3話 ファースト・クロス ~二人は出会う~
目を開けた時、シズは変わらず町中にいた。
「光、に……」
包まれていた、ついさっきまでは。
そう、牧場を出て、冒険者の宿とやらへ向かおうとして、光に包まれた。
「なんかの、イベント……?」
不審に思い見回すと、周囲のプレイヤーたちも、同じように辺りに目をやっている。
皆、同じ現象にあったのか。
「お、おい、どうしたんだ、一体……?」
不意に、後ろから野太い声をかけられた。さっきまで聞いていた声。オシカンの声だ。
だが、そこに違和感を覚える。
感情のこもった声。いや、勿論それまでも十分な声優の熱演であったのだが、これは何か違う。
そう、なんというか、十把一からげのプレイヤーたちを相手にするような一律的なものではなく、まるで、目の前のシズ、それだけに向けて放たれた、彼自身の声のような――
シズは、振り向いた。
そこには、オシカンがいる。赤いハチマキの下、精悍な顔を、戸惑うように歪めて。
「……君たち、突然どこから現れたんだ……?」
『ザ・ライフ』のような異世界に迷い込んだ。
二日の間に、この認識はプレイヤーたちの間で共通のものとなった。
仮想世界の中ではなく、「よく似た異世界」と思われたのは、NPCたちの反応と、以下の理由からだ。
血は出ないが痛覚がある。ゲーム的に触れなかったオブジェクトに干渉できる。(例えば、地面の土を掘るとか)ウインドウは開けるが、ログアウトできない。NPCから黄色のカーソルと名前が消え、本物の人間のように対応してくる。そして。
「見た目が……」
シズは、噴水に映った己の顔を見る。
シズの顔ではない。かといって、志都美の顔でもない。
あえていうのなら、両者の中間。足して2で割ったような顔だ。
小さく身を抱くようにする。とても小ぶりだが、胸もあった。少年のシズに、あるはずのない胸が。
幸い、元々童顔のシズの顔は、志都美の要素が加わったところでさして変化はない。服装は少年のものだし、脱がない限り女だと気づかれる事はないだろうが……。
ため息をつき、周囲を眺める。シズと同じように戸惑う人間たちが、無数にいた。
ここは街の中央広場。冒険者の宿や出店が並び、本来ならばプレイヤーたちの交流の場として、賑やかになっていたのだろう。
だが今は、なるべく大勢でいたいと願う者たちが集まる、烏合の広場でしかなかった。
何故か消えぬ緑の逆三角形が野放図に林立する様は、まるで迷いの森だ。
シズもその一人。比較的早く到着したこともあって、噴水の縁という良い場所をキープできた。
だがそれが、なんだというのか。
「どうなるんだろう、これから……」
それは、この場にいるプレイヤーたち全員の代弁でもあった。
「冒険者の、皆様!!」
その時、広場に声が響き渡った。
馬に乗った騎士がいた。後ろには少し地味な装いの騎士たち。部下なのだろうか。
全員頭にカーソルがない。NPCか。
「突然このような世界に迷い込まれてしまい、大変混乱していらっしゃるでしょう。ですがご安心ください! この領地を治めるアコーチ卿が皆様をお救いになられることを決意いたしました! どうぞ、わたくしどもについて来てください!」
それは、この世界に投げ出され、どうして良いかわからないシズたちに投げられた、一筋の蜘蛛の糸だった。
だから、その場にいた大多数がその指示に従った。
そして、襲われた。
「はぁっ、はぁっ……」
シズは木に寄りかかり、荒い息を吐く。
ここは森。森だ。辺りには林立する木々ばかりで、人の気配はない。
ここなら安全、安全だ。
ほっと肩の力抜き、拍子に、持っていた<青銅の長剣>が軽い音を立てた。
もう、あいつらは追ってきていない。
「なんなのよ……っ!」
膝を曲げてうずくまり、うめいた。
シズたちは騎士に連れられ、領主の城へと向かっていた。
総勢数百人から数千人はいようかという大集団だ。
勿論シズのようなビギナーも多くいたが、腕の立つ者たちも当然いるようで、時折襲ってくるモンスターも誰かが片付けてくれた。
が、道中の森で、突然モンスターの大群が現れた。
彼らは四方八方からまるで待ちぶせていたかのように包囲を敷いて襲いかかり……おまけに、領主の使いであったはずの騎士たちまでもが、プレイヤーを襲い始めた。
幾人ものプレイヤーたちが爪や刃を受け、血は流さず、地面に倒され、捕縛されていった。
そんな中でシズが生き残れたのは、三々五々となりそうだったプレイヤーたちをまとめ上げ、指揮をとった人がいたからだ。
白銀の鎧にセミロングの黒髪。美しく凛とした女性。彼女と揃いの鎧をまとったプレイヤーたちが抵抗し、なんとか一網打尽を防いだ。
が、それも小山ほどある猪のようなモンスターの乱入で崩れ、プレイヤーたちはバラバラ、結局、シズも逃げ切れたものの、一人となっていた。
「なんなのよ、一体……」
もう一度、つぶやいた。
森に取り残された自分は孤独だ。
いや、森ではない。この世界にだ。
レベル1。アイテム装備はチュートリアル直後のもの。ゲームシステムやバランス、世界観だってよくわかっていない。
これから一体何をしたらいい。何ができる?
