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二章 その2

 ザルバドは何か言いたげなンィーガを無視して男たちの方へ振り返り、巻き舌で高らかに声を発する。男たちはあからさまに怪訝な顔をしていたが、狩りにおいてリーダーの命令は絶対だ。ザルバドが先陣を切って走り出すと、渋々と言った様子で後に続く。


 茶色の体毛と紐のように長い鼻、湾曲した一対の牙を持つ種族、アズマゾウ。基本的に温厚で、自発的にサウザンド族を襲うことは珍しい。


 しかしその力は強大で、激昂したアズマゾウにはホウキョクグマすら敵わないと言われるほどだ。だが前述した通りアズマゾウは温厚なため、戦略と数を持って短期決戦で挑めばサウザンド族でも狩ることができる。よってマーミアの支配者たり得ず、ホウキョクグマが事実上最強とされている。


 ザルバドが歌うようにリズミカルな声を出すと、サウザンド族の中でも足の速い男たちがアズマゾウの正面に回り込んだ。そこから十分な距離を取って、ザルバドの合図を待つ。


 ザルバドが怒声のような声を上げると、背後にいた男たちがアズマゾウの尻に槍を突き刺して刺激する。驚いたアズマゾウは慌てて逃げ出すが、その先には足に自信のある男たちが待ち構えていた。温厚なアズマゾウは戦うことを避けるため、進行方向をずらした。足の速い男たちはわざとアズマゾウの視界に入るように立ち回り、アズマゾウを誘導する。


 焦ったアズマゾウは底の見えない(にご)った水溜まりに突っ込んでしまった。その正体はただの水溜まりではなく、浅い底なし沼だった。


 抜け出そうと暴れるアズマゾウを取り囲むと、男たちは槍で突き刺し石斧で殴った。アズマゾウの巨体にとってその一撃は大した威力ではなかったが、男たちが物量でもって攻め立てると、血を流したアズマゾウは徐々に衰弱していった。


 やがてアズマゾウが動かなくなると、喜びが湧き上がった男たちはアズマゾウの血を全身に塗りたくって周囲を回り出す。甲高く短い鳴き声があちこちから上がった。それはサウザンド族流の(いの)りだった。


 同時に、分担してアズマゾウを解体することも忘れない。ザルバドは祈りにも解体作業にも参加せず、周囲を警戒していた。


「今日はフクロオオカミも現れないのか」


 一帯には既に血の匂いが漂っていたが、今のところフクロオオカミが集まってくる様子はない。周辺は不気味なほど静かだった。


 ともあれ、狩りは成功した。誰もがそう思っていた。

 そのとき、祈りを捧げていた男たちが一斉に騒ぎ出した。遅れて気づいた解体作業中の男たちも(わめ)き出し、大騒ぎになる。言葉ではなく、合図でもなかった。皆一様に(ひど)く慌てた様子でザルバドのもとへ走ってくる。


「なんだ、どうした?」


 大人たちのほとんどが言語を話せない。意味のない鳴き声を発して騒ぐばかりだ。もどかしく思ったザルバドはンィーガやフーの姿を探す。ンィーガは発音に多少難があるが、それでも二人はサウザンド族の中では話すのがうまい。


「ィーガ、フー! どこにいる!?」


「ザルバド!」


 フーがその場で飛び上がって人垣から顔を出す。


「フー! これは一体なんの騒ぎだ?」


「ホウキョクグマだ!!」


「なんだと!?」


 ザルバドは一気に青ざめる。その姿はすぐに見つけることができた。そう遠くない距離に、全速力でこちらへ向かってくる赤毛の塊が見える。

 大型なら単独でサウザンド族の集落を壊滅させることができるとされる、事実上マーミア最強の支配者、ホウキョクグマ。まともに戦って勝てる相手ではないため、その対処法は逃げの一手。それもーー


 ザルバドは同世代の若い二人組が集団から孤立していることに気づいた。二人は迫り来るホウキョクグマに呆気(あっけ)に取られ、こちらに気がついていない。


「そこの二人!」


 ザルバドが呼びかけると、二人組は肩を震わせて振り返る。ルキアとバーリア。偶然にも英雄ザルバド擁立(ようりつ)を良く思っていない者たちの一派だった。


「ちょうど良い、命令だ。ホウキョクグマを食い止めろ!」


「なんだって!?」「できるわけないだろ!?」


 真っ青な顔で抗議する二人だったが、ザルバドは食い下がる。


「注意を引いて足止めするだけでいい。大型の個体じゃない、できるはずだ。後でオウララを呼んで必ず助けに戻る」


 嘘だった。この距離、それもホウキョクグマを見慣れていないザルバドにサイズ感などわかるはずもない。その上、わざわざホウキョクグマのもとへ戻ってくるなど自殺行為だ。ザルバドは既に見切りをつけ、二人を置き去りにするつもりでいた。


