いつかその日まで
「どうして謝るのかって聞いてるの!」
伊藤が突然声を荒げ、思わず身をすくめた。彼女がこのように怒るのを見るのは初めてであり、気圧されて何も言えなくなってしまう。
「私は、金剛寺と一緒にいるの大好きだよ」
その言葉に目を見開く。伊藤の目はまっすぐとこちらを見つめており、一点の曇りもないその瞳には嘘の気配は感じられない。
「小さい頃、友達が私から離れて行く中、金剛寺だけは傍にいてくれた。本当の私を受け入れてくれた。だから一緒にいると気持ちが落ち着いて、物凄く幸せだったの。確かに一時期お互いに微妙な感じになっちゃってたけど……。でも、最近になってまた楽しくなってきたんだよ! 金剛寺と一緒にいるのが」
一緒にいるのが楽しい。その言葉が耳に入ってきた瞬間、全身を震わせるような衝撃を感じ、少し遅れて歓喜が心の深い部分から湧き上がってくる。彼女もまた、自分と二人でいる時間に価値を見出してくれていたのだ。心が通じ合ったという事実に、息の詰まる程の幸福感が胸を満たす。
「あのとき、金剛寺は今の私も昔の私も大好きだって言ってくれた。その言葉に私がどれだけ救われたと思う?」
伊藤と河川敷で話した時のことが思い出され、身体中にぬくもりが広がる。彼女があのときに浮かべていた輝くような笑顔が脳裏に浮かび、目の前に光が差したような気がした。
「私ね、自分の気持ちがずっと分からなかった。金剛寺と一緒に居るのは楽しい。けど、その気持ちは幼馴染として向けてるものなのか、それとももっと別のものなのか……。でもね、今分かったの。私、金剛寺が好きだって言ってくれて凄く嬉しかった。だからそれが答えなんだよ」
想いが……通じた。自分は伊藤のことが好きであり、伊藤もまた同じことを思っている。その事実に脳が震え、これまでに感じたことのないような高揚感が湧き上がってきた。愛おしさが溢れ出し、彼女のことを思い切り抱きしめたくなる衝動に駆られる。だが、それと同時に、心の中が寂しさとも虚しさとも似つかぬ奇妙な感情に満たされていった。
(だめだ。俺、やっぱりまだ伊藤の隣に胸を張って立てない。伊藤から好きだって言ってもらったのに、それを心の底から喜べない……)
互いに気持ちを確かめ合うことができた。しかし、どれだけ頭を働かせても彼女の隣に恋人として自分が立っている姿が想像できない。代わりに脳裏に浮かぶのは、ひ弱で自信なさげな自分が伊藤に支えられながら立っている光景だ。
(そんなのは嫌なんだ。支えられるだけじゃない、俺だって伊藤を支えてあげたい。互いに対等な関係で付き合っていきたい。でも、それでも……)
「こ、金剛寺? なんで泣いちゃうの……?」
気が付けば、目から大粒の涙が止めどなく流れ出していた。霞む視界の端で、伊藤が心配そうな顔をしながらこちらを見つめている。
「……ごめん。伊藤が気持ちを受け入れてくれて、物凄く嬉しい。嬉しいけど、俺はまだ伊藤の隣に胸を張って立てないんだ……。こんな俺じゃ君のことを支えられないんじゃないかって。君に釣り合わないんじゃないかって、どうしても思っちゃうんだ……」
伊藤が雷に打たれたかのように目を見開いた。しかしそれも一瞬。両腕でこちらの肩をつかむと、力のこもった瞳で自分の顔を見つめる。
「そんなことない!!」
周囲に響き渡る程の声量で伊藤が叫んだ。自分の肩を掴む力が一層強さを増す。
「確かに、なよなよっとしてて、何か自信なさげで、勉強もスポーツもいまいちだけど……。それでも、金剛寺は人のためなら誰よりも頑張れる。誰かを助けるとき、嫌な顔一つせずに心の底から嬉しそうに笑ってる。私を助けてくれた時だってそう。そんな姿を見て、ずっと凄いなって思ってたの!」
そう言う伊藤の頬には涙が伝っている。だが、それを気にする素振りなど一切見せずに言葉を繋ぐ。
「私は何かに全力になれたり必死になれる人が好きだって言ったよ。でもね、あのとき思い浮かべてたのは金剛寺みたいな人のこと。他の人のためなら何もかも犠牲にして頑張れる人のことなんだよ。現に、私のために練習を頑張ってここまでタイムを縮めたんでしょ? それって十分に立派だよ! すごくかっこいいじゃない!」
