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この作品には 〔ガールズラブ要素〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

それが私の仕事ですから~令嬢社長は破談してでも、部下を守りたい~

作者: れとると

 ストレチアは、「守りたい女」だった。

 辺境寄りの公爵領で、国を守る父と母に育てられたせいもある。だが尋常ではないその衝動は、とても説明のつくものではなかった。



(私が傷つくことなど、構わない)



 迷子の子どもを谷底から連れ帰ったり、騎士叙勲まで受けて魔物と戦ったりしてきた。その陰で、いくつ傷を作ろうとも。



(けれど……)



 そんな彼女も、長じて淑やかになった。だが、その血が湧きたつような原始的な欲求は、むしろ強くなった。



(やってくれましたね……リーン殿下)



 公爵令嬢ストレチアは物腰柔らかな婚約者、王太子リーンを想う。



『少し難しかったかい? ここはね……』


(幼い頃から才気を見せる、素晴らしい方だった……私は。彼を守りたいと、思ったのに)



 皆を守るためならば、国を強くすればいい。ストレチアが優秀な王子にほれ込んだ理由は、シンプルであった。彼女はリーンを支えるために、教養を培った。妃候補たちと団結し、彼を支えようと誓い合った。



(このペンを使いこんで、お役に立とうと誓った。なのに)



 サインの途中で、万年筆のインクが切れる。尽きたインクに自分の愛情を重ね、古く使い込まれたペンを忌々しげに握り締める。インク壺に雑に突っ込み、大きくため息を吐いた。



(あんな方、だったなんて)



 表向きは、ストレチアがリーンの唯一の婚約者である。だが彼は、妃候補たちに愛を囁き、家に帰すことを拒絶していた。愛と未来への不安で揺れる仲間たちのため、ストレチアは会社を設立した。働いた実績で、彼女たちの価値を高めるためだ。



(おかげで、苦労したわね)



 父から融資を受けるために、何度も申し込んだ。国王から承認をもぎ取るために、幾人もの貴族たちの間を駆けずり回った。設立後も自ら顧客を開拓し、時に部下のために頭を下げて回った。公爵令嬢のすることではないと嘲笑われたが、少しも気にならなかった。

 彼女たちが――――彼女が守れるのならば。



(フォリア……)



 翡翠のインク壺をプレゼントしてくれた部下、転生者の平民であるフォリアを思う。庇護欲を誘う、小柄で元気な少女。非常に活力溢れて積極的な資質。そして稀有な才気。何もかもが、ストレチアの「守りたい」という欲求を刺激してきた。誰にも漏らしていないが、会社の設立はフォリアのためでもあった。



(時代を切り開くだろう、輝かしい才能。不思議と、あの笑顔を見ると、胸が暖かくなる)



 ある日突然妃候補として連れてこられた彼女は、その特異な知識に目を付けたリーン王子によって、働かされていた。一目見て電撃的な保護欲に襲われたストレチアは、明らかに過労だった彼女の労務管理をするため、フォリアを入社させた。

 だが。



(けど……また、守れなかった)



 執務室の奥の扉を横目に見る。そこでは、先日倒れたフォリアを匿い、休ませていた。血が滲みそうになるほど、手を握り締める。せっかく会社を作ったというのに、フォリアはいつの間にかリーン王子に手伝いをさせられており、ついに倒れた。



『またなくなってる! 頑張りすぎですよ、ストレチア様』



 いつもインクを補充してくれる、気遣い上手な彼女の声が思い起こされる。



(絶対に……あの方から、守らなくては)



 ストレチアは、ルビーのあしらわれた万年筆を手に取る。それは幼い頃に、リーンがプレゼントしてくれたものだ。



(リーン様。私が愛し、愛していると言ってくださった……あなたの、本心は……)



 楽しい思い出がたくさんある。特に、初めてエスコートされた夜会が思い出深い。彼は優雅で、ダンスのリードは大胆。その時の幸福感は今でもはっきり覚えている。手紙や贈り物を始め、何もかもが――――大切な思い出だった。今回の件で、処分するまでは。



(今も……何も変わっていない、はずなのに)



 彼が傾けてくれる心も、自分が向ける愛情も、ずっと同じなはずだった。なのに強烈な違和感があって……いつからか王子といると、妙な吐き気を覚えるようになっていた。それはフォリアが倒れたことで、決定的になった。



(許さない。あなたは守るべき王子ではない。この私の――――敵だ)



 サインの途中だった王命による会社の譲渡同意書紙に、今一度向き合う。ストレチアは、王子がフォリアたちを酷使していた件を、国王に正式に抗議。彼女たちをリーンから取り返した。そしたら即座に、王子への会社譲渡を迫られた。



(皆を。フォリアを守るためには、これしかない。お父さまや顧客、取引先への裏切りであろうとも。私自身が家を出され、国を追われようとも)



 遠い地球の知識をきらきらとした目で語る彼女を想いながら、ストレチアは記名した。



(それで殿下の愛を、失うことになろうとも! 守りたい!)



