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新年拝:イディンにて  作者: 平 啓
番外編2:ヤマネの夢
7/15

ヤマネの夢Ⅲ

 着替えた給仕長が控え室から出てきたので、ラウィーザは顔を上げた。

「もう、出発なさいますか?」

 この年末年始に上の姫が隣国からの招待を受け、タニヤザールはその供をする。この日が出立であったが、その支度が一刻程早かったのだ。

「最後にやり残しを片付けなければな」

 タニヤザールは棚から取り出した絵本を青年に渡すと、付いて来るように言った。

 彼らが向かった先はエリダナ姫の部屋である。丁度姉姫が出てきた所で、出発のご挨拶ですかと給仕長が問うと、細い首がコクリと頷いて顔が伏せられた。

「……かわいそうなエリィ」

 姉姫の妹思いは有名である。しばらくして肩が震えだしたので、下の姫の病状はそんなに悪いのかと、ラウィーザは眉を寄せた。が、手の当てられた口元から漏れ出たのは、まさかの忍び笑いだ。隠しようがなくなり、どうにも押さえきれなくなった笑い顔を二人に向ける。

「笑ってはいけないのですが……エリィのあの顔ったら」うふふと、ついに声が上がり、とろけそうな目配せを二人の男に送る。「私が笑ったなんて、エリィには内緒よ」

 優雅にスカートを翻して上の姫は去っていったが、ラスタバンは間もなく、この掌中の玉を隣国の王子に奪われる事になっている。一発ぐらい相手を殴っても良い気がしたラウィーザの横で、給仕長が扉を叩いて入室の許可を伺った。

 室内には赤々とした暖炉が静かに燃える。寝台の羽根布団の陰から金髪のお下げがはみ出しているが、新参者の気配を覚えてもピクリともしない。タニヤザールは枕元に歩み寄ると、姫君、と声をかけた。

「お加減はいかがですか? 先程姉姫様がいらしたように、私も間もなく出発いたしますので、ご挨拶に参りました」

 布団の端がもそもそ動いて、眉間に皺を寄せた目が覗く。くぐもった声が発せられて、どうやらタニヤザールのバカと聞こえた。

「それは心外ですな。一日遅れましたが、お約束を果たそうと思いましたのに」些か意地悪な銀の笑みを浮かべ、小首を傾げる。「ヤマネをご覧になりたいのではないですか?」

「ホントですか!?」

 給仕長の言葉に、姫は叫んで上半身を起こしたが、たちまち情けない悲鳴を上げて布団に突っ伏した。

「姫様! 大口を開けてはいけません!」

 慌てて差し伸べられたシャーリンの腕にすがり、上げられる苦悶の顔。思わず吹き出しそうになったラウィーザは、奥歯をいっぱいに噛み締めた。薄桃色の頬が耳下から見事に腫れ上がり、つやつやと光るばかりである。いつもの細い首がなくなって、膨らんだ輪郭がそのままデンと肩につながっていた。

「……見せてくれるのですか?」

 目尻に涙を浮かべて、姫は囁くように訊ねた。顎を動かすと耳下の患部を圧迫し、痛みのためそろそろとしか話せないようだ。

「ここにお持ちいたします」

 タニヤザールの答えに、青年は手元の絵本に目を落としたが、給仕長が向かったのは窓辺である。カーテンを引き開き、ガラス窓を開けると、冬の冷気が部屋へ侵入した。養育係が止めようとする前に、窓枠にかけた長い脚でひらりと外壁の縁へ出る。その姿が窓端に消えたので、ラウィーザは急いで駆け寄り外を覗いた。タニヤザールは壁石の出っ張りを伝って、少し先の雨樋の覆いの陰を探っている。やがて何かを手にすると、するすると軽い身のこなしで部屋に戻ってきた。

 大股で再び寝台へ歩み寄り、姫の上に身を折る。

「お約束のものです」少女の見開かれた緑の目の前に、手にしたものが差し出される。「ヤマネです」

 大きな掌には、小さな茶色の毛玉が乗っていた。姫の両手に移されても、黒い線の入った柔らかい玉の形はそのままで、密生した毛の中に眠った目が埋まっている。時折細いヒゲがピクピクと震えた。