「街……」
それしか思いつかなかった。そもそも、そこにしか行ったことがないのだから。
だが、領主の使いを名乗る者たちは、自分たちを攻撃してきた。あそこへ戻っても、同じ目に遭うだけではないのか。
「おなか、すいた……」
ヴァーチャルリアリティオンラインゲームにおいて、空腹感は実際の体とリンクしている。ゲームののめり込みによる、餓死を防ぐためだ。
この体がヴァーチャルなものかリアルのものか。
試す意味でも、何か腹に入れたかった。
だが、手持ちにあるのは薬草のみ。
現状無二の回復アイテムを、空腹のためだけに食べるのはためらわれた。
「いっそウサギでも出てきてくれないかなー……」
調理の仕方もわからないくせに、シズがそんなことをつぶやいた時、彼の願いは叶えられた。
「ゴガアアアアアア!!」
ただし、ウサギなどという可愛らしいものではなく、ずんぐりとした大熊であったが。
「っ!」
慌てて剣を取り、立ち上がる。
体が震える。チュートリアルは一撃で倒し、モンスターの包囲網の中では逃げまわるだけだった。
実質、これが初の戦闘。
「そ、そうだ……え、えっと、<パワーアップ>!」
震える叫びと同時、体を青い光が包む。
「よ、よし、<フルス――」
だが、それよりも早く大熊がその右腕を振るった。
「がっ――!!」
吹き飛ばされ、木にたたきつけられる。
「痛っ……」
痛かった。しかし、思ったほどではない。せいぜい、背中を強く蹴られた程度だ。
が、目の端のHPバーを見る。半分にまで削れていた。
「強っ……すぎ……」
初期エリアのモンスターなら、多分こんなことにはならなかったのだろう。だが、領主の元へと行く過程で、大分街から離れていた。
「か、勝てない……」
思わず口をつく言葉が、意気地を削ぐ。
震えていた。声が。体が。心が。
呆然とすくむシズの前で、大熊は再びその大腕を振り上げ――
その腕を、切り落とされた。
「え……?」
呆けた声を上げるシズの前に、一人の男が立っていた。
まるでシズを守るように。空から降りた天使のように。大熊の前に立ちはだかっていた。
蒼いサーコートの長身に黒髪。頭上には、プレイヤーの証の緑のカーソル。右手には、まるで槍のように長い剣。
「<凱閃>!!」
叫び声とともに、男が長剣を振るった。
赤い光のまとわれた刃が、熊を縦に一刀両断する。
振るわれた勢いで衝撃波が出るかというほどの、凄まじい一撃だった。
一瞬で熊は絶命し、その姿を霧散させる。
「……気負い過ぎたか」
男は長剣を背中に戻しながら、こちらへ振り向く。
コートの下に軽装の金属鎧をつけていることに、そこで初めて気づけた。
「……大丈夫か?」
男が、問うてくる。
「あ、は、はい……」
なんとかそれだけを答える。
「HPが減っているな……これを使ってくれ」
投げ渡されたのは、赤い液体の入ったビン。体力回復のポーションのようだ。
恐る恐る蓋を開け、飲んでみる。甘い果汁の味がして、HPが最大値まで回復する。空になったビンは消滅した。
「一息ついたら、教えてくれないか。このゲームに、一体何が起きたのか」
「あ、あの、あなたは……?」
恐る恐る問うシズに、男は答えた。
「俺はオルテガイ・アマッシュ。オルテでいい」
「なるほど、な……」
情報交換が終わり、オルテはため息をついた。
『ザ・ライフ』のような異世界に飛ばされた。
突拍子もない話だが、そうと考えるよりない。
「………………」
引き換えに話してやった現実世界の状況に、シズと名乗った少年は少しショックを受けているようだった。
あれから。
ログインしたオルテは、己が町中ではなく森にいることに気づいた。
