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サプライズは計画的に

 朝、先に目を覚ましたのは里奈だった。

 なかなか離してくれなかった誠也に頼み込んで、携帯のタイマーをセットした自分を褒めてあげたい。


 どうやって寝付いたのか記憶にない。きちんと着ているナイトウェアも、自分で着たのか、着せてもらったのか。誠也は下だけパジャマという格好で、そのパジャマの片足とむき出しの両腕を里奈に絡みつけている。里奈の部屋で寝てしまう時も、こうしてしがみつくようにしていたのを思い出す。でも目の前にあるのは逞しい裸の胸。温かくて甘い匂いの肌に、そっと唇を寄せた。いつまでもこうしていたいけど、今日は水曜。二人にとっては忙しい週明けだ。それに一度家に戻らないと。

 名残惜しく思いながら、ゆっくり誠也の足と腕を外す。差し込む朝日が彼の顔の凹凸を山並みのように浮かび上がらせていた。長い睫毛、ふっくらした唇、シャープな顎のライン。安心しきった子供のような顔でぐっすりと眠り込んでいる。

『ろくに寝てないんだ……君の事ばかり考えてたから』

 昨日胸の中で聞いた台詞を思い出し、ひとり赤面する。彼はそのまま寝かせておくことにした。

 

 甘く軋む身体に鞭打って軽く支度を整え、キッチンを見に行く。キッチンは最新式で、コンロは3つ口、シンクも広く、ビルドインの食洗機まで付いていた。冷蔵庫を開けると、意外にも飲み物の他に卵やベーコン、キャベツ等が入っている。何か作れるかな。

 ふと廊下を見ると電気がついたまま。消しにいこうとしていくつかのドアが目に入った……気になる。好奇心旺盛な里奈は、主が寝ている隙にこっそり他の部屋も覗いてみることにした。


 向かって左は誠也の仕事や趣味の部屋だろうか。まだ空きが多い棚には美容関係の本や美術書、映画のパンフレットの他に、エジプト風の置物が並べてある。大英博物館の青いカバのレプリカ、アヌビス、スカラベ。積んである段ボール箱にはまだまだお宝が眠っているのかもしれない。

 もうひとつ奥の部屋を開ける。他の部屋は引っ越しの荷物で一杯なのに、この部屋だけは段ボール箱が無い。シンプルだけれど大きい三面鏡のついたドレッサーがあって、備え付けのクローゼットも広そうだ。絨毯やカーテンはピスタチオグリーンとモカで統一している。ストライプや鳥の模様で、ちょっと北欧風のポップな感じ。三面鏡があるから仕事部屋なのだろうか。