 ペン立てに万年筆を置く。手の震えが、止められなかった。



(ふふ……私はやっぱり、異常だ。歓びが、溢れる。きっと守ってみせるわ……みんな。フォリア)



 肩で息をし、心を無理やり落ち着ける。

 ノック音が響く。応諾すると、メイドが扉を開いて来客を通した。ストレチアは座ったまま、王太子を出迎える。



「お待ちしてました、リーン様」


(こんな時でも笑顔……昔からこんな薄気味悪い顔だったかしら)



 微笑みを携えた貴公子が、執務机の前までやってくる。



「社長の君は偉そうだね? ストレチア」


(……不機嫌だわ。私がした抗議は、とてもお嫌だったと)



 圧のある笑顔を見て、ストレチアは柔らかくほほ笑んだ。



「私は王家の承認を得た事業主。我々は対等です、リーン殿下」


「対等なら、客の僕を手厚く歓迎するんじゃないかい?」


「客ではありません、敵です。強引に我が社の譲渡を迫った、王太子殿下?」


「悪かったよ。君が彼女たちを使うなというから、仕方なかったんだ。これはお詫びだ」



 リーンは机の上の譲渡同意書を手に取り、代わりに一枚の紙を置いた。ストレチアは目を見開く。



「これは、破談の!?」


「そうだ。お守り代わりに、持っておくといい。僕の誠意と……愛の証だよ」


(信じ、られない……なんて非常識な!)



 無神経な物言いに一瞬顔色が変わり、それを笑顔に置き換えた。



「殿下がこんなもの書いたと知れたら、大変なことになりますよ?」


「秘密で頼むよ」



 口元に人差し指を当て、リーンが片目をつぶって見せている。



「万が一伝わったら、その時はどうされるのです?」


「そしたら君とは残念だけど……みんなに慰めてもらうよ」


「そういう問題ではありません。当公爵家はあなたの後見から降りますが、その代わりがいるのですか?」



 リーンの頬がぴくり、と動いた。彼は無作法に、机に腰かける。横顔が張り付いたような笑みを浮かべていた。



「それが困るから、内緒にしてって頼んだんだけど? わからないかな」


「わかっておりますとも。国王陛下にまでサインをもらった、リーン殿下?」


「……………君には想像がつかないだろうけど、父は公爵が敵に回る恐ろしさくらい、理解しているとも。黙っているさ」


「殿下はご子息なのに想像がつかないようですが、恐ろしければこんな書類にサインしませんのよ? すでに何人もの目に、留まっていらっしゃるでしょうに」



 鋭く言及すると、リーンは机を降りた。肩を震わせながら、息を呑んだようだった。だがどう見ても怒っているようなのに、その表情は。



「僕は悲しいよ、ストレチア。何を怒っているんだい? どうしてそんなことを言うんだ」



 気味の悪い、笑顔のまま。



「あら、お分かりにならない? 当社の社員を酷使した件。私はまだ、何の申し開きも受けておりませんが」


「ストレチア!? 彼女たちが僕のために倒れるまで頑張ってくれたのに! そんな言い方はひどいじゃないか!」


(……言葉は通じているのに、会話している気がしない)



 背中を向けたままの彼に悍ましさのようなものを感じつつ、呆れを抑えながらなんとか口を開く。



「なら、せめて対価を払ったらいかがです?」


「払ったとも。皆、僕の妃になるのだから――――僕の愛があれば、満足だろう?」



 得意げに肩を竦めるリーンに、開いた口が塞がらなくなった。



「全員妃とすると? 皆が子を産めば、激しい権力闘争が起きます。それを望まれるので?」


「強い子が残る、世の真理だ。君には難しかったかな? ストレチア」


『少し難しかったかい? ここはね……』


(……あの時の、言葉。嬉しかったけど、違うんだ。あれは優しさでは、ない)



