1話 ダブル・ダイブ ~零へ行く者、零から行く者~
「どうして……どうしてなんだよぉ、オルテ!」
10年。
ヴァーチャルオンラインRPGの決定版と謳われた『ザ・ライフ』が発表されてから今まで。
そして、ベータテストから意気投合したオルテとハーフがパーティを組み、幾つもの冒険を重ねて来た年月でもある。
それをオルテは放り出そうとしていた。
ハーフは、信じられないものを見る顔でつぶやく。
「どうして……引退するなんて言うんだ?」
引退。ネットゲームを、辞めること。
「ゲームに、飽きた?」
こんな時でも口数少なく感情を見せぬ不思議な女性、パーティーメンバーのフヨウが問う。
「そんなことは、ない」
オルテは首を振る。
それだけは、断言できた。
「俺はこの世界が好きだ。お前たちに出会えたこの世界が」
たかがネトゲーに。そう言えた時代は、時の彼方に過ぎ去った。
仮想現実技術の発達により、オンラインゲームは圧倒的な進化を遂げた。
現実となんら変わらぬグラフィックによって再現された、生身の人間のようなプレイヤーキャラクター同士の会話。
立ちはだかる魔物は生々しく、擬似痛覚による戦いは緊迫感を増した。
その上に生まれる人間関係は、もはや現実のそれに等しいものであったのだ。
ただし。
やはりそれは、プレイヤーがログアウトしてゲームを起動しなくなれば崩れる、泡沫の夢でしかない。
そんな不安を抱いているからこそ、ハーフの取り乱し様は激しかった。
それは二人がギルド『グレイファントム』の中で築き、積み上げてきた関係の裏返しでもある。
「だったら、どうして辞めるなんて言うんだよぉ!?」
ハーフの悲痛な叫びを、ギルドメンバーは誰も止めない。
『グレイファントム』として仲を深めてきたのは皆一緒であったが、それでもハーフとオルテが名コンビであったのは、誰もが承知している事だった。
「それは……言えない」
身を切る思いで、しかしオルテはそう口にしなければいけなかった。
「ふざけ――」
「そこまでにしておけ、ハーフ」
ついに見かねて止めに入ったのは、ギルドマスターのアークだ。リアルの事には触れないのが『グレイファントム』の掟であったが、恐らく社会人だろう重みのある声は、焦燥の皆を落ち着かせ、これまでいくつもの窮地を乗り越えさせてきた。
「オルテがどんな奴かは、お前が一番良くわかっているはずだ。そのオルテが決めたんだ。相応の理由があるんだろう」
「っ……!」
ハーフは唇を噛んで、黙る。その仕草はCGによる演技臭さなど欠片もなく、見事にハーフの感情を表現していた。
やがて、搾り出されるような低い声が。
「……そうかよ。結局、ネットの仲間なんてそんなもんだよな。10年だろうが、1ヶ月だろうが……」
「ハーフ!!」
アークの静止を振り切り、ハーフは走り去ってしまった。
――それが、ゲーム内でハーフを見た最後の姿だ。
「……また、あの日の夢か」
オルテのプレイヤーたる青年、三橋玄人はため息をついた。
これで二日連続だ。
「ハーフ……」
つぶやきは、つけっぱなしだったテレビの音声にかき消される。
『以上のように、ネットワークゲーム『ザ・ライフ』にログインしたプレイヤーが忽然と姿を消す行方不明事件の被害者は、全国で十万人以上に渡っており――』
それは、オルテが『グレイファントム』のメンバーと別れ、『ザ・ライフ』にログインしなくなってからしばらくして起きた事件だった。
詳細不明原因不明。自室で、ネットカフェで、『ザ・ライフ』にログインしていた人間たちが文字通り突然消えたのだ。
当然世間は、そして『ザ・ライフ』の運営を行なっていたゲーム会社『オラクル』は大わらわとなり、少し前まで米国の連続猟奇殺人犯が密入国していたいう話題で持ち切りだったニュースを塗りつぶした。
ハーフ。『グレイファントム』の皆。
彼らがどうしているのかは、わからない。
ゲームにログインしていて消えたのか。それとも難を逃れられたのか。
彼らのリアルを知らぬオルテには、知りようがなかった。
ただ、行方不明事件が起きたのは休日の夕夜間……すなわちゲームプレイヤーがもっとも多い時間帯であり、『グレイファントム』のよく活動していた時間帯でもあった。
だから。
「……行こう。やっぱり」
玄人は『ザ・ライフ』を愛していた。たとえ『グレイファントム』と袂を分かとうとも、己なりの方法で。
『ザ・ライフ』は中学一年で始めてから今までの10年、自分の半生を費やしてきたと言っても大げさではないものなのだ。
当然、その中で同じ時間を共有してきたハーフもまた、決してかけがえのない友であったのだ。
だからこそ、行こうと決めた。
「…………」
『ザ・ライフ』の公式ホームページにアクセスする。そこには、『ゲームスタート』とあった。
ヘッドマウントディスプレイをつけて公式ホームページからログイン。それが、『ザ・ライフ』をプレイする方法だ。
無論、行方不明事件が起こった際、運営は公式ホームページを停止しようとした。
ところが、いくら行なってもそれはできなかった。サーバー上のデータを削除しようと、まるでウェブ魚拓でも取られたかのように、ホームページは依然として存在し続けた。
マウスカーソルを、『ゲームスタート』の上に置く。
『ザ・ライフ』にログインしたプレイヤーは肉体を失い死ぬ。そういう類のものなのかもしれない。
不安は、ないではない。