そういえば、あの時ハーフたちと引退の話をしたのが最終ログインだ。人目を引きたくなくて、森の中で話したのだった。
仕方なく街へ戻ろうと移動していたのだが、遠目からモンスターに襲われているシズを見つけ、急ぎやってきたというわけだ。
「まあなんにせよ、間に合って良かった」
その時、ガアアアアアという唸り声が辺りに響いた。
シズが怯えたように顔をあげるが、心配ないと首をふる。
「モンスターですか?」
「そんなもんだ。だが、こっちには来ないさ。それより、街に戻るかどうかだな」
熟練プレイヤーであるオルテには、この世界の知識がある。
この地域に王国はなく、幾人かの領主たちがそれぞれの領土を治めていた。
始まりの街ワチセキを含めたこの地を治めている、件の領主アコーチには、何度か会ったことがある。無論、『ザ・ライフ』が普通のゲームの時で、普通のNPCとしてだが。
会った印象はごく普通の貴族の男性で、聖人君子というわけではないが、かといって悪人というわけでもない。
定期的に発生する依頼を受け、領民をおびやかす魔物の群れを駆除したものだ。
「あの……このゲーム、チャットとかメッセみたいなものはないんですか?」
「あるんだが……通じないな」
フレンドやギルドメンバーに声を飛ばすシステムはあった。が、入った直後に試したが通じなかった。
「ただ、チャットにはエリア制限もあるからなんとも言えない」
ダンジョンにいる、違う地方にいる、その他特殊エリアにいるプレイヤーには、チャットが通じないこともある。
そういった相手には、街にある郵便ポストからメールを出すしか連絡方法がない。
「あの……じゃあ、わ……ボクと、ここで試せませんか?」
「そうだな……じゃあフレンドチャットをやってみよう」
メニューからフレンド申請を選ぶ。すると半径10m内のプレイヤー……無論、今はシズの名前だけが表示される。それをタッチし、『シズ・ラメールにフレンド申請を行います。よろしいですか?』にYESと選ぶ。
しばらくして、受諾の反応があり、フレンドリストに彼の名が追加された。その名を選び、ボイスチャットを試みる。
だが……何度試しても、彼とチャットすることはできなかった。
「……やっぱり、様子を見るためにもワチセキには行きたいな。君は、どうする?」
「ボ、ボク、は……」
少年の困った様子を見て、自分の頭を叩く。
「悪い。君はビギナーだったな」
レベル1、おまけにこのゲームのことをほとんど知らぬ少年に、オルテについて行く以外の選択肢などないのだ。
「すまんが、一緒についてきてくれ。道すがら、基本的な事は教える。それからの事は、街へ行って様子を見て考えよう」
「は、はい……」
シズは、男、オルテとともに、街へ向かっている。
ちらりと、横を歩くオルテを見る。20代前半と見える顔は凛々しく、迷いなく前を向いている。
彼に、女性である事を話すつもりはない。
助けてもらったのには感謝しているが、人気のない森の中に二人きり、しかも法もないような世界である。
多分良い人であるとは思うのだが、やすやすと話す気にはなれなかった。
できることなら、誰にも話したくない。
女ということのメリット・デメリットはわかっているつもりだ。そして現状、デメリットがどれだけ危険であるかということも。
何より、このオルテという人は少し理解しがたい。
シズのように巻き込まれたのではなく、ログインした人間が消えるという異常事態がニュースで報じられて、それでもゲームへ入ったという、その心は。
仲間が心配だったそうだが、ネトゲの仲間のために、己の命を賭けてログインできるものなのか。リアルの友人は? 家族は? ……そんな質問は、さすがにできなかったけれど。