頭を殴られたかのような衝撃が全身を貫く。伊藤の言葉の1つ1つが胸に溶けて、その温かさが全身に広がっていくようだった。しかし同時に、自分は本当に伊藤が言ってくれているほどの人間なのかという思いが浮かんで頭から離れない。彼女にここまで言ってもらってもなお、自分に自信を持つことはできないのだ。
(なんだよ、俺。伊藤にここまで言わせておいて、それでも気持ちが変わらないとか……。本っ当に最低だ)
自己嫌悪がさらに強まり、気持ちが暗く澱んでいく。これは自分の内面の問題であり、外からの言葉ではどうしようもないものなのだろう。沈んだ面持ちで下を向いていると、伊藤が自分の肩から手を離して口を開いた。
「あのさ、私って別にそんなに大した人間じゃないんだよ。ちょっぴり美人で運動神経もよくて、成績優秀。ただそれだけだって。釣り合うとか釣り合わないとか難しく考えすぎだよ」
冗談めかしたような声だ。自分のために努めて明るく振舞ってくれているのだろう。爆発しそうなほどの申し訳なさが胸を満たすが、かといって何かを言うこともできない。そんなこちらの様子を見てか、伊藤は言葉を続ける。
「そっか。尊敬する人の前に立つと委縮しちゃうみたいな感じなのかな……。もしそうなら、私と付き合っても金剛寺は心の底から喜べないよね」
その言葉を聞いて、寂しさと共に僅かな安堵を感じた。思いが通じ合いながらも、結局自分のせいで結ばれずに終わってしまうのかという寂しさ。そして、伊藤が諦めてくれたのかという安堵。考えてみれば、自分が大会で入賞出来ず、自分に自信をつけられなかった時点でこういう結末になるのは決まっていたのかもしれない。だが、それでもこの想いだけは彼女に伝えたかった。それが叶った今、思い残すことはもう何もない。だからこそ、全てを終わらせるべく口を開く。
「うん。だからさ……」
「ストップ!!」
自分の言葉を遮るように唐突に伊藤が声を上げる。驚いて彼女の方を見ると、伊藤もまたこちらを真っ直ぐに見つめており、その表情はかつてないほどに真剣だった。見開かれた茶色の瞳には真っ赤な夕陽が反射し、目の奥が燃え上がっているかのように見える。そのあまりの迫力に気圧されて、思わず言葉を詰まらせてしまった。
「私の隣に立つのに気が引けるって言うならさ、そうならないように今からでも全力で自信をつけてよ」
「……え?」
その言葉の意味が理解できず、気の抜けたような声が出る。彼女は一体何を言っているのか。目を白黒させていると、伊藤が続けて口を開いた。
「私のためなら全力で頑張れるんでしょ? 私は金剛寺と一緒に居たいの」
さらに困惑が強くなる。伊藤は自分と一緒に居たがっている。だから自分にもっと自信を持ってほしい。そこまでは分かる。しかし、問題はその先だ。
「自信をつけろって言われても、そんなすぐにつくようなものじゃ……」
そうだ。つけようと思って自信が付くようなら苦労はない。だからこそ自分はこうして苦悩しているのだ。しかし、そんな自分をよそに、伊藤は相変わらず眉を寄せて真剣な表情を崩さない。そんな顔をされたところで、すぐにどうにかなるものでもないのに……
「すぐじゃなくていい。私、ずっと待ってるよ」
その言葉を聞いてハッと息を吸い、目を見開く。
「金剛寺が胸を張って私の隣に立てるまで待ってる。私は幼馴染としてだけじゃなく、男の子としてもあなたのことが大好きだから」
伊藤の真剣な表情が崩れ、代わって優しげな笑みが現れた。全てを受け入れてくれるかのような、大きくて温かな笑顔。胸に何かが込み上げてきて、目頭が熱くなる。
「……いいの? そんなことで」
そう言うと、伊藤はゆっくりと頷いた。
「うん。いつまでも、ずっと待ってる。もちろん自信がつくように私も全力で協力するよ。だから、今はまだ幼馴染のまま。……それでいい?」
「うん。……うん。」
視界がぼやけてしまい、上手く言葉が出ない。安堵、不甲斐なさ、暖かさ、嬉しさ、申し訳なさ……。数々の感情が自分の中を駆け巡って、どうしていいのか分からなくなってしまう。
「ごめん。こんなにだらしなくって……。本っ当にごめん……」
