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新年拝:イディンにて  作者: 平 啓
番外編1:エリダナ・チェローミア姫の陰謀
3/15

エリダナ・チェローミア姫の陰謀Ⅲ

<登場人物2>

●タニヤザール

 ラスタバン王国王宮付き給仕長

 身分は侯爵 竜騎士


挿絵(By みてみん)

 

 東の海から上った満月が中天を過ぎ、西へ落ち始めている。エリダナ・チェローミナ姫は暗闇の小屋で盛大な欠伸をした。

 あれから王宮に戻り、いつものスケジュールをこなして床に付いたのだが、どうにも気になって眠れない。身の回りにもどこか不穏な空気があって、ヴァーリックの姿も見えない。もっとも、外回りの仕事が急に入ることはいつもの事なので、カボチャ泥棒に関係しているかどうかは分からないのだが。

 枕の上で暫く悶々とした後、結局自分で事の真相を突き止める事にした。

 真夜中の暗がりを怖がった事のない姫にとって、夜行は容易いことである。お化けや妖怪がいるのなら会ってみたいと考えながら、二度目の大欠伸をして、ハテ、と首を傾げた。光が見えたのが昨夜の事で、果たして連夜で現れるか疑問を持ったのだ。考えている内に今夜はハズレではと思われ、引き上げようと立ち上がった時である。抜け穴の出口である小屋の床板が、ごとごとと音を立てて外れた。思わぬ所からの侵入者に、姫は驚いて壁に立てかけてある農具の陰に隠れた。

 穴から現れた人影は、大きなランプを手にしながら窓辺へ寄ると、ボロ覆いをめくって外を窺った。台の上に置かれた灯りが照らした顔に、姫は息を呑む。学習室から、文具と綴り方の答案用紙を律儀に運んでいた召使である。カボチャ泥棒と言うからには、空腹の外の者かと思っていたので、これはどういう訳かと新たな疑問が浮かんだ。

 自身が食道楽の父王は、家来達に与える食べ物にも結構気前がいい。もちろんカボチャ料理も出るが、もっと美味しい物を口にすることができるはずである。それとも、外の畑にあるカボチャには、他の者がほしがる何かがあるのだろうか。

 召使は、ランプを挟んで窓と反対側に鏡を立て掛け、ボロ覆いの端を掴んで上げ下げを始めた。光がチラチラ瞬いたのは、このせいかと合点がいき、引き続き観察していると、破調での動作に区切りがあることに気が付いた。少し長めの休みをとって、同じ間隔で二度三度と繰り返される。間違いなく、これは何かの合図だ。いったい外の何に送っているのかと気になって、羽目板の隙間へ首を伸ばす。

 その途端、立て掛けてあった鍬が倒れた。しまったと思い、振り向いた召使を見て一層の衝撃が走る。つり上がった目がギラギラと異様に輝き、学習室を行き来していた生真面目な人物とはまるで別人だ。顔面に現れた妙な筋は光の加減とも思えず、尖りだした鼻がひくつき、笑いに歪んだ口元から牙が覗いた。

「これは……」小屋の中を見回し呟く召使。「……思いもよらぬお方がいるようだ」

 姿は見つかっていないはずだが、一歩一歩確実にこちらへ近づいてくる。ランプの灯を背にした黒い影がだんだんに大きくなり、視界いっぱい広がっていく。恐怖で固まりつつも武器はと見回し、倒れた鍬に手を伸ばそうとした、その時。

「動くな!!」

 小屋の扉が叩き壊され、数人の兵がばらばらと入ってきた。先頭でサーベルを抜いているのは、あの警護隊長だ。

「大人しく投降しろ!!」

 だが、召使は覆いのかかった窓の外に身を投げ、照明の取り巻く真中へ飛び込んで行った。

「外に出たぞ!!」

 警笛の響きと共に、警護兵たちが一斉に外へ向かう。残された姫は、農具の陰でほっと息をついた。良くは分からないが、大捕物の準備はすでに整っていたらしい。木枠だけになった窓から覗くと、眩しい光の中で、召使と警護兵の激しい剣戟が繰り広げられている。多勢に無勢と思いきや、この召使の反撃に兵士達は苦戦を強いられていた。彼の重い一撃をくらうと、まるで人形のように飛ばされてしまい、屈強のはずの警護兵が圧倒的な力の差に手も足も出ない。

