すべてはあなた一代限りの人生道中記
あなたの人生
それがたとえどんだけ
華麗で
名声に包まれようと
或いは逆に
悲惨で
自滅人生であろうと、
それはすべて1代限りです。
あなたの人生はあなたでオシマイなのです。
あなたの人生を誰かが、、
たとえば、、子供が、、子孫が
引き継ぐなんてありえないのです。
なぜなら?
あなたはあなたしか存在せず
あなたを誰かがマネ?するなんてムリだからです。
あなたはその非凡さで
華麗さで
或いは逆に
その平凡さで
凡庸さで
誰にもまねできないような
そう、、
あなた自身という個性です。
あなたの人生はあなた自身ですべて終わり。
誰もそれを引き継いだり
出来ないのです。
たとえ、実の子供でも不可能。
というか実の子でも全くあなたとは別人格です。
実の子による、両親殺害、、なんて悲惨な事件がしばしばあるのは
実の子が全くあなたとは
個性も、人格も、徳性も、別人だからです。
実の子だから心が通い合えるはず?なんて
幻想です。
親子と言えど、その個性や人格は全くの別人ですから。
そこを間違えると、親殺し、子殺し、、等の
決定的な、破局が到来するのでしょうね。
まあ、ごく簡単な実例を挙げるなら
親は超有名な大作家でも
じゃあ、子供も大作家かと言えば、
呑んだくれのバカ息子、、という例もありますしね。
その逆に
親は、一介の無知無教養のおっさんでも
子供は、有名スターなんて、ありますよね。
つまり
親子なんて、関係ないということです。
結局は本人次第。
あなた次第だということです。
イエスキリストがそれまでの平凡な大工生活を30代で突然辞めて
「荒れ野に呼ばわる声がする。悔い改めよ、神の国は近い」などと
言って、伝道者に激変した時
親類縁者はびっくりして、イエスは気が狂ったといって
嘆いたそうですね。
所詮親子とは、生物学的な、親であるだけで
じゃあ人生において
あなたがどう生きるか、
あなたの人生をどうするか
というときには
あなたが自分で決めるしかないということです。
そういう意味で、すべてはあなたの決断であり
あなただけの人生であり
あなた1代限りなのです。
あなたはあなただけの人生を歩み
そうしてある日死んでゆく。
そのあなたの人生を子供がトレースするなんて
ありえないのです。
というかトレースするべきものでもないのです。
じゃあ、
親子代々、家業を受け継ぐ、、というのは、
どうなのか?
実は自己矛盾めきますが
それも、逆のいみで、、
アリなのですね。
全くの別人格である、子供が、孫が
「家業」というキーワードで、別の人生を歩むという風に
とらえるべきでしょうね。
つまり家業は、、屋号は、、同じでも
中の運営者は、全く別人だという事実です。
そういう意味では、人生はやはり親と子では
全く違うということですね。
要するに
すべては一代限りです。
同じように見えても?
実はよく見れば全く別の人生なのです。
私の人生は私だけの
1代限り。
あなたの人生も誰もそれを引き継ぐなんて不可能な1代限りの人生です。
明治時代のバリバリの愛国者で日本主義の先祖が
その玄孫がなんと外国人と結婚して
外国に骨をうずめた、、なんて聞いたら?
腰を抜かすでしょうよ。
時代は変わる
考えも激変する。
そしてあなたの孫も
あなたの死後に
どんな人生を歩むか、
なんて、あなたには全くの無関係?なんですよ。
人生は1代限りでオシマイ。
あなたの考えを受け継ぐ子孫もいないし
あなたの人生をトレースする子孫もいない
ということです。
孫や子供が
どんな人生を歩むか?
それは孫や
子が自分で決めればいい事、
そんな先のことまで
あなたにはなんの責任もありません。
というか、責任取りきれないでしょ?
あなたが死んだあと
100年後には
子孫がどうなろうと、
子孫が絶えようと
子孫が犯罪者になろうと、
そんな先のことまで
あなたに責任取れますか?
不可能ですよね。
そういうことです。
あなたはあなたなりに精一杯生きればもう十分です。
やましいこともせず
倫理に悖るようなこともせず
その時代
その時代の
中で精いっぱい生きれば
もう、十分ですよ。
そうして
あなたがやがて亡くなって
その子孫が
100年後にどうなろうと、
ハッキリ言って
あなたには
何の責任も
全くありません。
すべてはあなた一代限りの人生道中記なのですからね。
すべてはあなた1代限りでオシマイなんですからね。
萩の花
咲き乱れるか
大花野
朽ちし、しゃれこうべの
草間に埋もれる。
人
ひとたび死せば
誰もその
屍拾うものなし。