「春の夢を見ているのかもしれません」

 タニヤザールの言葉に、姫は輝いた瞳を上げた。銀の目が優しく微笑む。

「大地の精霊は、きっと姫に感謝していますよ」

 養育係が何か言いたそうだったが、口は閉じられたままだった。姫の方は、満面の笑みの所を嬉しさと痛さに微妙な表情を浮かべ、しみじみとヤマネを見つめている。

やがて、小さな溜め息をついて、両の手に乗る毛玉を差し出した。

「元に戻しますか?」少女が不自由な首で頷いたので、タニヤザールはそれを受け取った。「では、姫君をお慰めするために……この本を差し上げましょう」

 振り返った給仕長の視線が向けられたので、ラウィーザは手にした絵本を恭しく差し出した。驚いた姫が、もごもごと口を動かす。

「でも……これはタニヤザールの子どものものでしょう?」

 すると給仕長は口端を上げ、軽く頷いた。

「もう二人とも大人になり、ヤマネの居場所も心得ておりますので」

 再び姫の顔に頼りない笑みが浮かぶ。

「私……この本が大好きです」

 目を潤ませ絵本を抱きしめる姫に、タニヤザールは優雅な美しい礼をした。

「光栄です。それを描いた亡き妻も喜んでいる事でしょう」

 彼女が嫁いで迎えた最初の冬に、この絵本は描かれた。生さぬ仲の子のために色筆を動かしている姿を、タニヤザールは今でもよく覚えている。丁寧に綴じられた本は、長く子ども達の愛読書であったが、この数年本棚の奥にしまい込まれていた。

 ヤマネを元の巣に戻し別れを告げると、彼らは姫の部屋を辞した。水場で手を洗った給仕長に手拭きを渡しながら、ラウィーザが声をかける。

「よくあそこに、ヤマネが冬眠していると分かりましたね」

 タニヤザールは、丹念に手を拭いながら答えた。

「もう何年も、あそこは彼らの冬眠場所だよ。毎回、王宮周辺の見回りついでに、あちこち見つけてあるのさ」青年に手拭きを戻し、さて、と言って襟元を整える。「姫は十日は寝込む事になるから、王宮もさぞ静かになることだろう。後を頼むぞ、ラウィーザ」

 給仕長の留守の間、彼が代行を務めることになっていた。


 高速空中船が上昇を始め、見送りに来た国王や近習達の姿が、みるみる小さくなっていく。たちまち王宮の建物が視野に入り、厨房裏庭の使用人棟の屋根が見えてきた。その一室にリス族の一家がいる不思議を、タニヤザールは思う。

 彼らの言うには、北街道へ出る支道の峠で強盗に襲われ、子どもがさらわれたとのことだった。珍しい種族は、人買いに良い値で売れるのだ。

 その子がどうして王宮裏山の林にいたのか、依然大きな謎だった。姫は直前に竜の翼の音を聞いたとして、子どもを大地の精霊と信じきっている。

 しかし絵本は、亡き妻の完全な創作であった。廃れる一方のイディン法の戒めを、今一度幼い魂に教えようとしたのだとタニヤザールは聞いている。あの頃は喜捨の旬節も名ばかりとなり、多くの者が空腹のまま新年を迎えても、富んだ家々は見向きもしなかった。近年ようやく国の主導で、この習慣が蘇りつつあるのだが、それはイディン法本来の姿ではない。

 誰によっても強いられない人々の自発的な行為こそが、イディンの祝福であり竜の守りであると彼女は考えていた。

 そして満たされた者が揃って新年拝に集い、共に新たな祝福と竜の守りを受ける幸いを、強く心から望み願ったのだ。

「魂よ、望み願え……望み願え、魂よ」

 タニヤザールの口から、『新しい竜の歌』の一節が呟かれた。


 空中船が西へ進むほどに、ティムリアの都は後方へ流れて行く。いっぱいに広がっていた青海も、間もなく見えなくなるだろう。

 彼女の魂は望み願ったのだ――と、彼は思う。

 そして、竜は確かにあの子を運んできたのだ。

「それに……」

 呟いた喉奥がくつくつ鳴り、一旦丸められた背が激しく震え出す。と、タニヤザールは身を仰け反らせ、今まで抑えてきた大哄笑を思い切り放った。

「あの顔!!」



 *  *  *



イディン法――喜捨の旬節についての規定


 年の終わり、大つごもりが近づいた日、山や道、海から来た者が、あなたの家の扉を叩いたなら、あなたはその者にパンを与えなければならない。もし手元になければ、隣家に行って借り、必ず与えなければならない。

 そして年が改まった日には、すべてが満ち足りた者となって共に拝し、イディンの祝福と竜の守りの元に互いに笑いが満ちる。……



 エリダナ・チェローミア姫の周囲は、間違いなく笑いで満ちたのである。



挿絵(By みてみん)



(了)




姫の年末は散々でした。

しかし、これで収まるはずの無いラスタバン王宮の年末年始。


イディンでは元旦に新年拝という行事がもたれます。

一年の来福を願う重要なこの時、給仕長代行が取り仕切りますが、果たして無事に行うことができるのか。

三が日を過ぎてからアップいたします。


皆様、よいお年を。

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