こんな自分が伊藤の隣に立てるはずがない。改めてその思いが強くなる。しかし、そんな自分に彼女は時間を与えてくれると言ったのだ。ならば、その思いに応えなければならない。ここで立たなければ、自分は今度こそお終いだ。
「まったく、本当にみっともないんだから……。でも、これから変わるんでしょ?」
「……うん」
そうだ。これから、ここから変わっていくのだ。胸を張って伊藤の隣に立って、彼女を支えられるように。
「伊藤にここまで言ってもらったからには、それにふさわしい男になれるように頑張らないとな」
手の甲で涙をぬぐい、気持ちを切り替えるように努めて明るい声を出す。顔を上へと上げると、木々の隙間から差し込んだ夕陽が目に飛び込んできた。そんな自分を見て、伊藤は満面の笑みを浮かべる。
「そうだよ、その意気だよ! まず変えるとしたら髪型かなぁ~。今時スポーツ刈りなんて流行らないって」
ふさわしい男になる。というのはあくまでも内面的な話のつもりだったのだが、伊藤はそんなことは気にもかけていないという風にご機嫌な声を出している。
「え? 結構気に入ってるんだけどな、これ……。そもそも外見まで変えないといけないの?」
「当然じゃない! 何だってまずは形から入れって言うでしょ? 私好みの良い感じの見た目に改造してあげるから、楽しみにしててよね」
それを聞いて凄まじい不安が心を襲った。伊藤のことだ。きっと善意で言ってくれているのだろうが、それでも彼女の浮かべているにやにやとした笑みを見ていると無意識に身構えてしまう。
「これから高校受験も始まるわけだから、勉強もしっかりしないといけないよね。私がみっちり指導してあげるから覚悟しといてよ」
高校受験……。そうだ、入賞出来なかった以上自分はここで引退となり、これからは受験に向けて勉強に打ち込む日々が始まるのだろう。考えただけで憂鬱になってきそうだ。
「そこはお手柔らかに……。いや、やっぱりビシバシ頼むよ。どんな鬼畜指導でもドンと来いだ!」
そう。結果を出せなかったとはいえ、自分はつらい練習を最後までやり終えることができた。3000mを全力で走り切り、何かに本気で打ち込むことの素晴らしさに気が付いたのだ。ならば、勉強だってそれと同じことだ。
「ふふっ。まぁ、私はまだ大会残ってるからそれとの兼ね合いだけどね。金剛寺もちゃんと応援してよ」
「もちろん! 今度は最初から最後まできっちり応援するよ」
そう言って互いに微笑みあう。伊藤の実力ならば県大会でも間違いなく上位に食い込むだろう。それどころか、全国大会でも戦えるかもしれない。それが何故か自分のことのように嬉しくなり、大勢の観客に囲まれながら巨大な競技場で走る伊藤の姿が目に浮かぶような気がした。
「あ。それとね。もう一つだけ」
伊藤が突然つぶやいた。そして、コホンとわざとらしく咳払いをすると、その顔をこちらに近づける。瞬間、頬に柔らかな感触が触れた。
「あ……」
頬に触れた感触の正体を察し、全身が燃え上がるように熱くなる。心臓が爆発しそうなほどに脈打ち、額からは汗が噴き出していた。伊藤はそんな自分から顔を離し、照れくさそうに笑みを浮かべてる。
「特別サービス。いつか自信を持って私の隣に立てるようになったら、その時に返して。……絶対だよ?」
顔から火の出るような恥ずかしさの中、伊藤の声は落ち着いていた。彼女は本気なのだ。本気で自分に期待をかけて、自分と一緒に居たいと思ってくれている。
「……分かった。絶対に返す。それまで待っててね」
自分に自信をつける。きっと簡単なことではないだろう。何をしたらいいかさえもまだ良く分からない。だが、それでも、彼女と一緒ならそんなことでもできる気がした。
(絶対に伊藤に相応しい男になって、その隣に立つんだ。支えられるだけじゃない。俺だって伊藤を支える。もう……絶対に諦めたりしない)
林の中を一陣の風が吹き抜ける。木々の枝葉が揺れてそこから漏れる夕陽の形が次々に変化し、赤色のきらめきが自分と伊藤を照らす。自分たちは互いに愛しい人の存在を隣に感じながら、しばらくの間美しい夕陽を眺めていた。
◆
もうちょっとだけ続きます!
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