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新年拝:イディンにて  作者: 平 啓
番外編3:新年拝
12/15

新年拝:4.夜明け前

【語句説明5】

※読むのが面倒くさいと思われる方は、すぐ本文へどうぞ


『ガウン』

 竜法院に所属するものは、各部署毎に色の違うガウンをまとっている。

 祈祷師は基本白地で、階級が下がる毎に灰色の線の多い格子模様が入る。最上級の一級祈祷師は純白のガウンをまとい、その裾には房がつく。


 回廊の地下通路口の前で、ヤイロスはうろうろと内に入りあぐねていた。先程一同と共にここまで来たが、急に腹が差し込み、用足しに戻ったので一人遅れたのだ。酔って足元のおぼつかない竜騎士を支え運ぶため他の面々は先に行ったのだが、踵を返す際、またもあの給仕長代行に恐ろしい目で睨まれた。

――必ず、いらっしゃるように……!

 今にも八つ裂きにしそうな虎の殺気を思い出し、激しく身が震える。しかし新年拝の中心に上がる事は、それ以上に恐ろしかった。

 幼い頃から竜法院に育った彼にとって、秋からの王宮務めは初めて過ごす外界だった。しかし、もともと人見知りが激しく、いつまでも慣れない日々の緊張に、すっかり神経を参らせていた。そこへ、この難題である。王の身代わりを任せられた時点で全ての気力を使い果たし、新たな重責を担う力は、もうどこにも無かったのだ。

 ヤイロスは小さく啜り泣きを漏らすと、手に持つ白い長衣に目を落とした。新年拝の度にあれほど憧れた白い衣も、今や体を押しつぶす重い鎖帷子にしか見えない。身につけたが最後、息も止まるのではないかと、いっそ投げ捨てたくなる。

 だが、祈祷師のいない新年拝などあり得ないのだ。僅かに残った理性の声に顔を上げた時、彼の目に信じられないものが映った。

 祈祷師のガウンを纏った者が、こちらに近づいてくるではないか。

 奇跡が起こった。


「元締! 高台に着きました! 分かりますか!?」

 警護隊長と二人して、なんとかここまで竜騎士を運んできたラウィーザは、溶けたアメのようになっている彼の頬を叩いた。唸った頭がゆらゆら揺れて、半眼が見上げる。

「ああ……うう、なんとかな……」

 いったいどんな間違いが起こったのか。薬瓶は、確かに箱に片付けたはずだ。それがテーブルの上に並べられ、倒れた竜騎士の脇には緑の瓶が転がっていた。象を丸一日眠らせる量の薬が、その体内に入ったと知った時には、頭の中が真っ白になった。すぐに目覚め薬だと執事長が叫んだが、下手をしたら死んでしまうような無茶だ。だが、飲ませろと竜騎士も寝言のように呟くので、仕方なく投与した結果がこの酩酊状態である。なんとか気を張り眠らずにいるが、目が回って思うように体に力が入らないらしい。死ななかっただけでも儲けものと思うしかない。

 一方エリダナ姫の方は、階段に置かれたクッションの上に畏まって大人しい。しばしば横目を向けてくる様子とセヴェリの言葉をから、この一件に姫が関わっている疑惑が浮かんだが、今はそれどころではない。あと半刻もすれば夜明けが始まるのに、あの腰抜けの祈祷師がなかなか姿を現さないのだ。こうなれば引きずってくるしかないと代行の青年が立ち上がった時、地下通路から白い影が現れた。

 一同は安堵したものの、それも一瞬で戦慄に変わる。

「やあ、イブライ。久し振りだね。新年拝に出会えるなんて、縁起がいいかも」

 白い長衣の陰から屈託ない笑顔を向けたのは、赤毛の調達人――シーリア(海の民)のアシェルであった。

「きっ!!」硬直した空気に、ラウィーザの裏返った声が上がる。のんびり段を上ってきたアシェルの胸倉を掴むと、ぐいっと引き寄せた。「君がどうしてここにいるんだ!? 祈祷師はどうした!? あのヤイロスの馬鹿野郎は!?」

「え、ええ?」調達人はさっぱり訳が分からず、怪訝そうに聞き返した。「ここは新年拝の会場だろう? そう言えば、東の高台はどっちかな?」

 大きく息をついて、ラウィーザは力無く手を離した。代わりに袖口を引っ張られ、アシェルが目を落とすと、ウサギ耳の帽子に王冠を被った少女が見上げている。その青い長衣の下から腕が上がり、彼の背後を指し示した。

