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二章 その3

 夜。集落のほとんどのサウザンド族が寝静まったころ、オウララが松明(たいまつ)を手に呪術師グーグスの家の(すだれ)をめくる。


「グーグス。まだ起きているか?」


 グーグスは寝息を立てるザルバドのそばに座り込んでいた。


「オウララ様」


「ザルバドじゃないか。ここにいたのか」


「はい。私のところへ相談に来たのですが、狩りの疲れが溜まっていたらしく、途中で眠ってしまわれました」


「そうだったか。こうして見ると、ザルバドもまだまだ子供だな」


 グーグスのそばにしゃがみ込み、オウララはザルバドの寝顔を見て嬉しそうに笑った。


「それよりもオウララ様。何かご用事があったのでは?」


 グーグスに尋ねられると、オウララは顔色を変えた。


「あぁ、そうだったな。実は今日、大賢者様と謁見(えっけん)したのだが、どうもおかしなことを言うのだ。胸の内にしまっておこうかとも思ったのだが、どうにも晴れない。グーグス、聞いてくれるか?」


「もちろんですとも」


 グーグスが大げさに頭を下げて見せると、オウララは大賢者の警告とも取れる助言をグーグスに話した。グーグスは、(くすぶ)()き火のわずかな残り火の中でもわかるほどに激しく怒った。


「オウララ様。大賢者の言葉に耳を(かたむ)けてはなりません。おそらくその大賢者は、我々サウザンド族に滅亡をもたらすでしょう」


「なんだと?」


「今はっきりとわかりました。大賢者は悪き導きをするもの。言うなれば敵対種族! こうしてはおれません。大賢者を今すぐ根絶やしにするのですっ!」


「待てグーグス。大賢者様は我々サウザンド族に数々の知恵をもたらしてくださったのだぞ? 大賢者様の導きがなければ、私たちは今こうして言語を解することさえ叶わなかった」


 そう。人類の原初の時代を生きるサウザンド族が、なぜ言葉を話せるのか。その理由は大賢者の叡智と、その超常的な力のおかげに他ならないのだ。


「オウララ様! 同じサウザンド族の血が流れるこの私と、得体の知れない四足の他種族、あなたはどちらを信じるのですか?」


 オウララは返答に窮し、逡巡(しゅんじゅん)した。しかし、それも一瞬のことだった。


「私はサウザンド族の長として、大賢者様を信じるっ!! 先代のブンババならともかく、お前のような大賢者様を敵視する呪術師の言葉になど惑わされん!」


 グーグスはオウララの剣幕に怯んだかに思えたが、すぐに底意地の悪い不気味な笑みを浮かべ始めた。


「何がおかしい? 偽りの呪術師風情(ふぜい)が。サウザンドの長に敵うとでも思うのか」


 直後、前触れもなくオウララの足が底なし沼に沈んだ。


「なっ、何を……」


 (いな)、正確にはそうではない。平衡(へいこう)感覚が失われたことで、地面の上に立っていられなくなったのだ。オウララは今頃になって気がつく。焚き火は残り火を(くすぶ)らせていたのではなかった。よくよく見れば、(まき)に植物の根らしきものが混じっている。その根から発生した煙を、オウララは知らぬ間に吸い込んでいたのだ。


「かかったな。ホウキョクカノコソウは催眠効果をもたらす。サウザンドの長とて、(まぬが)れる術はない」


 視界が暗転する。オウララの意識はそこで途切れた。

 そのまま、二度と戻ることはなかった。



 深夜未明。集落の狭い家の中で、ンィーガは眠れない夜を過ごしていた。そばではロウロが、寝息を立ててぐっすりと眠っている。

 瞑目すると、ザルバドの怒声や泣き叫ぶギャドの姿が(よみが)って、眠ることができなかった。五感が鋭敏になってしまい、下に敷いているささくれた簾の感触が気になって仕方がない。何度も寝返りを打って体勢を変えてみても、効果は薄かった。


