僕の語る愛を女騎士隊長はずっと聞いていた
心の奥で鬼火が揺らめいている。
クリフはそれを感じていた。
人は何か一つ心に支えがあれば生きていくのだろう。
今はカチェリーを殺した魔竜に対する復讐心だけが自分を支えている。
◇◇◇
初めてカチェリーに会ったのは4年前だった。
15歳になったクリフが『赤い騎士団』に入団した日、女性の騎士が歓迎してくれた。
赤を基調とした軍服の肩口に、銀髪の大きな三つ編みが掛かっていたのを覚えている。
額には銀色のサークレットをつけていた。
「私は『赤い騎士団』第七部隊長のカチェリー。ようこそクリフ」
そう言ったカチェリーにクリフは釘付けになっていた。
整った凛々しい顔立ち。
湖のような蒼い切れ長の瞳。
こんなに美しい女性がいるのかと驚いた。
「故郷から王都までやってきて疲れているかもしれないが、さっそく訓練だ。アステア王国屈指の『赤い騎士団』は甘くはない」
木刀で手合わせをしてカチェリーの強さにも驚愕した。
クリフも故郷の街で一、二を争う腕だったが、まるで刃が立たなかった。
「まだまだだ。もっと強くなれ」
カチェリーは淡々と言った。
それから第七部隊の騎士たちとも手合わせしたが、カチェリーほどではないにしてもやはり強くて勝てなかった。
『赤い騎士団』はこんなにも凄いのかと自信を無くしていたが、第七部隊だけが特別だということが分かった。
カチェリーの訓練が他の部隊より数段厳しいから強いのだ。
第七部隊の者たちは、カチェリーの厳しさに愚痴をこぼしていた。
24歳の若さで部隊長を務めているのはさすがだが、あの性格ではたとえ美人だろうがいつまでも未婚だろうと揶揄もしていた。
クリフもカチェリーの峻厳さに辟易とし始めた頃、王都から少し離れた山に住み着いた魔物討伐の任務が第七部隊に下された。
魔物は三つの頭を持つ幻獣キマイラだった。
それぞれの頭が火、氷、雷の魔法を使いこなす難敵で、一人犠牲が出てしまった。
「うろたえるな!」
カチェリーは動揺を見せることなくキマイラに剣を突き立ててとどめを刺した。
王都に引き上げてしばらく経った頃、カチェリーの意外な一面を見た。
クリフが伝令をつたえるために執務室を訪れると、カチェリーは机に伏せていた。
そして顔を上げたとき、カチェリーの目に涙が光っていた。
「クリフ。お前は、死ぬなよ」
涙を払って微笑んだカチェリーに胸を衝かれた。
部下に死んで欲しくないから厳しい訓練を課している。
それが分かった時、クリフの中に淡い気持ちが芽生えた。
死んで泣かせるようなことをしたくはない。
カチェリーの強さに近づきたい。
訓練にも身が入るようになり、19歳になったときにはカチェリーに次ぐ腕になっていた。
カチェリーは28歳になっても未婚のままだった。
クリフは愛していることを伝えたいと思い始めた。
だが男として眼中にないと言われてしまったら。
二つの気持ちがせめぎ合う日々を送っていた頃、事件が起こった。
アステア王国の東の国境付近に魔竜が出現したという報がもたらされた。
すでに三つの村が滅ぼされ、近隣の村からは助けを求める陳情が届いているのだという。
だが討伐令は『赤い騎士団』だけでなく、どの戦闘団にも下されなかった。
魔竜はとてつもない強敵で、戦力に被害が出ることを恐れたらしい。
それに魔竜が国境付近にいるなら、放っておけば隣国に去るかもしれないと。
「こんなときに戦わないなら、王国の戦闘団などただの穀潰しだ!」
軍の会議でカチェリーがそう叫んだという噂も聞こえてきた。
その翌日から、カチェリーは出仕しなくなった。
聞くところによると体調不良なのだという。