 何気なく振り返った目と口が、次第に大きく開かれていく。眼前に遥か広がる暗く果てしない空間。左右視野一杯から、規則正しく並べられた照明が彼方に続き、何よりそこを埋め尽くした人々の、数え切れない顔がこちらを見詰めていた。男、女、年寄り、子ども。荒くなった白い息を口から噴出させ、若者がゆっくり空を見上げたのは、星によって方角を確かめるためだろう。最初に向いていた先には、星影を映す大海原しかないと分かった時、アシェルは初めて自分の立っている場所を理解した。

 途端、腰がストンと高台の段に落ちる。

「やっぱり抜けたな、腰が」

 竜騎士がふにゃふにゃと笑った。


挿絵(By みてみん)


 調達の旅の帰途が雪のために遅れ、アシェルが王宮の使用人棟に着いたのは、つい一刻程前である。空腹に固いパンと水を流し込み、会場に向かおうとして、ふと思い出した。

 夏の終わりに、竜法院から送られてきた灰色の格子柄のガウン。

 給仕長が言うには、祈祷師としては最下級のものだが、試験も受けずに竜法院が祈祷師として認めるとは全く異例の事らしい。とにかくこれで君の祈りにお墨付きが付いたのだから、これから正式の場に出る時はこれを纏うようにと、彼から勧められていた。そこで見よう見まねで身に付け、回廊を急いでいた所、王宮付き祈祷師に呼び止められたのだ。

 君は見ない顔だが祈祷師かと訊くので、適当に頷くと、だったら寒いのでこれを被りたまえと、白い長衣を頭にかけられた。そして、ここから行った方が近道だと、示された地下通路を辿って来たのである。


「あの青成りめ! 竜法院にはきつく抗議をしてやるぞ!」

 アシェルの話を聞いて執事長が鼻息を荒くしたが、全ては無事に終えた後の事である。歯を食いしばるラウィーザに、カラックがへらへらと声をかけた。

「こうなったら、難しい事は無かろう? 王と……竜騎士と……祈祷師と……」揺れる指先でそれぞれを示す。「全てが、つつがなく揃っている訳だから」

 言い返そうとして青年は押し黙った。年さえ考えなければ王女は、状態さえ考えなければ竜騎士は、確かに相応しい者と言える。しかし祈祷師に関しては――

「いいじゃないか、こいつは『本物』だ」

 心中を察したかのような竜騎士の言葉に、ラウィーザは自分の左肩を掴んだ。

 動かないはずの腕がこうして動いているのは――

 青年は小さくそうですねと呟き、情けない表情のアシェルに向かった。

「君が高台の祈祷師だ」有無を言わさず、懐から出した祈祷文を突きつける。「これを読んで覚えるんだ」

 震える手で受け取った若者は、紙面を見るなり無理ですと泣き声を上げた。祈祷文の基礎を知っていれば何とかなろうが、俄か祈祷師には手も足も出ない。そこをどうにかしろとラウィーザが詰め寄ろうとした時、思わぬところから声がかかった。

「なに、簡単です。赤毛の祈祷師様」身を縮込ませ、もじもじと体を揺らしているエリダナ姫である。「新年拝は、おめでたい式なので、おめでたい事を言えばいいのです」

 そこで姫はぷるるっと大きく震え、いきなり大声で叫んだ。

「ヴァーリック!!」

 いつの間に高台に上ってきた警護隊長が、例によって姫を抱き抱えると、凄まじい速さで段を下って行く。呆気にとられた周囲の中、カラックが伸びた体をくねらせて、これも伸びた笑い声をひゃひゃと上げた。

「いくら着込んでも冷えるもんなあ」給仕長代行の疑問顔を受けて、黒い目をくるりと回す。「おしっこ」

 脱力の溜息をついたものの、首を巡らせたラウィーザの心臓は一瞬凍りついた。

 東の空が仄かに明るくなっている。本来なら、夜明け前の祈祷が唱えられる頃で、少し前から会場は、なかなか始まらない新年拝に群衆がざわつき出していた。何しろ一万人である。混乱が起きたら収拾がつかない。すぐさま始めなくてはならないのに、祈祷師は捧げる祈りを持たず、王は中座、竜騎士は地に伸びている。

 しかも絶望の追い打ちをかけるように、西の山が轟くや、冷たい激しい風が吹き下ろして来た。すさぶ勢いに、あちこちから湧きあがる悲鳴や叫び。姫の置いた青い長衣も飛ばされそうになり、ラウィーザが慌てて押さえたその横で、祈祷師があっと声を上げた。手を離れた祈祷文の紙片が、漆黒の海原の彼方に消えていく。

 もう、どんな言葉があろう。



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