 彼の言動が過去と重なり、ストレチアは、理解した。王子は、気遣っていたのではない。弱い者として、見下していたのだ。



「殿下は強き者がお好きなのですね。だから皆が倒れるまで、仕事を押し付けるのですか? 特に、フォリアに」


「フォリア、ね」



 リーンが振り向き、笑みを深く深くする。気味が悪かった。



「どうしてもというから、僕は仕事をあげたんだ。彼女の手がけた郵便網や、馬車の改良は素晴らしい。これからもぜひ、僕のために働いてほしい。そのために……譲渡書(これ)を書いてもらったんだし、ね」


「彼女の能力だけが、目当てだった、と」



 震えを抑えながら応える。返ってきたのは、少しの笑い声だった。



「ほかに何かあるのかい? 平民で、君ほど美しくもない。なのに僕の愛情を受けられるのだから、生涯尽くして当然だろう?」


(何が当然だ! 私は、こんな男を信じて……! そのせいで、皆を、フォリアを傷つけることに……!)



 ストレチアは、甲斐甲斐しく王子に尽くすフォリアの姿を思い出し、腹の底が煮えくり返りそうになった。



「君だって、僕に尽くせて幸せだよね? ストレチア」



 リーンが机に強く手を付く。バンッと音が鳴り、ペンが転がった。彼からもらったペンに、深くヒビが走るのが見える。



(なに、この、かお)



 王子は笑顔だった。だが目が、おかしい。嘲笑っている、と。そう表現すべき形をしていた。だが怒りや悲しみのようなものも、見える。



「僕がこんなに愛してるのだから……もっといい子にしてほしいな?」


(そんなものの、どこが愛だというの……? 私の想いとは、違い、すぎる)



 舐めるような声を聞いて、心が震え上がった。怒りが冷え、頭は真っ白になり、鼓動がずきずきと痛みを訴える。



『僕のためなんだ。やってくれないかな?』


(これが、この方の、本性……)



 幼少からの、王子との思い出が走馬灯のように駆け巡る。風邪を看病してもらったとき。手を引いてもらったとき。作法を教えてもらったとき。

 優しかった。愛おしかった。

 だが。



『しょうがないなぁ、ストレチアは。僕が教えてあげるよ』



 はにかむような、彼の笑顔は。



(ち、がう。この人が語る、ものは……!)



 その奥に、ずっと侮りを隠していたのだ。優しかったリーン王子の思い出が、傲慢な愛情で女たちを貶める醜さに上書きされていく。



(あれもこれも、全部全部! 愛などではなかった! 私のしていたのは、ただの片思いで――――)



 ストレチアは彼のすべてが、理解できなくなった。じっと見つめてくる赤い瞳が恐ろしくなり、すくみ上った。息ができず、目が泳ぐ。顔を逸らしたいのに、怖くて動けない。



(誰か、誰か助け――――)


『初の大取引だー! あ、社長はどーんと構えててください! 攻めの姿勢で!』



 背中を叩かれた気がして、視界が揺れる。目の端に、万年筆と、インク壺が映った。そう言って結局は失敗し、自分が守ったフォリアの顔が脳裏に蘇る。



『またなくなってる! 頑張りすぎですよ、ストレチア様』



 幻の部下が、笑顔でインクを注いでいく。

 彼女の心に、注ぎ込む。

 それは。



(私は、社長……………………)



 小さな壺いっぱいの、勇気。



(部下を守るのが、私の使命よ!)



 ストレチアはペンを手に取り、書類に自分の名前を書ききった。ガリっと音がし、万年筆のペン先が折れ砕ける。紙の外にインクが飛び散る。素早くペン立てに戻し、王子を睨みつけた。



「なっ…………なんのつもりだ!? ストレチア!」



 王子からは、さぞ異常に映ったことだろう。悦びに打ち震え、自分との婚約破棄に同意した女の様子は。守りの衝動は恐怖を破壊し、彼女を強く突き動かしていた。



(こいつは敵……ならばあの子を守るために、私はなんだってする!)


「あなたの愛などいらないと、そう言っているのです」


「なんてことを言うんだ! さては浮気……浮気しているんだろう!」


「魅力的なお誘いなら、たくさん受けております。主に国外から」


「そんなの、僕は聞いてないぞ!?」



 艶やかに笑って見せると、崩れた笑みの王子が喚いた。



「殿下のお心を煩わせるものどうかと思いまして……何せ、量が本当に多いものですから。ああ、皆のもとにも、届いております。特にフォリアは、大人気でしてよ?」


「許せない……僕の愛する女たちに、手なんて出させない!」


(彼女を見下しておいて、どの口が! こんなものが、愛なはずがない!)



