4話 ホワイト・ナイト ~白銀の騎士~
「ねぇ、君たち、プレイヤーでしょ?」
森の中から声をかけてきたのは、灰色のローブの女性だ。ウェーブがかった青い髪をフードから垂らした、20代前半と見える女性。髪の間から覗く尖った長耳は、エルフの証だ。 頭上には、緑の逆三角形が光っている。
彼女とともに、数十人のプレイヤーたちが木々の間から現れ、駆け寄ってきた。
「領主のとこへ行く途中で、襲われたの?」
彼女の問いに、オルテはシズを見る。
「この子はそうだ。俺は、ついさっき来たばかりだけど」
「ついさっき!? どういうこと……?」
「落ち着いてください、マリーンさん」
涼やかな声がかかった。
「む……」
オルテは、声の主に目をやり、軽くうなる。
白味の入った銀鎧は、プレイヤー染色でのみ出現する。メタリックカラーは、相当のスキルレベルがなければ作れない。それでいて鎧自体、最上級の防具職人の逸品と見て取れた。
そんな超高級品を軽やかに着こなす、黒髪の女性……いや、少女か?
落ち着いた笑みが、まとった純白のマントと相まって、大物然とした雰囲気を醸し出している。
いや、実際彼女は、実プレイヤー人数100万人を超える『ザ・ライフ』において、トップ100人のうちに入るほどの有名人だった。
「……ギルド、『銀樹騎士団』団長……ホワイト・アリアドネ」
「ご存知頂いているなんて……光栄です」
少女、女騎士アリアドネは微笑んだ。
「……というわけで、私達も町に戻るべきか否か、考えあぐねていたのです」
情報交換を終え、アリアドネが現状をまとめる。
彼女たちもまた、シズと同じくワチセキにおり、領主の誘いに乗ってあの大集団の中にいた。
が、魔物たちの奇襲を受けたため、ただちにアリアドネを中心として陣を敷き、皆を鼓舞し……巨大猪マウントボアの出現で分断されながらも、なんとか数十名のプレイヤーたちとともにこの森まで逃れる事ができたのだ。
だが、この先、町に戻るかで意見が分かれた。
町のNPCが味方かどうかわからない。少なくとも領主は敵だ。なら、このまま危険を冒して戻るより、どこか別の場所へ行くのが良いのではないか。
「と言っても、町に戻らないとワープゲートはないぞ」
地域同士をつなぐワープゲート。それは各地域のメインタウンに置かれており、この地域ではワチセキがそれに該当する。もしそれ抜きで移動するとすれば、かなりの時間を取られる事になる。
なにせここがゲーム通りの世界なら、地球の10分の1の広さはあるのだから。
地理も、地球に準じている。
始まりの街ワチセキがある地方は、現実でいうイタリアの位置に当たる。設定的に完全にそうだというわけではないが、まあある程度の類似がある。
ただ、すべて実装済みというわけではなく、アメリカやオーストラリア大陸は未発見、アフリカ大陸は魔界として、ゲームだった時は進入可能エリアになかった。
「人数分の乗り物もないんだろう?」
馬、馬車、象……これらの騎乗用ペット……<騎獣>やアイテムも存在するが、ある程度のプレイヤーでなければ手に入れられない。
見た様子では、アリアドネと『銀樹騎士団』のメンバーを始めとした中堅~高レベルのプレイヤーは全体の4割程度。案外多く思えるのは、低レベルプレイヤーたちの大半は、あの奇襲から逃れられなかったということだろう。
いずれにしろ、全員分の乗り物は用意できまい。
「そうですね……それに、離れ離れになった方たちのこともあります」
アリアドネは、悲しげに顔を曇らせる。
「彼らは……どうなったと思う?」
最悪の結果を想像しつつ、オルテは問う。
「恐らく、私たちを含め、逃げられたのはごく少数でしょう……。ギルドメンバーも……」
彼女は、慎ましやかな唇をきゅっと噛んだ。本来『銀樹騎士団』は下位メンバーを除き、こんな低レベルエリアで活動している組織ではない。それがここにそろい踏みしていたのは、恐らくこの大事件が起こってから、人の多いエリアにいた方が良いと判断しやってきたのだろう。
彼女はその決断をした己を、許せずいるようだった。
「その……領主の手から逃れられなかった連中は、どうなったと思う?」