「君はチュートリアルが終わった直後だったな?」
「あ、はい」
オルテからの質問に、歩きながら答える。
「お互い武器も長剣同士だし、融通できたら良いんだが……悪いけど、君のレベルで装備できるものは持ってないんだ」
「気にしないでください。ところで、オルテさんって何レベルなんですか?」
「95だ」
「へぇ……すごそうですけど、このゲームのレベル上限って、いくつなんです?」
「100だそうだ」
「すごい、オルテさん、上限近いじゃないですか!」
「俺並のレベルのプレイヤーは割りといるよ。まあ、高レベルになると上げづらいゲームではあったけど……なんせ10年も続いてるしな。そろそろレベル上限の上昇も近いって噂もあったくらいだ。それに、このゲーム、特に物理職なら多少のレベル差は問題ない。
ほら、オートアクションじゃないだろ? レベルよりもプレイヤーのスキルが問われるんだ」
「プレイヤーのスキルか……苦手だな、わた……ボク……」
「スポーツとかやっていると良いって聞くな。現実の肉体を鍛えるのは意味ないが、体の動かし方の感覚を養っていると良いそうだ。何か経験は?」
シズはうつむく。
「うーん、運動音痴で……」
「そうか……まあ、ゲーム内で鍛えていこう。でだ、君、チュートリアルで金属鎧も貰っているだろう? 革鎧にしたのはどうしてだ?」
「んー、結構なんとなくですけど……軽そうだからかな」
「まあ、認識的には間違ってない。スピード重視、防御低めが革鎧だ。金属鎧になると、速度制限がついて動きが遅くなる」
「回避特化と防御特化……どっちが良いんです?」
「プレイヤースキルがあるなら、どっちでも構わない。ただ君、両手剣で行くつもりか? それだと盾を装備できないから、鎧だけ金属製にしても、中途半端になるかもしれないな。
高レベル帯なら、性能の良い金属鎧もあるんだが……」
「両手剣で行くなら、今のところは革鎧の方が良いんですね」
「まあ、そうだね」
なら、革鎧で行こうとシズは決めた。
HP0が何を意味するかわからないこの世界において、防御力は重要だ。だが、同じくらい、危険から脱出できる逃げ足も重要だと、先刻の包囲網の件で学んだ。
それに、両手剣の強そうなデザインが、安心感があって好きだった。
「そういえば、オルテさんは盾なしだけど金属鎧なんですね」
「俺は<戦士>じゃなくて<騎士>だからな。元々防御力が高めだ。それにこの金属鎧は軽装で、あまり速度ペナルティがかからない。要するに、金属鎧と革鎧の良いとこどりって奴かな」
「良いですねー……」
「君もレベルを上げていけば、そういう鎧を手に入れられるようになる。じゃあ、装備は良いとして、次は戦い方だな」
「はい」
「……と言っても、物理系、特に<戦士>タイプの初期じゃ、戦い方もバリエーションが少ない。スキルで攻撃力上昇させて殴る。ただし、MPは少ないから消耗に注意。回復ポーションは瞬間回復だが飲む動作が必要になる。戦闘中に使うなら仲間がフォローしてくれる時を見計らえ」
「その……具体的な戦い方とかは……?」
「うーん、そうだなぁ。結構人それぞれだよ。好きな漫画の主人公みたいに戦う人もいれば、リアルで格闘技や古武術やってて、その通りに戦う人もいる。スキルにバク転や高速移動や分身とかもあるからな。慣れればリアル以上に動けるから、好きにやれる」
好きにやれると言われても、下手に自由度が高すぎても選ぶのに困るというものだ。
「その……オルテさんは、どんなバトルスタイルなんですか?」
「俺か? 俺は……」
その時だった。
二人の前に、プレイヤーたちの集団が現れたのは。