13『初めての夜』
「遅いっ!!……です」
扉を開けると……肌寒い空気と共に、少女の怒声が響く。
見ると、部屋の入口にさっきのケモ娘がぺったり座って待ち構えていた。
その姿はさながら主人の帰りを待つ子犬。……やばいなコレ
ケモ娘の紅い瞳は涙に濡れており、なぜか俺の使っていた毛布を抱きしめている。
……何で俺の毛布を……?
「一応聞いておく。お前……誰だ?」
「……求愛しておいて知らんぷりですか。そんなの……卑怯です……っ」
透き通るような甘い声。何とも可愛らしい……わたあめみたいな声だ
今にも泣きだしてしまいそうなほど、その声は震えていた。
「共に寝た女の顔など、覚えてられないと言うのですか。……最低です」
「ちょっと待て! 違うぞ? そんなことは言ってない。
ただ俺は……その、名前。聞いてないだろ?だから、えぇと……
とっとりあえず泣くな! そんなうるうるした瞳で俺を見つめるな!」
「……ふんっ 人間に名乗る名前など、持ち合わせていないのです」
……「人間なんて大嫌いですっ」と吐き捨てるように呟き、
ケモ娘は俺の毛布を抱えてぽてぽてと部屋の奥へ歩いていく。
……何だこの状況……
「何をしているのですかっ! 早く入って来てください」
「え?あ、あぁ分かった」
俺は部屋のドアを閉め、部屋の奥へ歩く。
何ていうか、寒い。めちゃくちゃ寒い。何ここ冷蔵庫!?
濡れタオルを振り回したら固まりそうだ。カーペットには霜が降りている
ちなみに暖房は機能してない。
原因は……あのケモ娘だろうな
ぼろきれ一枚しか着てないくせに、この寒さの中平然としていたし……
ふと……部屋の隅を見てみると、黒い漆器の破片が散らばっていた
破片は鋭い刃物で切り裂かれたように尖っていて、一つ一つが氷漬けにされている。
中に入っていた小太刀が見当たらない辺り、どうやら間違いなさそうだ
部屋の中では、ケモ娘が俺のベッドにちょこんと腰掛けて
恨めしそうに俺を睨みつけてくる。何か雰囲気がとげとげしてるなぁ……
「なぁ、名前くらい教えてくれよ
よくわからないけど、お前は魔物なんだろ?」
ケモ娘はぷいっと顔を逸らして俺のベッドに横たわる。
俺はやれやれと肩をすくめ、とりあえず俺もベッドに腰掛けてみた。
「お前もしかして……名前、無いのか?」
「……っ!!」
ケモ娘の体がびくん、と跳ねる
……当たりか。やっぱり分かりやすいな。
ケモ娘ってのは何故こうも素直な体を持っているのか。
とりあえずこれは永遠の謎としておこう。
「……それならそうと言えばいいのに……」
「その程度見抜いたからって、いい気にならないでください。不愉快ですっ」
「そうか……名前無いのか。だったら俺が付けてやろうか?
無いよりはあった方がいいだろ。そんなに良い名前は付けてやれないかもだが……」
「む……付けてほしいなんて言った覚えはありませんっ! 余計なお世話です」
……何だってんだ? やけに生意気だなこのケモ娘。
何ていうか……どこか強がっているような気もする。
そういや、あの刀には神威と銘打ってあったっけな。
それに、雪のような白い肌と白銀の髪。
……名前を付けてやるとしたら……
「…………『ユイ』……」
「……? なんですか?」
「何って……お前の名前だよ。……もしかして気に入らないか?」
「ぅ……わ、悪くは無いですね。
貴方がそう呼びたいと言うのなら、別に私は……構いませんけど」
ケモ娘は顔を逸らしつつ、細々と呟く。
やっぱりか……この娘、素直じゃないだけなんだ。
尻尾はパタパタしている。どうやら気に入ってくれたらしい。
「そうか。ならユイって呼ぶからな」
「ふん……好きにしてくださいっ
ところで、その袋は何ですか? 先ほどから良い匂いがするのですが」
ユイは俺の持っていた袋(カツサンド入り)を、ぴっと指差して言う。
……何だ、腹減ってるのか?