あまり踏み込みたくはなかったが、聞かねばならなかった。彼女も、数百人の大ギルドを束ねる長としてそれは理解しているらしく、まっすぐな目でこちらにうなずく。
「HP0……消滅まで追い込まれた人を、見た方は今のところいません。勿論、私たちも自分の身を守りながらですから、断言できるわけではありませんが……どうも、向こうはこちらを倒すよりも、拘束するように動いていた気がします」
「拘束……ね。それなら、もしかしたら他のメンバーも、領主に捕まって幽閉されてるだけなのかもしれないな」
そう思いたかった。
「……いずれにしろ、まずはこの世界の状況を知るためにも、町へ行ってみるべきじゃないか?」
状況を確認し終え、オルテは言う。
「それで、また攻撃を受けたらどうするんだよ?」
『銀樹騎士団』の団員の一人が、問うてきた。さすがにレア物の白銀カラーではなく、ただの白鎧の騎士だ。
「別にあんたたちに無理強いはしないよ。どっちみち、俺は一人でも町へ行くつもりだ。なんなら、情報収集してきてもいい。その代わり、この子……シズの面倒を見て欲しい」
「えっ……」
見上げてくるシズに笑い返す。
「俺についていくるより、この人たちと行動した方が安全だよ。特に、町へ行きたいわけじゃないんだろう?」
「そう、ですね……知り合いもいませんし……」
すっ、とアリアドネがこちらに目を向けてくる。
「オルテさん……レベルは?」
「95だ」
周囲から、おお、という声が上がった。アリアドネも、ほう、という顔をしている。
「私89です。負けちゃいましたね」
彼女は、嫌味のない笑みを浮かべた。
そもそも大規模ギルドのギルドマスターである彼女に比べて、言わば戦闘バカの上プレイ歴ばかり長いオルテのレベルが高いのは当然な気もする。……無論、これは口には出さないが。
アリアドネは顎に手を当て、ふむ、と独りごちて顔を上げた。
「オルテさんになら……お任せ出来ますね。わかりました。――私もご一緒させてください」
「えぇっ!?」
それは、場のほぼ全員の声だった。
「な、なにも、そんな危険なことを団長がしなくても……」
「あら、だって、私が一番生存率高いですよ。<パラディン>ですし」
「<パラディン>?」
シズがきょとんとした顔をしているので教えてやる。
「サブクラスってシステムがあってな。その中のレアクラスだ。<騎士>だけど、<僧侶>系のスキルも使えるようになる。回復や補助魔法が使えるんだ」
「現状、情報収集が一番大事でしょう? なら、それに注力すべきです」
「でも、団長! 俺たちはどうすればいいんです?」
「副団長が指揮をとってください。この辺りは、ゲーム通り低レベルエリアでしょう? 森の中に潜んでいれば大丈夫ですよ」
「食料はどうするんだ?」
気になって、オルテが聞いた。
「倒したモンスターを、調理スキルを持つ方に料理して頂いて、食べてみました。特に問題ありませんね」
「自分で食ってみたのか……」
「お腹がぺこぺこだったもので」
冗談めかしてアリアドネは笑う。
度胸のある人だ。いくら初期モンスターは犬だの鹿だの現実世界の延長モドキが多いとはいえ、まるっきり未知の生き物である。
指導者の行動としては少し軽率にも思えるが、それでも自ら踏み出す姿には、オルテたちを導いてくれた『グレイファントム』のリーダーを思い出し、敬服を覚える。
「『騎士団』以外の方々も、それでよろしいですか?」
アリアドネが周囲の者たちに問う。
彼女が全員の中の最高レベルで、かつ『銀樹騎士団』という大所帯の仲間がいたからこそ代表のようになっているが、本来この集団に長はいないのだ。ただ、逃げてきた者たちがなし崩し的により固まっているに過ぎない。
「まあ、その方がリスク分散にはなるよな……」
「でも、二人ってやばくね……?」
「上級プレイヤーさんなんだし、大丈夫じゃないの?」
「――私も、ついて行っていいかしら?」
そう言ったのは、先ほどのエルフの女性……マリーンだ。
「レベルは72だけど……魔術師なら、パーティバランス的には良いでしょう?」