だが。
「『ザ・ライフ』は、良いゲームだ」
そう信じ、そうあるようにと努力してきた。
ハーフは、『グレイファントム』の皆は、きっとどこかで生きている。
そう信じ、そうあるようにと願いながら、玄人はマウスをクリックした。
2日前――
海野志都美は、ゲームを始める時に攻略サイトを見ない。
その方が、未知の発見や衝撃を感じられるからだ。
だから、今日新しく始める『ザ・ライフ』も、前評判を聞いただけで特に下調べはしなかった。
公式ホームページからログインすると、ゲームが起動。「ベッドに寝てください」の指示に従ってからイエスと答えると、ヘッドマウントディスプレイが志都美の五感を遮断し、脳に直接ゲームの情報を流し込んでくる。
世界は、志都美の部屋から黒一色に塗りつぶされた。
同時、目の前にウインドウが出る。
『『ザ・ライフ』にようこそ! キャラクターの作成を開始します』
人種、性別のメニューが表示される。
人種は人間・エルフ・獣人の三種。魔力に優れた「エルフ」、肉体に優れた「獣人」、平均的な能力の「人間」ということらしい。無難に人間を選ぶ。
すると眼前に、人型が現れた。3Dモデル、志都美のキャラクターとなるものだろう。
脇にはウインドウ画面が現れ、身長や肌の色などのパラメータが表示されている。これらを組み合わせてキャラクターを作るのだろう。
まずは性別だが……。
「男の子にしよっと」
ヴァーチャルリアリティ技術が発達して、異性を演じるいわゆる「ネカマ・ネナベ」プレイヤーは衰退するかと思われた。
実感のあるヴァーチャルリアリティゲームにおいて、異性の肉体を扱うというのは相当の違和感をもたらすからだ。
だが、現実では決してできぬ行いを求めてこその、ヴァーチャルリアリティ。
未知の自分を目指す者と戸惑って去る者、その割合は半々、プラマイゼロといったところだろうか。
敢えて言うならば、女性キャラのメリット……貢いで貰うことを期待してのネカマというものが減少したらしいくらいのものだ
志都美が男の子キャラを選んだ理由は特にない。
あえて言うなら、少年漫画の主人公みたいなキャラが好きだからだ。後、大人の男性を演じるのほど、違和感がないというのもある。
その後はさして悩むことなく、パーツやパラメータを入力し、眼前に表示される3Dモデルを完成させた。
志都美が作ったのは、12歳前後の黒髪の少年だ。小柄で色白の童顔は、中性的な雰囲気も漂わせる。キャラクターボイスは波形をいじれば調整できるようだが、この程度の少年の声なら素でも出せる。
ボイスは志都美自身のものを流用することにした。
決定ボタンを押すと、目の前のモデルが消え、自分の体に変化が起こる。
同時、モデルのあった位置に鏡が出現する。そこには、海野志都美ではなく黒髪の少年が映っていた。
「ふむ……」
実際に動かして確かめてみろということか。志都美は腕を回し、飛び跳ね、鏡に向かって百面相をしたりしてみる。
別段の問題はなかった。元の体と4歳程度しか違わない上、身長等もいじっていない。体を動かす感覚は、さしてリアルと変わらない。少しがっしりしたかな、くらいだ。それでも、男としては華奢な方だろう。
ひと通り試した後、脇のウインドウに表示された『容姿を決定します。本当によろしいですか?』の問いにYESと答える。
『キャラクターの名前を入力してください』
いよいよ最後のようだ。
ウインドウには2つの空白がある。両者の間には「・」が打たれており、どうやら姓と名を決めろという事らしい。
宙空にキーボードを出現させ、前もって決めていた「志都」という名前を入力してみる。
『エラー ・名前はカタカナのみ使用可能です
・姓は必ず入力してください』
「うわっ」
この限定には、少し驚いた。普通のオンラインRPGなら、ひらがなや漢字は愚か記号まで、制限なく使用できるものだ。
「凝ってるなー……って、言うべき?」
そういえば、公式ホームページにあった『ザ・ライフ』の特徴を思い出す。
キャッチコピーは「そこに、人生がある」。その言葉のとおり、『ザ・ライフ』は「ロールプレイング」という言葉の原点に帰った、架空のキャラクターの人生体感型RPGなのだ。
その世界観維持のため、そぐわぬものはたとえプレイヤーの不自由を生もうとも
排除するということだろう。
「まあ、確かに中世ファンタジーで「田中太郎」とか出られてもねぇ」
思い切ったことするなーとつぶやきながら、志都美は改めてキャラクターネームを打ち直す。
『シズ・ラメール』
由来はもちろん自分の名前。『ラメール』とは、フランス語で「海」という意味だ。
決定を押すと、今度はエラーメッセージは出なかった。
代わりに、世界が白く染まっていく。
『……世界は、リフェネシアは平和でした。そう、あの日までは』
女性の、声。
『――魔王ダルクラウドが、『世界召喚』によって魔界とともにこの地に来るまでは』
『ダルクラウドは、魔界ごとこの世に現れた魔族たちを率い、リフェネシアの民を蹂躙しました。
多くの人々が殺され、彼らの持ち込んだ『魔法』という技術によって焼かれていきました』
『このままでは、人族は滅びてしまう。
そんなことが、あってはなりません』
『だから私は、彼らの魔法という技術を利用し、今ここにあなたという方を喚び寄せます』
『――冒険者様。どうか、この世界をお救いください』