 ストレチアは息を吸い込み、腹の底に溜めた。言葉を、想いを飲み込まないために。



「――――――――あなたのそれは、愛ではありません。ただの支配欲です」



 ずっと抱えていたものが、強く震えを伴いながら吐き出された。



「何を言うんだ、ストレチア――――これが王の愛……支配者の愛だ」



 リーンが大仰に手を振り回す。芝居がかったそのしぐさの向こうに、歪んだ顔が見えた。



「君たちだって、それを期待しているんだろう? この僕に支配されることを。大変だけど……ちゃんと全員、面倒を見てあげるよ。もちろん、君もね」



 もはやそれは……笑顔では、なかった。



(殿下の表情が崩れた――――ここだ!)



 背筋を伸ばし、奥歯を噛みしめる。



「面倒、ね。ところでご存知ですか? あなたの妃候補は皆――――辞退したと」


「…………は?」


「陛下もご承認なされました。リーン様の妃になろうという女は、誰もいません」


(そう……最後の一人もさっき、いなくなった)



 サインした婚約破談の同意書をそっと見つめる。視線を上げると、王子が目を細め、蛇を思わせる顔つきでにやにやとしていた。



「いや、まだだ。働いてもらうぞ……。大丈夫、僕は頑張って皆を愛してあげるよ! そうすれば君たちだって!」


「働くとは、何のことでしょう」


「君の会社は僕のものだ! 社長命令に従ってもらうぞ! 王子でもある僕に!」


「その会社――――従業員は一人もおりませんよ?」



 口を開け、リーンが呆然としている。



(笑顔を作るのも忘れて……そんなに意外でしたかね)


「譲渡の件で父が怒って、融資を引き揚げました。借金を返すのに資産を売り払って。資金が底を尽きたので、社員は全員解雇しました」



 ストレチアがにこやかに告げると、ようやくリーンは我に返った様子だった。



「そ、そんな勝手に!? 僕の会社だぞ!」


「国王陛下には承認いただきました」


「ひ、ひどい……みんなで寄ってたかって、僕を! ストレチア、あんなに愛してあげたのに!」


(愛? いいえ……愛だと言うなら。きっと殿下は私のお願いに、答えてくださった。やはりこの方は、我々を支配したかっただけ)



 叫ぶ王子を見て、ふと幼い頃の記憶が蘇る。



『わたくし、でんかにはほかのきさきを、とっていただきたくありません』


『なら君が誰よりもがんばって、僕の一番にならないとね。ストレチア』



 それはまだ柔らかかな表情をしていた頃の、愛しかったリーンの姿。



「覚えていらっしゃらないようですが――――」



 ストレチアは立ち上がる。



「私、嫉妬深いのです。あなたが私以外を娶ろうとしたこと……一生、許しません」



 その赤い瞳で、じっと王子を見つめた。



「なら、僕を、愛して、るんでしょう? なのに」


「ええ。さっきまでは、ね」



 ハッとしたリーンの目が、同意書に注がれる。



「こんなもの――――」


「外のメイドたちに騒ぎが聞こえているので、もう無駄です」



 見たこともない絶望の色がリーンの瞳に映り、涙が溜まる。後ずさる彼に、ストレチアはにやりと笑ってみせた。



「ところで。リーン様に、国王陛下から伝言です。執務室に来るように、と。譲渡同意を得るために、随分無茶をなされたそうで。王太子の座、無事だと良いですね?」


「な、え!?」


「早く行って、ご確認された方がいいですよ? 支配が大好きで、権力の座にいたい……王子様?」



 一瞬、怒りに歪んだ顔を見せたリーンが、肩を震わせて背を向ける。急ぎ足で扉に向かうリーンが、よろけて転びそうになった。



(殿下――――)



 彼の背に、無意識に届かない手を伸ばす。かつて本気で、守ろうとした相手に。

 だがふと目についた壊れたペンから、インクが零れ続けていて。インク壺のそばまで、黒い液体が広がっていた。



(――――フォリア!)