戦士、回復役、魔術師……RPGパーティの黄金比は、『ザ・ライフ』でも健在だ。
「俺としては助かるけど……いいのか?」
「待ってるだけなのも気分悪いしね。私はマリーン・アクア。メインクラスは魔術師、サブクラスは<ウォーターエキスパート>よ」
『ザ・ライフ』では、パーティを組む際の自己紹介では、サブクラスを名乗る慣習があった。
サブクラスは、10レベルを超えたプレイヤーが就ける、もう一つの職業だ。
と言っても、基礎的なものは町で授業を受ければ習得できるが、<パラディン>のようなレアクラスは条件が隠されており、そう簡単に習得できるものではない。
大きく分けて戦闘系と生産系に分かれており、戦闘系はスキルやステータス補正に強力なものが多いため、どちらを選ぶかによってそのキャラクターの未来が決まると言ってもいい。
だからこそ、弱いサブクラスや生産系のサブクラスでガチ狩りパーティに入ろうとする人間は「地雷」と呼ばれ、断られたり名前を晒されることがある。
彼女、マリーンの<ウォーターエキスパート>は、魔術師職だけが就ける戦闘サブクラスだ。
選んだ属性魔術のスキルを強化する他、専用の上位スキルも扱うことができるようになる。
「水魔術師か。支援は期待させて貰うよ?」
「任せといて」
水魔術は、攻撃スキルは範囲系、そしてその他のスキルでは特に補助系に特化している。パーティでの需要も高い。
「オルテ。……あなたのサブクラスは何なの?」
「俺か? 俺は……<ナイト>だよ」
「はぁっ!?」
マリーンとアリアドネ、それに周りの幾人かのメンバーも怪訝な顔をする。
「<ナイト>って、基本サブクラスじゃない。あなた95レベでしょ? 普通もっと特別なサブクラスとってるもんで……っていうか、せめて<ガーディアン>じゃないの?」
「いや、色々あるから、どれにしようか考えあぐねていてさ……」
オルテは目をそらし、頭をかく。<ナイト>は、初めから選べる低レベル用サブクラス。もしこのクラスで高レベル帯の効率重視のパーティーに入ろうとしたならば、間違いなく断られるだろう。最悪、名前を晒されるかもしれない。なお、<ガーディアン>はその上級クラスで、町で習得できる。
「こほん」
少し微妙になった空気を戻すように、マリーンが咳払いをする。
「……まあ、それだけレベル高ければ、いくら<ナイト>でもこんなエリアごり押せるでしょうけど……」
「そうですね。それに、レベルやスキルも重要ですが、『ザ・ライフ』ではプレイヤースキルが何よりも大事ですから……」
こちらを見つめながら、アリアドネが言う。期待しているということだろう。
「プレイ時間だけは長いつもりだ。まあ任せてくれ」
「頼もしいですね」
「……方針は決まりましたね」
会話のまとめに入ったのは、『銀樹騎士団』の一人だ。アリアドネが副団長と言っていた人物だと思う。
「では、団長たちは町の偵察をお願いします。我々は、我々の方針に賛成してくださる方たちとここに残り、団長たちの帰還を待ちます」
「合流期日も必要ですね。そう……ここから町まで、馬を使えば20分といったところでしょうか。それを考えて……今が18時ですから、明日の19時でどうでしょう?」
「了解しました。それまでに戻られなければ、異常があったと判断します」
「……ギルドチャットは、やっぱり使えないか?」
オルテは尋ねる。ギルドメンバー同士で音声をやり取りし、会議のできるギルドチャット。それを使えば、一々期日を決めずともリアルタイムで連絡が取れる。
「メンバー内で試してみたのですが、あいにく……使用できなくなっているようです」
「そうか……」
残念に思うが、気を取り直す。いずれにしろ、道は定まったのだ。
周りの初心者メンバーに混じり、こちらのやりとりを眺めていた少年の元へ向かう。
「シズ」
「あ……はい」
「そういうわけだから、後はこの人たちに助けてもらってくれ。初心者プレイヤーも多いみたいだから、色々教えてもらえると思う」
「ありがとうございます。ここまで、お世話になりました」
ちらりと、オルテは、話し合っているアリアドネたちを見る。
「色々と大変だと思うけど、俺たちは一人じゃない。お互い、がんばろう」
