直感探偵
事件が発覚したのはつい三十分前のことだった。
とある旅館の大広間にて、一人の二十代半ばの従業員が血だまりに伏していた。既に従業員の意識はなく、流れ出した血も止まりかかっていた。つんざく悲鳴に野次馬が引き寄せられ、長閑だった空気は一気に騒然とした。
殺人事件が起こったのだ。この、美しい場所で。
すぐに我に返った一人が救急車と警察官に連絡をした。伏した従業員に恐る恐る近寄り声をかける。そっと手を伸ばし触れれば、既に脈はなく冷たくなっていた。
すぐさま呼ばれた救急車が到着し、騒然とした現場に警察官が駆け付けた。
「犯人は、貴方だ!」
そんな矢先に響いた、ひとつの声。
はっとして周りを見回した警察官の顔はひきつっている。野次馬たちも何事かとそれに倣う様に辺りを見回した。
警察官の目線の先では、一人の青年が男に指をさしていた。
まさに、今の今まで休暇を楽しんでいましたと言った様な装いをしている。旅館で用意されている浴衣を着ており、旅館にある土産物屋のロゴが入った大きな紙袋を片手で抱えている。しかし少し開いた浴衣からは厚い胸板が覗いており、紙袋を抱えた腕は太い。二メートルはあろうかという長身に厳つい体つきは、かなりがらが悪かった。気の弱そうな数人は慌てて視線を逸らした。
青年は周囲の目が自分に向いていることに気付き、慌てて腕を下ろした。
「……と、思います」
まるで一度でいいから言って見たかっただけなんだ、というかのように青年は恥ずかしそうに顔を伏せた。
あきれ顔した周囲はため息をつき、指差された男はひどく憤慨した。疲れたような顔をした警察官はまた君か、と呟いた。
「何故そう思うんだね」
冷たい声色の警察官が、吐き捨てた。
「なあ、きかせてくれないか?」
青年は少し頬を赤かくして、しかしはっきりと答えた。
「直感かな!」
**
碓氷は心の中でため息をついた。
まただ。また、予言のように指差された人物が犯人だった。
「午後九時三十五分。犯人確保」
大人しくお縄にかかった男は、罪悪感に苛まれているように目を伏せた。既に抵抗する気も起きていないらしい。
そりゃ、そうだ。
碓氷ですら舌を巻くような良心をズタズタに痛めつけられる様な説得に、見事打ち勝った人物は今まで見たことはない。推理はお粗末なのに。
さて、このまま署につれていこう。そう、このまま何事もなかったように……!
なんて、無理な妄想を碓氷は切って捨てた。それは無理だ。今までを思い出せ、あのクソガキがいて何事もなかったことなどあったか? いや、ない。哀しい位に。
碓氷は座り込んだ男の腕を引き上げ立ち上がらせる。駆け寄ってきた部下に、男を任せた。
きっとこのあとも面倒なことになるだろう……。
視界には、今の今まで必死に視界から追い出していた青年が入った。今度は、本当にため息が出た。
「また会いましたねー」
照れたように頭をかく青年に、ああそうだな、と覇気のない声が出た。
この、中身だけは年相応な青年は現在警察官の間では良くも悪くも注目されている人物だった。
近藤政彦。この見た目で高校一年生であり現在では名の売れたバンドマンである。もっとも、顔出しをしていないため誰かに気付かれることはないのだが。しかし恐ろしい事に、碓氷の班の中にも信者と言ってもいい位のファンが数名いる。
「だいたい君、学校はどうしたんだね……。まだ未成年だろう」
「休んじゃいました! 久しぶりの旅行で、保護者と来たんすよぉ。ここの温泉すごく気持ちいいし体にもいいって聞いたんで」
「だったら、こういうことに関わるんじゃない……」
しかし、注目される所以はそこにあるわけではなかった。
「最近、ネットで騒がれているのを知らないのか?」
「あー……俺、触ると壊すんで近づかないようにしてるんですよ」
「そうか」
小さなため息が出た。
今日で一体何回目だ? 口がさびしい。胸元に伸びた手を、青年が止めた。
「禁煙中じゃないんで?」
「ああ……そうだった」
しょうがないからこれあげます、と差し出されたのは近所の売店のシールつきの飴だった。禁煙ガムじゃなくて良かった、と思いながら碓氷はそれを有り難く頂戴した。一応、彼は未成年だ。
しかし、この行動の理由のひとつである彼にそう言われるのも複雑である。
「直感探偵、だとさ」
ポケットに飴を仕舞って、碓氷は小さく言った。
青年は意味がわからないという様に首をかしげる。
「直感で犯人を当ててしまう探偵がいると、ネットで騒がれている。何処から情報が漏れたのか、今まで君が犯人を当てた事件がいくつか掲示板に挙げられていた」
驚いたような顔をした青年は、慌てて碓氷に縋りついた。
「マジっすか!? えっ何個!?」
「詳しくは分からないが……八つはあげられていたと聞いたよ。君、北海道から沖縄まで随分行動範囲が広いんだね」
「えっ……あー、はい、ちょっと」
困ったと呟いた青年に、碓氷も頷いた。
「これに懲りたら、大人しくしていなさい」
「っす」
敬礼を真似たように片手を額に当てた青年を見て、碓氷は笑った。
こうしていれば、普通の高校生の様だ。異常な背丈と、異常な勘、それから気持ち悪い位の口の上手ささえなければ。つまり、年相応なのはやはり中身だけだということである。
「……君の勘はほんとに良すぎるから、な。気をつけなさい」
「はあい」
しかし本当に、聞いているんだかどうなんだか。
何が楽しいのかにこにこ笑っている青年が肩を竦める。
「けど、しょうがないんすよ」
何が、と言おうとした碓氷は目を丸めた。
高校生らしい無邪気な顔が、一気に熱を失った様に無表情に変わる。
その顔は見たことがあった。碓氷は拳を握りしめた。
――この顔は、ひどく傷ついてきた少年少女がすべてを諦めた顔だ。
「だって、わかっちゃうから」
この青年も、散々な目にあってきたのだろうか。己の失言が、碓氷の胸を苦しめた。
しかしすぐに苦笑に変わった青年の顔を、碓氷はぼんやりと見つめていた。
「しかしそれも、個性だろう」
「そっすね!」
青年はやはり、今日も笑った。
しかし結局、この後碓氷は青年の気まぐれに振り回されるのだ。その数日後、見事に新たな事件で会うことになるのはまた別の話である。