7話 プレイヤー・ゴシップ ~伝説はあるか~
石造りの風呂場だった。
と言っても、そう大きくもないし、床は自然石をそのまま敷いたと見える大雑把なものだ。屋根などはなく、天を仰げば星が見える。
シャワーの代わりに、小さな魔法陣が壁についていた。触ると、上から湯の雨が降ってくる。
アリアドネは、体の泡を流した。
恐らく汗や垢は出ないらしいこの体だが、やはり数日ぶりに身を清めるのはたまらなく心地よい。
「ふぅ……」
「気持ち良いわね……」
「そうですね……」
横を向けば、マリーンがいる。彼女も、石鹸で体を洗っているところだった。ローブに隠されていた美しく長い青髪が、水を滴らせ輝いている。
現実では、戦闘者が縛りもせずに髪を長く伸ばすなどありえない。言うまでもなく、邪魔になるからだ。
だが、娯楽創作物としてすべてのキャラがショートカットでは面白みがない。
そこで『ザ・ライフ』では、一定以上の長さの髪はプレイヤー本人以外が触れない設定になっていた。他キャラやオブジェクトに接触しても、すり抜けてしまうのだ。
視界にかかれば透けるようにもなっており、目隠れキャラのプレイも可能だった。
ミディアムのアリアドネはあまり気にしていなかったが、マリーンほどのロングヘアになれば、この有無は重要だろう。
試しに自分の前髪を引っ張って視界に持ってきたところ、透けた。この機能は生きているらしい。
「どうしたの?」
マリーンの不思議そうな声に、いえ、と答えたアリアドネは、彼女の方へ首を向けて言葉に詰まった。
石鹸を流されたマリーンの肢体。その大きな双丘が、自己主張していた。
「………………」
翻って自分の胸を見る。平たい壁がそこにあった。
キャラクターの体だからと言いたいが、そもそもこの『アリアドネ』は現実のそれをベースにしたものである。むしろ、胸についてはほんのちょっぴり水増ししたくらいだ。だが、こうなった。
そして、現実では巨乳だが、貧乳にしていた友人のキャラクターは、この騒動でやや巨乳になっていた。
つまるところ、どうしようもなくこの胸は、高校2年生のくせして未成熟な自分の体を反映している。それは否応なく、服では隠せない。
(……そこまで気にしているわけでも、ないんですけど……)
そんな事を考えられる事態でもなかったし、ずっと鎧をまとっていたから、気づかなかった。だが、こうして一皮剥けば、そして目の前にこんなスタイルの良い人がいれば、嫌でも気付かされるというものだ。
「お風呂入りましょうよ?」
「あ……はい」
浴槽近くにタオルを置き、湯船に浸かる。温かいお湯に包まれる感覚はまさしく現実のもので、やはり仮想現実とは思えなかった。
横で水面から顔を出している巨大な二つの塊は無視して、自分の胸を見つめる。
(……でも、こんな状況では、その方が良いのでしょうか)
この、法も秩序もあやふやな世界では、男性に好かれない体の方が、良いのかもしれない。
いくら小学校からずっと女子校温室育ちの自分とて、その程度の事は知っている。そもそもこのゲームを始めたのは、自分を狭い世界に閉じ込めようとする両親への、社会勉強も兼ねた小さな反抗なのだから。
だが何を間違ったのか、仲間内で和気あいあいと始めたはずのギルドは肥大化し、この『世界』でも有数のものの一つとなっていた。別に嫌なわけでもなかったが、気づけば、もはやゲームを気楽に辞められるような状況ではなくなっていた。
そして、今度はこの事態だ。
(ままなりませんね、世の中……)
それを学べただけでも、価値があったのかもしれない。
ちゃんと元の世界に帰れれば、なお良いのだが……。
「……ねぇ」
巨乳の主に話しかけられた。
「アリアドネ……あなた、オルテのことをどう思う?」
言われ、表で見張りをしているはずの男性の存在を意識する。
「えっと……そうですね、少しいやらしそうなところはありますけど、一応誠実な方だと思います。私は男性ではないのでわかりませんが、多分、覗かずちゃんと見張ってくださるのではないのでしょうか?」
自身の経験とこれまでの観察から得た情報を精一杯活用し答えてみたのだが、何故かマリーンに呆れた顔をされた。
「いや、そういう事じゃなくて……あいつ、何か怪しいと思わない?」
「怪しい……ですか。<ナイト>の事ですね?」
「そうよ。90レベルで<ナイト>なんて……っていうか、90レベル超えって、すごい大変なんでしょう?」
「そうですね……」
『ザ・ライフ』では、10レベルを超えるごとに極端に必要経験値が上がっていく。特に、レベルカンストを抑えるためなのか90レベル台への必要経験値は非常に大きく、「90レベルの壁」と呼ばれるほどだ。
アリアドネも、ギルドの運営であまり最高レベル帯の狩場に行けないとはいえ、結構前から89レベルで止まっている。