 ストレチアはインク壺を救い出すように手に取り、両手で握り締めた。扉が開く音を聞きながら、荒い呼吸を何度も繰り返す。心臓が張り裂けそうなほど脈打った。



(私は……みんなを、フォリアを守らなければならない。もう振り返れないわ)



 手を開き、その中のインク壺を見つめる。



(今までで一番疲れた……なのに。とても、気が楽)



 壺を見ていると、自然と顔が緩んだ。ほっとした息を吐き、壺の蓋を優しく慎重に閉める。



(ああ、そうか……)



 実感が浸透し、脳の奥から多幸感が溢れて全身を震わせた。肩から一気に重さが降りたような気がして、ストレチアはどさりと椅子に座り込んだ。



(私は、守れた、のね)



 開かれたままの扉と、その向こうから覗き込むメイドが目に入る。婚約破棄の同意書の送付と、机の清掃を命じ、椅子に深く背を預ける。顔に昇った興奮を抑えようと息を整えていると、部屋の奥の扉が開いた。



「いやー、もー。ストレチア様かっこよ……どうしたんですかその顔!?」



 エメラルドを思わせる綺麗な瞳の少女が、机を回り込んでやってくる。



「フォリア……! あなた、体は」


「さすがにもう平気ですって、休み過ぎです。それより……」



 ストレチアは、滲んだ涙を拭った。



「聞いてたならわかっていますよね。ほっといてください」


「ほっとけませんって……忘れましょうよ、あんな蛇みたいな人」


(そうじゃないわよ……あなたを見たらほっとしてつい零れたのよ)



 想いごと笑いを吹き出しそうになったが、なんとか息を飲み込む。



「よく言いますね。あなた、好きだったんじゃないんですか? 彼のこと」


「や、そりゃ、最初は……」



 からかうように水を向けると、フォリアが意外に深刻そうな顔をした。



「最近も、だから仕事を山ほど引き受けていたのでしょう?」


「あれは! ストレチア様のためになるから、って言われて……」


(馬鹿なの? 可愛いのだけど)



 呆れたストレチアは、少しの笑い声を漏らす。



「くっ……失態を挽回するために、攻めます!」


(どこに攻め込むっていうのよ)



 「攻める」はフォリアの口癖であったが、たまに意味が分からない。それが耳に心地よく、ストレチアは自然と頬を緩めた。



「私、決めました。魔力動力機関と魔力波通信網の計画、やらせてください」



 だが彼女の返答に、顔を引きつらせる。



「は? 技術的課題があると言って……」


「解決できる手段、見つけました。隣の帝国で」



 産業革命すら起きてない世界で、動力機関と通信網を整備する。ストレチアは戦慄した。そのキラキラした碧の瞳を見ているうちに、背筋を熱い震えが駆け上る。



(この子だ――――やっぱりこの子しか、いない! フォリアの手で、世界が変わる……! 守りたい!)



 照れた様子で顔を逸らしている、フォリアの目には映らなかったが。衝動が情欲や歓喜をすら刺激して、ストレチアは紅潮し、瞳を潤ませていた。



「……さては。だから次の拠点に帝国を挙げていましたね?」


「えへへ……ほめてください、ストレチア様!」



 絞り出した声に軽快に返され、さっと表情を苦笑いに切り替える。



「褒められないです……世界中から狙われますよ? なぜ踏み切ろうと思ったんです」


「それは――――ストレチア様が、絶対守ってくれるって、思った、ので」


(なにそれ。下手に褒められないじゃないの……)



 赤い顔が隠せなくて、ストレチアは誤魔化すように立ち上がった。



「あ、万年筆壊れてる!」



 メイドたちが残していった折れたペンを、フォリアが驚いた顔で見ている。



「……ええ。古かったですし。次はあなたに、見繕ってもらいましょうか」


「なんですそのあざといおねだりは。はい」



 彼女が差しだしたのは、翡翠色のペン。



「どうぞ。書き味、試してみてください」


「えぇ!? え、ええ」



 インク壺を置いて蓋を開け、キャップをとった万年筆の先を付ける。少しインクを吸ったのを確認し、残されていた婚約破棄同意書の控えに、さらりとサインした。



「……手になじむ。最高です。こんなもの、いつの間に」


「インク壺とおそろいで用意してました。けどそっちの赤いのがあるから、贈るのもどうかと思って。ガンガン使って、使い潰してください!」



 傷ついてインクが流れ切った、リーンが幼い頃にくれた赤い万年筆。何年も前に作られたはずなのに、エメラルドのように輝くフォリアのペン。そしてずっと使い続けてきた、彼女のくれたインク壺。ストレチアはその3つを、じっと見つめて。