カチェリーは一週間たっても姿を見せないままで、さすがに心配になった。
クリフはカチェリーの家に見舞いに行くことにした。
王都のはずれにある馬小屋つきの質素な一軒家を訪れると、老齢の侍女がいた。自宅から通ってカチェリーの身の回りをしているとのことだった。
そして侍女は、実はカチェリーは不在だと言った。
頼まれた通り体調不良という虚偽の報告を上げていたが、本当は一人で魔竜の討伐に向かったのだと。
だが東の国境には馬なら三日で行ける、無事ならもう帰ってきてもいいはずだと気が気でない様子だった。
話しているとき、どこからともなく白馬が歩いてきた。
鞍も轡もしていない裸馬だったが、口にサークレットを咥えていた。
銀色のサークレットはカチェリーのものに間違いなかった。
主人のカチェリーが魔竜に討たれてしまったことを知らせるために、馬だけが戻ってきた。
侍女はそう言って泣き崩れた。
だがクリフはすぐには信じなかった。
白馬に乗ってアステア王国の東の国境の村へと急いだ。
魔竜の姿は無かったが、滅んだ村の入口にカチェリーの剣が落ちているのを見つけた。
侍女の言った通り、カチェリーは魔竜に殺されてしまったという現実を突き付けられた。
クリフはカチェリーの剣を拾って握りしめた。
この剣で必ず魔竜を殺す。
そう誓った。
◇◇◇
あれから三ヶ月、魔竜を追う旅を続けている。
魔竜には翼があって飛べる。
羽ばたいているのを見たという目撃情報は少なくはなく、それを頼りに追ってきた。
今は隣国の山奥の村にまで来ている。
アステア王国の上層部は狙い通りだとほくそ笑んでいるかもしれない。
それに『赤い騎士団』の自分の席はとっくに無くなっているだろう。
だが復讐のほうが大事だった。
魔竜に対する怒りが渦巻いている。
クリフは宿屋の馬小屋に入った。
傾いた夕日が射しこみ、鞍も轡も外した白馬を照らしている。
「テスラ。この馬小屋の居心地はどうだ?」
木の柵を挟んで語り掛けた。
テスラというのは白馬の名前だ。
カチェリーは白馬にそう名付けて可愛がっていたと侍女から聞いた。
侍女や人任せにすることなく自分で世話をしていたらしい。
「お前もカチェリー隊長の仇を討ちたいか?」
テスラが少し耳を動かした。
そうだと言っているようにも違うと言っているようにも見える。
だがクリフが語り掛けるとしっかりと反応を示す。
なんとなくだが言葉が分かっているようにも思えた。
「僕がカチェリー隊長への想いを伝えていたら、一人で行かせることはなかったのかもしれないな。少しは頼ってくれたかもしれない」
またテスラが少し耳を動かした。
旅をしている間、後悔もカチェリーに対する想いもテスラに語ってきた。
テスラに話していると少し心が穏やかになる気がした。
カチェリー隊長を始めて見たとき、こんなきれいな人がいるのかと思った。
だけど、すぐに厳しすぎてちょっとなあって思った。
他の隊員たちと同じようにね。
だけど、部下が死んで涙を流している隊長を見たんだ。
ああ、本当は優しさを胸に秘めている人なんだって。
それを知った時、カチェリー隊長のことが前よりずっときれいに見えてきてね。
あのときカチェリー隊長のことが好きになってしまったんだ。
だから強くなろうと努力したよ。
隊長に死ぬなって言われていたし。
隊長の助けになりたかったかったし。
隊長はちょっとした上達を見逃さなかった。
厳しいだけじゃなくて、そういうところは褒めてくれたよ。
一つ一つが嬉しかった。
「ふふ。どうしたテスラ?」
テスラが顔を動かした。
心なしかはにかんでいるようにも見える。
「だけど、カチェリー隊長はもういない。僕は絶対に魔竜を許さない」