だが、さすがに10年続いているゲームだけあり、90レベル台に達しているプレイヤーもそれなりにはいる。あくまでそれなりにであり、彼らのいずれもが超一流……悪い言い方をすれば廃人プレイヤーであり、装備や金銭といった面でも、プレイヤースキルといった面でも、凄まじいものを有している。
一応アリアドネもその域に達していると言われたりはするのだが、いまいち自覚はない。
ともあれ、90レベル台にいるという事は、ゲームへの情熱の大半をレベル上げに費やしてきた証であり、そこに大きな無駄など存在しない。
それは、たまのイベントで顔を合わせる他ギルドのハイレベルプレイヤーを見ていてもわかる。
にも関わらず、あのオルテはサブクラスを低級のままにしているという。
高レベルにとっての端金で手に入れられる、<ガーディアン>という完全な上位互換職業があるにも関わらず、だ。
サブクラスの変更は、簡単にできる。同ランクの別サブクラスに変えるとなると少し面倒だが、下級から上級に移るだけなら何の問題もなく一瞬で。
<ナイト>であり続ける事に、メリットなどないのだ。
「あいつは、良い奴だと思う。ただ、私たちに何かを隠している。それが何かはわからないけど……隠している以上、一応警戒はしといた方がいいわ」
「そう……ですね。私は、信じたいんですけど……」
「私だって信じたいわよ。でも、相手を疑う事……つまり、相手を知ろうとする事を放棄したら、ひどい事になるわよ。特に、こんな事になっちゃね」
「そうですね……」
アリアドネはうつむく。水鏡には、ゆらゆらと揺れる己が映っているだけだった。
「えい」
「あうっ」
その顔に、水がかかった。顔を拭って見ると、マリーンがにやにやと笑っている。彼女の手が、筒状になっていた。水鉄砲だ。
「はい、この話はこれでおしまい。あんまり重く考えるのも駄目よ。少なくともあいつは現代の人間で、何を考えているかわからない異世界人よりはマシなんだから」
「……はい」
アリアドネは、苦笑を返す。
「ところでさあ、私たちはこの世界で何を頼ればいいと思う?」
頭上の星を見上げながら、マリーンが尋ねてくる。
「何……と、言われても……」
「あ、こっちの世界の人間とかじゃなくて、プレイヤーの話よ。正直トップレベルの話ってわからないからさ、あなたに聞いときたいのよ。『銀樹騎士団』のような大ギルド、有名プレイヤー……そういうの」
「ああ……」
確かに、有名になるほどのプレイヤーの噂など、小さなギルドや低レベルでは流れてこない。幸いなのかアリアドネはどちらにも当てはまらず、ギルマス(ギルドマスター)ということで横のつながりも多少はあった。
「そうですね……純粋な規模で言えば、『卓袱台騎士団』『ドラゴンバスターズ』『焔の牙』辺りでしょうか。数千人規模……ギルドマスターも90レベル台ですし、合流できれば心強いでしょう。ただ……」
「ただ?」
「彼らは高レベル帯……遠くて未踏地域、近くてもアルビオンが主な活動領域ですから……ゲートなしでの合流は、難しいですね」
未踏地域とは、現実のモスクワ以東の広大な領域を指す。荒れ果てた野の上、時に吹きすさぶ吹雪が視界を覆い、その中を死霊や亡霊たちがさまよい歩く、不毛の大地だ。
レベル帯は最高の80台。大ギルドでも、しっかりとしたパーティーを組み、戦術的に動かねば生還すら危うい最前線である。
アルビオンは現実のイギリス。騎士の王国とされ、戦士や騎士、魔術師向けのイベントが多く組み込まれている。特にサブクラスの魔法戦士と魔法騎士は、ここでのみ手に入れられる隠しサブクラスだ。
レベル帯の方も50~80までのエリアが揃っており、プレイヤー拠点として人気が高い。
どちらにせよ、ワープゲートが使えねば広大な距離を歩くか海を超えねばならず、簡単に合流というわけにはいかなかった。
無論、彼らとて常識的な判断をするなら、危険な高レベルエリアから撤収してくるかもしれない。しかしだからといって、数ある低レベルエリアの中から、このワチセキ近辺を選ぶ保証はなかった。
「………………」
アリアドネは思う。散り散りになった『銀樹騎士団』の者たちの事を。
そもそもこちらにいるのかもわからない者、あの戦いではぐれた者、領主に捕まった者……。
全ては、アリアドネの選択の結果だ。
平たい胸が軋む。女として欠陥であるこの身が、長としても失格であるのなら、ならば私は何なのだ。
時折イベントで顔を合わせる度にナンパをしてきた、底抜けに明るい『焔の牙』のギルマスの事を思う。誰彼かまわずナンパしてくる人だったのでいつもやんわりお断りしていたが、彼ならば、きっとこんな状況になろうともしっかり皆をまとめ上げ、誰一人欠けさせる事なく今を生き抜いているのだろうと思えた。
「アリアドネ?」
怪訝そうなマリーンの声に、はっとする。
いけない、落ち込んではいけない。長の不安は伝染するものだ。今ここに団員はいないとはいえ、そうやすやすと弱音を吐いて良いわけがない。
