6話 ザ・ワールド? ~世界はかく答えり~
幸い日の落ちていたこともあり、オルテたちはそう人目につく事なく移動できた。
「良かったですね」
微笑むアリアドネは、マントを装備からはずして荷物袋にしまい、蒼いサーコートをまとっている。オルテが貸したものだ。彼女の白銀鎧は、隠密行動には目立ち過ぎる。
ただ、頭上に浮かぶ緑のカーソルだけはどうしようもなかった。触ってもすり抜けてしまうし、隠せない。
今、3人がいるのは冒険者の宿の前だ。
この両開きの扉を開ければ、酒場がある。
「……戦闘になるかもしれない。準備をしておこう。マリーン、補助魔法頼めるか?」
「OK。何にする?」
事前補助魔法。プレイヤーのステータスのうち、攻撃力、素早さ、防御力、のどれか一つを上昇させる魔法だ。重ねがけすると上書きされるため、上げられるのは一つのステータスのみである。
火属性なら攻撃力、風属性なら素早さ、地属性なら防御力を上げる魔法が存在するが、補助特化の水属性だけは、その3種それぞれを上昇させる魔法が存在した。
「対奇襲用に、防御力を上げとこう。やばけりゃ素早さ上げて撤退」
「わかったわ。――<水底の鯨>」
マリーンが杖を掲げスキル名を唱えた瞬間、3人の体は青い光に包まれる。
(もう上級スキルを習得しているのか……)
オルテは内心思った。
上級スキルは、レベル70を超えると習得できるようになるスキルだ。
攻撃、補助、回復……いずれのスキルも既存のものの上位互換であり、強力なものばかりが揃う。
見分け方は簡単で、下級スキルは外国語、上級スキルは日本語と決まっている。
文字ならば、カタカナが下級スキル、漢字とひらがなが上級スキルということだ。
レベル70を超えたばかりの彼女がもう補助系呪文の上級スキルを習得しているということは、補助特化の育成なのだろう。
自身、そしてアリアドネという前衛二人がいるパーティーで、それはありがたかった。
「……よし、行こう」
オルテは、覚悟を決めて扉を開く。
広がったのは、ごくごく普通の酒場の光景。時刻は19時30分、まさに書き入れ時で、大勢の人々が酒を飲み、赤ら顔をしている。
そんな彼らの相手をするのは、ウェイトレスの女性と、もう一人。禿げ上がった頭に強面の中年、宿の亭主ことボルドだ。
ゲームだった時は、見た目に似合わぬ面倒見の良さで様々な手助けをしてくれた彼だったが、今は果たして。
見つめるオルテたちの前で、彼はこちらに気づき顔を向ける。その目が向かうのは、3人の頭上のカーソルだ。
いつでも状況の変化に備えられるよう、オルテは体に力を込めるが――
「おお、お前さんたち、アマッカ様がお呼びになった冒険者だね。そんなとこ突っ立ってないで、こっちに来なさい」
彼はゲームの時と同じく、人好きのする笑顔で呼びかけてきた。
オルテたちは顔を見合わせたが、どの道立っているだけではしょうがない。周囲をさりげなく警戒しつつ、彼の元へ向かう。
亭主ボルドは、カウンターの奥にいる。彼の前にはバーテーブルを挟んで椅子が並んでおり、着席を勧められたが、長くいる気はないからと辞した。
「あんたら、この町に来たばっかかい?」
亭主が、おごりだという水と揚げじゃがをテーブルに置きながら問う。
「……ああ」
オルテはそれに目をやるだけで手をつけず、答えた。
「そうかい。そんじゃあ、いきなりのことで大変だったろう。いやあ、申し訳ないねぇ、わしらのために……」
「わしらの……ため……?」
「ああ……ほら、あんたらをこの世界に喚んだのは、大魔法使いアマッカ様じゃないか……」
「っ――!」
マリーンとアリアドネが息を呑むのがわかる。
チュートリアル以降、あまり意識させられる機会がないため忘れているプレイヤーも多いが、ゲームとしての『ザ・ライフ』のプレイヤーキャラたちは、『ザ・ライフ』世界の住人ではない。
大魔法使いアマッカ。
彼女こそが、ゲームの『ザ・ライフ』において、魔王ダルクラウドに対抗するためプレイヤーキャラをこの世界に召喚したのだ。
ゲーム内で彼女の姿を目にする事はないが、大魔法使いとしての彼女の偉業の数々は、多くの人々の口から語られる事となる。各地域を繋ぐワープゲートも、彼女が単身で作り上げたものだという。NPCには利用できないそうだ。
プレイヤーたちの異世界召喚。それはまさに。
「まさか……あの設定が、現実のものになったと……?」
目を瞬かせるアリアドネのつぶやきに、オルテは黙って亭主を見る。