「……ここか!」


「きゃあ!」


 急に後ろから抱きつかれて叫び声を上げてしまう。

「“きゃあ”はこっちだよ……逃げられたのかと思った」

 里奈の首筋に擦り寄せるように頭を埋めて、ふーっと息をつく。まだ上半身は裸のまま。背中から感じる彼の鼓動と呼吸は、驚くほど忙しない。


「……黙って、行くな」


「ごめんなさい」

 逃げるわけないのに。必死な彼に申し訳なくて、後ろから抱きしめている彼の腕を撫でた。

「ちょっと探検してただけ。素敵なお部屋ですね。カーテンとか絨毯も可愛い」

「……そう?」

 途端に機嫌がよくなる。里奈の顎をしゃくって、

「忘れてた、おはよ」

 と後ろからキスをした。途端に夕べの甘い余韻が身体をくすぐって。

「おはよう……ございます」

 里奈は、流されまいと懸命に意識を立て直す。今日も、仕事なんだから。そんな里奈の葛藤を気付いてか、誠也はくるりと里奈の身体を向き直らせる。

「りーな」

「……服、着てください」

 目のやり場に困って、ジーンズの足元を見ている里奈に、誠也は笑いを噛み殺しながら耳元に口を寄せた。

「何だよ。夕べはもっと積極的じゃなかった?」

「夜の話はよしてください!」

 彼の身体を押し返す。

「仕事行かなくちゃ! あ、朝ご飯どうします? いつも何時出勤なんですか?」

 途端誠也は、ああ、と言って笑った。

「ごめん、俺、今日休み。Juneもね」

「えっ」

「お袋と賢さん、順と海がハネムーンだもん。それでも3日くらいで帰って来るらしいけど。残念ながら、“ブルーム”と“フルムーン”は休まないらしいよ」

 道理でゆっくりしていると思った。

「ずるーい。ところで誠也さん。お米とかパンとか何かないんですか」

 ふたりとも仕事なら外でもいいが、休みならうちごはんでゆっくりさせてあげたい。ふたりは手を繋ぎながらキッチンに戻った。

「え、何か作ってくれんの、って言ってもなあ。あ、そうだ!」

 誠也はキッチンの棚から四角い箱を出した。


「これ、使えるかな」


 開けてみると、パスタとオリーブオイル、アンチョビの缶詰、塩、胡椒、唐辛子と肉厚のにんにくが入っていた。どれもなかなか質がよさそうだ。

「Juneからの引越そばならぬ引っ越しパスタだってさ。この位なら俺でも作れるだろって」

 里奈は冷蔵庫の中身と照らし合わせて、瞬時にメニューを考える。

「朝からにんにくとかヘビーじゃなければ、パスタでも」

「夕べ、一晩中たーっぷり運動したので、腹ぺこです、俺は。散々叫んでた君も、だよね?」

 にやりと笑う誠也を真っ赤になって押しやり、珈琲を淹れるのをお願いした。キッチン用品の確認をすると、早速大きな鍋を出す。卵を割らないまま2個入れて、だーっとたっぷり水を注いだ。

「おい、水多すぎないか?」

「いいんです。わ、これタイマー付きのコンロだ!」

 卵の大鍋を火にかける。そのうちにキャベツを千切りに刻んだ。

「パスタのゆで時間何分て書いてあります?」

「9分だって」

 沸騰してきたところでタイマーを5分でセット。塩を振り入れて卵の鍋の中にそのままパスタも入れてしまう。

「ええっ、卵入ってるぜ? しかも5分て」

「黙っててください、時間との勝負なんですから」

 そのうち唐辛子とにんにく、アンチョビも用意する。

 ――ピー。

 タイマーが鳴ると、里奈はお玉で卵だけ取り出す。タイマーを今度は3分にセットしてパスタのボイルは続行。一方でフライパンにオリーブオイル、刻んだ唐辛子とにんにくをいれて温める。

 ――ピー。

 再びタイマーが鳴ると、今度はパスタの鍋に千切りキャベツを投入してしまう。

「わあ! キャベツまで!」

 誠也の悲鳴をもろともせず、里奈は再び鍋に火を点ける。フライパンにはアンチョビ投入。

「どいて! 熱いですよ!」

 シンクでパスタとキャベツをざるに空け湯切りをして、フライパンへ。ぱちぱちと跳ねる中で味を調え、火を止めると皿へざっと盛る。ゆでた卵の殻を剥き半分に割ると、とろり、と黄身が零れた。


「出来た-!」


 しめて10分、アンチョビとキャベツのペペロンチーノ、半熟卵添えの出来上がり。

「すっげえ、料理ショーみたい。お見事」

「ちゃんと野菜もタンパク質もとれるでしょ?」

 里奈は胸を張った。忙しくても栄養をしっかり摂るのが信条だ。

「だけど……大雑把だなあ」

 そう言われて思い浮かぶのは、心をこめて丁寧に料理をするパスタの送り主。

「順さんが見たら泣くかも」

「確かに!」

 ふたりは顔を見合わせ、声を上げて笑う。

 空腹は最良のソース。大量にゆでたはずの熱々のパスタは、あっという間にふたりの胃袋に収まった。


 里奈は身支度を済ませると、一旦家に寄るから早めに誠也の部屋を出る事を告げた。

「昨日の今日なのに慌ただしいなあ。送るよ。ちょっと待って」

 誠也は一旦自分の部屋に戻った後、着替えてまた出てくると、里奈を手招きした。

「?」

 彼が里奈を呼び寄せたのは、さっきの荷物がない、三面鏡のある部屋。

「この部屋、気に入ったって言ったよね?」

 頷く里奈に誠也はにっこりして宣言した。


「……よかった、ここ、君の部屋」


「え?」

 今、なんて?