常に笑顔を浮かべる事。
もしそれさえできぬようならば、自分はお飾りでいる価値すらないのだ。
「……すみません、少し考えこんでいました。後は……そうですね、東方のギルド勢や……有名なソロプレイヤー……あるいは、『グレイファントム』でしょうか」
「『グレイファントム』……?」
マリーンの問いに、私も、実体はよくわからないのですが、と前置きした上で、
「たまに開かれるギルドイベントや、期間・人数限定のクエスト……そう言ったイベントランキングの多くで、上位に現れるギルドです。しかし、それに反してギルドのメンバーを見た者は少ない……勿論、実際にギルドイベンドで共闘した方なら知っているのでしょうけど……。ただ、聞くところによると……わずか5名のギルドだとか」
「5名って、ありえないでしょ……」
マリーンが、唖然とした表情を見せる。アリアドネも、うなずきたい気持ちは一緒だ。
「さすがに、ギルド戦には出てこないそうですが……なんでも――メンバー全員がレベル90台だそうです」
「とんでもない暇人集団ね……」
表で、オルテがくしゃみをした音がかすかに聞こえた。
「1年前に開かれたアルビオン王国大武闘大会……その優勝者も、彼らの内の一人だったそうです。規模はともかく、個人の能力では、最高レベルなのではないでしょうか……」
「そいつらの名前とかわかんないの?」
「ランキングにはギルド名しか載りませんし、そもそもウチのギルド自体、あまり他所と交流を持っていませんので……」
『銀樹騎士団』では、ギルド同士の戦い、ギルド戦を禁止している。「協力して巨大モンスターを倒せ!」だとかそういうイベントには参加するが、どちらかと言えば、身内同士の助け合いや純粋なゲーム攻略を楽しむのがメインだ。『グレイファントム』と同じイベントに参加したこともあるが、そもそも探そうともしていないし、会う事もなかった。
「はぁ……まあ、居てくれたらありがたそうだけど、全員一級廃人のギルドとか会話成立するのか不安だし、出会えたらラッキーくらいに思っておきましょうか」
ざっくばらんなマリーンの言葉にくすりと笑い、そうですねと返す。……一応、自分も普通の人間から見れば廃人に入るのだろうか、と思いながら。
外で、もう少し大きなオルテのくしゃみが響いた。
「ありがとうございました……風邪ですか……?」
「いやぁ、そんなはずはないと思うんだがなぁ……」
湯上りのアリアドネの問いに、オルテは首をひねる。勿論、見張りの務めはしっかり果たし、覗きなどしなかった。まだしっとりした彼女たちの髪の光沢と、上気した肌の桃色を、少しくらい拝んどいても良かったかな、と思いながら見つめはするが。
「どうする? あなたも入る?」
「いや、やめておくよ。時間がもったいないしな」
「いいの? 体はそんなに汚れないのかもしれないけれど、気分だけでも違うわよ。……次、いつ入れるかもわからないしね」
「そん時は水浴びでもするさ。やっぱり、ここで気は抜けないよ」
「そう……悪かったわね。私たちばっかり、入らせて貰っちゃって」
「そうですね……すみません、オルテさん」
二人が揃って、申し訳なさそうな顔をする。
「いいさ別に。俺としても、石鹸の香りのする美人といる方が、嬉しいってもんだ」
はいはい、とマリーンが呆れたように笑い、アリアドネは無言で頬を赤らめてうつむいた。
「で、見張りの順番はどうする?」
宿の部屋。今後について少し話し合い、そろそろ就寝かという時間になったところで、オルテは問う。
見張りなしで全員グースカ、というわけにもいかない。映画やドラマのように、交替制の見張りを立てるべきだろう。
「今が10時だから……朝6時には起きたいところだが」
「そうすると8時間? 3人で分けると……一人2時間40分見張る計算だから……、睡眠時間は5時間20分か。最低6時間寝とけってよく聞くけど?」
「そうだな……じゃあ、1時間遅らせて7時起床にするか。それなら一人6時間ずつ寝られる」
「ただし、真ん中の時間の見張りは3時間寝て、3時間起きて……の細切れ寝になるけれどね」
「そうだな……じゃあ、言い出しっぺの俺が――」
「私がやるわよ」
あっさりと、マリーンが言う。
「……いいのか?」
「あなたにお風呂の見張りしてもらっちゃったし。これくらいやるわよ。……どうせ、仕事で残業慣れてるしねー……」
と言って、肩を鳴らす。リアルの彼女はOLなのだろうか。その割には、レベルが高いが。
「それでしたら、私も――」
と、身を乗り出してきたアリアドネの額を、マリーンがこづく。
「あんたは帰ったらまたギルドの大将でしょうが。今日くらい、ゆっくり休みなさいよ」
少し、優しげな声だった。
アリアドネは額を抑え、小さく、……ありがとうございます、と言った。
そうして見張りの順番を決め終え、3人は警戒をしつつも就寝の時間へと移ったのであった。
悲劇も知らず。