「嫌です。一生大事にします」



 きっぱりと、言い切った。



「ぉ……」



 目の端で、フォリアが赤くなる顔を隠しているのが見える。



(一生……そうだ)



 キャップをして万年筆を置き、蓋をしたインク壺を横に添える。ストレチアは机の引き出しから、小箱を取り出した。蓋を開けて中身を取り、フォリアに近づく。



「フォリア。失礼しますね」


「え、ちょ、甘い雰囲気!? 近い、顔が良……ん?」


(これをあげるつもりは、なかった。彼が婚約破棄など持ち出さなければ、私は……でも、もう。あなたしかいないわ)



 幼い日からずっと見てきた、彼の笑顔が。徐々に気味悪く感じていた、その表情が。嬉しそうで柔らかなフォリアの笑みに、上塗りされていく。より濃いインクが、ぶちまけられたかのように。胸の鼓動を抑えながら、フォリアの首に、鎖を巻いて留めた。



「下がってるのは、勲章です。伯爵相当の身分保障があります」


「どうしたんですこんなもの!?」



 驚いて首飾りを触って確かめているフォリアを見て、ストレチアはにっこりとほほ笑む。



「国王陛下から、迷惑料代わりにもぎ取りました。これで外国に行っても、平民とは侮られません」


「ほわぁ……一生大事にします……。というか褒めるのはお預けしておいて、素敵な贈り物で上げるなんて、ストレチア様あざとい」


「何を言ってるのです」


(それは贈り物ではない――――首輪よ)



 フォリアは耳まで真っ赤になりながら、勲章をしげしげと眺めている。チェーンから下がるバッチを、ストレチアはその赤い瞳でじっと見つめた。錠前のような金属板、会社のロゴにする印章が施されていて、中央には小さなルビーが埋まっていた。



(あなたは絶対に守り抜いてみせる。他の、誰にも――――)


「ストレチア様……どうして、ここまでしてくれるんです?」



 思考に割り込むように、呟きが挟まれた。



「私、専務から聞きました。この会社、私のために作ったんだって。今回だって、私が倒れたから怒って、譲渡するフリして国外移転することにしたんだって」


(あの女、口が軽い……減俸ね)



 今は隣国で新拠点を回しているはずの令嬢の姿を思い浮かべ、ストレチアは眉をひそめた。



「――――これは、償いです」



 少女が上司の、冷たい言葉に身を固める。



「あなたの未来を、台無しにしてしまった、私の。あなたたちを守れず、失敗してしまった、私の」


「そんなこと、気にしちゃイヤです……!」


(私がしっかりしていれば、この子たちを王子から守れた。この国で掴む未来も、あったはずなのに)



 ストレチアはインク壺を左手に、万年筆を右手に取り、少し握り締める。



「社長の私には責任があります。失敗は自覚し、改めなければならない。だから新天地で私は、あなたを、皆を幸せにしてみせます」


「幸せ……」



 ぼうっとした顔の部下を見て、ストレチアは頷く。



「取り急ぎ、縁談ですね。山ほど来てたでしょう」


「あ。あれ全部、断りました」


「なんですって?」



 今日一番の驚きを得て、目を丸くした。



「利益狙いなの丸わかりですし。専務にもご了解いただいてます」


(あの女、情報を差し止めていたわね……減俸は二カ月にしましょう)



 苦虫をかみつぶすように、口元を歪める。



「どのみち、下手に受けるの危ないですし。だからその。ストレチア様」



 西日が窓から差す中。躊躇うような部下の顔を、じっと見つめる。ずいぶんと、長く待った気がしたが。



「よければ私のこと、ずっと面倒、見ていただけませんか?」



 碧の瞳と目が合った瞬間、その言葉がするりと告げられた。



「…………ええ」



 ぞくりとした震えと隠せない緩んだ顔をごまかすように、ストレチアはフォリアの隣を通り過ぎる。インク壺を持つ手の甲が、部下の手と少しだけ、触れた。



「それが私の、仕事ですから」


(あなたを守るのが、ね)



 振り向く部下の耳に入らないように。顔に浮かぶその愉悦が、決して目に留まらないように。ストレチアは想いを、飲み込んだ。




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― 新着の感想 ―
王命での会社強制搾取とか前例作った王がのちに愚王と評されるか王太子の危険性を感じて王命を使っても排除した凡王とされるかやなあ・・・どっちにしろ王制は衰退したやろうねえ
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