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新年拝:イディンにて  作者: 平 啓
番外編3:新年拝
10/15

新年拝:2.祈祷師

【語句説明2】

※読むのが面倒くさいと思われる方は、すぐ本文へどうぞ


『竜騎士』

 竜はイディンの意志の現れと、人々は畏れ敬っている。この竜を倒した者を竜騎士と言い、竜に認められた者として、人々から称賛と尊敬を受けている。またその事実により、行動・言葉にイディン法を以て異議を唱える事は出来ない。


『ラスタバン王国』

 この物語の舞台の国。イディンでも裕福な大国。首都ティムリア。王宮があり、東に大海を臨んでいる。国王レナルスード4世。妻死別。娘二人アリ。



 昼過ぎに、竜法院から招いた一級祈祷師が王宮に到着した。竜法院のあるアダ・バスレイと王都ティムリアは近いせいもあり、互いに持ちつ持たれつの関係から、例年特に位の高い者が招かれる。豊かな白髭を湛えた祈祷師はラウィーザも見知った顔で、馬橇から降りた穏やかな眼差しを受けると、青年は尊敬をこめて目礼した。

 この日ばかりは国王の代わりに、内気な王弟妃が王家を代表して出迎える。王宮の礼拝堂に向かう途中、王家を襲った災難を話すと、白髭の祈祷師は深い同情を表した。もちろん、新年拝に王宮付き祈祷師が高台に上がる事も快く了承し、執事長らは胸をなで下ろした。

 礼拝堂は王宮とは別棟になっており、屋根だけがついた渡り廊下で繋がっている。到着の祈祷を終えた一同が王宮に向かっていると、渡り廊下から見える中庭でエリダナ姫の嬌声が上がった。

「てきしゅうぅぅぅ!」

 反射的に白髭の祈祷師を庇ったラウィーザを、雪礫ゆきつぶてが恐ろしい程の正確さで襲う。

「ひ、姫!!」

 執事長が叫んだ時には、雪を被る生け垣の向こうに、例のウサギ耳が消えた後だった。

「も、申し訳ありません。猊下に失礼をなさらないよう、お伝えするのを忘れてしまいまして……」

 要するに教育がなっていないのだが、祈祷師は鷹揚な微笑を浮かべた。

「いや、年々お元気なご様子で、結構なことだ」そこで雪まみれとなった給仕長代行の青年の体を優しくはたく。「大丈夫かね?」

「恐れ入ります。……はい、雪だけですので」襟首に侵入した冷たさに小さく身を震わせたが、ラウィーザは畏まって廊下の先へと促した。「アダ・バスレイからの道のりで、さぞ冷えられたでしょう。お部屋に暖かい物を御用意いたしております」

 うむと頷いた祈祷師が一歩を踏み出す。と、その足が今落ちた雪の塊を踏み込み、つるりと滑った。ガウンを纏った体が大きく傾き、震撼する一同。幸い何とか踏ん張って転倒には至らず、周囲の緊張が和らぐ。

 だが踏ん張った姿勢のまま、祈祷師の体が固まった。やがて喉奥から呻き声が上がり、その額に脂汗が浮かんできた。


挿絵(By みてみん)


「ぎっくり腰でございますか……」

 ラウィーザは茫然と呟いた。竜法院の祈祷師を見舞った、執事長と王宮付き祈祷師二人が、沈痛な面持ちで頷く。

「近年お腰の具合が悪い所を、無理な力が入ったようで……」

 おいたわしい、と主任祈祷師は呟いたが、一番の問題は明日まで立てるようになるか否かである。給仕長代行のその質問に、執事長が力なく首を振った。

「ご本人はなんとか立たれると仰っているが、あのご様子ではとても……」

 新年拝は夜明けの寒い中行われ、三人の出番は一刻に満たないとはいえ、直立不動の姿勢が要求されるのだ。ラウィーザは唇を噛んだ。今から代わりの祈祷師を竜法院に要請しても、空きの人員はあるまい。本家竜法院のため、位の高い者はすべて役務が決まっている。

「これはもう……主任に真ん中に立っていただくしかありません」

 給仕長代行の言葉に、主任祈祷師は口元を引き締めて頷いた。王宮付の主任ほどの者なら、小さい領地や大きな町での新年拝を司った経験はあるのだ。ただこの度は、その数倍と思われる規模に緊張は高まる。

「それから、王の代理はあなたにしていただきたい」異国の青年が鋭い目を向けると、もう一人の若い祈祷師が身を竦ませた。「新年拝三役の祝詞は、暗記しておられるでしょう?」

 彼の名をヤイロスと言う。王宮を三年勤めた後には、準一級祈祷師の地位が約束されているエリートで、あらゆる祈祷文、祝詞のりとに精通しているはずだ。だが、給仕長代行の要請を聞いた彼の顔が青ざめた。