「誰だ!?」


 研ぎ澄まされた耳が、かすかな足音を拾う。ンィーガが飛び起きると、家の入り口に影が差した。人型ではなかった。頭の左右から、枝分かれした細長い角が突き出ている。


『サウザンドの青年よ。名乗れ』


 その言葉は、鼓膜(こまく)を震わせることなくンィーガの心臓に響いた。


「お前が名乗れ」


 そばに置いていた槍を手に取り、ンィーガはしゃがみ込んだまま音もなく構えた。


『私は大賢者だ。名前などない』


「だいけーじゃ? サウザードを導く森の種族が、なぜここにいる」


『私とて好んで人里になど下りない。だが事態は一刻を争う。心して聞け』


「聞こう。だが俺はまだお前をしーじたわけではないぞ」


『構わぬ。ただ耳を傾けるだけで良い』


 大賢者は隆起した喉笛を震わせ、続ける。


『じきに《(ハザード)》が起こる。サウザンド族と、我ら大賢者を巻き込む強大な嵐だ。逃れることはできない。しかし、治めることはできる』


「ハザード、だと?」


『そうだ。そして、《(ハザード)》を治めるのは、サウザンドの英雄。私は、お前こそがその英雄だと見ている』


「サウザードの英雄はザルバドだ。俺じゃない」


『いいや、違う。今の私にはわかる。ザルバドは《(ハザード)》を巻き起こす者。治めるのは、対となるもう一人の赤子。さぁ、青年よ。名乗るがいい』


 逡巡(しゅんじゅん)のあと、ンィーガは口を開いた。


「俺はィーガ。サウザードの、ィーガだ!」


 大賢者は噛み締めるように深く頷くと、ゆっくりと顔を上げた。


『真の英雄ィーガよ。洞窟に幽閉(ゆうへい)された友を助けろ。そして、その言葉を信じ、《(ハザード)》を治めるのだ』


 そう言い残して、大賢者は去っていった。


「ィーガ」


 ンィーガが振り返ると、ロウロが眠そうにまぶたをこすりながら身を起こした。


「誰と話していた?」


「だいけーじゃ様だ」


「大賢者様と?」


「ロウロ。お前はだいけーじゃ様をしーじるか?」


 ロウロは頷く。


「信じる。大賢者様は言葉を下さった。大賢者様は今日まで、私たちを導いてくださった」


「そうか。なら、俺も信じよう」


 槍を手に立ち上がろうとするンィーガを見て、ロウロは首を傾げる。


「ィーガ、どこへ?」


「だいけーじゃ様がおっしゃっていた。もうじき災厄が起こる。俺は洞窟へ行く。そこで友を助け、ともに戦い、災厄を鎮める」


「ィーガ、手を出して」


 ンィーガは言われた通り左手を差し出す。ロウロは家の奥から小さな器を持ってきて、人差し指を唾液で湿らせてから、中の粉末を指の腹で(すく)い上げた。


「何をしている?」


「ィーガにヌケニンの加護を授ける」


 ロウロは粉末が付着した人差し指で、ンィーガの左手の甲に紋様を描いた。指を(くわ)えて唾液をつけては粉末を(すく)い、紋様を描き足していく。やがてそれは複雑な形を取ったが、暗闇の中ではよく見えなかった。


「何も見えない」


「大丈夫、私には見える。ヌケニンの加護が、必ずィーガを護ってくれる」


「わかった。……ありがとう」


 ンィーガは槍を地に突き立て、今度こそ力強く立ち上がった。


「友を助けにいく」


 ンィーガは小さな松明(たいまつ)を手に、暗闇の中を走った。幸いなことに他種族の姿はない。夜の湿原は眠っていた。

 サウザンド族の集落の近くに、洞窟は一つしかない。ンィーガは夜空を照らすわずかな星の光と、心もとない小ぶりな松明の火を頼りに疾走した。


 崖の下にぽっかりと空いた穴が見えてくる。無事洞窟にたどり着いたようだ。


「ザルバド、いるか?」


 ンィーガは松明で前方を照らしながら進んだ。洞窟の中は湿っていて、気を抜くと足を取られそうだ。


「その声は、ィーガか?」


 ほどなくして返答があった。洞窟の壁に反響し、幾重(いくえ)にも重なって聞こえる。しかし、声の主はザルバドではなかった。


「フー? フーなのか?」


 大賢者は友としか言わなかった。そのためンィーガはてっきり一番の親友であるザルバドが幽閉されているのだと思った。閉じ込められたザルバドを助け、ともに《(ハザード)》を治めるのだと願った。しかし、大賢者はこうも言っていた。