「ふざけるな、お前が残れ!」「そうだそうだ」


「ザルバド……」


 抗議するルキアとバーリア、心配そうに近寄ってくるンィーガとフー。こうしている間にも、ホウキョクグマはすぐそばまで迫っている。ザルバドは決断せざるを得なかった。


「口答えするなぁ!! 逆らう者は全員ここに置いていく。これは命令だ!」


 狩りのリーダーに逆らった者に、集落での居場所はない。追い出され、他種族の餌食(えじき)になる。ザルバドを不満に思っているルキアとバーリアとてそれはわかっていた。


「るきあ、ばーりあ……」


 男たちは二人を残して集落へ走った。ギャドの泣き出しそうな声は、疾走するサウザンド族の男たちが蹴散らした泥に埋もれた。



 結果として、ルキアとバーリア以外の全員が無事に集落へ辿り着いた。ホウキョクグマと近距離で遭遇したことを鑑みれば、それはサウザンド族の歴史が始まって以来の大快挙であった。そんな中すべてではないものの十分な量のアズマゾウの肉を持ち帰ったザルバドたちは集落中の者たちから(たた)えられた。


 しかし、狩りに参加した男たちは皆沈痛な面持ちで俯いていた。ただ一人、ンィーガを除いて。


「ザルバド!」


 広場で、激昂(げっこう)したンィーガがザルバドに掴みかかった。そばにはフーとギャドの姿もある。


「なんだよ、ィーガ……」


 詰め寄られたザルバドは、ばつが悪そうに視線を()らす。


「なぜあんなことをした! どうして二人を置き去りにしたんだ!!」


「相手はホウキョクグマだぞ? あぁするしかなかった」


 言い争い始める二人。仲裁(ちゅうさい)に入りかねるフー。


「るきあ、ばーりあ……」


 そのそばで、堪えきれなくなったギャドは地面にへたり込んで泣き出してしまった。


「……ぐずっ、うわああああぁぁぁぁーーーーーーーーーーーーーーんん!! わああああぁぁぁぁーーーーーーーーーーーーーーーんん!! るきあ、ばーりあ! うわああああぁぁーーーーーーーーーーーーーーーーーッッ!!」


「ギャド、やかましいぞ! 男ならめそめそするな!」


 ザルバドが怒鳴ると、ギャドはますます大きな声で泣き叫ぶ。


「うるさいっ!」


 ザルバドが制止するンィーガを振り切り、ギャドの頬を殴った。倒れ込むギャド。泣き止むことはなかった。


「あの二人はいつもお前を馬鹿にしていたんだぞ? わかっているのか!?」


 ザルバドに何を言われても、駆けつけたロウロに慰められても、ギャドは泣き続けた。


「……あれは、必要な犠牲だったんだ」


 俯いたザルバドが、自分に言い聞かせるように呟く。ギャドの泣き声にかき消されて、誰の耳にも届くことはなかった。


「ザルバド。お前、変わったな。この七年で」


 フーの言葉が、ザルバドの胸に深く突き刺さった。



 同時刻。オウララは深い森の中、大賢者のもとへ来ていた。平伏すオウララの心臓に、大賢者の言葉が流れ込む。


『サウザンドの長、オウララよ。ザルバドは、英雄たり得ない』


「それは、どういう意味ですか?」


 思わず顔を上げ、オウララは聞き返す。


『言葉通りだ。ザルバドは《嵐》(ハザード)を治める英雄ではない。どころか、我々大賢者にとって脅威となるだろう』


「そんな……しっ、しかし、サウザンドの呪術師は二人とも、ザルバドこそが英雄だと」


『呪術師は我々のような力を有していない。彼女たちは危険だ。その言葉に惑わされてはならない』


 オウララは大賢者の瞳を盗み見た。まばたきを忘れたように見開かれた、ガラス細工のような複雑な虹彩が光っていた。



 同日の夕暮れ。ザルバドは呪術師グーグスの家を(おとず)れた。


「グーグス、いるか?」


 ザルバドは入り口の(すだれ)から中を覗き込んだ。消えかかった小さな火が控えめに家の中を照らしている。グーグスは小ぶりの石を手に地べたに座り込んで、底の浅い土器に入れた何かをすり潰していた。


 呪術師の仕事は占いだけではない。代々受け継いだ秘伝の知恵で薬を調合し、病や怪我を治すこともまた、彼女たちの役目だ。そのためここ最近頻繁に呪術師の家に訪れているザルバドにとってはごくごく見慣れた光景であった。


「グーグス、話がある」


 呼びかけると、グーグスはおもむろに振り返った。


「おぉ、ザルバド。悪いな、気づかなんだ」


 グーグスは焚き火に薪を焚べ、火力を強めた。家の中が徐々に明るくなる。


「いいんだ。それより、相談に乗ってくれないか?」


 ザルバドはグーグスに今日の出来事を話した。他種族の姿がなく、中止するよう進言してきたンィーガを無視して狩りを強行したこと、アズマゾウを仕留(しと)めて狩りを成功させた一方で、ホウキョクグマの襲撃に遭い、咄嗟の判断でルキアとバーリアを捨て駒のように扱ってしまったこと、そして、結果として被害を最小限に留めることができたものの、ザルバドの指示によって失われた二つの命があったことを包み隠さずに語った。


