19『触れ合い』
~テイマー協会総司令本部・通称『連合』~
「もしもし? あぁ玲紀、随分と久しぶりじゃないか。
そっちは元気でやっているかい?……君は何年経っても変わらないな。
それで、君がわざわざ連絡をよこすなんて珍しい……何かあったのかい?
……え、パンドラが? そんな馬鹿な。あれはそう簡単に破れるような代物じゃ……あぁ、分かった」
「―――僕もすぐに向かうよ」
~
「なぁユイ……もうちょっと近くに来てくれよ」
「嫌です。貴方のような人間と触れ合うなんてまっぴらごめんです」
俺とユイの距離、2m
……俺にどうしろって言うんだ。
「暁先生! この場合どうすればいいんでしょうか」
俺は教卓に手をつき、眠そうな暁先生に尋ねる。
「そんなこと言われましても……使い魔が拒絶するんて聞いたことありませんし」
暁先生は困ったような台詞を吐くが、その表情は緩い。
心なしか微笑ましく見守っているようにも見える。
ぶっちゃけ俺からしたら笑い事ではない。使い魔は大切なパートナーだ。
その使い魔に嫌われたんじゃ、それこそ本当に学園生活おしまいである。
ちなみに藤野先輩は机に突っ伏して居眠り中。
スミレ先輩は仮面を被ったまま、布とワックスで仮面の手入れをしている。
二人共、使い魔と触れ合っているようには見えないのだが……
「あの、暁先生。先輩方の使い魔って……」
「あの二人がどうかしましたか?」
「いや、二人の使い魔はどこに……」
「……うふふ、二人共ちゃんと触れ合っていますよ。
けど、杉原君には見えないかもしれませんねぇ」
「どういう意味ですかそれ」
すると暁先生は微笑みながら小さな手鏡を手渡してきた。
「杉原君、その鏡越しに藤野君を見てください」
「これ、ただの鏡ですよね? 写したからって何が――」
と言いかけて、俺は言葉を失った。
言われたとおり傾けた鏡には、居眠り中の藤野先輩が写っている。
そして、その背中を愛おしそうに抱きしめる女性が一緒に写っていたのだ。
しかし鏡から目を離して教室を見ると、そこには一人居眠りをする藤野先輩が。
再び鏡越しに見てみると、やっぱり女性が一緒に写りこんでいる。
白い着物を身に纏い、藤野先輩とよく似た青い髪を黒い紐で束ねた綺麗な人だ。
白い着物は、まさか死に装束……?
そういや暁先生は死人がどうとか言っていたような。
「ふふ、どうです? ちゃんと触れ合っているでしょう」
「あ、暁先生……あの人ってまさか」
「えぇ。藤野君の使い魔ですよ
もっとも、彼にとっては何よりも愛しいお姉さんですけど」
お姉さんって……まさか元は人間とか言うんじゃないだろうな。
人間が魔物になるなんてあり得るのか?