『ザルバドは《(ハザード)》を巻き起こす者』

 その言葉が、ンィーガの喉の奥に引っかかっていた。


 ゆるやかな曲線を描いた道の先に、全身を縄で縛り付けられたフーの姿があった。


「フー、なぜここに?」


「話せば長くなる」


「構わない、教えてくれ」


「昨日の夜、オウララ様が殺されたそうだ」


「!?」


「それに気づいたグーグスがザルバドを起こして、ザルバドが集落の男たちを何人か呼んで会合を開いた。

 グーグスが言うにはオウララ様を殺したのは大賢者様で、大賢者様を今すぐ皆殺しにすべきだと騒いだ。ザルバドもグーグスの言葉を信じて疑わなかった。

 俺はそんなはずがないと最後まで訴えたが、ザルバドは聞く耳を持たなかった。そして、俺をこの洞窟に閉じ込めた」


「どういうことだ。何が起こっている?」


 フーは半ば諦めたように力なく首を横に振る。


「わからない。ただ一つ言えることはーー」


「ィーガ!」


 その先を(さえぎ)るように、洞窟の入り口から声とともに足音が近づいてきた。声色からザルバドではないとわかった。姿を現したのは、ロウロだった。


「ロウロ、どうした?」


「ィーガ、今すぐ集落に! ィーガがいなくなったあと、みんなおかしくなった」


「みーなが? ……これが、だいけーじゃ様が言っていた《(ハザード)》なのか?」


「ハザード? それはなんだ?」


「わからない。だいけーじゃ様が言うには、ザルバドが《(ハザード)》を巻き起こすのだそうだ」


「やはりそうか」


 フーは身を寄せ、ンィーガの耳元に囁く。


「!?」


 ンィーガは目を見開き、言葉を失った。


「ィーガ?」


 ロウロが不安げに見つめてくる。


 ンィーガは硬直したまま動くことができなかった。思考だけが加速したが、すぐにそれは同じ場所をぐるぐると回り始め、堂々(めぐ)りになった。ンィーガは結論を出せないまま頭を振って思考を中断する。


「ロウロ、ザルバドは今どこに?」


「ザルバドは集落から逃げ出した人たちを追いかけていった。多分、まだそばの平原にいる」


「わかった」


 ンィーガはフーに振り返る。


「フー、ここでロウロを守ってくれ」


「ィーガ、どうする気だ?」


「俺は《(ハザード)》を止めにいく」


 槍を手にしたその背中は、振り向くことなく洞窟を飛び出していった。



 集落から少し離れた、小高い丘のそばの、湿った柔らかい地面を持つ草原。そこにザルバドはいた。ザルバドは焦点の定まらない瞳に揺らめく炎を宿し、逃げ惑うサウザンド族の子供の背を諸刃の剣で串刺しにする。


 肺を(つらぬ)かれた小さな子供は声にならない声を上げ、鮮血を噴き出して絶命した。ザルバドの肌に返り血が飛ぶ。ザルバドはそれを嬉しそうに体へ塗りたくった。その体はすでに赤黒い色に染まっている。


 ザルバドは同じように(うつろ)な目を燃やす男たちを引き連れていた。男たちは槍で、石斧で、黒曜石のナイフで、同じサウザンド族の人々を殺戮(さつりく)し、バラバラに解体して遊んだ。逃れようと走るのは女や幼い子供ばかりで、男たちは全員ザルバドと同じものに()み込まれていた。

 のどかな夜の平原は、死屍累累(ししるいるい)の地獄と化していた。


「ザルバド!」


 透き通った声が響き渡り、ンィーガが姿を現す。ンィーガは手にした槍と拳で襲いくる男たちを跳ね()け、ザルバドのもとへ迫った。


「ィーガか」


 振り返るザルバド。血に染まったその横顔に、ンィーガは息を呑んだ。


「なぜこんなことをする!? お前はサウザードの英雄じゃなかったのか!」


「口答えするなっ! 俺に逆らうものは愚かだ。愚かなことは悪だ。悪は滅ぼさなければならない!」


 容赦(ようしゃ)無く剣で斬りかかるザルバド。ンィーガは咄嗟(とっさ)に槍を横にしてそれを受け止める。


「目を覚ませザルバド!」


 ンィーガは槍を横薙ぎに振るって剣を跳ね除けた。しかしよろけたザルバドは地を踏みつけて体勢を立て直し、再び襲いかかってくる。


 薄暗闇の中、激しい剣戟(けんげき)が展開される。

 諸刃の剣を出鱈目に振り回すザルバド。黒曜石の刃で跳ね返すンィーガ。

 ンィーガはザルバドに反撃することができない。重量を持つ剣の一方的な応酬が続き、ついにンィーガの槍が半ばから折れる。


 槍を取り落とすンィーガ。


「終わりだぁぁぁーーーーーーーーーーっっ!!」


 頭上に振り上げられた剣が、勢い良く振り下ろされる。


 刹那(せつな)