 その間、グーグスは瞑目(めいもく)し、静かに耳を(かたむ)けた。ザルバドが話し終えると、グーグスは同情するような悲しげな表情を見せた。


「辛かったろう? 可哀想に。その気持ちは痛いほどわかる。オウララ様もかつて、サウザンド族の指導者として同じような悩みを抱えておったそうだ」


「そうなのか?」


「あぁ。先代の呪術師、ブンババ様が申しておった。指導者はときに、非情に徹せねばならない。多きを助けるため、目の前の仲間を見殺しにせねばならんのだ」


「多きを助けるため?」


 聞き返すザルバドにグーグスは深く頷き、続ける。


「そうだ。百人のために、一人を犠牲にする。その覚悟がなければ、サウザンドの長は務まらないということだ」


 ザルバドはその言葉に胸を打たれた。それはまさしく雷に打たれたかの如き衝撃だった。その通りだと思った。自分は何一つ間違っていなかったのだ。


「しかしザルバドよ。お主にはまだ、迷いがあるな? こうして私のもとへ訪ねてきたことがその証左だ」


「迷い? そうかもしれない。確かに俺は、迷っているのだと思う。今の俺は、かつての俺が否定した、オウララと同じだ。どうすればいい?」


 グーグスは腰を曲げ、先ほど何かをすり潰していた土器の中をザルバドに見せた。


「これは?」


「これはアズマアサガオという植物の実をすり潰したものだ。心に作用し、迷いを断ち切る」


「迷いを、断つ?」


 グーグスは小ぶりの器でそばの水瓶から清潔な水を(すく)い上げると、アズマアサガオをすり潰した土器とともにザルバドに渡した。

 ザルバドが土器から視線を上げると、グーグスの顔があった。慈愛に満ちた顔に見えた。ザルバドは少し迷ったあと、土器の中の粉末を口の中に入れ、器の水で流し込んだ。その瞬間、グーグスが下卑(げび)た笑みを浮かべたことに、ザルバドは気がつかなかった。


「どうだ?」


 グーグスが、嫌に優しい声色で語りかける。


「わからない……何か、変わったのか?」


「はっはっは、すまんのう。私も人伝に聞いただけでな。いつ効果が現れるかは、正確には知らんのだ。今日は疲れたろう? 効果が出るまで、そこへ横になりなさい」


 グーグスが他種族の毛皮が敷かれた床を示す。ザルバドは脱力感を覚え、その上へ倒れ込むように寝転がった。


 そのままどれだけの時間が流れたのか、ザルバドにはわからない。


 大賢者から授かった知恵によって、サウザンド族には時間の概念がある。しかしただあるというだけだ。サウザンド族には正確な現在時刻を知る(すべ)がない。よって空に昇る太陽の位置を見て、おおよその時刻を知る。家の中では経過時間などわかるはずがなかった。


 ザルバドはぼんやりとした意識の中、いつの間にか唇の周りが痺れていることに気づいた。脱力感が強い。自分は想像していたよりも疲れていたらしい。ザルバドはそう納得した。


「ザルバド」


 グーグスが顔をのぞきこんできた。嬉しそうに笑っている。このままここで一眠りするのも、悪くないかもしれない。ザルバドは何事か喋ろうとしたが、痺れのせいでうまく言葉にできない。


「効いてきたようだな」


 声が出ない。ザルバドは代わりにうなずいて返事をした。その目からは輝きが失われていた。ザルバドの、焦点(しょうてん)の定まらない(うつろ)な瞳を見て、グーグスは口元の笑みを深めた。


「ザルバド。今から私が言うことを、繰り返すのだ。何も考えなくていい。ただ、口ずさむだけでいい」


「わあった」


 舌がうまく回らない。これではまるでギャドのようだ。眠ろう、そうすれば治るはずだ。


「ザルバドは、悪くない」


 一刻も早く眠りたいと思った。朦朧(もうろう)としたまま、ザルバドはグーグスの言葉を復唱する。


「おえは、悪ふない」


「逆らう者たちは(おろ)かだ」


「さはらう者たちはほろかだ」


「愚かなことは、悪だ」


「ほろかなことは、はくだ」


「悪は、滅ぼさなければならない」


「あふは、ほほぼさなへればはらない」


「悪は、滅ぼさなければならない」


「はふは、ほほぼはなけへばはらはい」


 光の失われたザルバドの瞳に、炎が宿った。ゆらめく炎が、心を焦がすような気がした。熱い。ザルバドの全身から玉のような脂汗(あぶらあせ)が吹き出し始める。


 何かがおかしい。


 ザルバドは薄れゆく意識の中で思った。そのときにはもう、手遅れだった。

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