魔竜とはこの村で戦うことになるかもしれない。
山奥で人を襲うとしたらこの村しかないからだ。
ただし、これまで聞いた情報は少し妙なことがあった。
魔竜が現れた場所では多くの人が行方不明になっているが、驚くほど人間の遺体が少ないらしい。
それでいて魔竜が食べ散らかしたとおぼしき馬の死体が数多く残されているのだという。
「どういうことだろう?」
テスラが嘶いた。
感情的になっているようだ。
「どうしたテスラ? 落ち着け」
だがテスラは収まらない。
首を傾げていると何やら喧騒が聞えてきた。
「魔竜だ!」
はっきりとそう聞こえた。
クリフは旅装のマントを翻して馬小屋から駆け出すと、あたりを見回した。
村の中央に巨大な生き物がいた。
二階建ての家より大きい。
黒く翼を持つ竜。
魔竜。
ついに見つけた。
クリフは剣の鞘を握って走り出した。
このカチェリー隊長の剣が、お前を葬る。
魔竜が咆哮を上げた。
そして口から炎を吐いた。
家の一つが火に包まれ、娘が飛び出してきた。
その娘が転んだ。
魔竜が娘に視線を向けている。
「逃げろ!」
叫んだが娘は倒れたままだ。
そしてまだ距離がある。
魔竜の赤い目が光った。
目から光線が放たれると赤い光が娘を包んだ。
娘の姿が変化していく。
着ていた服が内側から破れて、娘は馬へと姿を変えていた。
クリフは唖然としながらも走り続けた。
どうやら魔竜は人間を馬に変化させる魔術を使えるらしい。
魔竜が首を伸ばして大きな口を開けた。
口の端からは涎がしたたっている。
クリフは剣の鞘を払った。
魔竜が倒れている馬に喰いつこうとした瞬間、その顔を斬りつけた。
苦しそうに叫びながら首を夕闇の空に向けた。
その隙に、娘だった馬は立ち上がって走り去った。
魔竜がクリフを上から見下ろした。
目は怒りで見開かれている。
その目が再び赤く光った。
まずいと思った瞬間、横から突き飛ばされた。
「テスラ」
クリフを突き飛ばしたのはテスラだった。
馬小屋の柵を飛び越えて抜け出したらしい。
そしてクリフを助けてくれた。
テスラが赤い光に包まれたが、何も起きなかった。
やはり人間を馬に変える魔術らしい。
馬のテスラには効果がないのだろう。
いや、まさか。
クリフの頭に、ある可能性がよぎった。
テスラが走り回っている。
魔竜の注意はそちらに逸れていた。
テスラが一瞬目配せをしたように見えた。
クリフはうなずくと走った。
魔竜の背中を駆け登る。
剣を構えた。
魔竜が振り払おうとするより速く、その首を切り落とした。
乗っていた胴体が沈んで地響きを立てた。
クリフは地面へと降り立った。
テスラが近づいてくる。
切り離された首が蠢いていたが、やがてこと切れて動かなくなった。
魔竜を倒した。
だがカチェリーの仇を討ったという気持ちは湧いてこなかった。
クリフはテスラを見つめた。
テスラの体が眩しく輝くと、その光が馬から人間の形へと変化した。
光が収まった。
「ありがとう。クリフ。お前のおかげで人間に戻れた」
そこには一糸まとわぬ姿のカチェリーがいた。
少し頬を赤くして胸を隠すようにしている。
クリフはマントを解いてカチェリーの肩に掛けた。
◇◇◇
「やはり人間の食事は美味しいな」
カチェリーがスープを平らげるとナプキンで口元を拭いた。
村人にもらったチェニックに着替えている。
「カチェリー隊長はこの三ヶ月、馬として草などを食べていたのですものね。ご苦労をお掛けしました」
クリフはカチェリーと向かい合わせでテーブルの席に着いていた。
ここは村で唯一の酒場だ。
恐怖の対象の魔竜が退治されたことで村を挙げての大騒ぎになっている。