 地平線から朝日が昇り、差し込んだ日の光が無意識に目を庇ったンィーガの左手の紋様に反射して(きら)めく。ロウロがンィーガの手に塗り込んだヌケニンの加護には、光り輝く鉱石、雲母(うんも)が含まれていたのだ。


「!?」


 その光に一瞬気を取られたザルバド。剣の軌道がわずかに逸れ、虚空を切る。

 ンィーガはそのわずかな隙に折れた槍を拾い上げ、黒曜石の刃でザルバドの胸を突いた。


「うっ」


 うめき声とともに、ザルバドは口から血を吐いて倒れた。



 同時刻。深い森の中にも、日の光が差し始める。


「朝か」


 ぽつりと呟くグーグス。その足元には大賢者の死体が散乱している。《(ハザード)》から逃れるため、グーグスは集落を抜け出して主のいなくなった森に身を隠していたのだった。


『愚かなる呪術師よ』


 突然、グーグスの心臓を声が震わせる。それはグーグスにとってあってはならないことだった。蒼白(そうはく)するグーグス。


「誰だ!?」


 天に向かって叫ぶと、周囲を取り囲む木の幹の影から大賢者が姿を現す。一頭や二頭ではない。グーグスは完全に包囲されていた。


「大賢者だと!? あ、あり得ない! お前たちは、ザルバドたちが根絶やしにしたはず」


『我々は不滅だ』


 大賢者たちは、一歩一歩その距離を詰める。


「こ、降参だ。降参する! この通り、この通りだ! 許してくれ」


 グーグスは死臭の漂う地面に無様に平伏し、命乞いをした。


『同胞の(かたき)を、我々がみすみす見逃すと思うか?』


 大賢者たちが目と鼻の先まで迫る。

 グーグスの悲鳴が、深い森の中に響いた。



 倒れ伏すザルバドにはまだ息があったが、ンィーガはどうすることもできずに、その場で呆然と立ち尽くしていた。


 やがて気づいた男たちが殺戮をやめ、ンィーガとザルバドを取り囲んで(はや)し立て始める。それは言葉ではなかったが、やがて同一のかけ声となる。

 ンィーガには、その意味がわかっていた。

 ンィーガの脳裏を過ぎるのは、七年前。ザルバドと初めて行った狩りのことだった。かつてザルバドは、フクロオオカミからンィーガを救ってくれた。あのときの借りは、まだ返せていない。


 洞窟の中でフーが耳元で(ささや)いた言葉を思い出す。

『ザルバドを殺せ』

 フーはそう言った。できるはずがなかった。しかし、ンィーガにはわかっていた。《(ハザード)》を止める(すべ)は、もう他に残されていない。


 ンィーガは震える手でザルバドの剣を取った。仰向(あおむ)けのまま浅い息をするザルバド。目があった気がした。

 ンィーガはザルバドの喉に刃を突き立て、その首を切断した。

 周囲を囲む男たちが声を上げる。あまりの大声に、頭がおかしくなりそうだった。


「                      」


 ンィーガはザルバドの首を天高く(かか)げる。とめどなく涙が(あふ)れた。巻き起こる男たちの歓声が重なって入り混じる。


 そして、ンィーガの絶叫だけが、朝焼けとなってマーミアの空を焦がした。

あとがき



 最後までお読みいただきありがとうございます。ここからは制作に至った軽い裏話を書かせていただきますね。


 なんでコイツ突然石器時代の異世界ファンタジーなんか書いたんだ? とち狂ってんのか? と思われたかもしれませんが、本作は私が一晩のうちに見た夢をもとに書いたものでしで。

 文句はそんなものを見せた夢くんに言ってください。


 実は今作、当初はボツにするつもりでした。

 ですがある日、私が大親友くんと通話しているうちに、面白いかも、と思えてきまして。


 そこからは必死こいて旧石器時代や縄文時代の書籍で勉強して、プロットを書きました。

 幸い世界観設定は僕の夢がご丁寧に映像付きで勝手に決めてくれていたので、その点は楽でしたね。

 夢の時点ではなぜか湿地にホッキョクグマが生息していたので、ホウキョクグマに変えるなどのちょっとした工夫は必要でしたが、設定はほとんど見た夢の通りです。


 この物語を読んだあなたが、夢中になってくれたのなら、少しでも心を動かされたのなら、こんなに嬉しいことはありません。

 最後に、ここまでお読みくださったあなたと、制作を後押ししてくれた僕の大親友くんに最大級の感謝を。



羽川明より

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