「あぁ、コレか? 購買部で買ってきたパンだけど……
丁度二つ入ってるみたいだし、片方喰うか?」
「! 私に、くれるのですか? それは……食べ物ですよねっ?
食べ物というのは、そう易々とあげたり貰ったりしてはいけないのです!
その、なんというか……もっと大切にすべきなのですっ!!」
ユイは顔を赤くしながらわたわたしている。
行ってる意味がイマイチよくわからない。
直訳すると食べ物を大事にしろとのことだが、何となく違う気がする
もふっとした尻尾は遠慮がちに揺れている
この様子から察するに、どうやら『嬉しいけど困る』といった状況らしい。
……何の事やら。
「まぁとりあえず食えよ。そんなに気にすることでもないだろ」
「うぅ……や、やっぱりいらないのですっ 人間の作ったものなんて……」
「どうしてそんなに人間を嫌ってるのか知らんが
……それなら多分大丈夫だぞ?恐らくあの人は人間じゃない」
「そ、それならそうと早く言ってくださいっ! 馬鹿ですか貴方は」
ユイはひったくるようにカツサンドを受け取ると
「これだから人間は……」などと呟きながら、がつがつと捕食し始める。
頬を緩ませ、尻尾をパタパタさせている辺り、かなり美味しいんだろう。
見ていて何とも微笑ましい光景である。
それにしても素直な尻尾だな……
「それで、求愛って何のことだ?」
「……むぐ……貴方がその気ならば、私も覚悟を決めたというわけです。
あまり深く追求しないでください。細かい男は嫌われるのです。
それに……私だって初めてなんですからね……っ」
色白な頬をほんのり赤く染め、ユイは顔を逸らす。
何というか……可愛い。不覚にもドキッとしてしまった。
生意気ではあるが……そこが無性に可愛らしく思える。
これはやばい……俺はついに心を病んでしまったのか!?
「(可愛いのは見た目だけかよって思ったが……案外そうでもないな
……くそ、こんなの卑怯だ……!)」
俺は心の中で軽く舌打ちしながらも、カツサンドをかじる。
うん。普通に美味い。
パンがふわふわしてて、カツは肉厚で衣はサクサクしてる。
すでに食べ終わったユイは、何か言いたげな顔で俺の方をちらちらと見ていたが
とりあえず俺はスルーして夕食を味わう
~
俺が最後の一口を食べ終わると、ユイは俺の学ランの裾を軽く引っ張り
「あ、あの……今のとか、あの焼き菓子とか……ま、不味くはなかったです
だから、えぇと……一応、お礼を言っておきますっ」
「……気にするなよ。あと、あんまし可愛い事言うな」
「……?」
あんがい素直な奴だな……『美味しかったです。ありがとう』と言った所か
びみょーにツンデレっぽい気がするのは俺だけであると信じたい。
「それじゃあ、服を脱いでくださいっ」
「……は!?」
「……ですから、服を脱げと言っているのです」
「……な、何故に?」
「えと……まぐわうのに服は邪魔だと聞いた気がしますっ」
随分とあやふやだな……ってそこじゃない。まぐわうってまさか××××!?
いやいやいや……さすがに、それは、まずい。
「じゃあ横になってくださいっ
やり方はよくわかりませんが……私がやりますからぁっ!」
「いや、そんなこと言われてもなぁ……ちょっと落ち着けよ」
ユイは冷たい手でぐいぐいと俺の厚い(と思う)胸板を押してくる。
恐らく押し倒そうとしているんだろうけど……この体格差では無理がある
普通、魔物は人とは比べ物にならない力を有しているものだが、ユイには無いらしい。
例えるなら、年の離れた妹。ユイの腕力はまるっきり幼い人間の少女である
うん、なんというか……微笑ましい。頑張ってる感じがして可愛い
だがいくら頑張ったところで、俺の体は倒れない。
ユイは紅い瞳に涙を浮かべ、今にも泣き出しそうだ
っていうか、まぐわうってどういうつもりだ……発情期か?