「何を言うんだ。クリフが魔竜を倒してくれたおかげで、馬化の魔術が解けて人間に戻れた。さっき馬にされた娘もな」
その娘も楽しそうにはしゃいでいる。
焼けてしまった家は大工の父が街から帰ってきたら立て直すから大丈夫と言っていた。
「あの魔竜は人間よりも馬の方が好みだったようだな。だから人間を馬に変えて食べていた」
「それで被害現場では、人間よりも馬の死体の方が多かったのですね」
「ああ。馬に変えられて魔竜の餌食となってしまった人たちのことは、改めて弔うことにしよう」
「はい」
「それにテスラも」
カチェリーがそう言って目を伏せた。
「私が馬に変えられてしまったとき、テスラが庇うように盾になって逃がしてくれた。そのおかげで生き延びられたようなものだ」
「そうだったのですね。僕はずっとテスラと旅をしているのだと思い込んでいました。カチェリー隊長の侍女にそう聞いたので」
「あの侍女には馬の世話は頼んでいなかったからな。白馬だったらテスラだと思うのも無理はないさ。サークレットを遺品だと思われてしまったのもな」
カチェリーは魔竜に馬に変えられてしまったとき、衣服は破れてしまったがサークレットだけは頭に引っかかったままだったらしい。
サークレットは窮屈だったので、木にこすりつけて外して咥えてきたのだという。
誰かに、カチェリーであると気付いて欲しかったから。
「すみません。鞍や轡をしていないことに違和感を持つべきだったかもしれません」
「いいんだ。それより宿に戻ろうか。少し疲れた」
二人で酒場を出た。
もう外は暗くなり、空には星が瞬いている。
宿屋に向かって歩き出した。
「お前は魔竜を討った英雄だ」
カチェリーが魔竜の亡骸を一瞥して呟いた。
手柄のことなどまるで考えていなかった。
魔竜が生きていることが許せなかっただけだ。
ただカチェリーの仇を討ちたかった。
だが愛する人を取り戻せた。
願ってもいなかったことだ。
「アステア王国に戻れば『赤い騎士団』の部隊長ぐらいにはなれるんじゃないか」
「そんな気はないです。カチェリー隊長も一緒に戻って下さるなら別ですが」
そう言うとカチェリーが少し笑った。
宿屋に入ると二階に上がった。
宿泊費は無料となり、部屋は二つ用意してもらってある。
「それではカチェリー隊長。お休みなさい」
「クリフ」
自分の部屋のドアノブに手を掛けたとき、カチェリーに呼び止められた。
「馬にされたことは苦痛だったけれど、良かったと思っていることだってあるんだ」
「何をです?」
「まず、お前が私の仇を討とうと必死になってくれたことが嬉しかった」
クリフはドアノブから手を離してカチェリーを見つめた。
「それは部下として当然です。カチェリー隊長のことを尊敬申しあげていますから」
「それだけじゃないだろう?」
カチェリーが頬を赤らめて視線を逸らした。
「テスラだと思っていた私に、色々と話してくれたじゃないか。お前の気持ちを」
「あっ、あれは」
今度は自分の顔が火照るのを感じた。
「聞けて良かった。九つも年下のお前が、そんなふうに思っていてくれたなんて想像もしていなかったから────」
「それは────」
二人で気まずくなってうつむいていた。
「僕は」
だがクリフの方が先に顔を上げた。
「僕は、カチェリー隊長のことを愛しています」
「嬉しい」
カチェリーが少し瞳を潤ませたようだった。
「どうして私を愛してくれているのか、もう一度聞かせて欲しいんだ……。人間の姿の私に……」
「はい……」
クリフはカチェリーの手を取って、同じ寝室に導いた。
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