「アマッカは?」
だが、亭主は悲しげに首を振る。
「魔王を退治しに暗黒大陸へと向かってな……それっきりだよ」
それは、ゲーム上の設定と同じだった。
アマッカは魔王討伐のため単身暗黒大陸へ向かい、しかし力及ばず、最後の力で冒険者たちを召喚し、その後消息不明となった。
もしも、この通りの事が起こったというならば……帰る方法は、存在しない。
少なくとも、現状実装されていた『ザ・ライフ』の中には、帰還のイベントなど存在しないのだ。
「………………」
黙り込んだ3人を見かねたか、亭主が話題を変える。
「そういえばあんたたち、領主様の元へ行った方が良いよ」
思わず、オルテは身構えた。が、亭主を含めた周囲に、特に変化はない。
「どうして?」
マリーンの問いに、亭主はああと頷き、
「アコーチ様は心優しいお方だよ。『我らのために喚ばれた冒険者たちに、何もしないわけにはいかない』ってんで、是非自分のところで歓待したいって仰せだ。だから、頭に緑の三角形を浮かべたのを見かけたら報せろってお触れも出とる」
「それ……指名手配なんじゃないの……?」
「ははは、なんでわしらのために戦ってくれるあんたらを指名手配しなくちゃならんの
かね」
あんたたちのために戦うつもりはとりあえずないのだが……という言葉は置いておき、オルテは亭主の様子を観察する。が、どうにも怪しいところはない。本気で言っているようだった。
亭主が他の客に呼ばれて離れた隙に、横の二人と話し合う。
「……どう思う、今の?」
「信じても、良いのではないでしょうか? 嘘を言っている風ではありませんでしたし、何より、現状この世界は『ザ・ライフ』に酷似しています。なら彼らも私たちの知っている彼らと似通っている可能性が高く、それならば私たちに敵対する意味はありません」
「……だが、同じ理屈は領主にも言えるはずだ。領主だって、俺たちの敵になるようなキャラじゃなかっただろう」
「それは、そうですね……」
「けれど、彼らはまだこちらに何もしてきていない。領主は、実際に害をなそうとしてきたわ」
「領主が……何か悪事を企んでいるのかもしれないな……領民を騙して、な」
「アコーチ領主が?」
「そう見えないか? 表向きは冒険者を歓迎すると言って、実際は襲ってきた……」
「まだ、断定するのは危険よ。ここの人たちだって、私たちを歓迎するフリをしているのかもしれない……」
「それなら……試してみるか」
「試す……ですか……?」
「この宿に俺たちが泊まれば、向こうに悪意があるなら何かしらのアクションを起こしてくるだろ」
マリーンが、眉をひそめる。
「囮になって一本釣りする気? 危険よ」
「けど、俺たちはもう顔を見られてるんだ。大体、どっちにしろ寝るところは
必要だろう?」
「野宿するつもりでしたが……ベッドで眠れるのでしたらそれに越した事はありませんね」
アリアドネが、度胸があるのだかボケているのだかわからない発言をする。
「はぁ……まあ、確かに正論だけどね。オルテ、もし部屋を襲われたらどうする気?」
「室内だ。大人数だって一度にはかかってこれないさ。最悪、窓を蹴破って逃げよう。俺たちの身体能力なら、できるだろう?」
「行き当たりばったりっぽいけど……まあ、こうでもしないと、NPCが敵か味方かなんてわからないか……仕方ないわね」
マリーンは折れ、同意した。アリアドネも、静かにうなずく。
それを確認したオルテは、親父を呼び、部屋を欲しいと頼んだ。
「はいよ。一人部屋を3つでいいかね?」
「いや、3人一部屋で頼む」
「えぇっ!?」
女性陣から声が上がった。
「ちょ、ちょっと、オルテ! あんたそれは……」
「そ、そうですよ! 同衾だなんて……」
オルテは親父に待ったをかけて、2人の方へ寄る。
「だが……。3人バラバラじゃ、奇襲にでもあった時まずいだろう」
マリーンが、ジト目で睨む。
「あんた、初めからこれ狙いだったんじゃないでしょうねぇ?」
「おいおい、俺は、そもそも一人でここへ来ようとしてたんだぞ。ついて来たのは君たちだ。そんなに言うならこっちとそっちで分かれてもいいさ。ただ、何かあった時の対処が遅れるだけだ」
マリーンは黙る。そして腕を組み、はぁとため息をつき、
「わかったわよ……。その代わり、変な真似したら承知しないわよ」
「健全なお付き合いをしたいと考えている」
オルテは愛想笑いを浮かべて応え、そして、アリアドネを見る。
