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大事な物

 私は北沢アカリに迫られ、半ば強引に交際することになった。

 初めは恐怖で、寝て目が覚めるなりハッピーセットをキメた。

 さらに電話まで鳴り出す。相手は言うまでもない。

 それに私はやや震える声で応じる。


「愛沢さん、ちょっとおうちお邪魔してもいいですか?」


 断る度胸もなく、北沢アカリを家に招いた。

 30分ほどするとインターホンが鳴る。


「愛沢さん、ありがとうございます! 今日は徹底的にやりますよ!」


「どうしたんですか? そんな顔して」


「家に来てやることなんて1つですよね?」


 そして私はお勉強をすることになった。

 なんのお勉強かというと言うまでもない。

 受験勉強だ。やましいことなんて何もない。

 北沢アカリは偏差値60超えの私が憧れる名門私立、立教大学に通っている。

 そこで私も同じ大学に通えるように、と勉強を教えてくれると。


 私が勉強が苦手だったのは、私が認める欠点の一つである自主性の無さによるものが大きいと思う。

 まず勉強しよう、と思えないし、いざ自分から勉強しよう、と思っても、どの教科を勉強すればいいかで迷う。

 それでたとえば英語を勉強するとして、単語をやるか、文法をやるか、リスニングをやるかで迷う。

 単語をやるとして、音読するか、速読するか、書き写すか……

 このような迷いが行動する前に脳内で展開され、やる気が起きないのだ。

 それで何をすればいいか考えるという名目でスマホで時間潰し、一日が終わる。

 ああ、私はなんて駄目人間なのだろう、と悔やみながら眠りに就く日々。


 しかし。


「愛沢さん、英語も国語も歴史も勉強法は同じですよ。反復です。1冊の本をやると決め、それを3回やるんです。それが終わったら次に進む。それを繰り返してください」


 このカリスマ的指導者の如く指示をくれたのは北沢アカリ。

 自主性の無い私には靴を用意してから貰って目的地の方角と距離まで教えてもらった気分だった。

 歴史で躓いたときもすぐに助けてくれた。


「流れを覚えることと単語を覚えることは分けるんです。困難は分割せよ、ですよ」


 あとで知ったが、北沢アカリが立教大学を受けたのは名門だから、ではなく近いから、であった。

 彼女が秀でているのは学力ではなく、もっと根本的な能力なのだ。


「この本が終わったら過去問も解けるようになっているはずなので頑張ってください! 分からないところはいつでも教えますよ!」


 家庭教師に教わるには、1時間に5000円程度かかるらしい。

 この点に関しては感謝しかなかった。

 気付くと外は暗くなり始めていた。

 北沢アカリのことだから「泊まってもいいですか?」とでも言うだろう。


「こんな時間までお疲れ様です! 愛沢さんすごく吸収早いですよ! じゃあまた来ますね!」


 北沢アカリはすんなりと帰って行った。

 勉強にやや疲れ、テーブルに腕を乗せてもたれかかり、少しだけ目を閉じる。


──


 私は道を歩いている。

 私の意思で歩いているのでなく、それを客観視している。

 体だけ自動で動いているかのように、思考は置き去りにして。

 ふと、カップルとすれ違うが、私の隣に誰もいないことに気付く。

 悲しいのだろう、私の体は涙を流す。

 しかし私は悲しくなかった。


──


 机に腕をついて眠っていたようだ。腕がじんじん痺れる。

 先ほどまで夢を見ていた。

 短い夢であったから短い睡眠だったのかもしれない、と時計を見ると3時間経過していた。

 それより頭が痛い。寒気がする。

 12月に何もかけずに3時間も眠りについたからだろう。

 風邪を引いてしまった。


 倦怠感に負けてベッドに潜る。

 私は重度のスマホ依存なのに見る気もいまいち起きない。

 深夜3時、二度寝も出来ず、頭痛と倦怠感に苛まれる。

 心細く、つい北沢アカリに風邪を引いた、とメッセージを送った。


 結果、いつもならすぐにつく既読が10分経ってもつかない。

 こんな時間に起きているはずがない、分かっていたことだ。

 ちなみに他に友達はいない。

 やむを得ずハッピーセットから睡眠に特化した薬、ロヒプノールだけを抜き取り、噛む。


──


 翌朝になっても、調子は戻らなかった。

 むしろ倦怠感は悪化。

 スマホを見ると、北沢アカリから1件だけメッセージが来ていた。

 北沢アカリは1度に2〜4件送ってくるのが当たり前なのに、メッセージも無理せず体を温めて休んでください、という簡素な物だった。


 おそらく負担を減らすべく私を気遣っているのだろう、こういう些細なところからも賢いと思う。

 ふと、私は北沢アカリの下位互換だと思った。

 ぱっちりした瞳を持つ美少女と言える容姿、 ところどころ垣間見える頭脳、細かなケアも出来る性格。

 ただ、私は彼女に劣等感を抱いてはいなかった。

 だって、彼女は──


 翌日には体調が戻っていた。


「愛沢さん、寂しかったですぅ……でもインフルエンザじゃなくてよかったですね!」


 私に膝を折って抱きつき。お腹の辺りに顔を埋めてそう言う。

 お腹から引っぺがそうとするも、1分ほどそのままだった。

 体調も戻ったため、一緒に本屋に向かう。


「あ、この本面白いですよ! 今度お貸ししますので読んでください! って参考書買いに来たんでしたね」


 北沢アカリは参考書コーナーの場所を知っており、そこで本を3冊選ぶと会計を済ませ、カフェへ向かいパラパラと内容を見ていた。

 北沢アカリ推薦の本だけあって分かりやすい。

 心地よい音楽に温かい空間。

 久し振りに落ち着いた気分になった。


 ふと、北沢アカリが尋ねる。


「愛沢さんにとって大事な物ってなんですか?」


 私にとって大事な物……ハッピーセットだろうか。


「私は記憶ですね。知識も記憶じゃないですか」


 居心地のいい空間に私と北沢アカリのみがこの場にいるような感覚がする。穏やかな心地よさ。


「記憶があるから今があり、未来があるんです。つらい記憶もありますけど、そこから何かを学び、楽しい記憶から元気を貰える。だから、私は記憶が大事なんです」


 私は北沢アカリに敗北感を抱いた。

 私の大事な物はハッピーセットしか浮かばなかったからだ。

 それなのに北沢アカリはこんな高尚な大事な物がある。

 壁に頭をガンガン打ちつけたい気分だ。


「さて、バッティングセンター行きましょうか!」


 何故バッティングセンターを提案したのかは分からないけれど、バットもろくに振れない私に対し、北沢アカリはホームラン級のヒットを連発していた。

 運動神経まで私より上なのか。知ってた。


「愛沢さん、なんで私がこんなにヒットを打てるか分かりますか?」


──分からないわ。


「記憶しているからですよ」


 そう言い、またカキン、とヒットを打つ。


「だから愛沢さんも今日という日を、今この瞬間を忘れないでくださいね」


 北沢アカリは振り返り、笑顔でそう言った。

 夕陽を背景に微笑む様はどこか幻想的で、印象的だった。

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