。また宗教家というものは、個人では動きが鈍いものだ。一人で来たということだが、おそらく彼は旅慣れしているということで本部から派遣されてきたに違いない。とすれば、上手くやれば彼を伝って教会そのものから大金をふんだくることが出来るやも知れぬ。やあ、これは大口の注文になるぞ、とこれだけのことを再び口を開く前にざっと考え終えて、

「どういった型のものをご所望でいらっしゃいますか?」

「一人用の小さなもので結構。乗るのは私ひとりですから」

 きっぱりとそう断言すると、少し声を落として、

「あまりことを大きくしたくないのです。これは私個人の試みですから」

「でもあなた教会の人でしょ」

 不満げな声を上げたのはタマナである。髪の先を中指と薬指で器用にいじりながら、

「勝手なことをしたりして、上から目をつけられたりしないの? アタシ嫌よ、枢機卿の人たちとやりあうなんてことになるの」

 タマナ、と語気も荒く彼女を睨むパーキングを、莞爾と笑いながらカルナボーンは止めた。

「その点はご安心を。私は破門された身ですので」

「あ、そう。それなら平気ね」

 俄かに機嫌を直した魔女とは対照的に、パーキングの方は貼り付けた笑顔を保つのに苦労していた。除名済みの元司祭なんて、貧乏人の代表格ではないか。頭の中で積み上げられた報酬金が、音もなく崩れていく様子が目に見えるようだった。

「一人用の気球ね。面白そうだし、アタシは引き受けてもいいけど」

 不意に、タマナが睨むようにしてこちらへ妙な視線を送りだしたので、パーキングは大いに困惑した。どうやら流し目のつもりらしいということに気付くまでしばらくかかったが、ややあってため息を吐くと、

「一応お引き受けいたしますが、費用の方は少々割高になります。ご覧のように我々は」

 と、冷ややかな横目で魔女を見据えながら、

「あくまでも魔法を専門に扱っておりまして、気球の製作経験なんてものはありませんので」

 するとカルナボーンは、元聖職者の面目躍如たる落ち着いた様子で、けれども神経質そうに服の裾を払うと、暖炉の近くに長らく放置していたせいで、ところどころ焦げ付いた応接室の椅子に、もう一度深く座り直した。

「『凶星の訪れとともに生まれ落ちたる五人の魔女姉妹。その三女にして奇想天外斬新奇抜才気煥発日曜祝日 一度(ひとたび)腕を振るえば日輪の巡行を止めその魔力は天蓋をも穿つ』と、表の看板にあったようですが」

「それは宣伝文句と言う奴です。あんなもんを頭から信じる奴ぁ居ないでしょう」

 ぬけぬけとそう言い放つパーキングを、山猫はじっと見ていたが、しばらくしてため息を吐いた。


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