「だから、君のための部屋だよ。ほら、ヘアアクセサリー試したりするだろうと思って大きなドレッサー入れたんだ。クローゼットも結構広いし。カーテンとか絨毯は俺の趣味で選んじゃったけど、さっき可愛いって言ったよね?」

 簡単にそう言うけど、それって。

「あの……初めから、ここに私の部屋を?」

「そうだけど? 」

 誠也は無邪気に笑う。どういうこと? 考えが纏まらない。

「ここ選んだのって……」

「最終的には1ヶ月半くらい前かな? 君仕様に整えたのは3週間くらい前」

 3週間前と言えば、夏樹が来たあの日よりも、前だ。

「そんなこと一言も」

「そうだよね」

 誠也自身も笑う。

「実家を出てくことが決まって、部屋を探すことになって。俺ひとり暮らしって初めてでさ。色々考えてたら、君とふたりで暮らせたらいいなあって唐突に思い付いちゃって。ひとりで盛り上がって、気づいたら広い部屋借りてた」

 こっちは悶々と想いを持てあまし、涙にくれていたのに。

「どうして、何も言わないで勝手に……」

「なんだろう、君なら全て受け入れてくれるような気がしたのかな。驚かしたい気持ちもあったし。ちょっとぶっ飛んでたね、俺」

 ちょっとどころではない。こんな高い買い物を承諾もなくするなんて、信じ難い。

「私が『嫌』って言ったらどうするつもりだったんですか」

 誠也は頷きながら肩をすくめた。

「……実際途方にくれたよ。君の兄さんが押し込んで来た日、あの日に『言おう』と思ってたから」

 そう言えば、ダンスをしながら何か言いかけていたような。それにしても無茶だ、無茶しすぎ。こんな人だったっけ。里奈はまじまじと誠也の顔を見る。

「具体的にはいつ頃から、同棲しよう、って思ってくれてたんですか?」

「同棲?」

 誠也は一瞬きょとん、としたが、また笑顔になる。

「君は欲がないな。俺を自分のものにしたいと思わないの?」

 ジーンズのポケットを探って。

「俺は君を独り占めしたいんだけどなあ」

 ベルベットの小さな四角い箱を開ける。朝日に当たってきらりと輝くのは。


「……結婚して、里奈。ここで、一緒に住も?」


 息が止まるかと思った。


 そうしている間にも、誠也はいそいそとリングを嵌めてくれる。

 左手の薬指に、それは思いの外しっくりと収まって。


「……ぴったり。どうして」


 涙が湧き出すように目蓋の縁に溜まる。誠也はにっこりして里奈の薬指を撫でた。

「君が兄貴に頼まれて、薬指のサイズを調べるために智ちゃんを連れて行った、あのジュエリーショップ。あそこは、うちと家族ぐるみの付き合いがあってね。智ちゃんを誤魔化すのに君が買ったのが指輪だってことは兄貴から聞いてたから、サイズを訊いたんだ。ここまで準備して、君の兄貴が乱入してきたんだぜ? 昨日殴りかかった俺の気持ち、わかるだろ?」

「何なのよぅ……その割に、あっさり出て行っちゃったじゃない」

 泣きながら責めれば、苦笑いして、

「男がいるなんて可能性全く考えてなくて、あまりの衝撃に打ちのめされてさ。ご都合主義の自分の馬鹿さ加減に初めて気がついたんだよ。だけど昨日のゲームの時の君は、全く乗り気じゃなかったし、キスも本当に嫌がってたのが分かったからね。ともかく」

 左手を取って、指輪にキスをした。


「今度は、君の幸せの番、だろ?」


「誠也さん!」

 思わず抱きついた。誠也もきつく抱き返す。


 策略なのか、直感なのか。

 強がりなのか、強気なのか。


 猫の目のように変わって、私を惑わせる男。


 『結構手懐けてるみたいだけど?』


 彼の兄はそう言ったけれど、一生手懐けられそうにない。顔を上げてまじまじと彼の顔を見つめた。

「どうした、ん?」

 その慈しむような響きに酔いしれる。


 端の上がった大きい目がきらりと光って、言葉の代わりに、もう一度甘いキスが降りてきた。




Fin



最後までお付き合い頂き、ありがとうございました。

皆様がほんの少しでも幸せな気持ちになれますように。

番外編は、不定期連載になりそうなので、ここで一旦完結とさせていただきます。

今後は「パーティーはこれから」というタイトルで、山猫たちやその周辺の恋模様を綴ってまいります。そちらもどうぞよろしくお願い申し上げます。

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