 賊が逃走路を求めて次第に小屋から離れて行くので、首を伸ばしてもなかなか様子が知れなくなる。かと言って表は危険なので、どうしたものかと小屋の中を見回すと、隅に立てかけてある梯子の先が、屋根の空いた穴に届いていた。

 小屋の上は思った以上の景観である。兵士が手に持つ灯りが幾筋も畑や夜空に交錯し、金属音が耳に響くたびに暗がりに白い光が瞬いた。逃げる曲者に兵士達は必死に追い縋ったが、次第にその数が減っていき、今にも包囲網を突破されそうである。何をしているのです、と姫が口の中で呟いた時、行く手に黒い影が立ち塞がっていた。しかし期待したのも束の間、それが例の案山子だと気付くと、たちまち力が抜け気が萎える。

 だが――その案山子が動いた――ように見えた。

 案山子の側から現れた丈高い影に、逃亡者が飛びかかる。その剣先を、大剣が月夜を裂くような音を立てて薙ぎ払った。それまで誰をも寄せ付けない強力ごうりきを誇っていた曲者の体が、初めて後ろへ跳ね返されたのだ。照明が地に倒れた召使に集まり、彼の驚きと恐怖にひきつった顔を照らした。月を背にした影がゆっくりと歩を進ませ、射す灯りの中で、その胸当てと髪が白銀に煌めく。

「タニヤザール!!」

 姫の口から思わず出た叫びが、そこにいた者達の視線を一斉に集めた。ヴァーリックの一つ目はもちろん、タニヤザールでさえ銀の目を固まらせる。まさかの顔を屋根の上に見つけた兵士達の虚を突き、曲者がいきなり跳躍した。誰もがよもやと思う一跳びに、降り立ったのは姫の目前。驚く間もなく強い力で抱え込まれ、気付いた時には白刃が鼻先に突きつけられていた。

「近寄るな!!」

 召使が必死の声を上げた先は、早くも屋根の上にまで追ってきた給仕長である。

「離せ」タニヤザール低い声が響く。「どの道逃げ切れん」

 深く長い唸り声が耳元で上がり、姫はごくりと喉を鳴らした。彼女を抱え込んでいる腕が妙に毛深い。いや、毛深いを通り越して、まるで獣の――犬の様な――狼の様な……

――獣人……!?

 しかし、先程まで召使は確かに人間だったはずだ。人間から獣に変わる事など、あるのだろうか。タニヤザール達はこれの正体を知っているのだろうか。

 およそ目の前の危機よりも、疑問に頭が一杯になった姫は、いきなり宙に浮いた体に目を丸くした。逃亡者が人質を抱えたまま再び跳躍し、小屋の裏の林の中へ跳び降りたのである。月の光も届かない濃い影の中を、まるで陽の下の様に、凄まじい速さで苦も無く走り抜ける。空を切る風と共に、下生えの葉や枝が次々と顔を打つので、痛くて目を開けていられない。それでも時折窺う薄目越しに、木の間から追っ手の明かりが見えるたび、曲者が舌打ちをして進路を変えるのが分かった。

 どのくらい経ったのか。激しい息遣いと共に、逃亡者は走るのを止めた。姫がそっと目を開けると、足元は林を抜けた崖の上で、赤みがかった月が低い空に懸かっている。その影に浮かんだ召使の顔を見上げ、姫は思わずうわあと口を開いた。目の前にあるのは完全な狼の首で、姫を抱えた腕だけが、どうにか人間の面影を僅かに留めている。走っている最中に服も脱げたらしく、全身を覆う豊かな毛が灰色に波打っていた。