「ちなみにスミレさんはいつも一緒ですから言うまでもありませんね」
「いやちょっと待ってください。頭パンクしそうなんですけど」
「それに、ユイさんも心から拒絶しているわけではありませんよ。
きっと心の底では撫でて欲しいとか構って欲しいとか思ってるはずですよ」
「……思ってないです」
教室の窓からじっと外を眺めていたユイが、ぽつりと呟いた。
ため息混じりの声は何だか寂しげで……
……俺は撫でずにはいられなかった
「何か……ごめんな、ユイ」
「気安く触らないでください……人間なんて大嫌いです」
静かに、けれど噛み付くようにユイは言葉を紡ぐ。
しかし俺の手を振り払おうとはしなかった。
特殊科の教室を、気まずい静寂が包む。
空気を読んでか否か、藤野先輩のいびきも聞こえなかった。
~
暁先生は自習をしているようにと言い残し、教室を出ていった。
藤野先輩は居眠りし、スミレ先輩は辞書をパラパラめくって暇そうにしている。
そして、俺とユイは窓際に並び、外を眺めていた。
自習と言われても、特に何をすればいいのか分からない。
それは先輩方も同じなのかもしれない。
すると、スミレ先輩が席を立ち、何冊か辞書を抱えて俺の傍に歩いてきた。
「スミレ先輩……どうかしました?」
「……これ、返しに行かなきゃ……一緒に行こ」
「……え?」
~
長い廊下を俺とスミレ先輩、そしてユイは歩いていた。
相変わらず壁の装飾と綺麗な絨毯が目に痛い。
一定間隔で並ぶ扉は教室だろうか。それとも……
「あのースミレ先輩、どこに行くんですか?」
「……図書室」
俺は5冊ある辞書を4冊持たされ、スミレ先輩の後を付いていく。
広○苑並みの辞書4冊は意外と、いやかなり重い。
廊下をしばらく歩き、一際立派な扉の前でスミレ先輩は立ち止まった。
「……ここ」
扉には金文字で図書室と書いてある。どうやら間違いなさそうだ。
かちゃりと扉を開け中に足を踏み入れると、まず最初に目に入ってきたのは見上げんばかりの高い棚。その棚の一つ一つにぎっしりと本が詰め込まれていた。
とにかく、図書室はかなりの広さである。特殊科の教室の数倍はあるだろうか。
そんな広い空間に規則正しく棚が並べられているのだ。
一体蔵書数はどのくらいになるんだろう……
俺が感嘆の声を上げる間もなく、スミレ先輩はスタスタと奥へ歩いていく。
図書室には長机や椅子が完備されており、読書に勤しむ生徒もちらほらいる。
「……時間軸、おかしいから……気をつけてね」
高い棚の間を歩くスミレ先輩が言う。
時間軸がおかしいってどういうことだろうか。
文字通り、時間を忘れるのかもしれない。
カウンターのような大きな机の向こう、本の山の中心の椅子に腰掛ける女性がいた。
乱雑に積まれた本の山の床には綺麗な栗色の髪が広がっている。
髪の出処は、椅子に座り本をめくる女性だ。
あの髪はいったいどれくらいの長さがあるのか知りたいところだ。
女性は知的な眼鏡を掛けていて、遠目に見てもかなり美人である
「椚先生……辞書、ありがとうございます……」
いつもと同じような声の大きさで、スミレ先輩は呼びかける。
すると大きな机の表面が水面のように揺れ、中から巨大な骸骨の腕がずるりと伸びてきた
「……っ!」
「……ご苦労さまです。シカバネ様……」
スミレ先輩は『シカバネ様』の掌に辞書を乗せ、俺が持っていた辞書も一緒に乗せた。
するとシカバネ様は軽く辞書を握り、机の中に沈んでいった。
「勉強になったかしら? スミレさん」
ふと気がつくと、さっきの知的な女性がすぐそばに立っていた。
「……おかげさまで」
スミレ先輩はぺこりと頭を下げる。
「貴方は新入生の杉原圭一君ね? 私は図書の椚。よろしくね」
「あ、はい。初めまして杉原です……けど、どうして俺の名前を……」
「ふふ、私に知らない情報なんてないのよ」
椚先生は妖艶な笑みを浮かべ、とても長い栗色の髪を後ろに流す。
「ところで、貴方の可愛い子犬はどこにいるの?」
「……ぁ」
辺りを見ると、いつの間にかユイがいなくなっていた。
スミレ先輩も首をかしげている。
「……あの娘、壁画のところにいるらしいわ。ちゃんと連れて帰りなさいよ」
「……はい」
壁画と言われても、俺はさっぱりわからないのだが。
どうやらスミレ先輩は心当たりがあるらしい。
~
「……」
図書室の奥に飾ってある5m四方の大きな壁画の前に、ユイは立っていた。
壁画には白い体と赤い瞳を持つ魔物と、黒い箱を天高く掲げる藍色の魔女。
そしてそれを守るように剣を構える白い騎士と、
魔物に槍を振りかざす、黒い鎧を身に纏う騎士が描かれていた
その壁画が何を描いた物なのか―――
考える間も無く理解したユイは……ただじっと、その壁画を憎々しげに見つめていた。