「……はい。オルテさんも、お気をつけて」
「……準備はよろしいでしょうか?」
会談を終え、問うてくるアリアドネに、うなずきを返す。
「では行きましょう。……私たちは馬笛を持っていますが、オルテさんは?」
「……すまん、持ってないんだ」
「そのレベルで持っていないの……?」
マリーンが不審な目を向けてくる。
<騎獣>自体は、基本的に町で買える。プレイヤーの移動速度はゲームの快適さに直結するから、プレイスタイルにもよるが、最初の<騎獣>が買える20レベルにもなれば、すぐにお金を貯めて自分用のを買うものだ。
「いや……前の戦闘で死んじまってさ。まだ復活させてないんだよ」
<騎獣>にもHPが設定されており、0になればプレイヤーと同じく死亡する。一度死んだ<騎獣>を復活させるには、多少面倒なイベントをこなす必要があった。
「ああ、一回や二回ならいいけど、何度もだとだるいもんね、あれ」
マリーンが納得したようにうなずく。彼女は、何度か<騎獣>に死なれたことがあるらしい。
「仕方ないな。じゃあこれを使っていいわよ」
一人のメンバーが、ホイッスルを差し出してくる。
<騎獣>呼び出しアイテム、<コールホイッスル>だ。笛を吹くことで、設定されているペットが呼び出される。
「いいのか?」
「予備用にとっておいたアラビアンよ。サラブレッドじゃなくて悪いわね。でも、終わったら返してよ?」
アラビアンは騎乗馬の名前だ。この世界の設定においては、購入できる馬として最高性能を誇るサラブレッドの2ランク下の馬である。中堅といったところか。
「利子もつけるよ」
とはいえ、人間などより遥かに速いのだ。オルテはありがたく受け取った。
準備のできたオルテ、アリアドネ、マリーンの三人は、笛を吹く。
すると、何処ともなく馬が三頭、こちらへ走ってきた。
オルテの元へやってきたのは、茶色のアラビアン。現実世界の馬がモデルだけあって、その姿は見慣れたものだ。
マリーンの馬は、月毛のサラブレッド。
ペットにはカラーが設定されており、初呼び出し時にランダムで決まる。馬種において、淡いクリーム色の体毛、月毛はレアカラーである。おまけにサラブレッドだ。プレイヤー売りすれば、一財産は稼げるだろう。
だが、あいにく彼女の馬以上に目を引くものがいた。アリアドネの騎乗馬である。
体毛は白。これもレアカラーであるが、問題はそんなところではない。
美しい金色のたてがみ。真珠で作られたような光沢を持つ、額から伸びる角。
クエスト限定入手の幻獣種、ユニコーンだ。
これ以上の<騎獣>など、竜やペガサスといった飛行系くらいのものだろう。
「………………」
主と同じく気品あふれたユニコーンの佇まいに見惚れるマリーンへ、アリアドネが苦笑する。
「行きましょう」
「え、ああ、そうね」
「ユニコーンか……俺たちを置き去りにしないでくれよ?」
オルテは茶化すように笑う。ユニコーンの速度は、恐らく陸上騎獣最速のはずだ。
サラブレッドならまだしも、アラビアンではかなり手加減してもらわないと追いつけない。
「ええ、ご心配なく。一人では、迷子になってしまいそうですから」
アリアドネの冗談に笑う。フィールドマップは、意識すれば画面の右上に表示される。どうやっても、迷いようがないのだ。
「では、行ってきますね」
「はい。お気をつけて」
アリアドネと副団長の別れを合図に、オルテたちは町へ向かい馬を走らせ始めた。
「強い人たちだな……」
アリアドネたちを見送る副団長のつぶやきが、シズの耳に入る。彼を見ると、目が合い、苦笑された。
「いや、こんな時でも冗談を言ってられるところがさ」
「そうですね……」
こんなわけのわからない状況に放り出されて、それでも彼らはうつむかず、前を向いて進んでいた。オルテなんて男の人は、そもそも自分からこの世界へ飛び込んだほどだ。
正直、未だにちょっとその気持ちは理解できないけれど……いい人だったな。強い人だった。レベルという意味でも、それ以外の意味でも。
――私も、そうなりたいな。
シズは、小さくなっていく彼らの背中を見ながら、そう思った。