 警護兵の包囲網を破って逃げ切れたのだろうか、人質の自分はどうなるのだろうかと思った矢先、再び逃亡者の目に凶暴な光が浮かんだ。体中が総毛立ち、攻撃に備えて筋肉が緊張する。

「言ったはずだ」

 急に掛けられた言葉に、姫も驚いて振り返った。崖際に張り出した岩の上から、大剣を手にしたタニヤザールが見下ろしていた。

「逃げ切れないと」銀の目が不気味に細められる。「……殺せまい」

 この給仕長も、王宮で見せる姿とは全く違う。全身から何かが立ち上り、周辺の大気が揺らめいて見える。

 獣の強くなった唸りと共に、血走った燃える目を向けられ、姫は固唾を呑んだ。給仕長は余計な事を言ったのではないだろうか、ほら、捲れた口から牙があんな……

 と、いきなり強い力で押し出され、体から重さが消える。一瞬、駆け去る獣の後ろ姿が見え、くるりとひっくり返る天地。月がゆっくりと足元へ落ちて行く。

 いや、自分が落ちているのだ。どこを?――崖を――下へ――

――これで、死ぬ……?

 月を見ながらそう思った瞬間、銀に輝くものが突然宙に現れた。翼が大気を打つ鋭い音が響いて、溢れる煌めきが眼前を横切る。

――竜だ!!

 長い尾を引く竜が身を翻し、姫をその背に乗せようと傍らに寄ってきた。

 虹色に透ける翼、白光の瞳、光の粒子を飛ばす細かな鱗の一つ一つまで、手に取るように迫ってくる。

――竜だ! 竜だ! 竜だ!!

 姫は歓喜に叫んだ。


「竜が来た!!」

「もう少し、お小さい声で」

 日常で聞き慣れた声が囁き、姫は目を瞬かせた。竜の光を見詰めていると思っていたら、月の光を映すタニヤザールの銀の瞳である。

 あれ、と呟いて、目の前の給仕長の腕に抱えられているのに気が付いた。彼はと見れば、もう片方の手で何やらの綱につかまり、共に崖に宙吊りになっている。

「お前が助けたのですか?」

「左様にございます」

 例によって慇懃な答え。では、あの竜は何だったのだろうと思いながら、姫はタニヤザールの顔をまじまじと見つめた。

「何でしょう?」

 片眉を上げて視線を返してくる。

「タニヤザール」

「はい?」

「ありがたく思います」

 給仕長は目を細め、どういたしましてと小さく口端を上げた。

「あれは、獣人ですか?」

 頭に引っ掛かっていた疑問には、人間から獣に変身する獣人がいるとの答えがあった。彼らは変身した際、常人離れした恐ろしいまでの力を発揮するそうだ。

「私のせいで、曲者に逃げられてしまいました。申し訳ありません」

「いえ、御懸念には及びません。抜かりはございませんので」

 でも、と言いかける姫に、にっこり微笑む。

「ラスタバンには、竜も虎もおりますれば」そこで顔を上げ、大声を張り上げた。「イルグ!! そこにいるか!?」

 月光のぼんやりとした崖の縁から、灯りを手にした人影が手を振って、ここにおりますとの警護隊長の声が返ってきた。では姫、とタニヤザール。

「腕を組んでください……そう、そのままで」

 再び顔を上げて叫ぶ。

「イルグ! 姫だ! いくぞ!!」

 抱えていた腕が力強く振られ、エリダナ・チェローミア姫の体が、今度は上に向かって落下する。たちまち遠のく竜の銀。

 金の髪を、エプロンのフリルを、スカートの裾をふんわり広げ、目も口もまん丸にした姫の姿は、妖しげな赤い月影の中を浮遊した。

 周囲には竜の発する細かい光の粒が、ちらちらと瞬いている。




<語句説明>

●「竜」と「虎」

 本編および続編の登場人物

 


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