「……私がですか?」

「何か問題でも?」

 いえ、と所在無げに呟いた祈祷師に、ラウィーザは、もしかしたらこいつは内弁慶の小心者かもしれないと訝しんだ。身内の教授連の前では優等生でいられるが、いざ大勢の大衆の前では舌の根が喉奥に張り付いて動かない輩である。しかし今回は、その小心者にも頼らなければならないのだ。

 祈祷師達が退出した後、例によって執事長が不安げな視線を向けてきたが、今度ばかりは給仕長代行の青年も、それを完全に打ち消すことはできなかった。それどころか彼の胸の内にも、俄かに暗雲が立ち込めてきていた。


 大つごもりの夕食は、いつもよりも早めに用意される。翌日未明の起床のため、全てが前倒しとなるのだ。一年最後の晩餐会の出席者は元々少ないが、国王と竜法院祈祷師、竜騎士の欠席で、かなり寂しい会となった。それでも片足を大きなギプスで覆った王弟がテーブルに着き、なんとか王族の体裁は保たれた。

 こちらの予定は給仕頭のセヴェリの完璧な采配のお陰で、何の憂いもなく進む。自分の後を見事に継いでいる元同僚に、ラウィーザが称賛の眼差しを送ると、金髪の青年は溢れるばかりの笑顔で返した。

 献立は少人数の出席者のため、それぞれの好物を誂えてある。例えば、国王には山ウズラ(エリダナ姫の好物でもある)、祈祷師には海鮮類、竜騎士にはデザートの焼き菓子という具合だ。それぞれ念頭に置いた人物は不在だったが、どれも一様に好評であり、特に主任祈祷師が生ガキを好きと見えて、幾杯か御代りをしていた。これから気を入れてもらわねばならないので、厨房には注文のある限り出すようにと伝えてある。

 晩餐会は滞りなく終了した。


 その一刻後、ラウィーザは東の高台に上ると、振り返って会場を見渡した。普段は練兵場の広地は、警護隊長の言葉通りすっかり雪も除けられて、規則正しく並べられた照明が、遥か彼方まで煌々と続いている。

 数刻後にはここに一万人以上の人間が収容されることを思うと、その数の大きさに溜息が白く漂った。例年でも五千人前後なので、まず今のイディンでは最大規模の新年拝となろう。給仕長の案で、高額喜捨を奨励するため一般市民の参加を許可した結果である。しかし、ただでさえ後方の列には祝詞が聞こえず、高台の三人の姿も豆粒様になる。果して集った参拝者が満足できる新年拝が持てるのか、甚だ疑問だった。

 まあ――と彼は呟いた。――三人の姿が良く見えないのは、この際都合は良いのだが……

 そこで未だに帰らない竜騎士を思い出し、思わず苛立ちの唸りが漏れる。気を落ち着かせようと見上げた頭上は銀砂を散らしたような星空で、明け方の冷え込みの厳しさが予想された。

 幾つかの確認をした後、給仕長代行の青年は地下通路の入り口に戻った。高台の階段下から繋がる通路の王宮側の出口は、裏庭近くの回廊の片隅にある。年に一度開かれる扉を出た時、王宮奥の廊下を駆けてくる執事長の姿が見えた。が、その血の気を失った顔を見て固唾を呑む。また何かあったのかと腹の底が冷えた耳に、囁かれた震える声。

 異変は主任祈祷師に起きていた。


「……生ガキに当たった……?」

 責任問題になりかねない事態に、金髪の給仕頭が真っ青になって訊き返すと、王宮医師はいやいやと首を振った。

「生ガキ自体がどうのというではないから、安心したまえ。これはなんだな。食べ過ぎて、体が生ガキを受け付けなくなったんだな」

 主任祈祷師の病状は、腹痛はさしたるものではないが、全身に発疹が出ているという。痒みが強く、とても冷静に話せる状態ではないそうだ。

「食べ過ぎてって……御代わりはなさいましたが、そんなに多いとは」

 セヴェリの呟きに、ラウィーザは唸った。

「今まで食べ過ぎたツケが出たんだ。まあ、今夜のが最後のひと押しだったのだろう」

「ラウィーザ……」

 消え入りそうな執事長の声がかけられる。その意味を十分承知している給仕長代行の青年は、きつく眉を寄せ、しばらく口を引き結んだままだった。やがて、しわがれた年寄りのような声が、そこから絞り出される。

「……中心の祈祷師は、ヤイロス祈祷師にお願いします。そして、王族としては……」

 一同を見回した顔はひきつっていて、まるで笑っているようだった。

「……エリダナ・チェローミア姫しかいらっしゃいません」




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