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一章 その2

 狩りの様子を見届ける気でいたンィーガとザルバドだったが、大人たちは想像していたよりも遠くへ行ってしまい、あっという間に見失ってしまった。それは狩りの終盤、血の匂いを嗅ぎつけて集まるフクロオオカミの群れから二人を遠ざけるための配慮(はいりょ)であった。基本的に目で追っている物体を見失うことがない大人たちは、狩りの経験がないンィーガたちが遠くへ行った大人たちを見失うとは想定していなかったのだ。


 ンィーガとザルバドはやることがなくなってしまったが、サウザンド族としての血が騒ぐのか、安全な小高い丘の上で座り込んでいても、緊張が抜けることはなかった。

 泥と草の匂いのする風がンィーガの鼻をくすぐる。くしゃみをしたンィーガを、ザルバドは楽しそうに笑った。つられたフーも笑い、温かい雰囲気が流れる。


 そんなのどかな光景がこのまま続くかと思われたが、周囲を警戒していた大人たちが血相(けっそう)を変えて戻ってきた。言語が使えないため、ンィーガの背後を指差して野太い声で騒いでいる。振り返ったフーから笑顔が消えた。ンィーガとザルバドでさえ、その姿を見とめることができた。


 敵対種族である、フクロオオカミの群れだった。一時間前に見た群れよりもさらに小規模で、四頭しかいない。

 屍肉(しにく)を喰らうフクロオオカミは基本狩りをしない。せいぜい弱った他種族を襲うくらいだ。サウザンド族の獲物を横取りするため敵対種族と見なされているが、本来ならそこまで危険視する必要はない。


しかし、


「様子がおかしい」


 呟いたフーが顔をしかめる。じわじわと距離を詰めてくるフクロオオカミたち。見れば、一番大きな個体でも体高60センチ程度しかない。その上、皆一様に(ひど)()せ細っていた。


「まずいな、相当飢()えてる」


「でも、フクロオオカミだろ? さっきもそばを通り抜けたじゃないか」


 油断するザルバドをフーがたしなめる。


「聞いたことがある。極限まで飢えたフクロオオカミは危険だって。あの様子じゃ大人たちとハグれたんだろう。もうずっと餌にありつけていないらしい」


 ンィーガとザルバドを守るように、槍を手にした二人の屈強な男たちが立ち上がる。

 気づいた先頭のフクロオオカミが、吠える。やわらかい地面を爪で蹴り飛ばし、一気に加速した。一頭、二頭とそのあとに続く。


「フー、逃げよう!」


 後ずさるザルバド。


「この丘が一番安全なんだ! それに、下手に動いてハグれたらそれこそ一貫の終わりだ。二人はここに居てくれ」


 小ぶりな石斧を構え、フーは大人たちの元へ急ぐ。残されたンィーガとザルバドは、道中で拾った石を握りなおした。二人は(すが)るように周囲を探したが、石一つ転がっていない。今以上の武器は望めなかった。


 先頭を走るフクロオオカミが、ついに大人たちの間合いに入った。右に立つ大人に的を絞り、フクロオオカミは牙を剥き出しにして飛びかかった。

 男は黒曜石の槍で大きく開けられた口内を突く。


 その行動はしかし、命取りとなった。


 黒曜石の刃に噛み付いたフクロオオカミ。槍を(くわ)えたままその首を強く右に振る。

 ボキリ。不穏(ふおん)な音が立った。

 男の目が皿のように見開かれる。槍の先端が、へし折れていた。


「うわああああぁぁぁぁーーーーーーーーーーーーーーーーッッ!!!!」


 後続の一頭が男の喉笛に食らいつく。鮮血が噴き出した。隣にいた男はすぐに助けようとしたが、続く二頭がその両足に噛み付いた。


 慌てて槍で頭を突いても、フクロオオカミは怯まなかった。だらだらと血を流しながら、両足に牙を食い込ませる。激痛のあまり気が遠くなる。


 あまりの惨状に、フーはどうすることもできなかった。粗末な石斧を抱え、ただ立ち尽くすことしかできない。ンィーガもザルバドも、それは同じだった。


「あぁ、あああぁぁ……」


 喉を引きちぎられた男は草原の上に横たわり、ぴくりとも動かない。両足を噛まれた男はまだ息があったが、残る一頭が顔面に飛びつくと、頭から転倒した。

 充満する生臭い匂いに、むせ返りそうだった。ぴちゃぴちゃと肉を喰む音が耳にまとわりついて離れない。


 欲が出たのか、屍肉を貪っていたうちの小柄な一頭が顔を上げ、品定めするように三人を見回す。


 一歩、また一歩と歩き出したかと思うと、突然走り出した。狙いは、ンィーガだった。

 フクロオオカミが迫る。後ずさろうとしてつまずき、ンィーガは尻餅をついてしまう。飛びかかるフクロオオカミの牙が目前に迫った。


 目を(つむ)り、ンィーガは死を覚悟した。そのとき、


「ィーガ!」


 ゴッと(にぶ)い音がした。ザルバドが、拳大の石でフクロオオカミの側頭部を殴りつけた音だった。

 その一撃は小さな体にこたえたようで、怯んだフクロオオカミは唸ってザルバドを睨んだ。ザルバドが石を振り上げて睨み返すと、小柄なフクロオオカミは引き返し、倒れた男たちのもとへ戻った。


「フー、今のうちに逃げよう」


 ザルバドは固まったままのフーの手を取り、ンィーガとともに大人たちのもとへ急ぐ。

 三人は走った。泣きながら、振り返らずに走った。

 その後、ンィーガたちはなんとかオウララたちのもとへ辿り着いた。


「オウララ様!」


 駆け寄ったザルバドがフーの代わりに事情を説明する。二人が死んだことを気かされても、オウララは顔色一つ変えなかった。


「すぐに狩りを中止してください」


「それはできない」


「なぜですか!?」


「生き残るためだ」


「は?」


「付近をうろついていたホウキョクグマのせいで、このところ狩りができていなかった。もう集落にはほとんど食料が残っていない」


「そんな……」


 ホウキョクグマは、一言で言えばマーミアの支配者である。基本的に群れを成さず、単独で獲物を探す。体高は150センチだが、立ち上がれば3メートルを超える。ギザギザの鋭い爪と刃を通さない厚い皮を持ち、屈強(くっきょう)なサウザンド族の大人を一撃で葬って余りある力を有する。攻守共に優れた事実上最強の敵対種族なのである。


「フクロオオカミの群れがいることは気がついていたが、そこまで飢えているとは思わなかった」


「知ってたんですか! 知ってて教えてくれなかったんですか!?」


「甘く見ていた。私の責任だ」


 ザルバドは泣き出し、オウララの腹を殴った。何度も何度も殴った。オウララの腹は割れた硬い筋肉で守られていて、そのうちザルバドの拳の方が痛くなった。それでも、ザルバドは殴り続けた。オウララは、ただ黙ってそれを受け入れた。



 帰り道、泣き止んだザルバドはンィーガとともに草原を歩いていた。周囲では大人たちが油断なく守りを固めている。


「ザルバド。さっきは助かった。お前が助けてくれなかったら、俺は命を落としていたと思う」


 ンィーガは泣き腫らしたザルバドを慰めるつもりはなく、単にお礼を言っただけなのだが、気を遣ってくれたのだと思ったザルバドは、無理矢理笑顔を作ってみせた。


「貸しだぞ?」


「あぁ、必ず返す」


 真剣な顔で答えるンィーガを見て、ザルバドは噴き出してしまった。今度こそ、本当に笑っていた。

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