アリアドネは、うー……という顔でしばらくこちらをにらみ返していたが、やがて、しぶしぶ、といった様子で、わかりました……と小さくつぶやいた。
まあ、彼女たちの気持ちもわかる。
こんな、法も秩序も現代と違う世界に放り出されたのだ。否が応にも自衛心は高まる。
それに、オルテとは出会ってまだ数時間。おまけに、オルテがこの中で一番レベルが高い。
信用を生むには、まだまだ時間が必要だろう。
というわけで、その信用作りの時間である。
用意された寝室は、ベッド3つが多少の距離を置いて並び、入り口近くに丸テーブルの置かれたそこそこ広い部屋だった。
当然、宿の中でも高い部屋だが、所詮は初心者エリアの店。3人それぞれ払うのも面倒だと、オルテが詫びの意味も兼ねて部屋代を全員分払っておいた。
そこそこふかふかのベッドに座り込んだマリーンが、ふとつぶやく。
「この宿、お風呂あるのよねぇ……」
「おい、風呂は一番危険だぞ。装備を外している時に襲われたらどうする。それにこの体、血も汗も出ないし、多分泥でも被らない限り汚れないだろ」
いかにも入りたそうな彼女に、釘を刺す。
「それはわかるけど……でも、入りたいわよねぇ?」
「そうですね……」
同意を求める視線に、アリアドネがうなずく。そういうところは年頃の少女らしいというべきか。
確かに、彼女たちはこの世界に来てから風呂には入っていないだろうし、見てはいないが決死の包囲網突破の後だ。入浴したい気持ちもわからないではない。
「だが、リスクが高すぎる」
「……そうかしら? 元の世界ならともかく、ここなら大丈夫じゃない? 鎧だって、瞬間装備できるし」
普通に服を着る、脱ぐ、それもできる。が、アイテムウィンドウから装備を選択してクリックすることで、一瞬で衣類を着替える事が可能だった。
「大体、あたしたち高レベルよ? 防具なしでも、ちょっとやそっとじゃやられないわ」
「相手の強さもわからんうちから過信は危険だと思うが……まあ、理論武装はいいよ。要するに、入りたいんだろ?」
「そうそう。いいじゃない、あんただって男だし……私たちに見られないでしたいコト、あるでしょう?」
と、マリーンは意味深な笑いを浮かべ、手を筒状にして縦に振る。
そうだなこんな美人たちと一緒にいるからな、と答えたらセクハラになるだろうかとオルテが考え込んでいると、アリアドネがきょとんとした顔を向けてくる。
「私たちに見られないでしたい事? 瞑想とかですか?」
2人はずっこけた。
「あんたそれ、マジで言ってる?」
「はい?」
マリーンの突っ込みにも、目をぱちくりさせるアリアドネ。
通じてない。天然だ。
(あんな大規模ギルドのマスターなんだし、最低でも高校生くらいだと思うんだが……)
少しめまいを覚えながらも、気を取り直す。
「風呂の件だが……俺が見張りに立つか?」
「え?」
「この宿はそう大きくない。おまけに、今は町にいるプレイヤーも少ないだろうから、宿の利用者はほとんどいない。だから、俺が風呂場の入り口に立っていれば、見張りにはなるだろう」
もっとも、こうしたところで、風呂の中までついて行けない以上危険は伴う。
しかし、異世界に飛ばされ、誰を敵と味方と信じていいのかわからぬ状況に放り込まれてきた彼女たちに、せめてこの程度の心の安らぎくらいは与えてやりたかった。
先刻の反応から宿の亭主たちが敵対してくる可能性は低いと踏んでいたし、そもそもは一人で来るつもりだったのだ。お荷物ではなく高レベルの2人とならば、多少の危機は乗り越えられるだろうと思った。
「ですが……」
躊躇するアリアドネを、からかうように笑いかける。
「俺が信用出来ないか?」
「そ、そんな事は……ちょっと、ありますけど……」
団長様は思いの外正直だった。
「さっき……笑わないって言ったのに……笑いましたし……」
意外と根に持たれていた。
「ああ、確かにオルテなら覗きにきそうねぇ」
と、マリーンが面白がって参加してくる。
「おいおい、勘弁してくれよ。そりゃ見たいとは思うが、一応人並みの倫理観はあるつもりだ。第一、そんな事言ってられる状況でもないだろう?」
「『こんな状況だからこそ』、心配……というのはあるけれど、わかったわ。好意で言ってくれてるみたいだしね。オルテ、あなたのことを信じてるわよ」
元々からかっていただけだろう事もあって、マリーンはあっさり引いてくれた。
アリアドネはしばらく、うー、と唸っていたが、やがて、すみませんがよろしくお願いします……と頭を下げた。