「あうぅ……じゃあどうすればいいんですかっ
私が先に脱げばいいんですか!? それとも貴方は脱がしたい人ですか!?」
「いや、だからさぁ……ちょっと落ち着けって」
この状況は、まずい気がするぞ。このまま押し切られたらR—18行きだ
別にこの娘を(性的に)美味しく頂くことは簡単だ。
同意の上だし……使い魔だし……何も問題は無いだろう。
けど俺は……幼女は見て癒されて、触って愛でるものだと思っている。
優しく抱っこしたりとか、頭なでなでしてあげたりとか、おやつあげたりとか……
相手がユイだとすると……結構、いいかも?って違う違う。話がそれた。
とりあえず俺は泣きそうなユイを優しく撫でて……
「っ……何ですか? 気安く触らないでください……」
それから、軽く抱き上げて……
「……?何を……」
そのままベッドへ押し倒す。
「……っ!?」
―――ぽふっ
「な、何をするのですかっ! 責める方が好きなら先に言ってください……っ」
「ふー……何を勘違いしてるのか知らないけど、俺は求愛した覚えは無い。
それと、事に及ぶつもりも無い……もっと、自分の体を大事にしたらどうだ」
自分でも思った以上に低い声が出た。
ユイはビクッと肩を震わせ
紅い瞳を潤ませながら、困惑したような表情で俺を見つめる。
……やべ、怖がらせちゃったか……?
「ご、ごめん…なさ……っ」
「あー……いや、そんなつもりじゃ……なかったん、だけど…」
俺はユイの獣耳の付け根を撫でたり、やわらかいほっぺたをふにふにしたり
慰めるついでにちょっと癒されてみた
ユイは嫌々をするように身を捩る。噛み殺し切れてない嗚咽は聞かなかったことにする
にしてもやわらかいなこいつ……ひんやりしてて雪見だいふくみたいだ……
「ゃ……私の顔で、遊ばないで下さ…っ!」
「あぁ……ごめんな、それよりもう寝ろ。子供は寝る時間だ」
「っ……子共扱いしないでくださいよ……!」
「どこをどう見ても子供じゃないか。ほら、いいからさっさと寝ろ」
「わ、私は子供じゃな……っ」
なんかもうキリがないので俺はユイに毛布を掛けてやる。
さらに、恨めしそうな視線をタオルで封じる。
そして近くの棚にあった毛布をいくつか掛けて、結局ベッドには小高い丘が出来た。
「~……っ!」
ユイはしばらく何か言いながら蠢いていたが、やがて大人しくなった
温めると溶けてしまいそうだが……ってか、温めることはできないだろうけど
とりあえずはこれで大丈夫だろう。
「俺はソファーで寝るから、お前はベッドで寝ろよ」
「……」
返事は無い。まぁいいか。
俺は近くにあったソファーにごろんと横たわり、親父の言葉を思い浮かべてみる。
『魔物には心があり、感情があり、役目がある』
そういや……親父は今何処にいるんだろうか
俺が覚えているのは、逞しい親父の背中と白い龍。
『俺には、やるべきことがある』と言って、どこかへ消えてしまったんだっけな。
そうだ……確か俺は、親父に憧れてテイマーを目指したんだ。
龍を引き連れて、何回も街を救ってくれた。そんな親父に憧れて……
……魔物の役目って、なんだろうか……
ぼんやりと天井を眺め、考えてみても答えは出ない。
睡魔の気配は感じない。ただ、刻々と時間だけが過ぎていく。
~
……布を押しのける音と共に、ベッドが軋む。
目を向けてみると、暗い部屋の中、真っ赤な瞳が爛々と輝いていた
「人間なんて……大っ嫌いです……」
そう呟く声が、聞こえた気がする。
俺と使い魔の学園生活はいまだ、始まってすらいない。